第72話『新飯田駅前ロータリー』
『本日はご乗車ありがとうございました』
試運転はここまでなのだろうか。
リニア中央新幹線を降りるとき、運転士の宮ヶ瀬はわざわざホームまで降りて見送ってくれた。
「ありがとな、運転士さん。いろいろ話し込みたいところなんだが、そうもいかん。
ほれ、走るぞ2人とも!」
「え、ちょ叔父さんっ!?」
「走るなんて聞いてないんだけど!」
「とにかく急げ!」
宮ヶ瀬運転士にむかって小さく会釈したかと思うと、キミズ叔父は突然、全力疾走をはじめた。
『駅構内は走らないでください』という常識は、この場合意味をなさないらしい。
(結構早いな……!)
キミズ叔父に思わず置いて行かれそうになりつつ。
「コー兄、おっさきー」
「……くっ!」
そして、意外によい走りをするキノエに、あっという間に追い抜かれつつ、コウは三番手で地上直通の作業用エレベーターへ飛び込んだ。
「はぁっ……はあ……」
「鍛え方がたりんぞ、コー坊」
「コー兄、どんけつ~」
「お、叔父さん……リニアなんて使ってるのに、わざわざホームを走らなくても」
「バカ言うな。リニアは乗ってるだけ。ホームは俺達の足だ。
ここがよほどの地下深くじゃなけりゃ、地上まで階段を走るところさ」
作業用エレベーターといっても、品川駅のそれとは様相が異なっている。
(こっちは……なんていうか、普通だな)
どうやらこの駅ではすでに大きな工事が終わっているらしい。
そのまま開業後も業務用エレベーターとして使い続けるのだろうと思われるその容積は、人間が10数名か車椅子が2台といった程度である。
もっとも、それだけに品川駅の巨大な作業用エレベーターと比べて、昇降スピードは早い。
地下数十メートル超の空間から、実に1分とかからずに、コウ達は地上へと運ばれた。
(っ……まぶしいな)
まだ太陽が沈んでいないと見えて、長野の西日がコウの目を刺す。
エレベーターのドアが開いた先は、駅の入り口からはやや外れた地点であった。
ふと辺りを見ると『2036年新飯田駅開業』という巨大な看板が道路沿いに立てられている。
「新飯田……そうか、それで長野の南なんだ」
「よっぽどの間違いがあったら、諏訪のあたりを通ることになっていたらしいがな」
「そりゃいくらなんでも大回りすぎでしょ」
「常識ではそうだよなあ……けど、本気で主張してる奴らが結構いたんだよ、これが」
リニア中央新幹線の京都誘致とならんで、我田引鉄の歴史、その最終幕を飾ると思われる失敗談は、コウにとって冗談にすら受け取れない話だったが、キミズ叔父の表情をみると、それなりに危なかったようである。
(利益誘導って怖いなあ……)
あるいは、そのような諏訪周りの大迂回ルートで開通していたとしたら、今日この時間にコウ達はいられなかったかもしれない。
「時間は18時45分か。ジャストだな」
「会合は20時からだけど、バスも鉄道もない……ほんとに間に合うの?」
「わ~、空気澄んでるね。長野ってはじめて来た。
いいなあ、コー兄こんど遊びに来よ?」
時計を見るキミズ叔父。『The・フォン』を見るコウ。楽しそうに周囲をぐるぐると見回しているキノエ。
「お前、本当にマイペースだな」
「ただの旅行なんだから、堅苦しくなってもしょーがないじゃん」
「あのな、旅行じゃあ・り・ま・せ・ん。
とっても大事な……なんていうか、仕事みたいなもんだ。あんまりはしゃぐと、お前だけ東京まで帰ってもらうぞ」
「ざんねんでしたー。帰りのリニアはありませーん。終電ありませーん。
やーん、コー兄と一夜を過ごすしかないね!」
「……とにかく、少しおとなしくしてなさい」
「はーい」
「おまえ達は本当に仲いいなあ」
飼い犬がお手をするほどの強さで、キノエの頭を叩くコウに呆れたように、しかし懐かしむようにキミズ叔父が言った。
「キノエが馬鹿なだけだよ」
「あっ、ひど~い。これでも日本に来る前からずっと成績トップなのに!!」
「まあ、騒げるのも今のうちだ。
そもそも、コウの奴が心配してる通り、ここからがギリギリで……おっ、来たな」
そして、駅前ロータリーの信号が赤になるギリギリのタイミングで、一台のスポーツカーが飛び込んできた。
(あのクルマ……ランサー、だっけ)
今となっては旧車の部類である。
すでに生産が絶えて久しいマニュアル運転のガソリン車、それもラリーベースの趣味性が高い一台であり、東京の都心ではなかなか見かけることのないタイプのクルマだった。
『遅くなりました!!』
キュッ、とタイヤを鳴らして停車したランサーの助手席からは1人の青年が飛び出してくる。
きっちりと固めたスーツ姿のメガネだった。もっとも、その奥にある瞳が浮わついているところを見ると、どうやら遅刻らしい。
『党支部の湯河原と申します!
