症状移行
「……そんな下らない理由だけど、これからも付き合ってくれるかい?」
申し訳なさそうに、だがみくさを信頼した瞳で彼は言う。はい、と答えれば彼は安心してこれからもみくさを頼るだろう。たった、ひとことでいいのに。みくさにはそれが言い出せなかった。
先の一言が突き刺さっていたのだ。声が出ないのはただ現状を飲み込もうとしていないから。想いを寄せていたはずの相手にはもう相思相愛の人物がいたなど、そう易々と飲み込める人間は少ない。ましてや、みくさは年頃の少女。ただ運命に惑わされただけの女子高生だ。
「……う、うん」
彼の言葉を理解することを投げ出して、とにかく頷いた。一緒にいたいのは本当だから、きっと後悔もないだろう。
「ありがとう、みくさ」
優しく声をかける千智。
バスが来るまでもうすぐだ。さっさと歩いていったらしい二を追いかけて、ふたりともバス停に急いだ。
◇
日曜日は同じく休日で、どこかへ出掛けようと思えば出掛けられる日だった。水族館だって人は多いだろうが行けたことだろう。
だが、それはされなかった。みくさが千智と一切目を合わせようとせず、意図的に逸らしていることに二も気付いていたからだ。もしもっと二が空気の読めない少女だったとすれば気まずさは倍以上になりそうな雰囲気になってしまっていた。
月曜日にだってそれは同じで、さっさと学校へ行ってしまった。いつだか、みくさが敗戦続きで気まずくなっていたときのことを千智は思い出す。
あれは完璧に自分の落ち度だったけれど、今回はわからない。彼女は恥ずかしげながら頷いたのだ。
事務所の彼はいつでも女性の心は謎まみれだとテレビを眺めながら、コーヒーをすすっているのだった。
◇
一方その頃、雲鳴社高校。思った通りいつもよりずっと早く到着したみくさが鞄の準備をしていると、まだ人の少ない教室に一組の男女が入ってくる。
「おはよう諸君!」
「げ、リア充野郎だ!」
クラスの男子にネタにされながらも勝ち誇った顔の男のほう。ただし、彼女のほうはそうもいかず、照れているのか彼氏の制服で顔を隠していた。
「おはよう、標……今日は遅いんだね」
「みくさが早いんだよ。おはよう。」
旭川みくさにとって友人と呼べる唯一の男子生徒、深川標。袖にくっついている少女、天塩鷲と付き合っているらしい。数日前に彼女が行方不明になったとき、捜索と彼女の謎を祓うことに協力したはずだ。あれから学校に来る度にくっついており、もはや定位置であった。
「で?お前、なんだか具合悪そうだけど」
「……そうかな」
瞼がいつもよりも下がっていて、いわゆるジト目状態だと指摘された。言われてみればそうかもしれない。
「つらいことがあったら言った方がいいぜ。厄介ごとに発展するまで抱え込んだら駄目だからな」
苦笑いしてみせる彼。この前の鷲のことを言っているのだろうか、彼女も頷いている。
「……よくないよ」
そうは言われても、みくさにジト目だという自覚はなかったのだが。
言い返すためにみくさが口を開けた途端、背後で扉が開かれたらしく冷たい空気が吹き込んでくる。勢いよく全力で開けられたようでがたんと壁にぶつかった大きな音を立て、クラスの全員を振り向かせた。
何も、ヤンキー生徒が登校してきたわけではない。入ってくる生徒はよく手入れされた美術品のような顔立ちの少女である。髪こそ銀色であるが、それは元からであるということは痛んでいる様子が一切ないことから読み取れる。
「おっ、剣淵か。いつものことだがドア壊すなよ」
指摘を受けてドアがちゃんと動くことを確認し、鋭い目線を彼に注いだ。切っ先を向けられるのにも似たものだが、慣れているのか特に標は怯む様子はない。ただ、みくさと鷲は標に向けられているのを見ただけで怯みかけていた。
「……今日は止めようとしたのですが」
どんなことを言うかと思えば恥ずかしそうに目線を逸らしての言い訳だった。
「とにかくおはようございます、深川さんに天塩さん。それに旭川さんも」
「……うん」
「へ、あ、おはよう」
いきなり振られて慌てるみくさ。ぺこりと一礼した後に、あの視線がみくさにも容赦なく突きつけられる。彼女は目付きが悪いのだろうか。
「あ、えっと、どうしたの?」
黙ってみくさを睨んでくる彼女。無言なのでだんだん怖くなってくる。
「旭川さん。お昼休みにすこしお話があります」
そうとだけ告げるとさっさと行ってしまった。
「みくさ、なんかやらかしたか?」
「剣淵さんに?そんなことはないと思うけど……」
彼女はみくさはあまり話したことのないクラスメイトで、『剣淵 坩堝』という。冷たくも美しい刀剣のような風貌からは想像されぬ物腰の柔らかさ、毎日のようにドアを勢いよく開けてしまう不器用さから男子に人気があるらしい。何よりも美人だからだろうが。
そんな高嶺の花である彼女が、凡人みくさに何の用だろうか。
ふと頭の中をよぎった可能性もあったけれど、ないないと首を振った。
「……で?何の話だったっけ?」
坩堝の登校で中断されてしまった会話に戻るため記憶を模索するうちに、チャイムが鳴ってしまった。
◇
