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クレス・スタンノートの苦労 4

《Ⅳ》


 宿泊とその他諸々の手続きを済ませ、簡素ながら清潔感のある宿屋の二階へと上がってゆく。流石に清潔感があると言っても、今まで暮らしていた城とは比べ物にはならないが。


 背から降りたフォルテ様は、木板が張られただけの床や漆喰の塗られた壁を興味深そうに眺めながら私の後をトコトコと付いてきていた。その姿から親鳥の後を付いてくる雛鳥の姿を連想させる。

 見るもの全てが物珍しいのであろう。私からすれば何の変哲も無い景色も、フォルテ様からすれば興味を惹かれるのであろう。ただ、よそ見をしながら歩くのは止めてほしい。


 部屋は2組のシーツと毛布がセットとなったベットと、装飾の何もない簡素な木の机と椅子が置いてあるものであった。

 ひとまず部屋に荷物を置き今後の予定を確認する。私、クレス・スタンノートが賜ったアルト王女陛下の任は、基本的には村や町、他国の情勢等の調査、それと――フォルテ様の特別な教育係のしての任。

 調査に関しては簡単、というほどでもないが難しくは無いだろう。問題となるのが教育係の方だ。一体全体、何をどうすれば良いのだ? 誰か教えてほしい。

 教育係として何をどうするか正直な話、具体的な案が一つも浮かんでいない。部下である騎士や近衛兵の訓練・教育となれば経験もあるが、貴族や子爵、ましてや王族の教育係ともなれば未知の領域だ。問題は先送りにする訳ではないが……考えていても埒が空かぬ為、まず先に宿屋のご夫婦に用意してもらった夕食をいただくとしよう。




 パンと香草のスープの夕食を頂いて部屋に戻る。宿屋の主人に聞いたところ、私たち以外に宿泊客は居ないようだ。その情報に胸を撫でおろす。今回の旅は身分を隠してのものだ。やむ負えない場合は致し方ないが、どのような問題が起きるともわからないため極力は露見するのは避けたいところだ。荷の確認、今後の予定を考えつつくつろいでいた所で、事件が起こる。




「ねぇクレス、お風呂はどこにあるの?」

 部屋に二つあるベットの一つに腰掛け、フォルテ様は足をばたつかせながらそう聞いてきた。


「風呂……ですか? 恐らく、この町の規模だと存在しないかも……しれません、ね…………」

 言葉を告げていく間に、フォルテ様の表情が徐々に曇ってゆく。


 城の中であれば地下から水を汲み上げ、常に浴場には湯が張られている環境にあった。だが一般的な生活ではそんな事はありはしない。例えここより栄えている街に行ったとしても、公共施設として幾つかの大衆浴場がある程度だろう。

 ちなみに私の幼い頃は、村の近くの川で水浴びをして済ませていた。


 流石にどこの町や村にも石風呂サウナがあるとは思うが、色々な面を考慮するとフォルテ様が使用するには問題がある。

 明らかに私のせいでは無い筈だが、なぜか非難めいた視線を浴びせられ、そそくさと宿屋の女将に確認しに行く。


 そして部屋へと戻ってきた私の手には、ぬるい水が張られた桶と数枚のタオルが存在した。フォルテ様は私の顔と手に持った桶との間で、何度も視線を往復させては小首を傾げる。


「フォルテ様、これで身をお清めください」

 そう、なるべく平坦な口調で言葉にした。場に沈黙が降りる。

 そしてポカンとした表情のままのフォルテ様に、説明を開始した。勿論……私が悪いわけではないと云うことを、懇切丁寧に。




 なぜこんな事になったのか?

 そう、私はぬるめの水に浸したタオルを絞りながら自問自答をしていた。


 先程フォルテ様に弁解と説明を終え、そそくさと部屋から退散した。

 そして暫くして部屋の中から私を呼ぶ声が聞こえた。


「クレスゥ~」


 幻聴だと思いたい。

 声の質、響き、どれを取っても瓜二つだ。勿論、この背筋をチリチリと刺激する、悪寒に近い感覚までも。その経験と本能からくる感覚を理性でなだめつつ、ドアをノックして戸を開けた。部屋に踏み入れた私に、フォルテ様はこう命じた。


「背中が拭けないから拭いて、<パパ>」

 ベットの上に座り込み私に背を向けたまま、後ろ手にタオルを差し出しながら。


 上半身に何も纏わぬままに。




 窓から射し込む星明かりに照らされ、眼に眩しいほどの白い素肌が浮かび上がる。

 ミルクのような乳白色の小さな背中に、金糸のごとき髪が美しいコントラストを描く。

 脂肪は薄く、いまだ女性らしい曲線は描いていない未成熟な身体ながら、その姿はまるで一枚の絵画のように美しかった。


 私はタオルを片手に歩み寄り、もう片方の手で少女の背に掛かる髪をかき分ける。その際に肌に指が触れたのか、ピクリと小さく身を固くした。

 外気に触れる素肌は、まるで降り積もったばかりの新雪を連想させる。

 妙な動悸を抑えつつ極力平静を装い、白磁のような背中にタオルを這わせた。


 少女の緊張が、触れた繊維越しに伝わってくる。

 仄かに血の気の増した薄紅色の肌と、微かに漂う甘い薫り。強張った肌と引き詰めた吐息が、自然と空気を通して伝わってくる。


「ちょっと、クレス……少し痛いわ…………あまり強く擦らないで」

「す、すいません、フォルテ様っ」

 か細い声と、まるで借りてきた仔猫のような態度に、慌てながら言葉を返した。

 背中に嫌な汗をかきつつ、再びタオルを持った手を這わせる。




 どれ程の時間が経ったのだろうか。精神的な疲労具合では数時間も経った気もするが、実際のところは十分も経っていないのだろう。

 互いに一言も言葉を発せず、どこか息苦しいままに小さな背中を拭き終えることが出来た。その事にこっそりと安堵の溜め息を吐いていると、今まで黙っていたフォルテ様の声が響く。


