道草食いては紆余曲折 2
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
※この前書きは後で削除しますー
ここは三人称です。
<Ⅱ>
* * *
粘着質の闇を湛えた空と、その漆黒を切り抜いたような白い月。それは月の瞳が覗き込む、骨の軋む幽かな夜。
木立の奥は深闇に沈む山の中。そんな闇の一部の払う焚き火の周囲には、五つの人影があった。
パチパチとはぜる薪。朱に彩られたその五人の顔は、不安と恐怖に苛まれている。
そんな彼等を囲むように、木々の隙間からひっそりと佇む複数の影があった。周囲の明暗はくっきりと別れ、それら影の全貌を窺う事は出来ない。
だがその影が持つ様々な得物は、揺らめく灼光を冷たくも反射していた。
商人達は仮にも商隊に身を置く者達であり、日々の鍛練を積んでいた。だが、今彼等の手には武器は無い。
いくら鍛練を積んだ達人であろうと、無手の状態では武器を持った素人に殺されてしまうのは常世の定め。そして彼我の実力差がそうないとあれば、その未来は決まったようなものだ。
周囲を取り囲む山賊達の人数は見える範囲で七・八人といったところか。ただし、囲まれた商人達の目には、木々の合間の見通せぬ闇の中に、より多くの山賊の幻影が浮かび上がる。
反撃を試みようとも馬車の中に武器があり、その進行方向は既に山賊達によって塞がれていた。
既に状況は八方塞がりと呼べるもので、各々の顔には絶望が浮かび上がる。
そして、山賊達は鈍く光を反射させる得物をチラつかせ、商人達ににじり寄って行く。
だが、不意にその足が止まった。僅かに離れた位置にあった馬車から、一人の男が飛び出してきたのだ。
それを察知した山賊達は、瞬時にそちらへと意識を飛ばしては警戒を滲ませる。そして商人達は期待に胸を踊らせ――次の瞬間には、失意にうちひしがれた。
彼等が望んでいたのは、商隊が雇い入れた禿頭の傭兵であり、決して旅の学者等ではなかった。
そして何を血迷ったか、何も武器を持たずに飛び出してきたのだ。
商人達は期待を裏切られ、理不尽にも『ふざけるな』と叫びそうになるが、何とかそれを口の中に押し留める。
そして山賊達はと言えば、その闖入者に何故か困惑を如実に表した。その数瞬後――頭に赤のバンダナを巻いたリーダー格のような男が「チッ――」と、鋭く舌打ちを溢す。
「テメェら、ぼうっとしてんなっ――ヤれ!」
その叱責に商人と馬車との間に居た二人の山賊は、飛び出してきた男へと向き直る。そして蛮刀と棘の付いた棍棒を構え直し、それらを振りかぶりながら突進した。
そして男――クレス・スタンノートは、山賊達を優しく迎え入れるかのように、下げていた両腕をソッと左右に広げた。
理解不能な行動。そう、それがクレスでなければ、何ら意味の無い動きだ。
彼等は知らない。
いや、知る筈が無いのだ。
彼が何者かを。
もし仮に、彼を知る者がこの場に居れば、その光景はまるで――死の御遣いの抱擁に、二人の山賊が愚直にも進んで行く様に写ったであろう。
『万象に宿りし鋼の意思よ、我が意、我が言の葉を二つに別ちて双牙と成し、全ての脅威を討ち壊さん』
低く、魂を揺さぶるように紡がれた言魂。
第二楷梯術式――『霊装機甲マテリアル・フォージ』
突如、闇に生まれた極彩色の光達。クレスを中心とし、精霊蟲が無数に飛び交う。それは星辰の巡りの様に、旋回しては無数の軌道を闇夜に刻む。
そして数百――いや、数千の精霊蟲がその両手へと集束していった。
向かい来る山賊達はその光景に驚きはしたものの、攻撃を止めることはしない。相手の準備が済むのをむざむざ待ってやる馬鹿は居ない。寧ろその精霊術が完成する前に術者を討つのは、対魔術師戦闘の定石といえよう。
蛮刀は大気を切り裂きながらクレスの肩口に振り落とされ――棍棒はうねりを上げ、脇腹へ水平に振られた。
避ける素振りも無く、ましてや微動だにせぬ相手に、山賊達は攻撃が当たったと確信した――その次の瞬間、鋭い銀閃が衝撃と共に駆け走った。
二つの斬線と、二つの剣戟。
一瞬遅れ、金属同士の耳を劈く絶叫が迸った。
それはまるで星屑が散りばめられたように、蛮刀は半ばから千々に砕け散り――棍棒は根元で断たれ、その半身は円弧を描き宙を舞う。
それは、誰もが予想だにしなかった未来。
それは、余りにも信じ難い光景であった。
片や、用を成さない剣の柄を握り締めては後退る。
片や、痺れの残る手を抑えながら驚愕に両目を押し開く。
いや、この二人だけではない。その場に居た誰もが、常軌を逸した光景に一瞬にして呑まれていた。
「ソイツを囲めっ!」
怒声に近い声が響く。発したのはバンダナを巻いたリーダー格の男。
