疑問3.謎の種とは何なのか
少女は意識を手放して、記憶の海に沈んでいた。
ひどく淀んだ表層の突き刺すような冷たさから逃げるように、ふかく、ふかく沈んでいった。
逃げてもなにもならないと言い聞かせる自分が身体を引き戻す。が、ずっとここに浸っていたい思いが重りになって、浮かぶことはできなかった。
ばんばんばんっ!!!
頭を打つような爆音が響いた気がして、なんとか目を開ける。
「……あ、起きた」
視線の先にあったのは、白い天井と、黒い衣服のタライと木の板を持った少年だった。
「まったく。いきなり昏倒しないでくれよ」
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいさ。でも…聞きたいことがあるんじゃなかったのかい?」
少年の言葉でやっと思い出す。彼の言う、謎の魂とはなんなのかが知りたかったのだ。
それが、私がどうしてこんな目にあっているのかの答えになる気がして。
「…いいだろう。どのみち、キミは知らなくちゃならない。」
「まさか、あの刀と関係があるの?」
「ボクの見立てではね」
顔の前からやっと退けてくれた少年は、近くにあった回るイスを引き寄せて座る。みくさは自分がソファに寝かされていたことに気付き、背の部分に手をあけて身体を起こした。
「では、説明しよう。まず、謎の魂とは、人々が不思議と思った心の集合体だ」
ポケットから取り出した、砂漠の色をした"ナスカの地上絵"を見せながら説明をはじめる。
「これはその一部が結晶化したもの。人間の身体に入り込む。ボクたちは"謎の種"と呼んでる」
「…人に、入り込む?」
「ボク達に宿った力が何なのか。その答えさ」
「それが原因で、こんな力が…!」
「そう。その人智を越えた力を持った者が力を悪用したなら、没収してしまえ…っていうのがボクのやってることさ」
「あなたの謎の種の力?」
「ボクの能力は無力化した相手から謎の種を没収できるものと考えてくれて構わない。」
「それ以外に剥がす方法は?」
「…そうだな、相応の対価を支払えば剥がせるだろうけど、それ以外には持ち主を殺すしかないだろうね」
「……!!」
「どうかしたかい?」
みくさの目の色が変わった。何か心当たりでもあったのかと、少年は首をかしげた。
「みたまは、そのせいで…」
「……みたま?もしかして、この前の事件の関係者かい?」
無神経な彼に怒鳴りそうになったが、今更怒鳴ったところで何もならないし、むしろ彼は悪い人ではないのだろうと思い、みくさは別の言葉を選んだ。
「…自己紹介、してなかったでしょ。私は、旭川みくさ。旭川みたまの姉」
「……そう、だったのか。申し訳ないことを聞いてしまったね、すまない」
事件のことは、少年も知っていた。大々的に報じられて、この雲鳴最悪の事件として一躍話題になったのだった。
「もう、いいの。それより、あなたの名前は?」
「…ん、あぁ。ボクは石狩ちさと…千の智と書くよ。」
「ありがとう、よろしくね。ちさと」
「…… うーん、名前呼びは慣れないなぁ…じゃあこっちも呼び捨てにさせてもらうよ、みくさ」
お互いに名乗ると、がしっと握手をするふたり。これから仕事仲間になるんだ…と、みくさが覚悟を決める動作でもあった。
「…さて。では、一応説明はしたからね。今度から、情報が入ったら連絡するよ」
「……待って。私、ここに住んでもいい?」
「はい?どうしてそうなるんだい?」
「どうせ、行く宛もないから」
「……そうか」
千智がそれ以上追及するのをやめたのは、旭川家がみくさを残し殺された事件では自宅が事件現場だったことを知っていたからだった。
「じゃあ、構わないよ。協力してくれるっていうからね、情報だけじゃ申し訳なくもなるだろうし」
こうして、ひとりぐらしのはずの千智の家にはひとり入居者が増えた。
◇
雲鳴市立雲鳴社第一小学校、4-1の児童たち。今でこそ騒がしく喋り、元気に遊んでいるが、その机の中には花瓶がそっと置かれ、その周囲には男子児童がひとりいるだけの空間があった。
