到来を告げる北の風 2
<Ⅱ>
ルードの村の南側、そこは穀倉や保管庫といった建物がいくつも立ち並ぶ場所だった。
当たり前のことだが、王国領の村や都市には国から税が課せられている。税とは金銭だけではなく、食料や民芸品といった価値あるものも適応される。ここの穀倉は税、つまりは国に租税を支払うための穀物などを保管しているのだろう。
そんな重要な物を無人にしておくわけにもいかず、近くに衛兵の詰め所があると村長から聞いていた。
簡素な造りの小屋の前に立ち、私は手で扉を叩き、返事を待たずに中へと足を踏み入れた。
室中はやや埃っぽく、部屋の光源は明かり取りの窓から射し込む光のみ。急な来訪に驚く二つの人影を無視し、部屋の中をぐるりと見渡す。
一部屋限りの生活感の無い小屋。それもそのはずでこの小屋はそもそも住居ではなく、道端に建てられた倉庫のようなものだ。
そのため左手の壁には鍬などといった農具があり、他にも剣や弓、槍や盾が一纏めに立て掛けられていた。
「おいっ、なんだあんたっ!」
部屋の奥の椅子から立ち上がり、男が誰何の声を上げた。その声に視線を正面へと戻す。
こちらから見てテーブルの奥の男が椅子から立ち上がり、突然の闖入者である私を睨み付けている。そして先程声をあげた奥の男の対面に座るもう一人が、何かに気付いたように口を開く。
「あんた……確か、一昨日に村に来た……」
その手前の男には私も覚えがあった。
この村に入る際、入り口にいた衛兵の若い方だ。そしてその若い衛兵は怪訝な表情で歩み寄ってくる。
「こんな所に何の用だい? ここは俺達が使ってるんだ、悪いけど出てってくれないか?」
私はいまだ小屋に入ってから口を開かず、口を引き結んだままに観察を続けていた。そしてツカツカと近付いてくる若い衛兵、その背景の一部が目に留まる。
テーブルの上に置かれた葡萄酒のボトルとグラス。更には数枚の銅貨に、散らばったトランプ。
そこから連想されることは、子供であろうと容易に想像がつくであろう。
「昼間から酒盛りに賭博とは……随分と良い身分だな」
微かに沸き出る感情を抑えつつ告げると、二人の衛兵の顔が見るからに引き吊った。
「あ、あんたには、関係ないだろっ……」
若い衛兵は途中で立ち止まると、眼を逸らしながら吐き捨てるように言う。
「いいから、用が無いならさっさと出てってくれっ……」
「平和ボケも、ここまで来ると問題だな」
そう小さく呟き、ゆっくりと息を吐き出す。
「生憎、私は君達に用が在って来たんだ」
私の高圧的な声に反応し、二対の眼差しが向けられる。
その眼差しに解を示すように、左手に持っていた一枚の書状を広げて見せる。近くに居た男が困惑した表情で広げた書状を覗き込んできた。
「要請書……?」
書面には近隣の森に棲息する害獣を討伐する旨が記載されている。その役割を担うのは衛士、つまりは目の前の彼等である。
そして『グランスワール王国騎士団・近衛騎士団長クレス・スタンノート殿に指示を仰ぎ、上記の任に就くこと』――そう、この村の長の署名入りで書かれていた。
書状を覗き込んでいた彼は、グラリとバランスを崩し、一歩、二歩と後ろへ下がる。そしてよたよたとおぼつか無い足取りのままに、遂には尻餅をついた。
そんな自分の醜態を省みず、まばたきもせずこちらを見上げてくる。
「ほ、本物…………?」
呆然としたまま呟き、立ち上がることすらしない。奥の衛兵は今の状況に対して、戸惑いを露にしていた。
それも当然だろう。書面を読んでいた衛兵が、突然バランスを崩して後退り、尻餅をついてしまったのだ、戸惑うのも無理はない。
ただ、私としてはこの者達に一から十まで説明している暇はない。フォルテの事もあるため、迅速に行動を移すとしよう。
「これが何か分かるかね?」
腰に下げた袋から、ある物を取り出しては彼等の見える位置に掲げる。
我が国の主精霊と崇める四大精霊『ノーム』――その加護を受けて精製される『樹霊鋼』。
この樹霊鋼を台座とし、<銀の硬貨>が嵌め込まれた、掌ほどの大きさのメダリオン。台座の爪によって嵌め込まれた銀の硬貨には、国の守護獣とされる<獅子>の紋章が精緻な意匠で刻まれている。
