第67話『信濃の国へ彼らは向かう』
それから数日後のことだった。
「いよう、どーだ。ちったあはかどってるか?」
「叔父さん」
「近くまで来たんでな。寄らせてもらった」
コウがいつものように、仕事の山と格闘していた夕暮れ。そして、キノエがほとんど何も手伝うことなく、だらだらとしている夕暮れ。
西新宿にある彼らのオフィスに、キミズ叔父がふらりと姿を見せた。
「やっほー、叔父さんこんにちはー」
「ああ、キノエちゃんもこんちは。学校帰りかい?」
「うん、今日は午前だけだったから、そのままちょっこー」
「なるほどね。
しかしまあ……用意した俺が言うのもなんだが、ひどいところだな」
「別に。僕は仕事を手伝わせてもらえるなら、それでいいよ」
前の入居者がべたべたと何か張り付けていたのだろうか。
接着剤の跡がしっかり残る壁面を見つめながら、シックなスーツ姿のキミズ叔父は顔をしかめた。
不意にごつん、という音が隣から聞こえてくる。
なんのことはない。壁が薄くて隣の物音が丸聞こえなだけである。
「ん~……聞かれて困るような仕事は任せていないつもりだが、今日はちょっとな。
ちょっと待ってろ」
そう言いながら、キミズ叔父は手にしたカバンの中から、手のひらほどの箱を取り出す。
(……なんだこれ?)
訝しげに眉をひそめるコウ。
その箱からは軽くしなる十数センチの棒が4方向に延びている。
アナログテレビ放送が当たり前だった世代なら、携帯型アンテナとでも言えば通じそうな外観のそれを、キミズ叔父は隣部屋へ接している壁にぺたりと張り付けた。
都合、コウたちにむかってアンテナ型の棒が4本延びている状態となる。
「叔父さん、そのカワイイやつなーに?」
「こいつはな、キノエちゃん。新型のペットロボットなんだ。しかもソニー製」
「あはは、おもしろ~い━━わけなーい。
えっと、あたしにも分かるようにちゃんと説明してね」
「まあ簡単に言えば、盗聴防止器だな。
要するに━━」
ところどころかみ砕いた表現を挟みながら、キミズ叔父は説明する。
4方向に延びている棒の先端にはマイクが備え付けられており、コウ達の会話をとらえることができる。
「たとえば、壁の向こうで耳を澄ませている悪い奴がいるとする」
「ふんふん」
「そいつに俺達の会話を聞かれると面倒なわけだ。
そこで、こいつの出番だ」
アンテナならぬマイクデバイスを備えたこの機材は、通称を『触覚4号』と呼ばれているらしい。
「『触覚4号』はリアルタイムで届いた音声を解析して、壁面にノイズとなる音や振動を加えるんだ。
もちろん周囲の空間にもな。まあ、音は波だから思わぬところを迂回して届いたりもするんだが……部屋に仕掛けられた盗聴器は難しいとしても、壁の向こうで録音しているやつとか、壁に埋まっている盗聴器には有効なんだ」
「へーへーへー」
「……どこで知ったんだ、そんなの」
机の上のボタンでも叩くように、キノエはぺちぺちと手のひらで何かを押してみせるような仕草。呆れた顔で言いながらキミズ叔父は肩をすくめた。
「昔、上海の日本人学校で先生がやってた」
「あ~………………そ、そうか」
その先生はきっと、いい年だったんだろうな、とか。
その先生と趣味が合いそうだな、とか。
(……まあ、言いにくいよな)
あるいは、その先生は無事に日本へ帰ってこられたのか、とか。
きっとキミズ叔父は言いかけたのだろう。
(そして、黙った)
自分自身でも気づいていなかったが、コウはいつの間にかなりの高精度で、そしてハイスピードで他人の思考を追いかけることができるようになっていた。
むろん、政治や経済・技術の分野では到底、キミズ叔父の思考を追いかけることなどできない。
だが、こんな日常の会話ならば、何とかトレースすることできる。
(でも、どうせなら明るい話を追いかけたかったけど)
一抹の後悔にも似た感情と共に、コウは何となく次の言葉に詰まっている叔父と妹をみた。
「………………あ~」
「………………え、っと」
「それで、叔父さん」
助け船というほど上等なものではない。
しかし、話題を変える後押しは第三者が相応しいことは、社会経験の未熟なコウにも分かる。
「つまり、これで隣に聞かれる心配はない。
そして聞かれるとまずい話が始まるんだよね」
「ま、そういうことだな。助かったぜ、コー坊」
キミズ叔父がほっとしたような仕草を見せたのは、本心か。あるいは、コウへの隙か。
(叔父さんなら僕の心理くらい簡単に読んで……僕に『助けさせてやった』ことにして……)
自信をつけさせることくらい、当たり前のようにするだろう。
そう思うと、自分がこぎ出したのは助け船なのか、あるいはピエロを乗せたボートなのか、よくわからなくなる。
