第63話『センシング能力 vs 欺瞞戦術』
(馬鹿め!)
M4スティーブンスの車内でローソン少佐が睨む照準ウィンドウには、彼ら1台1台のオフロードバイクが、そしてまたがるライダーのシルエットまでもが、克明に映し出されていた。
確かに、双眼鏡を覗いて警戒していた者たちの目は、あざむけたかもしれない。
しかし、土煙が遮ることができるのは、人間の持つ肉眼程度のものである。
それはレーダーを遮断するわけでもなければ、高性能な温度センサーをあざむけるわけでもない。
「こちらにはよく見えているぞ、暴走族ども……」
ローソン少佐には、これからのシナリオをありありと思い浮かべることができる。
(奴らは煙幕が自分たちを隠してくれたと思っている……自分たちは安全になったと思っている……)
おそらくその中から一撃をかけ、自慢のオートバイで高速離脱するつもりなのだ。
だが、そうはいかない。
(そうはさせない)
ローソン少佐のM4スティーブンス戦車はもとより、センサーの固まりたる自動防衛システムも、陣地で最新式スコープを睨む歩兵たちも。
そう、彼らはオートバイの集団をただの一台たりともロストはしていない。単なる土煙など誤魔化しにもならない。
2035年における、α連合国陸軍の捕捉能力とは、そういうレベルなのだ。
(こちらから仕掛ければ、いつでも叩き潰せる……)
主砲で、ミサイルで、あるいは自動小銃でも。
十分すぎるほどの虐殺劇を展開できる。
それでもα連合国陸軍が先制攻撃を仕掛けないのは、彼らがよく出来たオモチャを手にした民間人の可能性があるからだ。
陣地の近くでふざけていたポーランド市民を殺戮した━━そんな汚名をなんとしても避けるためだ。
(何より……)
向こうから第一撃を受けても、完璧に防御してのける自信があるからだ。
(さあ、どうする……?)
彼らオートバイの一団から、撃ち始めたなら。
あるいは、彼ら自身の展開した煙幕からさらに進んで、ルビコン川の警戒ラインを渡ったならば。
その時こそ、容赦なく自動防衛システムの攻撃に晒される。そして、M4スティーブンスも発砲を始めるつもりだった。
だが偶然なのか、綿密なリサーチの結果なのか、どうもオートバイの一団はその距離を心得ているらしい。
(なんにせよ、こちらの対処は万全だ……)
━━だが、そんなローソン少佐のシナリオは唐突に覆る。
~~~~~~Deep Learning War 2035~~~~~~
「汎センサー攪乱スモーク、排出はじめ!!」
もうもうと立ちこめる土煙の中、ワールガ大尉は叫んだ。
『スモーク!!』
『おいしい白煙をお見舞いしてやれ、みんな!』
たちまち、彼らは一斉にオフロードバイクのエンジンを吹かしはじめた。
吹かすと言っても、クラッチを切っているので、前には進まない。エンジン空回りの状態である。
だが、その効果は劇的である。オフロードバイクのマフラー……否、チャンバーからは土煙ではない、凄まじい白煙が吹き出しはじめた。
(この匂いがたまらない……)
たちこめるカストロールの甘い香りに、ワールガ大尉は思わず頬をにやけさせる。
一見ふざけているかのようだった。あるいは、錯乱でもしているかのようだった。あまりに不可解な行動だった。
そこに揃っている要素は、どう考えてもα連合国陸軍に有効とは思えなかった。
すなわち、オレンジ色のオフロードバイク。そのままレースに出ることも可能なReady to Raceのオーストリア製。
すなわち、ぽっこりと膨らんだ排気管。2035年ではほぼ絶滅しかかっている2ストロークエンジン。
さらに土煙。そして、大量のオイル粒子を含んだ排気煙。
その甘い匂いはレースでも潤滑油として使用されるひまし油の焼ける匂いであり、遠い昔からモータースポーツ関係者が愛してきた香りでもある。
━━しかし、無意味なはずのこれら組み合わせが劇的な効果を生んだ。
~~~~~~Deep Learning War 2035~~~~~~
(どういうことだ!?)
ローソン少佐は驚愕に目を見開いていた。事の成り行きを見守って━━もちろん、肉眼ではなくセンサー越しに見ていた者達も、それは共通だった。
敵の姿が見えなくなったのだ。
レーダーや温度センサーの認識が、突然、乱れはじめ、シルエットや距離、温度に至るまで完璧に捕捉していた目標を、ロストし始めたのである。
<目標の認識が不可能になりました>
「故障か!?」
<いいえ。すべての索敵センサーから有意な反応を拾えなくなりました。
この現象は未知のものであり、サルベージしたデータはラボの解析に有用と思われます。戦闘では無理をせず、撃破された場合は、ストレージの回収を最優先に━━>
「くそっ!」
ローソン少佐は砲塔内の360度に広がる曲面ディスプレイの一部を蹴りつけた。そこには『LOST』の赤い表示がある。
(M4のセンサーは水の中にいるニンジャだって見つけられるんじゃなかったのか!!)