授業中に席につく以外には、誰も寄り付こうとしない。
花瓶の乗った席にもともと座っていたのは、旭川みたまであった。彼女と特に仲のよかった男子、名を音更なごりというのだが、彼だけがずっと花瓶の世話をしている。
「……どうして、こんな…」
ぼそりと呟くなごり。話し声に掻き消されてしまい、誰にも聞こえることはなかった。
おそらく、他の児童たちにとっては、もう二度と学校に来ない彼女のことよりも、集団で休んだ5人のことが気になるだろう。いつもなら、風邪だとか原因が示されるのに、今回だけは教師にもわからないの一点張り。
中には、担任の沼田が犯人とするとんでもな噂まで飛び出していた。
◇
そして、その沼田本人だが。今日は学校を欠勤して、自宅に籠りっきりだった。
そして、あまり人に好かれるような人間ではない彼の家に、珍しくお客が来ているのだ。おもてなししなければいけないと、彼はせっせとジュースを注いでいた。
「怖がらなくていいんだよ、みんな」
紙コップに、それぞれオレンジや紫の液体が注がれたものが"みんな"の前に出された。
返事がないのは当然だろう。その"みんな"は、それぞれガムテープや布で口を塞がれているのだから。
「ふふ…君は炭酸が好きだったよね?今飲ませてあげるからね…」
うちひとつの、グレープ味の炭酸飲料が入ったものを手にとって、ひとりに近寄っていく。その表情は怯えてしまって涙を流しているうえに、ガムテープで口を隠されているためかわいらしい顔立ちがよくわからなくなっていたが、そっちのほうが沼田には可愛く見えて、欲望が刺激された。
「ここでひとつ、なぞなぞをいいかしら」
「……っ!?な、どこから入った!?」
「この私は、この家の鍵を無理矢理こじあけました。何をしたでしょう?」
「な、なにを…?」
「さん、にぃ、にぃ、にぃ、にぃ…」
140cm前後だろう身長の少女は、突然現れるなり問題をしかけてくる。本当にいきなりだったので、沼田は驚いて炭酸飲料をこぼしてしまった。
問題に答えるまでのカウントダウンなのだろうが、ひたすら2が続いている。にんまりと優しい笑顔なのが逆に怖い。
「にぃ、にぃ、にぃ…」
「…わ、わかるわけないでしょう!?」
「にぃ…ぜろぉっ!!」
沼田がわからないと答えたとたんに、少女のカウントダウンは1をすっとばして0になる。それと同時に、だんっと床を思いっきり踏んで大きな音を出した。
「本当にわからないのね」
「そ、そうですよ!文句ありますか!?」
沼田の返答に、少女の表情は激変した。
「はぁ!?バッカじゃないの!?!?」
「えっ、ちょっ」
「無理矢理こじあけたって言ったの聞いてなかったの!?!?あぁ、これだから誘拐に走っちゃうような変態ペドフィリア教師兼犯罪者はダメなのよね」
「えらくピンポイントですね…」
「…っと、そんなことはどうでもいいの。ここでなぞなぞよ、私みたいな女の子がどうしてこんな陰気臭い家に来たのでしょうか?さん、にぃ、」
「それはもしかして、僕のこの笛のことですか?」
「にぃ…ぜろ。ふん、正解よ。その力を、私たちは求めているの」
「え…?」
「私たちは、あなたのような特殊能力を持った協力者を求めてるの。」
「……そうですか」
「あら、非協力的ね。証拠をもみけす程度なら、かるくやってあげるのだけれど」
沼田の態度は乗り気ではない。気にくわないというよりかは、少女は不思議に思っている。
「お願いごと、なんでも聞いていただけますか」
「え、なんでもはちょっと…」
「…では、僕の初めての相手をしてください…」
「は?待って、まだ返事してないし、あなた何いってるの!?」
「またなぞなぞですか?」
「そうかもしれないけれど、まずは待ちなさい!」
焦る少女に、沼田は詰め寄った。このまま押しきれるような気がして、少女が新たな問題を出すまで続けていた。
「…これ以上したら私は何をするでしょう?さん、にぃ、」
「僕とまぐわうでしょうね」
