疑問4.その噛み痕は誰の仕業なのか
昨日も見た覚えのある天井のタイル。昨日も寝かされた覚えのあるソファの感触。
少女、旭川みくさは千智の事務所に寝かされていた。
「…あれ?私…また、倒れて…?」
「そうよ、大丈夫?」
「……二ちゃん?」
そこに居たのは、自分が倒れる前、案内してもらった少女、木古内二だった。身体を起こそうとすると、額に濡らしたタオルが置いてあることに気付く。窓は開いており、風でカーテンがそよいでいた。
「私、何を…」
「あなたが倒れたのは私のせいよ。強制的に重度の乗り物酔いを起こさせたの」
「……なんで?」
「あの男に操られてたのよ、あなた。」
「………!!!」
二の説明に、やっと記憶が戻ってきた。わけがわからないまま刀を構え、ふたりを襲おうとしてしまったのだ。
「私…なんてことを…」
「気にしない気にしない。危なかったのは確かだけど、千智も私も無事なんだから」
彼女はさっきまでのロングスカートではなく、長めで薄いキャミソール姿になっている。下着は見えていないので大丈夫といえば大丈夫だが、どうやら胸にはなにも着けていないらしい。
「……あれ?この濡れタオルって?」
「あぁ、それ?それはね、みくさのを剥ぎ取ったのよ」
「…えっ」
「服をゆるめるついでにね?乗り物酔いには有効な対処法よ、パンツじゃなくてもいいけどね」
二のその言葉を受け、みくさは急いでスカートを押さえた。なるほど、肌に直接スカートの布地が触れて、どうやら彼女は嘘をついていないようだ。
みるみるうちに赤くなるみくさ。二は案の定首をかしげたまま、フリーズするみくさを眺めているだけだった。
「ただいま、二人とも。みくさの様子は…あれ?みくさ?」
そんな状況に迷い混んだ千智。フリーズしたままの彼女に聞いても反応はなく、二のほうを向いてもさぁ?というジェスチャーをするだけだった。
「……お夕飯、どうするんだい?」
「食べるわ」
「えーと、お夕飯なんにする?」
「おまかせでいいわ。みくさはあぁだし」
◇
そして、次の次の日。みくさはついに、学校に行くことを決めた。
この数日間、わけのわからない一家惨殺に始まり、わけのわからない生物と戦ってたり、わけのわからないまま操られてしまったり。"謎の種"による、理解を越えた出来事が連続していた。
そうしてオーバーヒートした頭には、別のことでもいいから何かをわかることにしてブチ込んだらどうにかなると思ったのだ。
つまり、学校が気分転換という、変な考え方で雲鳴社南高校へ登校したのだった。
いつもは退屈だった授業も、教科書を読んでるだけで『なんだ、それだけか』となって、至極わかりやすいことばかりのような気がしてきた。
そうして授業で気分をリフレッシュすると、いままで休んでいた一週間ぶんのノートがないことに気付いた。
「よっ、みくさ。一週間ぶりだな」
「…そうだね、標。」
彼は深川標。女子にあまり友達のいないみくさにとっていちばんの友人で、明るく気の利く人物だ。
だから、ノートを見せてくれない?と、頼んでみたのだが。
「あー、わりぃ。俺の字、お前読めないだろ」
「……?ちょっと見せ……うわ、なにこれ」
「だろ?俺も1%くらいわかんねぇ。」
「これの99%わかるのがすごい…」
そう、標の字は汚かった。雲鳴社南では、ふだん使いのノートは提出しない。自分用のメモにするならしろというスタイルなのだ。
みくさは復習によく使うので、ないといろいろ不便。自分でまとめるのもいいんだろうけど、何か間違った覚え方をしてしまっては意味がないし。
そう困っていると、標は別の女子に声をかけていた。
「わりぃ天塩、ちょっとノート貸してくんね?」
「……標!?さすがにそこまでしなてくも…」