なにぶん、移動手段の手配に時間を取りまして、本日は皆様はるばる我が飯田まで━━』
「あー、挨拶はいい。
で、しらびそ高原まで行くのはこのクルマだな?」
確認するようにキミズ叔父が言うと、湯河原と名乗ったメガネはこくこく頷いた。
(やっぱりしらびそ高原か……)
地上に出たことで、通信の電波は届くようになっている。
『The・フォン』を取り出すと、コウはほんの数タッチで現在地からしらびそ高原までのルート検索を完了する。
2035年の現在では当たり前のテクノロジーだが、そのアシストにも人工知能技術が使われていることは、残念ながらあまり理解していないコウである。
(所要時間1時間15分!! ギリギリじゃないか!)
ルート検索の結果が表示した数字に愕然とする。ひょいと首を伸ばして画面をキノエがのぞき込んできたが、「へー」としか言わないあたり、事態の深刻さは全く理解していないようである。
「それで、湯河原くんとか言ったか。今からでも間に合うか?」
『ええ、それはなんとしても!
ただ……そのう、やはりヘリの使用は難しく、申し訳ないのですが、このクルマで━━』
「あー……説明が聞きたいわけじゃないんだ。
詳しいことは走りながらでいい。後ろ、乗るぞ」
額の汗を拭きながら、あわてて言い訳じみた説明をしようとする湯河原をほとんど無視して、キミズ叔父はランサーの後部ドアを開こうとする。
「ん? 開かないな」
『えっ、そんなはずは……おい、椿! ドアロックを解除だ!!』
『ったぁーよ……』
湯河原が声を張り上げると、運転席のウィンドウが下り、いたってラフな服装のふてぶてしい髭面が顔を出す。
『これから乗せてってもらおうってのに……運転手に挨拶の一つもねえのか、東京もんは?
そんなやつを俺のクルマには乗せられないね』
『つ、椿……お前、こら!!』
「……いやあ、そいつは失礼した」
なめんなよ、と。
あるいは、とりあえずお前を嫌ってみてます、と。
そう言わんばかりの敵対的な視線を向けてくる男━━すなわち、椿と呼ばれたドライバーに対して、キミズ叔父は一転、柔和な笑顔をみせると、ぐるりと運転席側まで回り込んで会釈した。
「東京から来たキミズってもんだ。
いろいろと事情があって、しらびそ高原まであんたの腕を頼ることになった。向こうの2人は俺の甥っ子と姪っ子でな。
どうかよろしく頼む」
『……気に入らないね。
支障があるなら、そうやっていくらでも態度を変えます、ってのはよ』
事態を見守っていたコウが驚くほど下手に出てみせるキミズ叔父。
しかし、ドライバーは━━椿はそっぽを向く。
その仕草はまるで子供のようで。
だが、表情はあくまでも中年に片足をつっこんだ青年のそれで。
「とにかく乗せたくねえ」という態度を貫いてみせる。
『はっ。東京もんなんて、どいつもこいつもそんなんだ。
ったく、ダチの頼みだから出張ってみれば、何がお国のために山の上まで走れだ。
俺はそんなのはごめんで━━』
「ほー、こいつはいい感じに攻めてるな。今時、公道でここまでタイヤをキレイに溶かしてる奴にはなかなか巡りあえん。
あんた、前にレースでもやってたのか?」
『ごめんで━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━って。
……あんた分かるのか?』
「そりゃあ、お前さんがいい腕を持ってることはな」
不意にかがみ込んで、フロントタイヤを撫でてみせるキミズ叔父。
すると、椿は驚いたように目を見開いた。
「こんなにうまくタイヤのグリップを使える奴の運転なら、急ぎの旅も安心だ。
おまけにクルマは三菱のランサーと来た。これならいきなりトンネルが崩れても平気じゃないか、なあ?」
『……トンネル事故のやつはスバル・インプレッサだ』
分かってねえな、とばかりに肩をすくめる椿。にやりと笑うキミズ叔父。
『乗りな!』
「おし、話はついた。コー坊、キノエちゃん。すぐ乗れ」
「よ、よろしくお願いします」
「おねがいしまーす」
『さあ、飛ばすぜ!』
『まったくお前という奴は現金な……!』
『あっはっはっ、いい気分だ!』
リアシートにコウ達3人。そして、ナビシートに湯河原を乗せると、三菱・ランサーエボリューション最終型は、凶悪なエキゾーストノートを響かせながら発車する。
『見てろよ……30分で目的地までつれてってやる!!』
その数字の意味に気づいている者は、現時点では皆無だった。