「ぜろ、ぉっ!?バカじゃないの!?」
「ふふ、最初は何者かと思いましたが、思っていたよりずっとわかりやすい方のようですね?」
「……もう一問いくわ。私がここに来たということは、何を意味するでしょう?」
「……ここに来たこと?」
「答えは"あなたの愚行をバラせる"よ」
「………!!」
「これ以上の軽口は許さないわ」
「…そっちからもちかけたくせに…脅しですか…」
少女は無理矢理こじあけたらしい、鍵の溶けかけた扉を通ってさっさと帰っていく。
沼田が視線を"みんな"に戻すと、紙コップの炭酸飲料は、とっくのとうに炭酸が抜けてしまっていた。
◇
翌日、朝。昨日はなにごともなく、みくさは千智の寝床でぐっすりと眠った。男の寝床ながら特に匂いもせず、綺麗好きだろうことが窺えた。
「ん、おはよう」
寝室から抜け自分の服に着替えてくると、千智がコーヒーとトーストで朝を迎えていた。
「ニュースのチェックは大切だよ。報道されている中には、不可解なものもあるからね」
「…そうなんだ」
寝ぼけたまま洗面所のほうへ歩いていく。顔を洗いに手に水を溜めはじめると、向こうの部屋で足音がした。
歯ブラシは使い捨てのものを使わせてもらい、きれいさっぱり目が覚めたみくさが戻ってくると、テーブルには朝食のトーストに目玉焼きとハム、牛乳が出されていた。
「えーっ、と?」
「キミのぶんだよ。腹ごしらえも大切さ」
「…ありがと」
朝っぱらから黒い暑苦しい服なのに、せっせとこの朝食を作っていたのか。想像してしまいふふっと笑いながら、席についた。
「いただきます」
ニュースではいま、雲鳴の児童集団失踪についてやっている。千智はこれが怪しいとふんで、食い入るように見ている。
『行方はいまだわかっていませんが、行方不明者宅では夜中に突然笛の音色がしたなどという証言もあり…』
「ちょっと、みくさ。今日は小学校に行こうと思っているのだけど、大丈夫かい?高校とかさ。」
「ほへ?あ、あぁ、高校はまだ大丈夫だと思う」
「…本当かい?ま、仕事を手伝ってくれるのは嬉しいんだけど」
昨日も座っていた回転イスからぴょんと降りて、外に行く支度を始める千智。
あれ、私も行ったほうがいいよね?と思って、食べるスピードを早めようと焦ったみくさは、牛乳が喉にひっかかってむせていた。
◇
ここはヴォイニックス・ライターズ事務所、作業台とくらげの水槽だけがあるティアラの執筆部屋。
原稿に追われるティアラの横には、スウィーネやなつめではない、長髪の少女の影。
それでもティアラは昨日と同じように、ぶつぶつ言っているだけだった。くまは昨日よりも、ちょっとだけ大きい。
「ねぇティアラ、ちょっと問題いい?」
「駄目。私は締め切りに追われてるの」
「私は昨日、持ってる奴に会いました。そいつは大変きもちわるい趣味を持っていたのですが、それはなんでしょう」
「…はい?待って、なにがあったの、ラムネル。」
「正解はペドフィリア。しかも誘拐、監禁。どうしようかと思うんだけど。」
「うわ、そんな奴と協力したくないわ」
沼田のことを話す少女。呼ばれたとおり、その名前は『ラムネル・シャルベリエ』。彼女の話を聞いて、ティアラはドン引きしていた。
話が終わり、そんなのにラムネルを捧げるくらいなら他をあたろうと結論が出たところで、ラムネルは思い出したように聞いた。
「ところで、進捗はどう?」
「進捗だめです」
一瞬で虚ろな目になって机に突っ伏してしまったティアラの肩に、同情するように手を置く。
それからすこしして、ラムネルが退室しようと動くと、『ティアラ・ウィルフリッド・メノプライズ』と裏表紙に名前だけが書かれ、中は白紙のメモ帳が作業台から落ちる。あわてて拾うと、ささっと退散した。
◇
所変わって、こちらは小学校。放課後になったので、ちょっとお話を聞ければいいな、と思っていたのだが、調査全部をみくさがやることとなった。