クラスで特に誰とも話しているのを見ない女子、『天塩 鷲』。彼女にまで話しかけていた。
しかし、突然ノートを貸せという標に、鷲の返答はというと
「…いいよ。でも、破ったり消したりしないでね…落書きは、面白いのが欲しいな」
貸してもいいよ、だけでなく、むしろ落書きは面白ければ歓迎という態度を示した。
「おう、じゃあ借りるぜ!ありがとな!」
笑顔でノートを受けとる標。そして、私のところに持ってきて、
「ほい、面白い落書きして返せってよ」
「……いや、いきなり言われても無理だし、というか天塩さん大丈夫なの?」
「ん?あいつ、自分から話しにこないだけで結構面白いヤツだぜ。」
「そう、なんだ…今度から気軽に話しかけてみようかな」
勘違いをしてしまっていたらしい。というか、この男にはなぜ彼女がいないのかとちょっと思った。
天塩さんはこちらを期待するような目で見ている。ごめんなさい、勘弁してください。
そんなこんなで、私はバクテリオファージの図に、兵器的な設定をつけて解説するというだけの落書きをおこない返したのだが、一切突っ込まれることはなく、かなしいまま学校を終えた。
◇
「ただいまー」
「おかえり、みくさ」
「おかえりなさーい」
事務所に帰ると、ぼーっと新聞を読んでいたらしい千智と、チラシの裏に筋肉のデッサンをしている二が待っていた。
カバンを置いて、冷蔵庫になにかあったかなと物色しようとすると、突然千智ががたっと立ち上がった。
「そうだ、ボクの協力者を紹介しよう」
「協力者?私たち以外にもいたの?」
「あぁ。いま、ボクの協力者は全部で三人いる」
ビシッと親指、人差し指、中指を立ててみせる千智。
二とみくさは同じことを思った。
「でもそれってさ、全部ででしょ?なら」
「私と二ちゃんと…もう一人しかいないんじゃ?」
「……うっ…そ、そうさ。その一人に会いに行こうと思って」
「なにかあったの?」
「あぁ。今日のお昼、連絡があってね。紹介も兼ねて、三人で行こうと思ってたんだよ」
今度こそ、とさっきと同じ手をする千智。二はいつのまにか外行きのロングスカート(今日は下着にそろえて花柄)を来ており、制服を脱ぐ前に言ってくれてよかったと思った。
◇
ここ雲鳴には、大きな大学病院がひとつだけある。
むしろここ以外には大きな病院はなく、重病や重傷の雲鳴市民は全員ここに集められると言ってもいい。
バスで揺られること、300円。事務所のすぐそこにあるバス停からだとその程度の値段で、大学病院の真ん前に着く。
千智はバスから降りるなり、道の端に避けてスマホを取り出した。
ぷるるる…
「……もしもし、いずみかい?ボクだよボクボク。そう、千智。今着いたところなんだけど、今手は空いてるかい?」
「そうかそうか、それはよかった。じゃあ、どこで待とうか?ん、じゃあ待合室に居ればいいかい?よし、わかった。ありがとう」
ぴ。
「よし、行こうか」
電話が終わるなり、彼はずんずん進んでいく。こんな大きな病院に千智の協力者がいるなんて驚きだ。その乙部という人物は、いったいどんな方なのだろう。
待合室。受付の人とも顔見知りらしく、軽く手を振られていた。それを千智に聞いてみても、なにも答えなかった。
「……ふふ、病院は好きよ。合法で服を脱げるもの…あ、あの人かしら?プレートにいずみって書いてあるわ」
二がそう言うと、ひとりの女性がこちらに来るのに気がついた。きょろきょろして千智を見るなり、歩調は早くなる。
「ちさとちゃん、久しぶり♪」
「ちさとちゃん呼びは控えてほしいな…連絡してきた理由はなんだい?」
「そう焦らない。この子たちは?」
「…新しい協力者だよ。大きい方が旭川みくさ、小さい方が木古内二」
「よろしくね、ふたりとも!」
ふたりの手をとって、ぶんぶん振る細目の女性。彼女のネームプレートを見ると、『乙部 いずみ』と書かれている。
