第08話『α連合国は欧州E連合に対して宣戦を布告する』
「それにしても、今日は結構遅い時間まで開いているんだね」
「今日は夜間開館の日よ」
窓の外からはとっぷりと暮れたワシントンDCの街並みがちらりと覗ける。
コウは『THE・フォン』の時計を見た。なるほど、既に午後8時を過ぎたところだ。普通の博物館なら、とっくに閉館しているだろう。
「だけど、夜間開館といっても、そろそろクローズよ。
午後4時に待ち合わせて、たっぷりあなたとアカデミックな時間を楽しんで午後8時。
これでディナーのあとに、私をホテルまで連れ帰ってくれれば、完璧ね」
「あいにくとホテルまでは指定されてなかったから、安いシングルしか取ってないんだ。
それに……」
「それに?」
「し、初対面の女の子に、そういうことをするわけには」
「くすくすくす」
コウの言葉が震えているのが楽しくて仕方ない。そんな顔でパーティは笑った。
「くだらないわね。私がいいって言ってるのよ?」
「いや、で、でも」
「ベッドの中であなたと抱き合いながら、大ニュースを聞くのも悪くないと思っていたのだけれど……」
「けれど?」
「予定が少し早まったみたいね。あなたの『THE・フォン』、テレビは受信できる?」
「まあ……CNNなら」
コウは『THE・フォン』の汎用テレビアプリケーションを起動した。
個々人の異なるデータが送られる一般的な通信に比べ、テレビの場合は万人に決まった映像データを届ければよい。
それは無線の効率的な利用という意味でも有利なシステムであり、2035年の現代に至っても、古い形での配信━━つまり電波放送の形態を残している。
「今は何時かしら?」
「午後8時10分だね」
「そのままテレビを見てなさい」
コウの手にした『THE・フォン』の画面で何が流れているか把握しているかのように、パーティはそう言った。
コウが疑問を感じる間もなく、ニュースを報じていたCNNの画面は━━緊急の大統領メッセージへと切り替わった。
『親愛なる連合国民の皆さん』
超大国の大統領である。コウも知っている顔だった。名前も当然、覚えている。
だが、その表情はよくニュース映像で見かける笑顔にくらべて、どこか強ばっているように思えた。
そして、大統領は『まず、最初に事実を申し上げます』と前置きしてから、こう言った。
『我がα連合国は先ほど欧州E連合と交戦状態に入りました。
これは戦争です。E連合と戦争が始まったのです』
同時に周囲のそこかしこから悲鳴のような驚きの声が上がった。言うまでもなく、コウと同じようにテレビ放送を見ている者達である。
『皆さんの驚きを私は厳粛に受け止めたいと思います。
しかしこれは私と……連合国議会と……そして、国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』によって為された決断なのです』
コウが次に感じたのはひどい耳鳴りとめまいだった。
自分が聞いている大統領の言葉はなにかのフェイクで、今にも放送局のスタッフがサプライズ大成功の看板を持って、現れるのではないかと思った。
『我々は必ずこの戦争に勝利します。
市民と兵士の犠牲を最小限に、そして相手国の破壊を極小にします。
これは人類史上、例を見ない新しい戦争です。
そもそも我々は━━』
聖書の言葉を引用しながら、大統領の演説は続いた。
ぐらり、と揺れたコウの体を誰かが受け止めた。
「おっもーい。やっぱり男の人ね」
いい香りがする。妖しい輝きを放つパーティの瞳が目の前にある。ピンク色の小さな唇がどんどん近づいてくる。
「大丈夫。病院に行く必要はないわ。
私が用意したホテルで……ね?」
それからのことは、よく覚えていない。
目を覚ましたとき、彼は裸で、ベッドの隣はまだ生暖かく。
そして、バスルームからは誰かがシャワーを使う音がしていた。
時刻は既に6月6日の朝方であった。