何故かというと、千智の格好はどう見ても不審だからだ。黒い帽子に黒いコート、これでマスクでもしていたら下が全裸だと思われてもしかたがない格好だった。
「だからといって、木陰で様子うかがってるのも不審なんだけど…」
メモ帳とペンを持って、後ろから見ている千智をちらりと見て、調査をはじめる。
とりあえず、先生に話を聞けないだろうか。行方不明になっているのは、名前から4-1の生徒ばかりだということはわかっていた。
みたまのクラスメイトなら、連絡網などで名前だけは見たことある。
だから、みたまの担任だった沼田という男に会えれば一番情報がありそうなものだが__
「沼田は今日もお休みだったけど…」
「……そうですか」
「もしかして、児童失踪の件?」
「あ、まぁ、はい。」
「じゃあここだけの話ね。失踪したの、沼田先生がずっと可愛がってた子たちなのよ。」
「…それで、今日もっていうのは?」
「昨日から休んでるの。ちょうど、失踪した日」
「……えーと、沼田先生が怪しいと思ってるんですか?」
女性教諭はそれ以上は答えないで、さっさと行ってしまった。
「……えと、ありがとう、ございました!」
車に乗った女性に、聞こえてないだろうけどせいいっぱいお礼をすると、千智のところへ戻ることにした。
「は、早かったね」
「……どうしたの。」
「いや、ちょっと、みくさ、助けて」
「え?」
「この子なんとかして」
木にしがみつく千智が指差すのは、ロングスカートをなぜか手に持って、下半身が下着のみという、明らかに今脱いだかのような黒髪おかっぱの少女が立っていた。
「……えーと、何をしてるの?」
「なぜ人間は服を着るのかしら」
「えっ?」
「おかしいと思わない?どうして隠す必要があるのかしら?」
「い、いや、それは恥ずかしいから…」
「それ。それよ。恥じらいという感情の元は何か。それが気になって仕方ないの」
「……えぇと、小学生だよね?」
「もちろん!私は『木古内 二』!」
「私は旭川みくさ…っていうんだけど、そこのお兄ちゃんになにをしたの?」
「見てて暑苦しいから脱いでもらおうと思って」
「……本人はこれ、気に入ってるみたいだからやめてあげようね」
「…そうね。じゃあそのぶん私が涼しくならないと…」
「待って脱がないで。」
不思議な少女に絡まれたらしく、あぁこの子相手ならこうなるかもねと思った。
その少女にちょっと避けてもらって、コアラ状態の千智を木から下ろす。
「大丈夫?」
「助かったよ…」
「人を天敵みたいな扱いして、失礼なお兄ちゃんね」
「実際天敵だ。この探偵衣装セットは絶対人前では脱がない」
「人前?」
「公衆浴場には絶対行かないからな」
「えぇ?見せたくなったらどうしてるの?」
「普通の人は見せたくならないと思うよ、二ちゃん」
「ほんとかしら」
「私はないね…ところで千智、調査の結果なんだけど、担任の先生が怪しいって…」
とりあえず調査結果を報告しようと思い、千智に話しかけて二の前から去ろうとする。
「失踪当日から、きょうも休んでるらしいし…」
「ねぇちょっと。置いていかないでよ。」
「…まずぱんもろのまま公道に出ようとするのやめよう?」
「駄目なの?じゃ暑いけど履くわ。」
「……調査が気になるんだ?」
「えぇ。クラスメイトが行方不明なの、その話でしょ?」
「…何か知ってるの?」
「わからないけど、担任の沼田の住所ならわかるわよ」
「……!!案内できるかい!?」
千智の態度がきゅうに変わって、ちょっと二は困っている様子。だけれど、みくさも彼女に案内してもらえるか頼もうとしていたちょうどそのときだった。
「…私ひとりじゃ心細いし、案内はするわ。クラスメイトが5人も足りないの、さみしいしね。さ、こっちよ」
◇
「相変わらず雰囲気がじめじめしてる、ここよ。」
案内されてやってきた場所は、なんの変哲もない一軒家だ。扉の鍵がいちど溶けて固まったかのように壊れており、閉まりきっていないことと、向かいのマンションのせいか日当たりが悪く窓から日光もまともに入ってきていないことくらいが特徴だろうか。