「クレスの手……今まで気にして無かったけど、ゴツゴツして固いのね」

「すいません……ずっと剣ばかり振っていたもので」

 首が左右に振られた。


「うんん、謝る必要は無いの……だってそれはお母様を護り抜こうと、クレスが今まで頑張ってきたからでしょ?」

 左右に凪びいた髪の幻想的な残影に意識を奪われつつ、私は静かに頷いた。

 そして自らの手に視線を落とす。


「そうですね……確かにその通りです。強くならねば、護りたいモノを護る事が出来ませんでしたから…………だから私はただ必死になって、剣を振り続けて参りました」


 私の言葉にフォルテ様は小さく頷き返し、そして無言のままに、左腕を水平に伸ばした。

 これは……背中だけでなく、腕も拭けという意味だろうか?

 私は壊れ物でも扱うかのようにその小さき手を取り、慎重にタオルを肌に這わせる。


 シミ一つ無い、まっさらな純白の肌。それはまるで自分とは酷く対照的な、罪の無き存在に思える。

 私の手は本来、目の前の穢れ無き少女に触れて良いものではない。

 この手は戦場にて幾多の命を奪い、そして我が身は頭から爪先まで、ベッタリと返り血に濡れ爛れているのだから。


 近衛騎士団長・クレス・スタンノート――私が今までに築き上げてきた武功とは、つまり屍の山をどれ程築き上げたかという意味だ。

 国を護る為、護りたい人の為――そんな大義名分を振りかざすつもりは無い。


 私は私の意思で、無数の命を奪い取ってきた。そこに同情の余地は無く、慰めの言葉も不要であろう。

 国に英雄と称えられてきたクレス・スタンノートと云うひとりの騎士の道は、死にまみれ、血に濡れた道だという事実はこの先覆しようもないものなのだから。


 だがそれでも護ることすら出来なかった物もある。この手をすり抜けた、無数の命があった。

 そして目の前に居る少女の存在は、私と云う罪にまみれた人間が誇ることが出来る尊い存在の一つであり、私の存在意義でもある。


「クレスは、どうして御母様の騎士になったの?」

 まるで私の心を読んだかの様に、フォルテ様が語り掛けてきた。


「そうですね…………それはまさしく、運命のようなものです」

「運命……?」


「ええ、そうです」

 これは当人同士でしか分からぬ事であろう。そもそもあの時の感覚を説明する言葉を、私は持ち合わせていなかった。

 私がそれ以上語らずにいると、フォルテ様は小さく「そう」と呟く。

 その様子が何処と無く不機嫌そうなのは、私の気のせいだろうか?


 左腕を拭き終わると、今度は無言のままに右腕が水平に伸ばされた。

 どこか感覚が麻痺し始めたのか、私は自然とその手を取りタオルをあてがう。


「クレスは昔、御母様の恋人だったの?――っ、痛いわ」

「……すいませんっ」

 あまりにも唐突な質問に、思わず力が籠ってしまった。後悔にも似たわだかまりが胸の中に渦巻いているのを感じつつ、慎重に言葉を紡いでゆく。


「違いますよ、フォルテ様。私はアルト様の騎士です――昔から……今まで」

「そう、なんだ」


「ええ……それに、アルト様にはリージュ様がいらっしゃいました」

 リージュ様とは、グランスワール王国と昔から懇意にしていた国の王子であった青年だ。


「そうね。でも私はお父様のこと覚えてないわ」

 リージュ様は元々身体が弱く、フォルテ様が幼少の頃に亡くなられていた。覚えていないのも無理はないであろう。


「それに御母様に昔の話を聞いても、出てくるのはクレスの事ばかりだし」

「それは…………私はずっとアルト様のお側におりましたから……」


「それもそうね」

 それっきり会話は無くなり、身体を拭き終わった後は互いに寝仕度を整える。




「ねえ、クレス」

 寝間着に着替え終えてベットに転がりながら、フォルテ様が言葉を発した。


「はい、何でしょうか?」

 再び荷の中身を確認していた私はその声に振り返り、続きの言葉を待つ。


 暫し言い淀むように口を開閉させたあと、フォルテ様は寝返りをうって私に背中を向ける。


「クレスは、ずっと私の側に居てくれる? 御母様の時のように…………」

 星明かりだけの薄暗い部屋の中に、その言葉は微かな余韻を残しながら染み込んでゆく。


「ええ、私はアルト様の騎士であると同時に、フォルテ様――貴女の騎士でもありますから」

 その背中は身じろぎもせずに、ただ私の言葉を受け止めているように感じた。


「それと、この旅の間は私の<娘>でもあります…………夜もだいぶ更けてきた、もう寝なさい――フォルテ」

 そう言葉にして荷を閉じ、私はもう片方のベットへと潜り込む。暫くすると、先程の言葉に対して頷く衣擦れの音と共に、「ン……」と小さい呟きが聞こえてきた。


 少しの間、落ち着かなさそうに寝返りをうつ音が聞こえていたが、それも暫くすると微かな寝息に変化する。それを子守唄に今日一日を振り返りつつ、私は目を閉じた。

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