「えーと、いずみ…さん?」
「えぇ、私はいずみだけれど?」
「ちさととは、何年ほど前からお知り合いで…?」
「えーと、高校時代だから…だいたい…」
「ボクは情報をもらいに来たんだってば!」
あせる千智。そんなに年齢を知られたくないのだろうか。というか、同級生だとしたらいずみに年齢を聞いてしまえばそれで終わりなのだが…女性に聞くのは失礼だと、みくさも二も我慢していた。
「そうそう、情報ね。こっちに来てくれるかしら?」
そう言って連れられてきたのは、コーヒーバリスタやらのある休憩室らしき場所だった。
「ちょっと待ってね。写真を持ってくるわ」
いずみがそう言って退室したのち、千智は勝手にコーヒーを淹れて、ひとくち飲むとあまり美味しくなさそうな顔をした。
いずみはすぐに戻ってきて、その手には4枚ほどの写真があった。
「これが被害者の写真。ちゃんと許可はもらってるから、渡しても構わないものだけど…」
「もらおうか…さて、この噛み痕は何の仕業だい?」
それらの写真は一枚以外は若い女性の首が写っており、そこには大きく噛まれた痕が痛々しく残っている。
残りの一枚は、事件が発生した場所と時刻をまとめたものだった。
「わからないわ。"わからない"のよ。全部ほとんど同じ場所で発生して、監視カメラもあったのにね」
「……ふむ。それでボクを呼んだ、と。」
「えぇ。警察に言うより、謎の種はあなたの管轄なんでしょ?」
「もちろん。……さて、今回は捕まえるだけになりそうだよ」
そう言って、写真をすべて丁重に仕舞う千智。帰りがけにでもその場所に行こうというのか。
「そうだね、感づかれて狩り場を変えられる前に倒してしまいたいけど…ねぇいずみ。被害者の女性に話聞けないかな?」
「いいけど、進展があるとは思えないわよ?」
「ないならないでそれも収穫だよ」
「…ちさとちゃんらしいわね。いいわ、連絡をつけてみる」
休憩室から電話をかけに出ていったいずみを見送ると、千智はあまり好みでないらしいコーヒーをひとおもいに飲み干していた。
◇
一方その頃、ここはヴォイニックス・ライターズ事務所。執筆部屋には誰もおらず、ティアラはリビングに出てきている。
「あれ?珍しいわね。どうかした?」
「ふふんっ」
ラムネルの質問には、無い胸を張っていばるティアラ。どうやら、なにかうれしいことがあったらしい。
「…まさか!」
「そう!!原稿が終わったのよ!!」
「そんな…あのティアラが…!?」
「あのって何よ、今回はちょっとネタが湧くのが遅かっただけよ!」
喚いているティアラとラムネルの鼻に、甘い香りが運ばれる。急いで振り替えると、なつめがお盆にカップを5つ乗せて運んでいた。
「仕事完遂のご褒美に、プリンです」
「やったー!!」
「5つ…じゃあ、スウィーネとイオノ呼んでくるわね」
「お願いします」
そう言ってラムネルがすっと離れていくと、なつめとティアラは隣に座った。
「最近はどうです?ティアラさん。」
「そうね、目ぼしい成果もないし…どうにかしなきゃ」
「ラムネルさんは仕事してらっしゃいますか?」
「ライターの仕事は回ってきてないらしいけど…謎探しはいちおう見つけてはいるわね。そいつ、謎を奪われたうえに逮捕されたけど」
「…つまり駄目じゃないですか」
「そうね……」
近況の話すふたりの後ろから、足音が数人ぶん聞こえてくる。ラムネルがふたりを呼んできたらしく、明るい声と恍惚とする声がする。
「やっほー!プリンだってー!?」
「おねショタ尊い…」
「あ、来ましたね。では、食べましょうか」
それぞれが座って、自分の名前が書かれたカップをとっていく。最も早くスプーンが突き刺さったのは『スウィーネ・レッドロード』ときざまれたカップのもので、最も遅かったのは『イオノ・サロマ』のカップだった。