「とりあえず、私が行ってみる」
「どうぞ、ボクが行っても役に立たないしね」
みくさが進んでインターフォンを押した。
ぴんぽーん。
「…はい。」
「あの、沼田さんでいらっしゃいますか?」
「そうですが」
「えっと、みくさです。みたまの姉です」
「……おや、そうでしたか」
「ちょっと、みたまのことでお話したくて…上がらせていただいてもよろしいでしょうか?」
「…ちょっと、今は…」
「どうかなされましたか?」
「お客様が来てまして…ね」
「……それはもしかして、小学生五人だったりしませんか?」
一瞬、周囲は沈黙に包まれる。
「__いいでしょう。貴女もお相手して差し上げましょう。お上がりください、旭川みくささん」
ごくり、息を飲んで、みくさはひとりそっと上がっていく。
「……っ!?な、なにこれ…ぅえ…」
玄関からすでに生理的に受け付けない、気色悪い臭いが充満していて、みくさは吐き気をおさえこんだ。
「こんなところに…本当に人がいるの…?」
一階はゴミ屋敷で、中にはみくさにはまだ理解できないような器具なども大量に落ちている。
「……いったい、沼田はどこに…」
「ここですよ、みくささん」
「!?」
二階へ続く階段の前に、男は待ち受けていた。その肩には、ぐったりとした少女が乗せられている。
「何をしたの!?」
「すこし気持ちよくなってもらっただけですよ。ほら、この笛の音でね」
取り出したのは、穴があき、先が広がっているだけのシンプルで古典的なフォルムの笛。男はそれに口をつけて、優しく吹き鳴らした。
みくさは咄嗟に耳を塞いだが、意識はだんだん微睡んでいく。
「さぁ、外にいるお仲間の相手でもしていなさい。私は年増には興味がない」
沼田が指示をだすと、それにしたがいふらふらと外に出た。
きょとんとする千智と二に対して日本刀を出現させ、構える。
「…みくさ?」
ぶぅんっ!!
風を斬る音が、千智の鼓膜を震わせた。刀は、明らかに千智を狙い振り下ろされたのである。
なんとか直感でぎりぎり避けたものの、次の斬撃も避けられる保障はない。
「ちょ、ま、まさか、犯人にやられたのか…!?」
ぶんっ!!
次の斬撃は、二が引っ張って避けさせた。
「…どうするのかしら?あの子」
「ど、どうするって言われても…犯人のほうをどうにかしないと…」
「じゃあそれは頼むわ、油断しないようにね」
「た、頼むって、みくさは!?」
「たぶん、どうにかできる」
「…わかった。任せたよ、つぎ!」
走り出す千智。彼を逃さないよう刀を向けるが、みくさの刀に物干し竿に洗濯物をかけるようにロングスカートがかけられた。
「あなたの相手はこっち。来なさい、私は無防備よ!」
みくさは切り込むため、前にまっすぐ踏み込んだ。
が、現実は違う。明らかに曲がっている。二のほうへまっすぐに動こうとしているのに、身体は勝手に斜めに動く。
みくさは自分でなく、視界に入る木々や家が斜めになったように見えていた。
平衡感覚が、まるでぐるぐる回って錯乱する方位磁針のように混線する。自分はまっすぐ立っているのか、まず地面はまっすぐなのか。地面に、ちゃんと立てているのか。何もかもがわからなくなって、日本刀を杖にして立つだけで精一杯になっていた。
「"不思議の渦"へようこそ!お姫様!」
日本刀がぎりぎりと疼きだすが、みくさの理性がそれを止めている。この気持ち悪い空間も、二が自分のために展開しているのだと理解していれば、耐えられる。
「お兄ちゃんがうまくやるまでの我慢よ。吐いても気を失ってもかまわないけれどね、誰も死ななきゃ!」
◇
屋内に踏み込むと、やはり千智もみくさと同じ吐き気を覚えた。
「…悪趣味だね」
「ふぅん、次の客人は君か。」
「みくさをあぁしたのはキミでまちがいないね」
「そうさ。で?どうするんだい?」
千智は男がそう言い終わる前に踏み出していた。手を出すだろうと思ったのか、肩に乗せた少女を盾にするように顔の前に出した。その予想は外れていたのだが。
ばきっ!!
