第52話『S・パーティは興奮する』
時系列はわずかにさかのぼる。
「面白くなってきたわね」
日本でキミズ叔父の命を受けた『実行部隊』たちによる、盛大な部屋内の捜索が行われていた頃。
太平洋をまたいだ通信セッションを切断し、眠気覚ましのコーヒーをドリンクマシーンから取り出したS・パーティは、なんとも愉快そうに微笑んでいた。
時刻はまだ黎明には至っていない。完全な深夜であり、寝直すことも十分できる。
「あ、ふ……」
それでもあくびをかみ殺しながら、処理をしなければならないほどには、『予定されていた日本との通信が行われた』というイベントは大きいものだった
もっとも、眠い目をこすりながら作業しているのは、彼女だけではない。
今頃はNSAの人間が電子的な意味での後始末をしていることだろう。
(今はまだ追えるかもしれないけれど……ものの数分もしないうちに、世界のどんな組織からも追いかけられなくなるわ)
α連合国からの国際通信は、日本はおろか全世界のあらゆる国々と断絶状態にある。
実際のところ、共同参戦状態にある英連邦の国家機関については、限定的な通信が維持されているものの、2035年の常識で考える『通信』はまったく不可能と言ってもよい。
(でも、ハードウェア的にはつながっているわ)
公にされている海底ケーブルを切断したといっても、α連合国が秘密裏に敷設した軍用ケーブルや、他国が敷設しながらα連合国に存在を悟られなかったケーブル。
さらには実際には通信不能でありつつも、物理的に接続されたままになっている陸上経由の通信ケーブルなど、『通信を遮断した側』がその気になれば、開けるルートはいくつもある。
『失礼します、ミス・パーティ』
「あら、ご苦労様。NSAはこんなときも働き者ね」
『こんな時だからこそ、です。セキュリティの事後処理は完了しました』
「ありがとう、働き者の……ええと、スミスさん」
音声チャットに表示された、おそらく公的な偽名であろうNSA職員の名前を読み上げながら、パーティは笑った。
(次はどんなルートで通信するのかしらね)
今回、S・パーティがどのように日本と通信を確立したか。
その方法を簡単に説明すれば、北極海に面したベーリング海峡を無線で横断する、陸上経由の通信網を通して、α連合国の『門』にあたるいくつかの中継器に対して、品川プリンツホテルのスティック・コンピューターから、特殊な暗号パケットが送信されたからである。
(言うなれば、閉ざされた門を開く魔法の鍵というところだけれど……)
実にその時その時点。
日本では品川プリンツホテルの一室にある、小さなスティック・コンピューターだけが、α連合国への通信を行えたということになる。
むろん、他のコンピューターが通信を紛れ込まれることは不可能である。通信パケットへ細工をしたとしても、意味はない。
アナログ無線ではあるまいし、コンピューターによるネットワーク通信とは、そんなに単純なものではないのだ。
と、その時、続いてS・パーティの元へ通信が入った。
『どうやら首尾良く行ったようだな』
「ええ、すべては順調よ」
ベッド脇にあるディスプレイへ映っているのは、1人の軍人であった。今度は音声チャットではなく、映像通信である。
もっとも、映像通信といっても正確には片方向だった。
S・パーティはカメラの利用を許可していないため、着替え中の肢体は軍人━━すなわち、ファイブ・スターの元へ送信されることはない。
「これで川野コウの叔父、つまり日本政府与党の大物工作員から、私たちの要求が首脳に伝わるわ。
しかも、省庁の余計な人物を介さず、ね。
これはなかなか普通の政治家や著名人にはできないことなのよね」
『確かに首脳レベルへの直接的なチャンネルを持つ在野の人間は限られているからな』
そう言いながらうなずくファイブ・スターの表情には、およそ疲労や眠気というものが見られなかった。
『もっとも、昔の日本ときたら、ころころと首脳が入れ替わるものだから、1年後には使えなくなることも多かったが……』
「それでも政党レベルではおおむね安定していたわ。
例外はあるけれどね」
それはいかなる意味を持つ数字か。
ディスプレイの隅に映る、2009~2012という暗黒の数字を見つめながら、パーティは言った。
「今更だけど、ホットラインじゃダメだったの?」
『まさか大統領の口から直接、こんな要求を突きつけるわけにもいくまい』
「まあ、そうね。
何がなんだかよくわからないα連合国の中でも、さらになんだかよくわからない国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』。
その『使徒』。
つまり、私━━S・パーティという、軽いのか重いのかよくわからない存在だからこそ、伝えることができた内容よね」
『君が自分を卑下するのは珍しいな』
「ときどきね、思うことがあるのよ」
パーティは指折り数えながら言う。むろん、その姿はカメラの映像としてはファイブ・スターに伝わっていない。
「1つ、実際に危険を冒して戦う軍人たち。
2つ、大規模なクラッキングを駆使して電子戦を完勝した技術者たち。
3つ、様々な業務に従事していた数え切れないほどの政府職員たち。
最後に……国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』、そのもの。
これらの力に比べて、私という存在は風に吹かれる羽毛よりも軽いわよね」
『国家的事業においては、誰しもがそんな程度に軽くなってしまうものだ』
「あら? あなた、つまりファイブ・スターでも?」
『もちろん。私だって駒の1つに過ぎんとも。
いや、駒にすらなれないネジの螺旋、その一部だろうな』
「大きいわよねえ……国家っていうのは」
『だからこそ、ヒトを魅了する。
だからこそ、ヒトたる生を捧げる価値がある。
しかし、だからこそ━━とても、ヒトの手では制御しきれないところまで来てしまった』
自室で通信を行っているパーティに対して、ファイブ・スターは国防総省の執務室にいた。
彼はその階級にふさわしい上等な椅子に身を沈めている。
しかし、あまりに深く…へ心地よすぎる椅子だとも思う。
そのまま沈んで、自分の姿が消えてなくなってしまいそうな錯覚に襲われることもある……。
『だからこそ、我々は国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』という人造の擬神に頼っているのだろう』
「そうね。
どんな利権にも振り回されることなく。どんな短期的利益に惑わされることなく。どんな介入にもひるむことなく。
どんな犠牲すらも必要とあれば正当化する、神を擬した擬神」
『平均的なヒトはあまりに弱い。
しかし、優秀なヒトもまた、あまりにヒトゆえのしがらみが多すぎる。
国家中枢へ近づけるほど優秀なヒトなら、なおさらのことだ』
「弱いヒトは目先の利益に走る。目先の欲望におぼれる」
『優秀なヒトはしがらみに縛られる。分かっていても正しい決断を下せない』
「それらを一挙に解決するのが人工知能」
『ヒトの知性を超えた、技術的特異点の向こうに生まれた国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』というわけだ』
不意に、彼女と彼は黙り込んだ。
お互いが何を考えているかは分からない。
だが、それはきっと『ヒト』という種についての思考であろうと、パーティもファイブ・スターも確信していた。
「ここで立ち止まるわけにはいかないわ」
『そうとも。
ここで立ち止まったら、『ヒト』という種は限界だと宣言するようなものだ』
「人工知能に頼る。けれど、それは全てを委ねるのではない」
『最終的な発展は……我々ヒトのためだ』
「それこそがAI-HI主義が最終的に目指すものよ。
日本に、世界にそれを分からせる必要があるわ。
━━分からせてみせる」
果てしなく遠い何かを見据えて、『ハイ・ハヴ』の『使徒』は言った。