このメダリオンはその所持者の地位を示し、更には証明する為の物だ。
「たっ……――大変、しっ、失礼しましたっ!」
数瞬後、若い衛兵は飛び跳ねるように立ち上がり、最敬礼を返してくる。遅れて奥の衛兵も同様に、胸に拳をあてる敬礼をした。
二人は顔は青ざめさせ、瞳孔は開き、短い呼吸を幾度と洩らし続ける。それはまるで……死罪を待つ囚人を連想させた。
通称<銀のメダリオン>――下から<銅><銀><金>とあり、身分を示すにはこれ以上と無いもの。
勿論、これを複製などすれば、その関係者全員が即死刑となる代物であり、その所持者を疑う者はこの国に存在しない。
そもそも<騎士>とは、一介の兵士や衛兵等とは一線を画す、特権階級を示す称号である。
<銅>は最低でも<子爵・伯爵>等の身分を示すものであり、そして私が所持する<銀>は<侯爵>以上の地位を示すもの。その上の<金>に値する身分とは大公爵、または王族に所縁の在る存在だ。
破滅を導く冥府の遣いにでも出逢ったかのような、そんな彼等の恐慌に眉をひそめつつ、手を振り口を開く。
「構わん、楽にしたまえ」
私の指示に二人は素早く足を開いたものの、いまだに身体をガチガチに硬直させ、暑くもないのに汗を滝のように流していた。
まあ、無理もない……か。
最悪、自分達の首が飛びかねない相手が目の前に居るのだ……彼等の緊張も理解出来る。
そう考えて小さく溢した私の溜め息に反応し、若い衛兵はビクリと身を震わせた。チラリとその表情を見遣ると、先程までの青白い表情が今や土気色にまで変色していた。
もしかしたら先の態度の他に、一昨日の私に対する振る舞いや言動を思い返しているのかもしれない。
「……私は君達を罰するつもりは無い、安心したまえ」
その言葉に彼等の震えは止まったが、顔色はいまだに優れない。
いい大人がこちらを怖々と、更には小動物のように震えて見詰める様子は、正直見ていて気分の良いものではない。
可能であれば穏便に済ませたかったが、生憎と時間が押している。これから森に入り、本来なら一日二日掛かるであろう害獣の対処を、私と不慣れな衛兵の二人で短時間の内に済ませて村に帰ってこなくてはならない。
元々そこまでの時間は無かったが…………そもそも私が、何故か村長の家で誤解を解いていた為に、更に時間が圧迫された事など彼等には余計な情報だろう。
召喚した精霊から伝わってくる感覚だと問題なさそうだが、それが遅くなって良い言い訳にはならない。
私は若い衛兵を見つめ、口を開く。
「そこの君。君は書状にあった通り、私と共に森へと向かって貰う。直ぐに準備をしてくれ」
「は、ハイッ、了解しましたっ!」
早口に発するも、混乱しているらしくびっしりと脂汗をかいた顔で周囲を忙しく見回すだけで、中々準備らしい準備をしようとはしていない。
「……武器は持たなくて良いのか?」
そう言葉を投げ掛けると、ハッと顔を上げ壁に立て掛けてあった剣を取り、戻ってくると私に対し敬礼をする。
思わずそれだけの準備で良いのかと問いただしたくはなったが、今更どうでも良くなったため、その疑問は捨て置くとしよう。
私は武具や農具が立て掛けてある壁へと歩み寄る。そしておもむろに簡素な造りの弓を手に取り、木の質感や握り、弦の張り具合を確認した。
どうやら問題は無いようだ。持っていた剣は宿に置いてある為、狩りにはこの弓を使用する事とする。まああの剣をもっていっても碌に使えないであろう。あれは今や切るためではなく叩く用途にしか使えない。
「それでは向かおうか」
傍に置いてあった矢筒を腰に掛け、若い衛兵の前を横切り戸の前へと歩いてゆく。
取っ手を掴んだところで二人に伝え忘れていた事を思い出し、背後を振り返る。
「言い忘れていたが、私がこの村に逗留している事は誰にも口外しないように」
そこで一旦言葉を切り、二人の衛兵を順番に見据える。そして淡々と、声を抑えて言葉を告げる。
「もし君達が口外したと分かれば、命は無いと思ってくれ」
命云々は流石に嘘だが、これぐらい言い聞かせておけば問題ないであろう。二人は私の言葉を真剣に受けとめ、顔を青ざめさせて無言のままに何度も頷き返してくる。