◇
被害者の女性と話がつき、いずみが戻ってきた。結果は、聞き込みオッケー。しかもこっちに来ていただけるらしい。という話をしていると、ぶーっ、といきなり二の花柄スカートから振動音がした。
「……え?なに、そういうことじゃないわよ!?」
何に焦っているのかみくさにはよくわからなかったが、とにかく焦りながらスマホを取り出して、SNSの画面を開く二。
「あぁ、ごめんなさい。ただの、友人のお誘いだったわ。丁重に断っておくわね…」
「待ってくれ。それは行ったほうがいいというか、行ってほしい」
「へ?」
「ボクのせいで友好関係が壊れたりしたほうが困るからね。それに、ボクとみくさがなんとかするさ」
千智の謎理論に自分も巻き込まれているような気がしてぴくりとするみくさ。そんなことは知らないで、二はちょっと考えてから、決断を出した。
「お言葉に甘えるわ。お兄ちゃんがそう言ってくれるならね」
うなずく千智。荷物も特にない二はそのまま休憩室を出ていった。
◇
被害者の女性…ということしか聞かされていなかったみくさは、やってきた少女が黒ゴスであることに驚いた。病院であろうが快晴の暑い日であろうが構わずその服を来てくるとは、なにかこだわりがあるのだろうか。
「……えぇ、と。キミが、被害を受けたってことでいいんですよね?」
「は、はいぃ…そうですぅ…」
「まずは一応、首を見せてほしいのですが、大丈夫でしょうか?」
「だ、大丈夫ですぅ…こ、これでいいでしょうかぁ…?」
聞き込みさせてもらう側として悪いけれど、いちいちカンに障るしゃべり方だなとみくさは見ながら思っていた。
ベールをよけて、チョーカーをはずし、それでやっと傷が露出する。何者かに噛まれたような痕が白い肌に痛々しく刻まれており、噛まれた直後は血が滲んだであろうと予想できる。
「ありがとうございます、襲われたとき、何か周囲に異変などは?」
「異変、ですかぁ…あぁ、噛まれたすぐ後にぃ、黒い影が見えましたぁ!」
「黒い、影……?」
「でもまわりの人には見えてなかったみたいでぇ…すぐ消えちゃったんですぅ…」
「そうですか…ふむ…」
有益な情報を手に入れて、考え込む千智。その黒い影は、見えないはずの犯人なのだろうか?
「……それはともかく、ご協力ありがとうございました」
「はいぃ…」
「しかし、妙ですね?」
何やら気付いたらしい千智が、不敵な表情で少女を見る。そして、次にはとんでもないことを言い放つ。
「……"謎の種"を持ちながら、このような事件に巻き込まれるなんて」
「…!!」
目を丸くする少女に、ドヤ顔のままの千智。みくさも驚いて、なにいってるんだこいつみたいな顔になっていた。
「ふぇえ、ごめんなさいぃ…それはちょっとぉ、お話しに行ったのにいきなり噛まれちゃってぇ…」
「……えっ?あ、えっ?」
少女の答えは完全に予想外だったらしく、みくさは声が出てしまった。千智も驚いているらしい。
「否定はしないんですね?」
「……?あれぇ…?てっきり同じ……」
首をかしげる少女は、そこまで言いかけたが最後までは言わなかった。そして、こほんと咳払いでごまかし、
「も、もう情報は持ってないのでぇ、帰りますからぁ!」
と、急いで行ってしまった。
「……同じ…?どういうことだ…?」
「もしかして、あの子も私達みたいな事務所を持ってるのかも?」
「かもしれないけれど…どうだろうね。いずみ、あの子の名前は?」
いままで黙ってオカルト本を読んでいたいずみに、千智は少女の名前を聞いた。いずみは雑誌を置くと、快く答えた。
「『音威子府いぶか』、長い名字だけど、れっきとした本名だそうよ。」
「いぶか…覚えておこうか。」
