第60話『B-21レイダー爆撃機は観測し、リンクする』
「こちらはマモラだ。天気は不良なれど、任務遂行には問題なし。
敵が現れたらいつでも言ってくれ」
『了解。よろしく頼む、空の主天使さんよ』
「さて、天使なのか悪魔なのか……どっちなんだかな」
ローソン少佐をはじめ、α連合国陸軍・第三機甲師団がポーランドの平原に集結を終えつつあった頃。
わずかに後方━━つまり、ドイツ・ポーランドの国境上空付近では、マモラ中尉のB-21レイダー爆撃機が旋回をつづけていた。
(集結地点はポーランドの領域に数十キロばかり入った地点か……まだ交渉の望みは捨ててないってか?)
空は晴れ渡り、地平線がほんの少しだが、丸く見えるように思える。
見通しざっと一千キロというところだろうか。欧州全土がこれほどの快晴に恵まれる日は、1年のうちでもそうそうないだろう。
が、マモラ中尉にとっては。
(まったく、最悪の天気だ)
さらに言えば、ステルス爆撃機にとってはお世辞にも嬉しくない天気である。
(ここまでよく晴れてると、光学観測で発見されかねないぜ……)
大気というものは、人間の想像以上に異物で満ちている。
ミクロン単位の微粒子や化学物質から、遠い土地で巻き上げられた砂埃、さらには花粉や微生物の死骸まで舞っているのが、ごく一般的な大気というものである。
もちろん、雨が降れば水分が。雨上がりには水蒸気が。高高度では雨になる前の氷が存在する。
それらすべてが光学的な観測をさまたげ、ステルス機にとっては隠れ蓑となる。
しかし、繰り返すが━━今日の欧州全土は、実によく晴れている。
(今日はバッド・デイだ)
だからこそ、天気は不良なのである。最悪の天気なのである。
彼にとって隠れ蓑になるものが、あらかた取り払われてしまっているのだから。
(こいつにとっちゃ、天気なんて少し荒れてるくらいでちょうどいいのさ)
B-21レイダー爆撃機のコクピットに備わっている、360度曲面ディスプレイは、M4スティーブンス戦車と基本的に同じ構造である。
下方視界モードをオンすれば、パイロットシート直下にある光景すら映し出すことができる高精細なディスプレイ。
それを構成する無数のピクセルひとつひとつが、地面にいるはずのポーランド住人たちまでも、映しているのではないと錯覚してしまう。
(せめて……夜ならなあ)
そこにいない月を呪うように、マモラ中尉は宙の一角を見つめる。
太陽が沈んだ暗闇。もちろんそれはB-21の味方である。ところがどうだ。現在、太陽は真上にあり、黄昏すらまだまだ遠い。
「こりゃあ……」
上層部の連中は油断したかもな、とは。
口に出さず、マモラ中尉は言葉を切った。
このコクピットではすべての音声が録音され、ナビゲーション・コマンドとしても使用することができる。
さすがに英語で考えれば飛べるほど、B-21のシステムは進歩していないが、あまり迂闊なことを独りごちるほど、彼は軍という組織を信頼もしていない。
━━と、その時。通信が入った。
『ドミニオン・ワン、ドミニオン・ワン。こちらはレスラー・スリー』
「受信良好。こちらはドミニオン・ワンだ」
『陸上部隊の前方、およそ50kmに高速で接近する一団がある。かなり小さい車両のようだ。
こちらのレーダーでは脅威度を判定できない。そちらの光学観測情報をリンクしてほしい』
「ドミニオン・ワン、了解だ」
レスラー・スリー。つまり、後方数百キロで全天と全地を見張る、統合型AWACSからの要請を受けて、マモラ中尉は自機のナビゲーションシステムに音声コマンドを入力する。
「リンクSを起動。光学観測を行う。
座標52.368、14.797。繰り返す。座標52.368、14.797だ」
<座標52.368、14.797に対して光学観測を開始します。天頂衛星を通じて、データをリンクSで連携します>
B-21レイダーは絶対的ステルス機である。
その機体が反射する電波は極端に少なく、通常の手段ではまず捕捉されない。
(だからといって、こっちから電波をぽんぽん出すわけにもいかない……)
受信の際は問題ない。電波が向こうから飛んでくる。問題は自分から発信する場合である。
そこでB-21の機体には、空の天頂方向へ向いた、小さなホールカップ状のアンテナユニットが装備されている。
軌道上に存在するα連合国の軍事衛星へ向けて、極端に絞り込んだ電波のビームを放ち、第三者に捕捉される可能性を極小にして通信を行うのである。
(とはいえ……)
ごく短い間の受け答えであれば、バースト送信によって一瞬で完了する。だが、B-21自身が観測したデータを軍事用リンクネットワークを使って連携するとなれば、話は別である。
あくまで通信は空の真上へ向けて行われるとしても、そのデータ量は飛躍的に多く、しかも連続的なものとなる。
電波とは気まぐれなものだ。電離層の状態や気象の偶然によって、真上へ向けて放ったはずの電波が、地上へ反射していく可能性はゼロではない。
まして、雲一つない今日の欧州の天候では━━
<観測データの送信を完了しました>
「ふう」
『こちらはレスラー・スリーだ。データの受信は問題なし。解析結果が出たらそちらにも伝える。助かった、ドミニオン・ワン』
「ドミニオン・ワン、了解」
およそ数分をかけて、B-21レイダー爆撃機が備える高性能光学カメラのデータは、衛星経由で全軍へと送り届けられた。
(冷や冷やするぜ……)
探知の可能性がどれだけ低いとしても、マモラ中尉にとっては緊張の時間であった。
今にも地上から対空ミサイルが発射されるのではないか。そんな恐ろしい想像に、身震いするほどである。
『解析が完了した。どうやら脅威ではないようだ。乗用車よりもずっと小型の一団が移動しているだけだ』
「そいつは何よりだ。ガゼルの群れがポーランドにもいるっていうのかい?」
『いや、これはオートバイだな。マスツーリングに出かけているだけだろう』
「なるほど、オートバイね。
そんなもんを早まって攻撃してたら、軍法会議で有罪、ラグナ・セカのコークスクリューでクラッシュする刑だな……」
最後の言葉はレスラー・スリーには届いていない。伝える必要がないからである。
であるならば、応答を━━つまり、電波を出す必要はないのだ。マモラ中尉は自分の唇が動く前に送信モードをオフにしている。
(オートバイ……ね)
ふと、そのとき。
中東地域が荒れに荒れていた時代。
ムスリム聖戦士たちはホンダ製の125ccオートバイを『軍馬』と呼んで愛していたという━━そんなことが思い出されたが、どちらにせよマモラ中尉には関係ないはずのことだった。
(そいつらと地上の連中がすれ違ったりするかもな……)
そう、空中から脅威ではないと判断された以上。
何か起こるとすれば、それは地上にいる陸軍との間で起こるのだ。