その男は瞬時に思考を切り替え、商人達から謎の男へと標的を完全に移行させた。その迅速な判断は、男の指揮官として優秀さを物語る。
現時点で商人達に危険は無い。そして自分達の前に突如現れた男は、計り知れない程の実力を秘めた存在だ。
だが相手は一人であり、山賊達は武器を失った二人を除いても五人居る。一斉に掛かれば倒せない相手では無い――そう、バンダナの男は己の不安を打ち消すように、必死に言い聞かせた。
狩る者から狩られる者への反転。そして謎の男――クレスはジリジリと近付いてくる山賊達を見据えながら、超然とした態度を欠片も崩しはしなかった。
両腕はダラリと垂れ下がり、その両の手に握られた透明な夜を結晶化したような蒼鋼の双剣は、静かに、周囲を威圧する。
一方、武器を失った先の二人の内一人は、腰から肉厚の短刀を抜き放つ。そしてもう一方は、仲間から両刃片手剣を受け取っていた。
そして皆が皆、どこか恐怖や畏怖を抱きながら、指示に従い得体の知れない男へと近づいて行く。まるで自らの足で、絞首台へと赴くように。
ふと、バンダナの男は怪訝な表情を浮かべた。その理由は、二人の部下が生きていた事だ。
二人は先ほど武器を砕かれ、その直後はあの男の前で無防備と言っていい程の醜態を晒していた。だが不可解な事に追撃は無く、再び武器を持って包囲網へと加わっている。
「何故だ――?」
ポツリと、無意識にも呟きが零れた。そして男は今一度、総勢七名に取り囲まれても身動すらしない男をつぶさに観察する。
観察対象は馬車を背に、良く鍛えられた長身のどこにも力を入れる事無く、静かに佇んでいた。その様子は不気味としか言いようが無かったが、それを見て男の頭にある考えが過る。
(追撃はしなかったのでは無く……出来なかった?)
ゆっくりと包囲網を狭めながら、男の思考はこの危機的状況からの脱出を渇望し加速していく。
(奴の得物はリーチが短い、二人を倒すのには一歩……いや、二歩は前に出る必要があった筈だ……)
徐々に組み立てられて行く思考のパズルに、獰猛な笑みが浮かび上がってゆく。
(そう、そうだっ! 奴はその一歩ですら惜しんだ。あと一歩踏み込めば、二人を仕留められたはずが、それは不測の事態から後ろの馬車を守る為かっ)
男は微かに及び腰になっている部下達に視線を飛ばす。
(現に奴は俺達の前に出てきてから、一歩たりともその場を動いていない!)
男は確信に至り、脚に力を込めて声を放つ。
「テメェらっ、後ろの馬車を狙え!」
男は突然の指示に部下が反応しきれないのは分かっていた。だが男の狙いは別にある。それはこの得体の知れない男の動揺を生み出す為。
そしてその隙を突こうと後ろ脚に込めた力を解放し、一足跳びに仕掛けようとした刹那――世界が、絶望に染まる。
光景に確たる変化は無い。ただ、その場を取り巻く気配が変化した。
まるで世界そのものを塗り潰さんと、一人の男が桁違いの殺気が振り撒く。
猟犬どもはその圧倒的な存在を前に、只の犬へと成り下がった。そう、それは己の死を予感しつつ、愚かにも絶望に呑まれ指の一本すら動かせない憐れな子羊と同じ。
背後に映る、絶対の死。まるで心臓を鷲掴みされたような絶対の恐怖。
彼等は一瞬にて理解した。いや、理解させられた。それは逃れられぬ定めなのだと。
山賊は浅はかにも藪をつつき、そこに眠る化け物を叩き起こした。
その化け物は一瞬にて、その場に居る全ての人間の意思を、尊厳を、自由を剥奪し――代わりに恐怖と、悲嘆と、絶望を与えた。
まるで伝承上に棲まう巨竜を前に憐れな子羊達は、愚かにもその逆鱗に触れてしまったのだ。
彼等に残された道は、叫びを上げて逃げることでも、地べたに這いつくばり命乞いすることでも無い。竜の逆鱗に触れた者の末路は、自らの心の臓を差し出すことでしかないのだから。
そして完全にその場を掌握した男は、静かに――確殺の意思を込めて、一歩を踏み出す。それはまさに怒りに狂った、一匹の巨竜であった。
酒脱とした真なる狂気、死に魅入られた英雄は、無慈悲にも周囲に死を撒き散らそうとする。
そう、それが今宵の演目。
木々の梢が闇が落とす漆黒のベールが幕開き、化け物は差し出された贄を食い散らかす。それは漆黒怪奇が織り成す、殺戮と言う名の狂宴。
彼は英雄だ。だが、決して善人でも、ましてや叙事詩にて語られるような聖人でも無い。
彼は、戦うと決めたのだ。
平和の為に、護りたい者の為。それは己の正義を貫く為に、己の信念を守り抜く為に――彼は他人の命を喰い散らす。
男は平和を愛していた。争いが無くなれば良いと心から願っている。だが、今から取る男の行動はその願いと対極に位置するであろう。
男の願いは、偽善なのか?