幸いいぶかはあのように目立つ格好だし、見かけたらなにかあるとおもっていいかもしれない。
「じゃあ、その事件現場に行こう」
「……あ、う、うん」
ぼーっとしていたみくさを連れ、いずみに礼をすると、千智も休憩室を出て、待合室も通りすぎていった。
◇
事件現場の場所から逆方向にある喫茶店。二が友人に待ち合わせ、と指定されたのはそこだった。
あまりそういうおしゃれな場所は好まず、自宅や銭湯で裸族していたほうが気分のいい彼女が来店するのは初めてのお店で、何が提供されているのかは知らない。
「あ、いたいた。ざ・ねくすとー、こっちこっちー。」
聞き覚えのある声。二が声のするほうに駆け寄って、その誘った友人との合流ができた。
彼女は『士別リーフ』。数年前に引っ越しのあいさつで二の家にシュークリームを届けにきたことが出会いのきっかけで、なぜか二のことを『ざ・ねくすと』と呼ぶ。
「えと、待ったかしら、リーフ」
「リーフはそんなに待ってません。ほら、行きましょう?」
二の手をひいて、店内に引っ張るリーフ。店員さんにほほえましいという目で見られながら、先導される。
「…あれ?なんでこんなすんなり…」
「ご予約のお客様ですっ」
くるんと振り返り、ピースサインをするリーフに二は素朴な疑問をぶつけた。
「…いつから?」
「2日前。」
「私の都合が悪いって言ったら?」
「ひとりでさみしく食べてた。」
お兄ちゃんの言葉のとおりにしてよかった、と二は思った。リーフのことだから気にしなさそうだが、こっちに罪悪感が残る。
足を進めるうちに、リーフが予約した2階のテラス席に着いた。
「……えーと、ここでいいのね?」
「うん、このいい感じに涼しげなとこ」
「えぇ、ここで脱いだら気持ち良さそうね」
「一緒に脱ぎたいリーフちゃんがいるぞ。」
「やらないでね、警察のお世話になるから」
木の椅子に座って、目の前に置かれたメニューを手に取った。
「……まぁ、女の子が好きそうね」
「でしょ?あ、リーフはケーキセットのモンブランにしますよ」
「私は…どうしようかしら。洋モノスイーツはあんまり…あ、わらびもちがあるわ。これにしましょ」
呼び出しのボタンを押して、ぴんぽーんと店内から聞こえてくる。さっきの店員さんがやってきて、メニュー名をそれぞれ伝えると、ふたりして外を見下ろすことにした。
「……ふたりとも、大丈夫かしら…?」
◇
二のその心配の通り、結果から言えば大丈夫ではなかった。
いくら刀によるリードがあるとはいえ、こちらが攻撃された一瞬しか見えない相手への対応は、謎の種を宿してからたった3度ほどしか使用していないみくさにとっては至難の技である。
千智はというと、案の定見えない相手に護身術は使えずみくさを連れ帰ることしかできなかった。
というわけで逃げてきたふたり。帰っておとなしく二を待つことにしていた。
「うぅ…」
「ご、ごめんよみくさ。作戦もなく突っ込んだボクのミスだ」
「ただの女子高生は心眼持ってない…うぅ…」
「…えーと、終わったら、お詫びするからさ」
「……いい。ちょっと休む…」
「あぁ、みくさ…!」
千智が引き留めるのにも構わず、自室に戻って制服から着替えるみくさ。
さすがに着替え中に突撃するのはデリカシーがなさすぎるので、千智は今回の事件では休んでもらうことにした。
「…スカートの中まで噛みつかれたら、仕方ないね」
◇
リーフと二はしばらく駄弁っていて、そんな心配はすっかり忘れてしまったころに、ついにスイーツがなくなった。
「…ザ・ネクスト、リプレイすか?」
「いや、もういいわ。」
「じゃあ行きましょ行きましょ。」
席を立って階段を降り、会計まで伝票を持っていく。リーフが全額ぴったり出してすんなり通されたので、ごちそうさまとひとこと言って外に出た。屋根のついていた席よりも暑いのは日射しのせい。
