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クレス・スタンノートの苦労 7

 <Ⅶ>


 部屋の片隅に蠢く闇へと囁くように、厳かなる少女の声が降り注ぐ。


「汝、王に仕えし剣聖の騎士。無窮むきゅうの光を掲げ、闇を祓う者」

 視線の先には少女の危うい輪郭、更には眼を灼く斜光しゃこうとは別の柔らかな淡い光があった。

 赤、青、黄、緑と、体内に宿る<万物の根元たるマナ>が具現化されて起こる現象。


「告げる。汝の命運を我に捧げよ。この意、この理に従うならば応え、誓いを此処に」

 その淡い光が窓を背にして私の前に立つ少女のからだから、沸々と放出されてゆく。


「唱えよ。四霊しこんの言霊を纏いし者。その言の葉は断魔の剣」

 少女から放たれた淡い光球――<精霊蟲せいれいちゅう>が周囲に溶け、不可視な力場が部屋の中に形成されてゆく。今やこの場は簡易ながら、魔術を行使する為の祭壇と成していた。


「誓え。汝、王国を覆う天蓋てんがいと成し、我に仇為すものに正義の鉄槌を下さんと」




 今少女が唱えているのは、グランスワール王国の建国神話に遡る、四百年以上も現代まで脈々と続く主従の誓句せいく

 初代国王に仕えし軍師ストラテジスト【ヘルメス】。それと同時に秘術使い(アーケイナー)であった彼が遺した、誓約の<呪い>であった。




「我、精霊の御名にかけて誓約する」

 私の一言により、部屋の空気が変質する。

 今まで漠然と漂っていた力場が、確かな意思を持ったように蠢き始めた。それはさながら、雪解けを思わせる春の小川の様に静かに、だが次第に勢いを増して。


「喩え、地が裂け、天が落ちようとも、我と汝の交わした契りを違えることは無い。其、汝が為の道標なり。我が魂、昇華をもって御身に捧げることをここに誓わん」


 ヘルメスは極めて優れた秘術使い(アーケイナー)であり、またその知略により初代国王を勝利へ導いた英雄。

 だが彼はいつしか国を去り、伝承によれば別の世界へと渡り歩いていったとされ、その後の消息は不明となっている。


「我が<骨相>に宿りし大地の精霊ノームに誓う。

 我が<肉>に宿りし炎の精霊サラマンデルに誓う。

 我が<血>に宿りし水の精霊ニンフに誓う。

 我が<系脈>に宿りし風の精霊シルフに誓う」


 そんな彼が最も得意としたのは、呪言。

 今私が唱えしは、肉体に宿りし精霊の力を以て、因果の鎖を主君へ委ねる契約魔術。クレス・スタンノートの肉体と魂、その一欠片に至る全てを捧げる誓約の儀。


「我、王国の守護者なり。鋼の獅子をこの身に宿し、如何なる脅威をも討ち滅ぼさん」


 我が身、この薄皮一枚の下に内包されし精霊の神秘が、確かな熱を放つ。




「ならば、その身を以て忠誠を示せ」

 私の前に差し出された少女の手の甲。その細く、触れただけで壊れてしまいそうな華奢きゃしゃな少女の手を取る。


 熱を放つ体に、少女の手は冷たく心地が良い。そして流れるままに、その甲に口付けをした。その瞬間、私の体から発せられていた膨大な熱量が奪い取られらかのように、少女の体を包み込む。