みくさは本人も無意識のうちに不機嫌そうな顔で朝を過ごし、特に大事もないまま昼休みを迎えた。
言ったとおりに坩堝がみくさの席へと歩み寄り、机にバンと手を置いた。ドアと同じく手加減できていないらしく、クラスメイトはふたたび全員みくさの机を見た。
「朝の話です、大丈夫でしょうか」
視線には慣れっこなのか、平然とみくさの手をとる坩堝。その手はやや冷たく、ぐっと身体を起き上がらせるだけの力があるのだった。
「……ど、どこかへ行くんですか……?」
「あなたにとっても聞かれたくない話だと思われます」
「じゃあ、体育倉庫とか?」
「なるほど、そうしましょうか」
言ってみただけのことですぐ行動に移る彼女。引っ張られている側の少女は、よりによって体育倉庫とか危ない場所を選ばなければよかったと思った。
坩堝に引かれているからか、視線が痛い気がする。学年の人気者が同性のクラスメイトとはいえ誰かを連れていれば関係を邪推されるだろう。
誰もついてはこないことを確認しながら体育倉庫に滑り込むと、やっと坩堝の手が離れたみくさが跳び箱の上に座り込んだ。
「話、って?」
「……わかるでしょう。謎の種のことです」
扉を閉めながら話す坩堝。ただでさえ狭くて薄暗い場所がさらに暗くなり、シルエットしか見えなくなる。
まさか彼女の口からその単語を聞くとは思っていなかったみくさは目を丸くした。
「まさか、剣淵さんも……!」
「これ以上」
続く期待のような言葉は、刃物を抜き放ち脅すように遮られる。
「これ以上、謎の種に関われば……あなたにとって最悪の展開になることでしょう」
「なっ……!!」
つまり、これ以上関わるなと。彼女はそう言うのだ。もちろん、身体に宿っている以上一切関わらないことはできないだろう。
「少なくとも次の事件には絶対に首を突っ込まないように。もっとも、自分から最低の気分になりたいのならそれでいいですが」
片手で大きく銀髪がかきあげられ、いい匂いが狭い倉庫に漂い始める。
次に起こる事件のことを坩堝は知っている様子だが、何が起こるというのだろう。
「これは忠告です。心に留めておいてください」
いちど暗闇に沈んだ倉庫にふたたび外からの明かりが戻る。
さっさと出ていこうとする坩堝だったが、一歩踏み出してから振り向いて。
「……お腹が空いているでしょう。付き合わせてしまったお詫びに奢らせてください」
脳内に多量の情報が渦巻いて混乱するみくさは、優しさに流されて頷いた。
◇
学校の食堂に連れられて、坩堝に何がいいかと問われた。遅くなったからか人もあまりおらず、一部のものは売り切れているが、彼女はどれでもかまわないという。
お高いので手が出しにくく残っているらしいお肉の画像に視線が吸い込まれていると、それを察したらしく彼女はみくさに告げられる前にカウンターまで行ってしまった。頼んだのはステーキ二人前。
やがて運ばれてきたお肉の焼ける香ばしい匂いが鼻腔を刺激し、食欲を沸き立たせる。唾を飲み込んで、坩堝が取っている席へと招かれるまま着いた。
「どうぞ、遠慮なく」
「あ、ありがとう、ございます」
眼前にフォークとナイフが差し出される。まずはふたりとも静かに手を合わせて、いただきますと礼をする。それからまずみくさがナイフを手にとって、解き放たれた食欲のままにお肉を切り取る。ほんのりと赤い断面から、透明ながら輝く肉汁を溢れさせていて、庶民には刺激と誘惑が強すぎる。フォークの先が抵抗なく沈みこみ、即座にみくさの口へ運ばれていく。
「おいひぃ……」
普段滅多に食べることのない至福に、頬が勝手に緩んでしまうのだった。
隣で眺めていた坩堝も微笑みながらステーキに刃を入れる。
「……あの」
ステーキも半分がなくなってしまったころ、ふとみくさが話しかけた。
「どうして、何が起きるか知っているんですか」
単純な疑問だった。坩堝の謎の種がなにかを知る目的もあるにしろ、そこから次の事件とはなんなのか理解できるかもしれない。直接事件について聞いても、内容は教えてくれなさそうだ。
彼女はそんなことですか、と口に運ぼうとしていたひときれをフォークごと置く。
「この目で見ました」
それ以上の証拠がどこにあるのか、と言いたげに自信満々な坩堝。ただ見ただけなのか。
「ご安心を。私の目は何も特別ではありません。そのような芸当ができる謎の種ではないので」
意図を汲み取ったようで付け加える。嘘をついているようにはまったく見えない。
これ以上は得られないだろうと思い、目の前の昼食に集中しとりあえず完食してしまうことにする。
「……ごはん、おかわりしてこなくちゃ」
「意外に食べますね、旭川さんって」
席を立ったとき、そう言われて動作が止まった。
「そう、かな」
「はい。もっと少食のイメージがありまして」
頬が熱を持ったような感覚。恥ずかしいと思って目線を逸らすと、坩堝のぶんの皿に目が行った。食はあまり進んでいないらしい。
「私はそろそろ満腹でして……食べますか?」
「いいの?」
「あなたのような方に食べられたほうが、きっと幸せでしょうから」
今日は彼女の言葉に甘えてばかりだと感じながらも、みくさは大きく頷いた。




