第71話『少年の夢を思い出した中年はむせび泣く』
「……ぅ、わ」
「ん? どうしたのコー兄」
「っ……う、浮いてる」
ほんの僅かに走行音が小さくなったように思えた。
そして、彼の妹は気づかなくとも、コウは感じた。飛行機の車輪が離れるときの感覚にも似た、ほんの僅かなGを。
(ひょっとして……今まではタイヤで走ってたのか?)
不思議というより、異様さすら感じていた。
その加速は、そして走行は。飛行機のそれとも、通常の新幹線とも違う。
飛行機のように響きわたるエンジン音がない。通常の新幹線のようにゴツゴツと伝わってくる車輪の感触がない。
ひたすらに空気を切り裂くゴーという低い音だけが車内に伝わってくる。
そして、それ以外の伝統的な鉄道らしいメカニズムの動作音は一斉聞こえてこない。
たとえばそれはレールの上を走る車輪の音。たとえばそれは連結部を乗り越えるガタンゴトンという音。
たとえばそれはモーターが唸る音。たとえばそれは架線とパンタグラフが擦れ、あるいは風切り音を発する音。
むろん、コウは鉄道に対して知識らしい知識など持っていない。
だから彼が感じているのは、たった一つのシンプルな感想である。
それは通常の鉄道よりも。
そして、飛行機やバスよりも━━
(なんて静かで快適な乗り物なんだ……!!)
ただただ、その一点であった。
「んー、結構うるさいねー」
「……そ、そうだな」
反面、平然としているどころか不満すら述べているキノエが憎らしくも感じる。
(それにしても凄いな……)
感動の波が1往復、2往復。何度も何度も、コウの中で行き来し続ける。
(こんな乗り物があるんだ……)
乗ってみて初めて分かることもある、としみじみ思う。それほどにリニア中央新幹線の乗車感覚は、コウにとって新鮮な体験だった。
(これだったら……)
キミズ叔父が興奮する気持ちもわからないでもない。
そう思って視線を反対側に向けると、彼の叔父は座席の上に正座して、さめざめと涙すら流している。
「リニアだ……オヤジ……じーちゃん……俺は今、リニアに乗ってるよ……日本にリニアが走ってるよ……すげえよ……すげえよ……生きてて良かった……」
ぽたぽたと膝に涙滴が流れ落ち、ずるずると鼻水をすすったかと思えば、また顔を覆って、キミズ叔父はおいおいと泣き始める。
「うわっ……あたし、ああいうのダメ。コー兄もそう思うよね?」
「ああ……え、えっと。ほどほどに、だよな。」
隣ではキノエが全否定に限りなく近い感情をさらけ出して、叔父の様子を見ている。
もちろん、叔父の感動がまったくわからないコウではない。しかし、同時にいくらなんでも感極まりすぎだとも思う。
(リニアは確かにすごいけど……やっぱり、ああはならないようにしよう……)
感動と落胆を同時に抱えたコウを乗せて、リニア中央新幹線は時速500kmで西へと疾る。
~~~~~~Deep Learning War 2035~~~~~~
果たして地上を走行していた時間が、何十分あっただろうか。
品川駅の隣、そして神奈川県唯一の駅になるはずの橋本駅は、ホーム内の照明が灯されてなかったため、存在すら確認できず。
やっと地上へ出て、電波が捕まったタイミングでコウは地図を見てみたが、山梨県の聞いたこともない地名が表示された。一体、どんな土地だろう。調べようと思った頃には、リニア中央新幹線はトンネル内へ潜り、通信は絶たれてしまう。
(これは……結構不便だなあ)
開業後はそれなりの高速回戦を整備するのだろうが、一体、どんな手段を使うのだろうかと、素人ながらにコウが心配していると、ふたたび地上の光が届いた。
そして、その光は車内のみならず、日本でもっとも高い山をも照らしている。
「ああ……そうか。都留、ってこの辺りなのか」
「鶴? コー兄、鳥なんていないけど」
「そっちじゃない」
「わ、富士山だー。きれいー!!」
「……膝に乗ってくるんじゃありません」
「富士山か。昔、アニキと一緒に登ったときは大変でなあ、何しろ━━━━━━あ」
そして、何やら富士登山の昔話を披露しようとしたらしいキミズ叔父のドヤ顔もむなしく、またしてもリニア中央新幹線は地面の底に潜ってしまった。
「あー……えーっとだな。
ま、まあ、最近開通した路線はどれもトンネルだらけでこんなもんさ」
「すこし見えたから十分だよ。綺麗だったね」
「でも、富士山って東京からも冬になったら見えるし、ありたがみなくない?」
「そこのところだけは俺も若いもんに同意だな。
ま、いつも変わらず見えるからこそ富士山ってのはいいのかもしれないが」
富士山が世界遺産になったころは、立派な若者であったはずの男はうむうむとうなずくと、ようやく浮き立った表情を引き締めた。
「さて━━そろそろだ。
特に降りる準備もないだろうが、トイレは済ませとけよ。こいつを降りたら、もう途中休憩はないからな」
「わ、わかった」
「はーい」
仕事の顔、とでも言えばいいのだろうか。
そのまま数億円の商談を、あるいは数百人の首切りでも平然と実行してしまいそうな叔父の表情に、いつものことながらコウは戸惑いにも似た畏敬を感じる。
(誰かの上に立つって、こういう顔ができるようになることなのかな……)
そして、必要に応じてプライベートの顔と、瞬時に切り替えができるようになることなのだろうか。
そんなことを思う。
「ねーねー、叔父さん。夕ご飯はどこで食べるの?
ここって長野だっけ。あたし、信州牛のステーキがいい!!」
「あいにく長野っつっても南の方なんでな。
なんかうまいもんあるのかなあ……しらびそ高原ってのは、俺もはじめて行くんだが……」
「えー、そうなのー」
「しらびそ高原?」
「そういうことだ。
そいつが今回の目的━━α連合国から指定された会合の開催場所さ」
そう言いながらキミズ叔父は『The・フォン』の地図画面をみせる。電波は相変わらず使えないはずだが、おそらくローカルデータとして保持しているものだろう。
「長野っていうより、静岡の近くだね、ここ」
「日本のチロル、って言われてる場所知ってるか?
そこのちょっとだけ北だ。思いっきり山の中だよ」
「ぷぷぷっ! 日本のチロル、ってなにそれ!
日本って、ヨーロッパでもないのに日本アルプスとか日本なんとかとか、多いよね!
チロル! 日本なのにチロルだって! あははははは!」
なぜか笑いのクリティカルポイントに入ってしまったのか、涙すら浮かべながら大笑いするキノエ。「若いもんのツボはわからん」とでも言いたげに、額に汗を浮かべるキミズ叔父。
だが、コウは笑う気になれなかった。地図を一目した瞬間から、もっと別のことが気になっていたのだ。
「……叔父さん」
「どうしたコー坊」
「ここって遠くない? 今から20時までに間に合わないような気がするんだけど、地図にないバイパスでも通ってるの?」
「ま、そこからが今日のミソってやつだな」
自信満々━━とまでは言えない緊張顔で言うキミズ叔父。
その表情は彼1人の力ではおそらくどうにもならない『要素』が残っていることを示している。
(大丈夫かな……)
コウが不安を感じたそのとき、リニア中央新幹線はゆっくりと減速を始めた。