「ッ!?!?」
少年の全体重をかけて、足が踏み折られていた。骨まで割られた激痛から、持っていた少女を取りおとす。
千智は彼女を見事キャッチすると、沼田の胸を蹴飛ばして笛を奪うと、そのままそいつを下にあった小型の器具ごと砕いてしまった。
「70万の蔵書に、一般人相手になら使えるかんたんな護身術程度はあったのさ」
人形のように力の入っていない少女をそっと壁によりかからせて、ゴミの山に倒れる沼田の上にどこから取り出したかわからない巻物をかざす。
目を閉じ、前回と同様の詠唱が始まって、巻物はひとりでに開き文字が刻まれてゆく。
「我は征服王の名の元に集イし叡知」
「周ク学問、その礎と成リシ者」
「現世に於ケル人々の智を超エタ千の智、解キ放タレども解キ明カサレぬ謎の魂よ」
「汝が謎は『ハーメルンの笛吹き男』」
「此の手に還リ、其の名を遺セ」
『ナスカの地上絵』のときと同じく、謎の種が分離する。それをてのひらで受け止めた千智は、ここから先は警察のやることだと判断して、さっさと出ていく。
「…あ、お兄ちゃん。大丈夫だったかしら?」
「ボクはね…みくさはどう?」
「ちょっと無理矢理だったからね、気分悪くしたかもしれないから、寝かせてるの」
みくさはいま、二のふとももに直接寝かされている。重くないんだろうかと疑問に思いながらも、みくさのポケットから取り出したスマホで警察に、というか北見に連絡を入れる。
「もしもし、みくさちゃん?どうかしたの?」
「みくさちゃんではないけど、どうかはしてる」
「……えーと、君は…探偵くんか」
「そうだよ。今、児童誘拐事件の犯人をとっちめたところ」
「そうか…今回は君が出るような事件だったんだね」
「ものわかりがよくて助かるよ、じゃあ犯人は家の中で伸びてるだろうからよろしくね」
ぴっ。
電話を切ると、二の格好は確実に注意されるだろうからそっとみくさを抱き上げて、自宅に帰ろうとする。
「あーっ、待って!」
「……?」
振り替えってみると、いそいでロングスカートをまた履いたらしい二が走りよって来ていた。
「これから、私も協力したいの。連絡先…もらっていいかしら?」
「ボクは構わないけれど…あぁ、ひとつ条件があるよ」
「な、なに!?」
「この探偵衣装を脱がそうとしたことへの謝罪」
「あ、それは、ごめんなさい!」
「よろしい!ではボクの事務所へゴーだ!みくさも寝かせなきゃだしね!」
協力者をひとり増やした千智。暑苦しい衣装のまま、事件現場をあとにした。
◇
「…ぴーぽーぴーぽーうるさいから来てみたけど。あいつ、奪われたのね」
数十分後、マンションの上から見下ろすラムネル。少女たちが保護されて、ちょうどよろよろしながら沼田がつれ出される場面だった。
「謎の種を殺さずに奪う、か…ふぅん。なかなか面白いわね?」
日が沈みはじめている空を背景に、くすりと笑う。
「ふふっ、今日も空が回ってるわ」