「単刀直入に言うが、α連合国から連絡があった」
そして、事態は一気に動く。
「例の月1会合。覚えてるか? S・パーティが品川のホテルで言ってたあれだ。
今夜20時。場所は長野県だそうだ」
「……今夜?」
「おう。20時だから午後8時だ」
「ち、ちょっと待って。午後8時って、あと3時間しかないじゃないか!?」
「そーだよーん」
コウの驚きは予想の範疇だったのだろう。ぽりぽりと頭をかじりながら、キミズ叔父は言う。
「15分後に出発する。すぐに支度しろ」
「ち、ちょっと待ってよ、叔父さん。
そもそも、今から3時間で長野なんて間に合わないだろうし、僕なんかが━━」
「向こうはご丁寧に念を押してお前を指名だ。
そしてふざけたことに、俺ら以外に同席してもいいのは、1人だけだそうだ。
あ~……なんでか知らんが、キノエちゃんは人数に入れなくてもいいとか言ってたな」
「……叔父さん、それ言ってきたのってあの女だよね?」
「おう、そうだ。
国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』の『使徒』、S・パーティ様が直々にな」
意味がわかりかねる、という様子で首をひねるキミズ叔父。
しかしそれに対して、キノエはなぜかすべてを納得したような顔で、うんうんとうなずいた。
「おい、キノエ。何か変なこと考えてないだろうな」
「ううん、別に。
一つ言えることはね、コー兄……これはコー兄に相応しいのはどっちか、公式な場所で決着をつけようっていうメッセージなんだよ!!」
「何がどう公式で決着なんだ。やっぱり変なこと考えてるじゃないか」
それは、およそ公式な外交交渉とは言い難いはずの会合であり。
しかし、日本政府と関係者にとっては喉から手が出るほど欲している、α連合国と意志疎通をはかる機会である。
(そんな大事な会合を……こいつは)
コウが巨大なため息を吐き出すと、なぜかキノエはキラキラした目を向けてきた。
「心配しないでコー兄。あたし、勝つから。
愛のために!!」
「今のはそういうため息じゃない」
「え~」
「あー、楽しそうなところ悪いが、あと10分だからな」
「わ~、たいへんたいへん!」
「……叔父さん、僕は準備らしい準備もないけど、そもそも3時間で長野なんて間に合わないんじゃ?」
「ところがそうでもないのさ」
化粧をするわけでもないだろうが、なぜかどたばたと私物をひっくり返し始めるキノエを眺めながら、キミズ叔父はずいぶんと余裕だった。
「向こうさんも……いろいろ計算してんのかな。
そりゃスピード違反していいなら、高速かっ飛ばせばつけない時間じゃないがな……」
「警察とのカーチェイスに巻き込まれるのはごめんだからね」
「ヘリコプターが使えればいいんだが、場所的に苦しいんだよな……そこで俺達は電車を使う」
「で、電車……?」
「いや、すまん。列車だな」
その物言いになんとなくコウは聞き覚えがあった。
鉄道ファンが、いわゆる電化鉄道でない、ディーゼル鉄道などを呼ぶ時に、列車あるいは汽車と呼んでいたことを思い出す。
「……違うな。列車でもない。鉄道? いや、鉄道でもない。
やっぱり電車がふさわしいかな。電気使うし」
「鉄道ですらないのに、電車なの?」
「おおよ、そりゃJRが運営してるからな。
喜べ、コウ。開業前に一般客を便乗させるのは、まだ数えるほどだとさ。
ただし、鉄オタの知り合いとかに話すんじゃないぞ。少なくとも向こう数十年はだまっとけ」
「鉄道じゃないのにJRが運営?
バスでもなくて? JRって飛行機なんてやってたっけ?」
「あー……お前の世代だと、どーでもいいのかなあ。
俺達にとっちゃ、憧れつづけた夢の超特急なんだが」
「夢の超特急って……あ、北陸新幹線のこと? それで長野に?」
「いんや、長野は長野でも今回は南の端だ。木曾の方かな」
「……そんなところに新幹線あったっけ」
「普通の新幹線はないな」
ニヤニヤと笑っているところをみると、キミズ叔父はコウをからかっているらしい。
(意味がわからない)
だが、コウにはその答えが想像できない。そもそも、こんな謎かけで時間を浪費する理由もわからない。
「お待たせー!」
「お、2分残った。
さすがキノエちゃん、出来る女はお嫁に行ってもほめられるぜ」
「えへへ~、そうでしょ! まっ、そういうことだから、コー兄」
「何がそういうことだよ……叔父さん、教えてよ。どうやって長野の南端まで行くの?」
「普通の新幹線じゃないが、電車は電車で、しかし既存の列車とも違う手段。そしてまだ一般開業していない路線。
つまり、それはな」
にやりと歪む形相は。
「超伝導列車。つまりリニアモーターカーさ」
確かに遠い日の鉄道少年のそれだった。