不具合、バグ。そういった単語が次々と浮かんでは、消えていく。
だが、ローソン少佐は訓練された軍人だった。
そして、未来の軍人と異なり、人工知能によるサポートを━━あるいは人工知能に全て任せきることを前提とせずに、自力で戦える軍人だった。
「車長用ハッチ開放! 目視で敵を確認する!」
アンダーソン大尉がぎょっとした目でこちらを見ている。
人工知能は異議を唱えることなく、ハッチの電磁ロックを解除するカチリという音で応じた。
構わずローソン少佐は、砲塔頂点部にあるハッチを開けて、外界へ頭を半分だけを出す。
戦車乗りが最後に頼れるものは己の五感なのだ、とでも言うように。
「!!」
そして、赤い光がα連合国陸軍・第三機甲師団の野戦司令部へ押し寄せてきたのは。
まさにローソン少佐がセンサーではなく、肉眼で外の世界を見ようとした、その瞬間だった。
~~~~~~Deep Learning War 2035~~~~~~
『汎センサー攪乱スモーク、噴出終了まで残り15秒!』
「ATM班、構えろ!!」
土煙と白煙の中、瞼とキスするほどの距離で、タイムウォッチを確認している部下たちの叫びが聞こえる。
汎センサー攪乱スモーク。
何のことはない。それは単なる排気煙。2ストロークのオフロードバイクから噴出する、白い煙のことである。
しかし、その噴出口━━正確には、噴出口直前にある円筒形のサイレンサーユニットに仕掛けがあった。
そこには金属の微粒子をはじめ、発煙・発火・そして無数の波長で発光する素材を丹念に混ぜ合わせるミクスチャー・ユニットが取り付けられており、考え得る限り、あわゆる探知手段に対して欺瞞を行うのである。
(あるいは、こいつが4ストロークエンジンだったら……俺達はもう死んでいたかもな)
ワールガ大尉はにんまりと笑う。
4ストロークエンジンは一般に白煙を発生させない。
それだけではない。排気系統の温度が違うのである。
ターボほどではないにせよ、2ストロークに比べ、自然吸気4ストロークの排気系統は、どうしても局所的に高熱となり、熱センサーによる探知を容易とする。
『匂いはともかく、こう煙くてはたまりませんね!』
「もう少しだ、我慢しろ!」
立ちこめる土煙と白煙。さらに発煙と発火粒子。
彼らは花火の中にいるようなものだった。周囲はひどい熱気である。根を上げそうになる者もいる。
だが、この熱さこそは彼らの隠れ蓑だ。
(こいつはただの熱さじゃない……俺達ただの人間がギリギリ耐えられる熱さだ!)
周囲の温度は平均45度弱。
エンジンや排気管には保護材がたっぷりと巻き付けてあり、熱放射をできるだけ少なくしている。
(それも計算された、『平均的な』熱さだ!)
熱センサーは単に高熱であるから探知するわけではない。周囲との温度差が大きければ大きいほど、鋭敏な探知が可能となるのである。
つまり体温36度の人間の隣に摂氏150度のエンジンマフラーがあれば、どうあがいても探知をあざむくことはできないが、その温度が50度に下がるだけでも、希望は見えてくるのだ。
(俺達がやっているのは、全体の温度分布……その平均化だ!)
この観点から、最終的な発熱量はむしろ4ストロークより大きいものの、熱の平均的な分布が低温寄りの2ストロークエンジンは有利となる。
かてて加えて、彼らが汎センサー攪乱スモークと呼ぶ2ストロークの白煙には、低温で燃焼する発火粒子や、レーダーを欺瞞する金属の微粒子、さらにはアルミの薄片までもが大量に含まれている。
(とはいえ、ここまでやったとしても、うまく行ってるのかどうかは……コーナーの向こうにいる神様次第さ!)
そう、彼らは神ではない。ヒトである。
考えられるかぎり十分な対策をしてきたつもりだったが、それでも今の自分たちはα連合国陸軍から丸見えではないか、とも思う。
何がうまくいって、何がうまくいっていないか。
あるいは、何もかもがうまくいって、何もかもかがうまくいっていないか。
戦場では知る術などないのだ。
だから、祈るしかない。
「5秒後! ATM発射と同時に全火器を後方に掃射しつつ、撤収する!」
奇妙なことに、ATM班はまるで映画のワンシーンのようにそのロケットを前後反対へ向けて構える。
小銃や機関銃を持つものに至っては、片手持ちだったり、即席のカーゴキャリアを単脚としたり、サバイバルゲーマーが落第点を出しそうな勢いで、乱雑に、しかし、まっすぐに後方へ存在するはずのα連合国陸軍第三機甲師団・野戦司令部へとその火力を指向する。
「撃てぇ!!」
次の瞬間、ワールガ大尉は愛機であるKTM製オフロードバイクのスロットルを全開にした。