第76話『その判断の主』
『はじめまして、政府与党・長野第二支部の湯河原です。
申し入れさせていただいた通り、急遽ではありますが、大ホールを貸し切らせていただきたいのですが』
『はあ、それはまあ……平日ですし、お客さんも数えるほどですから、かまいませんが。
あのう、一体何が始まるのでしょうか?』
「第三次世界たいせーん!!━━いたっ!」
『は?』
『いや、こちらのことです。ええと……そうですね。
将来の青少年育成をにらんだ、PRビデオの撮影と打ち合わせ……そんなところです』
いかにもその場で思いついたらしい理由を湯河原が並べ立てている間に、コウは一発くれてやったキノエの頭を抱え込んで、拳骨をぐりぐりと押し当てている。
「ぎぶぎぶぎーぶ!
コー兄、反省したからあたしのこと愛してるなら許して!」
「大して愛してないから許さない」
「ひっどーい!!」
『……あの、本当に政府のご用件で?』
『ええ、本当です』
明らかに疑わしげな視線を向ける支配人に対して、真顔で返す湯河原。
「あの2人はですねえ、ウチの事務所のタレントなんですよ、支配人さん」
いかにもフットワークの軽そうな事務所の社長、と言った笑顔を浮かべて、平然と嘘を述べるキミズ叔父。
暴れるキノエを抱え込みながら、コウはよく考えつくなと呆れた。
『ま、まあ、タレントさんなら仕方ないですね。
大ホールは2階の奥になります。こちらへどうぞ』
『助かります』
支配人の十国が先頭に立って、コウ達は階段をあがる。
そのとき、円筒状の物体を何本も抱えた男達とすれ違った。一体なんだろうと首を傾げるコウに支配人が言う。
『あれは天体望遠鏡です。
今日は霧がでてますから、どうかわかりませんがね……ここは天体観測で有名なので』
「関東近県で光害を気にせず星が見られる場所なんて、他にはなかなかないですからな」
『おや、そちらの社長さんはよくご存じで。
それでもまあ、彼らに言わせると、やはり本州は本州だといいますが……。
是非、流星群の時にでも当ロッジのご利用を。早めに言っていただければ部屋をおさえておきますので』
営業スマイルを浮かべながら、支配人の十国は言った。
『観光シーズンの土日はもちろんですが、彗星が来るとかそういう天文関係のイベントがありますと、大変な賑わいですよ。
近くにキャンプ場もあるんですが、そこも満員になります』
「ほう……凄いものですな!」
うむうむと頷いて相づちを打つキミズ叔父。
そのとき━━ふと、コウはα連合国がなぜこの場所を指定したのか、その答えが分かったように思えた。
(そうか……普段は閑散としているけど、何か天文のイベントがあると満杯に観光地のロッジ……つまり、そういう場所なら通信インフラは整っているはずなんだ)
おそらくそれは太平洋をまたいだ会合の場所として、最低限の条件なのだろう。
(そして、第二の条件だ……)
首都であり、当然のように会合の場所として指定すると考えられる東京から離れていること。
しかし、決して絶海の孤島ではなく、通知してから直ちに移動を開始すれば、数時間程度で十分たどりつけること……。
(地方都市じゃダメな理由は……盗聴や逆探知みたいなものを警戒しているからか)
通信インフラはある。しかし、それ以外は乏しくなければならない。
何らかの機材を調達しようにも、絶対に短時間では手に入らない場所でなければならない。
そういった場所で、いきなりα連合国との会合が行われてはじめて━━海の向こうの彼らとしては、安心できるのだ。
(……それだけこの国の電子技術っていうか……不用意に通信をしたら、返り討ちに遭いかねないって評価しているんだろうな……)
今、視界に広がる光景はなんとものどかな観光地のロッジ内そのものであるというのに、世界最強の大国が日本の技術をきわめて高く評価していると知って、コウとしては不思議な気分だった。
(……やっぱり、こういう判断は『ハイ・ハヴ』がやってるんだろうか)
本日貸切という札が掲げられた大ホール入り口のドアが見えてくると、コウの脳裏には自然とその単語が浮かぶ。
(合理的ではあるし……頭のいい人間の判断にも見える……だけど、人間がやるにしては絶妙すぎる判断にも思える……同じ日本人の僕でもよく知らない地理まで考慮しているし……)
━━もっとも。
仮に、これが人間の判断だとしたら、それはそれで恐ろしいとも思う。
(とんでもなく日本の事情に正通している人たちが相手だってことだもんな……)
そういう意味では、コウ自身、その威力を間接的とはいえα連合国滞在中に体感できている、国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』であってくれた方が気が楽ではある。
(それにしても……こんな人工知能システムを相手に、どう立ち向かえばいいんだろう……)
もちろんコウのような人間には、国家の重要情報などというものは伝わってこないし、日本政府が何を考えているのかもわからない。
この国は国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』に対して、何もつかんでいないかもしれないし、案外、全容の解明にすら成功しているかもしれない。
『それでは何かありましたら、お呼びくださいませ』
支配人の十国が退出すると、コウ達が貸し切った大ホールはしん、と静まりかえる。
━━時間は19時30分、まだ半刻ほどの余裕があった。