二は自分のわらびもちのぶんを確認して、それよりもちょっと多目にリーフに渡そうとする。
「ん?あ、いきなり誘っちゃったからいりませぬ。」
「まって、じゃあせめてわらびもち代だけでも…」
「でもそんなんじゃだーめ。ほら、リーフちゃんは進化しますわよ?」
頑なにお金を受け取ろうとしないのであきらめて、これからどうするか聞こうと口を開いた、が。ポケットからする振動音にびっくりして、短い悲鳴が小さくあがっただけで中断された。
「はい、もしもし?」
『__二かい?ボクだ、千智』
電話から千智の声がして、リーフがそっと顔をよせてきた。
「……そうだけど、どうしたの?」
『悪いお知らせと、もっと悪い知らせがある。どっちからがいい?』
「悪いお知らせかしら」
『…まず、ボクとみくさは犯人を取り逃した。みくさは精神的に戦闘不能、この事件には参加できない』
「…もっと悪いのは?」
『犯人は病院を通りすぎて、反対側に通り魔的犯行を続けながら移動している。今は…そうだね、女の子に人気の喫茶の近くって言えばわかるかな』
「……え?それって…」
「きゃー!!!」
突然、電話に当てていないほうの耳に悲鳴が響いた。喫茶のお客のひとりが、手に怪我を負ったらしい。それはまさしく、噛まれたようなあと。病院で見た写真と同じようなものだった。
『なにかあったのかい!?』
「……目の前に犯人がいるわ」
『なんだって!?すぐに行く、電話は切らないで…できるだけ犯人を誘き寄せてほしい』
電話から千智の声はしなくなって、かわりに風の音がするようになった。スマホを持ったまま走っているのだろう。
きょとんとするリーフをよそに、注意深くあたりを見る。
「…はぁぅっ!?」
すぐ横のリーフのみみたぶになにか触れたらしく、手で突き飛ばすように動く。
どさり。
見えない犯人が手をついたのか、砂利がいくつか転がったのが見えた。
「そこね!」
びしっと二が指をさすと、何かがうめくような声がした。
「あなたが犯人ね、捕まえたわよ変態!」
リーフはその発言に、変態って二が言えることじゃないと心の中でつっこんだ。
それから思い出したようにカバンをさぐり、墨汁と書かれたボトルを取り出し、ふたをあけ、二が指差したほうにぶちまけた。
するとどうだろう、人の足らしき部分が浮かび上がったではないか!
「…ひゃっ!?」
黒く染まった足に気をとられているうちに、犯人は二のスカートに手をかけていたらしい。驚いたために拘束が解けたらしく、黒い足はいちもくさんに逃げていった。
「っ、逃げられた…!」
「おーい、二!大丈夫!?」
「……お兄ちゃん!」
暑苦しい衣装なのに全速力で自転車をこぐ千智の姿が見えると、二は邪魔になったスカートを脱いでリーフに渡した。
「追いかけるのです?あの人は彼氏?」
「千智は彼氏じゃないけど友人。自転車、借りるわ」
隣に停まったのを見るや、半ば強奪するようにして自転車を手に入れると、本気で立ち漕ぎの体勢になる。
墨汁でつけられた足跡を目で追って、建物の裏に続いていること、そして直線上に人がいないことを確認するとそちらへ向かってロケットスタートを決めた。
「逃がさないわ……!」
高速回転する車輪。一瞬のうちに建物の裏にたどりつくと、途中で自転車を投げ出してむりやり降車して路地に足があるのを発見した。気づかれたらしく急いで逃げようとするが、なにかの力によって平衡感覚が狂ったらしく、壁にぶつかってしまった。
「迷いなさい!『|不思議の渦[ユー・イン・ザ・ワンダーヴォーテックス]』!!」
どくん。
犯人の視界は、昨日みくさが体験したように歪んで映っているだろう。
ふらふらになって、逃げることすらできなくなった見えなかった犯人は、見えない口から見せられないものを吐きだした。
