第55話『アウグストドルフに戦車乗りたちは黄昏れる』
「これからどうする、中尉」
『もうすぐ中尉でもなくなりますがね。
大尉こそどうされるつもりなんです?』
「俺の方こそ、大尉でなくなるさ」
ドイツ・アウグストドルフ演習場から少々離れたキャンプ場の一角。
突如としてα連合国との開戦を……そして、フランス・ドイツ両政府による停戦を知らされた欧州統合軍・第一機甲師団の戦車乗りたちは、行き場を失った放浪者のようにひとかたまりとなって、天幕を連ねていた。
なぜ軍人たる彼らがこのキャンプ場にいるか。
それは演習場からの退去命令を受けたからである。
(そりゃ戦争は終わった、故郷へ帰れ、ってのは分からなくもないが……)
レオパルド3戦車をはじめとする正面装備の一斉を持ち出せなかった彼らは、丸腰に近い状態だった。
せいぜい、各人が携帯してきた拳銃と、軍用天幕や通信機器の類い。
何より、その服装くらいが軍人らしい所持品と言える。
(うまくすれば、いまごろ主砲の修理もできていたかもしれないのにな……)
そんな悔しさをかみ殺しつつ、ミハエル大尉は戦車の10分の1にも満たない超軽量自動車を見た。それは彼の愛車たるGM製のピックアップトラックである。いっそのこと、これをテクニカルに仕立てて抵抗を続けようかと思ったりもする。
『せっかく大尉にまでなったのに、もったいないですね』
「退官━━いや、免官かもしれんな。
とにかく、階級を取り上げられる前に、俺のクルマのロゴを隠しておく必要がありそうだ。通りすがりの群衆に撲殺されかねん」
『途上国でもありませんし、α連合国のクルマに乗っているだけで、襲われることもないでしょう』
「実際のところ、車検の更新ができないくらいは覚悟してるよ」
憂鬱な表情を隠さない元・砲手のヴァルタザール中尉を見て、元・車長のミハエル大尉は明るくおどけてみせるが、今やそんな上下の気遣いも不要なのだと思うと、寂しい気持ちになる。
(……あっという間だった、な)
ほんの一ヶ月前は当たり前の日常が流れていたのだ。
欧州統合軍の最新鋭戦車乗り。それはミハエル大尉が思い描いていたキャリアとして、理想的なはずだった。
ゆくゆくは大隊長や連隊長にもなれるかもしれない、と夢想するほどには、羨望の的だった。
しかし、それが突然にひっくり返ったのである。
それも、ほんの数日。決定的な部分にいたっては、たったの1日しかかからずに。
「90年前は……1ヶ月以内に戦争を終わらせたら『電撃戦』なんて言われたもんだが、今度は数日か。
とんでもなく加速しちまったな」
『経済も、政治も、産業も、通信も、そして戦争のやり方も。
何もかもが速くなりすぎました。人間の認識できる領域を、とっくに超えてしまったのでしょう』
「それにしたって、こいつはなあ」
見渡すキャンプ場にたむろする、元戦車乗り達の表情は呆然自失の一色である。
もちろん彼らは訓練された軍人である。
パニックに陥ることもなければ、自棄になることもない。
そして、彼らは優秀な戦車乗りだった。
あらゆる状況を想定して訓練を重ね━━だからこそ、戦う前から自分の戦車が撃破されるようなこともあり得ると理解していた。
(そりゃあ、戦車が戦車と戦わせてもらえたら、神様からのプレゼントって時代だからな)
戦車最大の敵が戦車であった時代は、歴史の中できわめて短く、その舞台も限られている。
(……あの時代に生まれた戦車乗りは幸せなのか、そうじゃないのか)
求めれば戦車が戦車といくらでも決闘できた、歴史上のたった1ページ。
地球上でも唯一のステージ。
それはすなわち、第二次世界大戦の東部戦線━━つまり、ナチスドイツとソ連の戦いのみである。