 その急激な変化に軽い虚脱状態となった私の聴覚が、少女の唇から熱の籠った吐息が溢れたのを微かに捉えた。


 これで誓約の儀は終わった。

 失われた体温、急速なマナの欠乏により部屋の空気が肌寒く感じる。私は細く息を吐き出し、片膝をついたままに少女を仰ぎ見る。


 その視線の先で、少女は口付け……と言うよりは、先程の契約の誓いを立てた右手を自分の胸に掻き抱くようにして、まるで精巧な人形のように固まっていた。

 だが人形では有り得ない、どこか泣きそうに揺れ動く眼差しは、どのような言葉を掛けるべきか私の思考に迷いを生じさせる。


 その結果、妙な沈黙が場を支配した。

 いまだ精霊の光が残る部屋の中、幻想的な余韻が冷めきらぬそんな間隙に、スルリと滑り込むような動きが発生する。




 静かな動作で私の後頭部に回された、少女の細い両腕。体の熱を感じさせるような吐息。顔を被い隠すように胸に抱きかかえられ、思考を溶かすような甘い香りを感じる。

 低くなった体温に、ぬるま湯のような暖かさが心地よい。


 高鳴る胸の鼓動を誤魔化すように、極力平坦に声を掛ける。


「フォルテ――さま?」


 衣服越しのくぐもった響き。それに伴い、微かな震えが伝わってきた。

 回された腕に微かな力が加わった。


「――――――」


 聞き取る事の出来ぬ、少女の唇から紡がれた音の残滓。耳に届く前に、その不明瞭な響きは空気に溶けては消えた。


 私は再び、その名を問う。

「フォルテ……さま?」

 二度目の問いに返答はなく、ただただ無為に時は流れた。


 時は夕から夜へと取って代わる時間帯。沈黙と、いつしか停滞した空気が、何の変哲もない黄昏時の静寂しじまを装っている。


「ありがとう、クレス」


 今度は耳に届いた、確かな声の響き。

 至近距離から柔らかく囁かれた言葉は、まるで睦事むつごとのようであった。それに合わせてスルリと解かれた拘束と、離れてゆく体温。


 開けた視線の先には、手を腰の後ろに組んで立つ少女の姿。

 一拍遅れて金の色彩が一歩下がった彼女に付き従い、そして輝きを放ちながら揺れを止めた。

 少女はどこか照れ臭そうに、小さく笑みを溢す。その微笑は老若男女を問わず、見るもの全てを魅了する美しさが、そこにはあった。


 いまだ驚きが抜けきらぬままに私が沈黙を維持していると、フォルテ様は恥ずかしそうに背を向けた。それに伴い、彼女の髪が鮮やかに舞い踊る。


 そしてそのまま流れる動作で歩み出し、立ち止まり窓の木枠へと片手を添えた。


「クレス……確認なんだけど、これで貴方と私は正式な主従となったの、よね?」

「え、ええ、その通りです」

 背を向けたままに告げられた問いに、急いで強張っていた意識を解きほぐし答えた。

 フォルテ様は「そう……」と、どこか感慨深く呟き、更に言葉を続ける事はしなかった。


 正確に言えば公的な立場、つまりは一国の姫君とその国に仕えし騎士としての契りを結んだ訳ではない。

 だが公的なものよりももっと神聖かつ強固な誓約を結んだのだ。クレス・スタンノートと、そしてリージュ・ル=グランスワール・ファン=フォルテの主従の魂の契約――<魂環回路パス>を結んだのだった。




 おもむろに立ち上がると、荷重の変化からか床が微かに軋みを上げた。思いの外、大きく響いた音の余韻が消えたあと、再び少女は口を開く。


「それじゃあ、クレス。貴方にひとつ、お願いがあるの」

 そこで一旦言葉が切れ、次に上擦った声が続いた。


「私の事は、この旅の間はずっと…………その、<フォルテ>って、呼んで?」

「それは……」

 咄嗟に疑問と難色を示してしまった私に対し、少女は弾かれたように振り返る。


「だってっ、その、<父娘>なのに、様付けで呼んでるなんて変じゃないっ!」

「ですが……外では」

「外でも内でも関係なく、二人の時も<フォルテ>って呼んで欲しいのっ!」

 早口に言葉を叩き付けてきた少女を、驚きながら見詰め返す。


 この少女の我儘やお願い自体、珍しい事では無い。だが、このような必死さを感じさせる様子は、この少女が産まれてから今まで、私が知る中で初めてであった。


 苛ただしげな、そしてどこか悲しげな翡翠色の双眸。

 小さな両の手で、服のすそを力一杯に握り締めるその姿は、どこか親とはぐれた迷子の子供を連想させた。

 内なる思考に捕らわれ、思わず黙り込んでしまった私を見遣る二つのまなこには、どこか不安そうな色が浮かび上がっていた。


「その……様付けをしてるとこ、誰かに聞かれたら困るだろうし、そんな事で疑われちゃったら嫌だから…………その」


 裾を握る手をそのままに、言葉は尻窄みし、視線は徐々に下がっていってしまう。

「そうですね、<フォルテ>」

 紡いだ言葉に、視線が上がる。


「この旅の間、貴女は私の愛しい<娘>です。そんな娘を、様付けで呼ぶ父親はいませんね……」

「……その娘に対して、敬語で話す父親もいないと思うけど」

「確かに、そうですね」


 そう言葉を返すと、少女は強く握り締めていた両手を解きほぐす。そしてクスクスと、楽しそうに、嬉しそうに、笑みを溢し続けた。

 綺麗な弧を描く艶やかな唇が笑みに彩りを添え、それは春の到来を告げる雪割草を連想させる。


 少しと云うよりも幾らか時計の針を超過した、どこか心を穏やかにする時の流れ。

 フォルテ様……いや、フォルテは弾むような足取りで歩み寄ってくると、そのまま私の腕をとる。


「私お腹空いちゃった――パパ、下にご飯食べに行こ?」


 よくよく考えれば今は夕飯の時間だ。それに今更ながら二人とも昼食を摂っていない事に気が付いた。今更ながら体が空腹を訴えてくる。


「そうだな、フォルテ」




 一階に降りると既に夕飯の用意は済んでおり、恰幅の良い女将と気の弱そうな主人に礼を伝える。

 二人並んで席につき、香草で臭みをとった羊肉をメインとし、副菜のたくさんの野菜が入ったスープとサラダで食事を進めてゆく。流石に城の料理とは比べ物にはならないが、素朴ながら作り手の暖かみが感じられる料理は、純粋においしく感じられた。


 隣に座るフォルテを横目で見ると料理に不満は無いようで、その事に内心胸を撫で下ろす。幼少から一流の料理に鍛えられた味覚には少々不安なところがあったが、こういった庶民的な味には以前から興味があったようだ。




 そう言えば昔、母親のアルト様に連れられ、城下へ遊びに行った時の事。そのときアルト様は野市で売られていた食べ物に興味津々で、食べた感想としては「逆に新鮮」と言っていたのを思い出した。

 余談だが、そのあと城に帰って当然のごとく怒られたのは今となっては良い思い出だ。


 女将にフォルテの洗練されたテーブルマナーに驚かれつつ、暫し談笑を交えながら情報収集に務めた。

 その際、木の実の練り込まれたパンを口に運んでいると、女将が思い出したように口を開いた。


「そう言えばこのパン、村長の娘さんから貰ったんだよ。なんでも旅の方に出してくださいってね」


 その事に相づちを返しつつ、パンの美味しさに舌鼓を打つ。明日、予定では村長のもとへと伺う予定ではあったので、その折りに感謝を伝えるとしよう。

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