一分もしないうちに、ぜぇぜぇ言いながら千智が到着する。動けない犯人を見て、立ち止まって呼吸を調えてから目を閉じて詠唱がはじまる。
手にいつのまにやら存在していた巻物がひとりでに開いて、文字が刻まれていく。
「我は征服王の名の元に集イし叡知」
「周ク学問、その礎と成リシ者」
「現世に於ケル人々の智を超エタ千の智、解キ放タレども解キ明カサレぬ謎の魂よ」
「汝が謎は『マニラ警察署特殊事件簿No.108号』」
「此の手に還リ、其の名を遺セ」
飛び出した透き通ったビー玉のようなものを回収すると、そこには顔が墨汁まみれの男が倒れていた。
「…さて。あとは警察に任せようか?」
「そうね、歯形が一致すればいいんだわ。放っておきましょ」
白目をむいているその男を放置して、千智は壁に衝突してハンドルが壊れかけた自転車をひきながら二についていった。
「おつかれさま~」
「え、えぇ。リーフ、大丈夫?」
「うん、あまがみされただけみたいなので。」
「よかったわ…じゃあ、解散でいいかしら?」
「そうだねー…あぁ、そうだ。ちょっと、こっちこっち」
手招きをして、リーフはなにかを耳打ちする。少女どうしの会話を盗み聞きするのはよくなくと思って千智は目を背けていたが、二の表情が突然変わったのは雰囲気で理解した。
「……そう、わかったわ、ありがとう」
「どーいたしましてっ。では、おきをつけて~」
手をふって、リーフはスキップのような足取りで帰っていった。
「…ふぅ、じゃあ二。帰ったら晩御飯かな」
「そうね…みくさは大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないと思うから、ね」
みくさのことは任せてほしそうな千智を尊重しようと思った二は、晩御飯を楽しみにすることにした。
「にしても、二も持ってたなんてね」
「あれ?知らなかった?」
「どうやってみくさを止めたものかと思ってたよ…"オレゴン・ヴォーテックス"の力か」
「そうそう。重力なんかをデタラメにする能力よ。けっこう重宝してるわ」
◇
ゴスロリ服の少女が、鮮やかな若葉色のカエルを肩にのせ鼻唄をうたいながら歩いている。
「きょうは失敗しちゃいましたねぇ…チョーカー忘れちゃったしぃ…でもぉ、わたしは大丈夫!元気元気、ですぅ!」
少女、音威子府いぶかはそうカエルに話しかける。端からみれば、ぶりっこと思われるだろう光景だ。
「暢気なものですね」
「ひぃいっ!?」
「組織の存在をバラしてしまいそうになっておきながら」
「……な、なつめぇ…驚かさないでくださいよぅ…」
突然現れた少年に驚いて悲鳴をあげ、またそれに驚いてカエルが跳ねてしまった。
「それはお詫びしましょう」
「…なにしにきたんですかぁ…?わたしのカラダが目当てだったりぃ…?」
「いやいや、いぶかさんでも良いですが、幸いあの女はまだ"つかえ"ますから。」
「あのぉ…たしかぁ…木古内先杜、でしたっけぇ?」
「そうです、たぶん。ま、名前など必要ないと思いますが」
冷たい表情のまま笑ってみせる少年。少女は怯えた様子ながら、どこかいつでも殺せますけどぉ?というようなオーラで少年を制していた。
「……さて、最近謎の種を剥がしている輩がいるらしいのですが。そいつらと接触した身として、何かありましたか?」
「えっとぉ…たぶん、断片的な情報からでも何かを推測することのできる、膨大な知識とそれを検索する能力。まるで…"図書館"みたいな男のヒトでしたねぇ♪」
「……ふむ、そうですか。記憶に留めておきましょう。ではまた」
去っていく少年。いぶかは元のように鼻唄まじりに歩きはじめ、先程逃げたカエルは肩にのりゲコとひとことだけ鳴いた。