他の時代・戦場において、戦車が真っ先に遭遇するのは、なんといっても航空機であり、そして火砲であり、さらには歩兵である。
(そりゃあ戦車に乗ったら、戦車と戦いたいって思うさ……)
それは戦闘機乗りが一対一のドッグファイトを夢見るような心境であり、狙撃手が敵の凄腕スナイパーと対決することを夢想する程度の自然な願望である。
しかし歴史は冷厳であり、戦争は個人の希望など一斉考慮しない。
それを知ればこそ、ミハエル大尉と戦車乗りたちはそんな夢のような局面は訪れないだろうと思っていた。
だがそれでも、ひょっとしたらと夢見ていた。
「……結局のところ、現実はこのざまだ。
戦う前からやられるどころか、俺達は戦争が始まったことすら知らないまま、翼をもがれたってわけだな」
『それにしても上層部は何を考えているのかと思います。
修理さえできれば、我々の戦車は復活するはずです。その手配すら試みないうちに、α連合国の要求に屈するとは』
「━━降伏ではない。
降伏ではない、が……不測の事態を避けるためにも、欧州統合軍の中核は撃破された装備を遺棄して、現地点より直ちに退去してほしい、か。
建前こそ整えてるが、うまいところをついてる。戦力の再整備は絶対させないつもりさ」
撃破された最新装備を修理することも許されず、持ち場から追い立てられたのは、実のところミハエル大尉たちだけではない。
なんと言っても航空機。そして艦船。それらのほとんどすべては、DSBによって、一時的な損傷を受け、それを修理することを停戦後の交渉によって阻まれたのである。
もっとも、唯一、α連合国が開戦第一撃で手を出せなかったのがフランスの原子力潜水艦隊だった。
万一にも撃ち漏らせば、そのまま核戦争に発展する可能性が高い、欧州最後のジョーカー。
その動きを封じたのは、パリの大統領官邸に強襲をかけた、デルタ・フォースの直接交渉であったことは、すでに語られた通りであり、そしてこの時点ではミハエル大尉をはじめ、欧州のほぼ全員がまったく知らない歴史の秘密である。
『それにしてもα連合国はなぜこんな電撃的な……しかし、まるで実感のない戦争を仕掛けてきたのでしょうか』
「実感がないからこそ、重要なんだ。
今回の戦いは俺達からしたら、まったく不名誉な負け戦だ。
だがな……ギリギリ意地にならないタイミングで、両手を挙げられる負け戦でもある。
なにしろ、うちの師団は死者ゼロだからな。他の部隊でも死人はほとんどいないらしい」
『つまり、我々の先祖とソ連が戦ったときは、人類史上最大の死傷者数を記録し、90年経った今回の戦いは死人がゼロに近い状態で終わるというわけですか』
「最大から最小への劇的な推移だな。
もっとも、とにかく正確な情報がつかめてない。案外、ハンブルクは焼け野原かもしれん」
『不謹慎ですよ、大尉』
「じゃあ、パリは燃えているかもしれん」
『はははははははは』
それもそれでナチスドイツ国防軍との関係を絶っているはずのドイツ連邦軍将兵としては、恐ろしく不謹慎な発言だったが、ヴァルタザール中尉もヤケになっているのか、肩をすくめて笑い声をあげた。
『本当にこれからどうなるんでしょうね』
「さあな。とにかく欲しいのは正確な情報だよ。
無線機いじってる連中が何か掴んでくれるといいんだが……」
ミハエル大尉、ヴァルタザール中尉をはじめとする、元欧州統合軍・第一機甲師団の面々はそれからもキャンプ場に滞在を続けた。
だが、諦めはいつかやってくる。ヒトの意志は永遠ではない。
砂の城が崩れるように、彼ら戦車乗りたちがいなくなるまでには、まだ数ヶ月の時が必要である。