第64話『生死の境にローソン少佐は思考する』
(ロケットだ!!)
その思考は電気の速さだった。
しかし、後悔はナノサイクル前後の遅延を伴ってやってきた。
いくら周囲の状況が確認できないからといって、もう少しゆっくり、おそるおそると頭を出すべきだった。
バチン!と叩かれたような衝撃じみたものが、顔のすぐ近くを飛んでいった感覚。ローソン少佐の顔の筋肉が引きつる。
音はまだ届かない。
銃火の下、死んでいく者たちは常に致命傷とそれをもたらした音を同時━━あるいは、大きく遅れて聞くものなのだ。
そして━━
『少佐!』
直後、機転を利かせたアンダーソン大尉が、彼をM4スティーブンス戦車の砲塔内に引きずり込んでいなかったとしたら。
ほんの一秒も遅れていたら。
あるいはその眉間には、ワールガ大尉がなんの照準もつけずにぶっ放した、小銃弾の一発が突き刺さっていたかもしれない。
『ちくしょう、なんてこった!』
副長の叫びと共に、空気を銃弾が裂く音が次々と鼓膜にも届き始めた。カツン、カツン、とM4スティーブンス戦車の装甲をノックする音もまた、同時である。
そして爆発音。遠く離れてはいないにせよ、至近距離ではない。
ぎょっとしつつ、副長は呆然としているローソン少佐よりも早くこの状況での最適解を導き出した。
『ハッチ、閉鎖!』
<砲塔ハッチを閉鎖しました>
『よし……!』
「すまない、副車長。助かったよ」
『いえ……』
お互いに息を荒げて握手を交わす。あまり素敵な状況ではない。しかし悲観するほどでもない。
この戦車の中ならば。砲塔のハッチさえ閉めてしまえば、安心なのだ。戦車とは鉄の棺桶。遠い昔はそう呼ばれたものだった。
しかし現代の戦車は違う。
それはこの世界でもっとも信頼できるシェルターである。
あらゆる攻撃に耐え、火砕流の中すらもくぐりぬけ、核爆発が近距離で起ころうとも、乗員を爆風から、熱線から、放射線から守ってくれるのだ。
<空中より脅威を探知。自動で無力化を試みます>
『!! くそっ、自動防衛システムは何をやっている!』
「いや……慌てることはない」
動揺を見せたアンダーソン大尉に対して、今度はローソン少佐がその熟練を示した。
自然とふたりは空を見上げる姿勢になる、ローソン少佐と副車長の視線をトレースして、人工知能は360度曲面ディスプレイの天頂部に警戒アイコンを表示する。
放たれたATMはよほど大量だったらしい。
自動防衛システムの同時迎撃限界を大きく超えて撃ち込まれたバイク乗り達の火力は、実にその3割近くが野戦司令部の最終防衛ラインを突破していた。
<空中よりの脅威は車殲2025と推定>
人工知能の分析にローソン少佐もアンダーソン大尉も思わず目を剥く。
車殲2025。内戦によって分裂する前の中国で開発された対戦車ミサイルである。
当時存在していたあらゆる戦車を撃破することを目標に開発され、水平射撃での直撃モードをほぼ放棄し、空中を山なりに飛行━━その後、ダイヴして戦車の上面装甲を狙う設計になっている。
単なるトップアタックであれば、21世紀にはありふれているものの、車殲2025は数々の演習や輸出先のテストで、非常に高い撃破率を記録している傑作だった。
<敵センサーの妨害を試みています>
人工知能のナビゲーションに、ローソン少佐は思わず「無理だ」とつぶやきそうになる。
車殲2025については実弾を使用したレポートが、α連合国の幹部士官向けに共有されており、そこには『ソフトキルは限りなく困難』と記載されているのだ。
(だとすれば……!!)
ローソン少佐とアンダーソン大尉の2人は固唾をのんで。
そう、呼吸すらも止めて、空を━━つまり、上部のディスプレイを睨んでいる。
赤い点にしか見えない車殲2025の弾頭に、警戒アイコンが並んで表示されている。アイコンの中には、こちらとの距離がカウントされていた。
500……400……瞬きするほどの間に0へ近づこうとするその表示を、2人は凝視する。
それが人生最後の景色になるかもしれないとは、意識することもできずに。
『神よ……』
アンダーソン大尉の祈りが聞こえた。
(何かできることはないか……!!)
じわりと滲んだ汗が首筋を落ちていく感覚。
ローソン少佐はこのとき、いわゆる『ゾーン』に入っていた。ほんの一秒ほどもない時の流れがゆっくりに思えた。
(センサーの妨害はおそらく失敗する……ならば、残された対抗手段はなんだ!?)
訓練された軍人であるローソン少佐の答えは決まっていた。
対戦車ミサイルが飛んでくる。こちらはそれを妨害してたが、まず失敗する。
従って、狙いが外れてめでたしめでたしということにはならない。
ならば━━それを破壊するか、避けるか。
(ふたつにひとつだ!!)