それともその行いは、偽悪なのか?
ただ、そんな些細な問いを男は必要としていない。
男が築き上げる犠牲の果てに――男が磨り減らす良心の果てに、その先にある平和な世界に、護るべき者の笑顔があれば良いのだから。
だから、剣を取る。
だから、彼は戦うと決めたのだ。
例えそれが終わりの見えない茨の道だとしても、彼は諦めないと誓う。
その道の終着点は愚者か道化か、それとも名も言えぬ死者となる事かも知れぬ。
たがそれでも、護るべき者の為に進もうとする気高き誓いを――誰が知ろう。
そんな彼が、その双牙にて他者を蹂躙しようとした時、一つの声が響いた。護るべき少女の声ではない。それは野太い、粗暴な声音。
「テメェら、予定変更だっ!」
そしてその声は、クレスの背後――馬車の中から周囲へ響き渡った。
クレスは弾かれた様に後ろを振り返る。そしてそこには男臭い、太い笑みを浮かべた禿頭の傭兵の姿があった。
傭兵の男は一人の人間の首根っこを掴み上げ、もう片方の手で剣を握っていた。クレスはその光景を、睨むように眇め見る。
その傭兵の男は御者台に片足を掛け、周囲をぐるりと睥睨した。
そして男は片手に掴んでいた人間――細目の商人を地面へと投げ出す。商人は二転・三転として止まったが、立ち上がる気配も、ましてや動き出す気配も微塵とない。
一瞬死んでいるのかと思ったが、どうやら何らかの痛みに耐えているようだ。商人は右手を体全体で抱き締める様に、まるで芋虫のように地面の上で丸まっている。
商人はあまりの痛みに顔全体に脂汗がびっしりと浮かべ、目蓋はキツく閉じられていた。
その光景にクレスは――特に驚いた様子も無く、傭兵の男を静かに見据えていた。そして抑揚無く、低い声で問い掛ける。
「これ等はお前の差し金か――? <グラード>」
<グラード>――そうクレスに呼ばれた傭兵の男は馬車から飛び降りると表情を引き締め、その粗野な雰囲気に似合わぬ慇懃な態度で頭を下げた。
「ハッ。大変失礼致しました、スタンノート卿」
そしてチラリと顔を上げ、片頬を吊り上げる。
「いや、失礼。いまは将軍閣下でしたね」
その既知の男の親しみが込められた様子に、クレスは纏っていた気配を両手の武器と共に闇の中へと霧散させた。
「成る程な……ところで君の部下達は、いつまで私に武器を構えているのかな?」
「――テメェらっ! ぶっ殺されてぇのかっ、早く得物を納めろ!」
矢継ぎ早に怒声が飛び、グラードが発した<スタンノート>の名に驚き立ち竦んでいた彼等は、迅速に武器を納める。
クレスは一定の距離を取る彼等から視線を移し、地面にうずくまる商人を特に感慨も無く見下ろす。
そしてグラードは部下達に他の商人達の身を捕縛するように指示をする。無抵抗に捕縛されていく商人達を尻目に、グラードはクレスへと向き直った。
「流石はスタンノート卿、こちらの事情をお訊きにならないので?」
その問いにクレスは腕を組みながら答える。
「彼等は、<奴隷商>なのだろ?」
その端的な答えに対し、グラードは感心したように口笛を吹いた。
「ご明察の通りです」
「第一……グラード、君の存在があったからな。まさか名の在る傭兵団の頭領が、ただの護衛だとは考えにくい」
そう言って山賊――いや、山賊に身を扮した傭兵達に視線を配る。
「それと、ただの山賊とは兵の練度が違いすぎたからな」
その言葉にグラードは厚い唇を歪ませて、気恥ずかしげに自分の頭をペチりと叩いた。
「いやいやいや、またまだアイツ等はひよっこ同然ですわ。しかし……よくそれだけで、コイツ等が奴隷商だって気付けましたな」
その言葉にクレスは首を左右へ振った。
「いや、それだけじゃないさ。確信したのは夕食の後――」
そこで一度言葉を切り、クレスは細目の商人へと突き刺すような視線を送る。
「そこの彼が、薬入りのお茶を持ってきたからだよ」
「へぇ――そりゃまた……」
グラードは呆れたような声を上げ、まさに芋虫のように転がる商人を、虫けら同然に冷たく見下ろした。
「微かにだが、<ヴルガズ草>特有の匂いがお茶の中から立ち上ってね……大方、フォルテを奴隷とし――」
と――クレスはそこまで口にしたところで、慌てて馬車へと視線を移す。
そして馬車からは、まるで見ず知らずの人を見る類いのキョトンとした視線があった。
それに気付いたクレスは、現状をどう説明したものかと酷く困った様子で、こめかみをポリポリと指で掻いたのであった。
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