しかし、M4スティーブンスには物理的なアクティヴ防御システムは備えられていない。
ミサイルのシーカーに妨害レーザーを照射したり、電波のジャミング、赤外線の幻惑などの手段は豊富だが、ロシア製戦車のように散弾を発射してミサイルそのものを破壊するような機構は備わっていない。
むろん、今から外に出て、砲塔の機銃を撃ちまくるという選択肢もあり得ない。
機銃でミサイルを破壊するなどというシーンが成立するのは大衆向けの映画と、厨二病の妄想だけだ。
100年前の戦争で、時速400kmで飛ぶ飛行機に銃弾を命中させることすらほとんど出来なかったのが、人間の照準能力である。
サーキットのスタンドから石を投げて、ホームストレートを走り去るマクラーレンのF1マシンや、ホンダのNSR500に命中させることのできる人間がいるだろうか?
しかも今、空から降ってくる対戦車ミサイルは、それら第二次世界大戦の飛行機より、レーシングマシンより、もちろん新幹線や東京~名古屋を走るリニアよりも速いのだ。
(だが! だからこそ!!)
ローソン少佐は続いて第二の選択肢を検討する。
破壊できないなら、避ける。それは不可能ではないはずだ。
M4スティーブンスのエンジンは、M1エイブラムスの伝統を受け継いだガスタービンである。
他国のディーゼルやハイブリッドと異なり、ダッシュ力に優れた1800馬力相当のガスタービンならば、今から避けることも不可能ではない!
(そう……その通りだが……!!)
しかしローソン少佐は察してしまった。
もしそれが可能ならば、自分がそんなことを考えるより早く、人工知能がそうしているであろう、と。
そして、見てしまった。
正確にはとっくに視界に入っていたが、敵のATMに狙われているという緊張が、認識から排除していたものに気づいてしまった。
360度曲面ディスプレイは、まるで透明な車体の中にいるかのように、外部の光景をあますことなく映し出している。
敵の攻撃がはじまったと知るや、真冬のストーブにむらがる猫のように、M4スティーブンス戦車の背後に、側面に、十人近い歩兵が寄り添っているではないか。
(こういうことだ……!!)
彼らの考えはシンプルである。
鋼鉄の━━そして複合装甲の塊にして、もっとも信頼できる盾である、M4スティーブンス戦車に守ってもらおうというのだ。
敵の銃弾から。砲弾の直撃から。炸裂の破片から。
拳大の石くれ。小さな鉄片。押し寄せる爆風。装甲車輌にとっては何でもないが、人間を殺すには十分過ぎるほどの何かから、身を守る盾としたいのだ。
(前方へダッシュすれば避けられるか……?)
だが、敵に面しているがゆえに、そして主砲があるゆえに。
歩兵たちは正面にいない。前へ進めば、味方をひき殺すことなく回避できる。
(どうする……!!)
ローソン少佐はその選択肢を真剣に検討した。
だが、避けてどうなる?
自分が前へ進んで避けられるということは、M4スティーブンスの周囲にいる兵士達が、その威力を生身で受け止めるということだ。
(………………)
言葉を発するには短すぎ、熟慮するにもまた、短すぎる刹那。
しかし、脳内を電気信号が走り抜けるには、長すぎる一瞬。
(このままでいよう……)
結局、ローソン少佐が選んだのは『見』であり、『承』だった。
彼は何もせず、事の成り行きを見守ることに決めた。
そして、どうなろうと人工知能が下した判断を承認し、支持しようと思った。
<無効化失敗。命中コースです>
無情な早口の人工知能ナビゲーションが流れたと、ほぼ同時に━━
ゴ、キン!
頭の上から音がした。
「………………」
『………………』
ローソン少佐もアンダーソン大尉も無言だった。
耳の中でぐわんぐわんと鳴る残響が消え失せるのを待ってから、2人はゆっくりと顔を見合わせた。
「……生きているか、副車長」
『ええ……少佐もお元気そうで』
そして、タイミングをあわせたように、2人で同時にぐったり肩を落として、シートに沈み込んだ。
外で兵士達が騒いでいる。
どうやら空から直撃した車殲2025の自己鍛造弾頭は、上面を守るセラミック製の複合装甲が防いでくれたらしい。
(実戦でATMの直撃を受けたのは、はじめてだな……こんなに恐ろしいものか)
人工知能と共にこの件をどんなレポートにまとめ、そしてどんな形で上層部へ進言するか。
生きている。生き残っている。
その純粋な喜びに浸りつつも、ローソン少佐はすでに次を見据えていた。
α連合国陸軍・第三機甲師団。
ポーランドへ参陣直後に、野戦司令部へ軽騎兵部隊による奇襲攻撃を受ける。
司令部施設および各種車両・資材へのATM直撃15。銃弾無数。
死者十人弱というその損害は、欧州における戦いの中で特筆されるべき多さだった。