第50話『小手調べ』
「もちろん、あんたのメッセージは一言一句漏らさず、幹事長や官房長官に伝えるが……」
はげ上がった頭をぽりぽりとかきながら、キミズ叔父は言う。ふと、コウは疑問に思った。そこは首相ではないのかと。α連合国で重大事件があれば、真っ先に大統領に報告されるだろうと。ならば、この日本では首相に伝えるべきではないかと。
「……さすがというべきかしら」
「首相は忙しいんだよ。
ビジョンを持ち、それを知らしめ、推進するのが日本国首相の役割だ。通信閉じて黙りこまりの擬神なんぞのたわごたぁ、そりゃまあα連合国のお達しとあっちゃ無視はできねえが、まずは幹事長あたりで検討するのが妥当ってもんだろう?」
「変わっているのね、この国は。
そんな悠長なことで時間を浪費していると、緊急事態に間に合わないかもしれないわよ?」
「地震に津波、火山に台風。あんたらは人工知能の助けをかりてもアワーオーダーの対応がせいぜいだろうが、こっちは分オーダーだ。
一緒にしてもらっちゃ困るね」
熟慮の上、言葉を返すのは誰にでも出来る。誤魔化しや言い逃れを繰り返すことも、大した訓練を要しない。
(すごいな……)
しかし、相手の言葉とその背景━━すなわち、意図するところのもの、取り巻く事情、さらにはそれらを推測することで見えてくるものまで、把握した上で、何らかの『一撃』を返すことは常人にできるものではない。
凡人と凡人が熟慮の末にメッセージをやりとりするより遙かに上のコミュニケーションを、賢人と賢人は待ち時間無しの会話でやってのける。
(頭の回転速度が違いすぎる)
ゆえに川野コウは叔父を尊敬する。そして、S・パーティをもまた、ただ者ではないと再認識する。
「なんだって、こんな無条件降伏勧告を持ってきた?」
━━キミズ叔父は、畳みかけるように事の本質を告げた。
「無条件降伏? とんでもない。共に手を携えて、新しい世界を作りましょうという、誘いよ」
━━『ハイ・ハヴ』の使徒は、信仰告白するようにうっとりと歌い上げた。
「違うね。こいつは降伏勧告だ。
それも、α連合国という国家や、新しい世界とやらじゃない。
アイハイ主義同盟という新しい宗教……神のもとにひざまづけ、という勧告だ!」
「私たちはイスラーム帝国ではないわ。人頭税なんか取るつもりはないわよ」
一つ、キミズ叔父は言った。この要求は実質的な降伏勧告であるのみならず、思想・宗教的な意味で、日本国に人工知能へひざまづけという勧告であると。
一つ、S・パーティは言い返した。自分たちは拡大する新興の一神教ではない。よって、異教徒の生存を税を取って許すような、寛大の顔をした明確な差別政策を取るつもりはないと。
「だいたい、名前が気にくわないんだよ」
「じゃあ、何と呼べば気に入ってくださるのかしら?」
「北大西洋人工知能条約機能|《NAIATO》」
「で、自分たちは加入しないつもり?」
「そりゃあ、太平洋じゃないからなあ」
にんまりと。そして、うっとりと。それぞれに色は違えど、波長のよく似た微笑みを浮かべながら、視線と視線がぶつかり合う。
たとえ、ディスプレイの向こうにいるとしても━━そして、相手もまたディスプレイごしに見ているとしても、視線がぶつかり合う点では音もなく、光もなく、確かに火花が散っている。
「おもしろいわ、ミスター・キミズ」
そのとき、S・パーティは初めてその名前を呼んだ。
「この戦争が終わったら、ぜひ、私の仕事を手伝ってちょうだい。
あなたはとても有能なエージェントになれるわ」
「ゲーレン機関の長くらいのポストを用意してから、声をかけてくれ」
「あいにくと、欧州の諜報機関は選定が終わっているの。
あなたにはぜひ、中国の調査をお願いしたいと思っているわ」
「中国……だと?」
動揺というほどではない。だが、そのとき、初めてキミズ叔父はS・パーティの意図をはかりかねるように、眉をひそめた。
「一応聞くが、『中国地方』じゃないんだな?」
「China、よ。Cyuugokuではないわ。
日本語にも困ったものね。表音と表意をあわせて使うから面倒なことになるのだわ」
「しかし、だからこそ、表現できるものも広い。
英語がサブカルチャーのラテン語になれなかったのは、そういうこった」
「……たまたま、日本のアニメがグローバル化の時代に流行っただけよ」
「しかし、解せねえなあ」
一瞬だけ、それまでの丁々発止たるテンションに戻ったかと思えば、やはり、キミズ叔父は困ったように首をひねる。
その仕草は演技ではない。心の底から不思議がっている。あるいは、不思議がるその数秒を利用して、予想していなかった局面への対応策を考えているのかもしれなかった。
(……僕なんかはそういう……なんていうか。
『思考の動き』を追いかけるだけで精一杯だな……)
自嘲するように、コウは心中で呟いたが、それもまた、一つのスキルであることに彼は気づいていない。もちろん、隣でひたすら表情に『?』を連発しているキノエに至っては、言うに及ばずである。
「とぼけないでちょうだい」
S・パーティは、キミズ叔父が本気で不思議がっていることに気づかなかった。
見抜けなかったのか。あるいは、『不思議がっているように見せている』ことを見抜いたのだと、確信したのか。
とにかくそのドヤ顔は、この状況でキミズ叔父の態度を読み違えたことを示していた。
(ここから……かな)
右の拳を打ち出せば左。左足を出せば、右足。
まるで鏡のように、お互いの一手一手に完璧な対応を見せていた、S・パーティとキミズ叔父が、はじめてスレ違いを見せた瞬間だった。
そして、はじめに間違えた者━━つまり、S・パーティは言う。
「あなたが長い間、中国大陸で内戦に対応する工作員として活動していたことは、調べがついているのよ」
おそらくそれは非常に重要な情報のはずだった。厳重に隠されていたはずだった。
だからこそ、それを暴いたのだ! と宣言し、突きつけるS・パーティの表情は、とても自慢げだったのだ。
「……ははあ」
キミズ叔父はそれに対して、ややひきつったような笑みを浮かべた。
長年、政治の世界に浸っていたものなら、戦後最長の政権を維持したある首相の笑い方に似ていると思ったかもしれない。
だが、同時にその者は指摘するだろう。あの笑みは恐ろしい笑みだ。サービスや人気取りとは本質的に異なる、信念と忍耐を秘めたサムライの笑顔なのだと。
「そうか。そうかそうか……そうかあ……すっかりバレてたか」
「私たちを侮ってもらっては困るわ。
あなた達の情報はすべて丸裸だと思ってちょうだい」
淡々とパーティは宣告した。
(……僕に言うときだったら、背中とかちらっとさせながら言ったのかな)
思考の片隅でそんな思考に浸る自分は、結構色ボケなのかもしれないとコウは思う。あるいは、S・パーティにそれだけ惹かれているのか。確かなのは、僅かな心境の変化に気づいたキノエに頬をつねられている痛みだけだ。
「ま……そういうことなら、そのつもりでいるわ」
「理解してくれて嬉しいわ。
さて、あなたも知っている通り、現在、α連合国への通信は遮断されているけれど、このスティック・コンピューターはごく僅かな生き残りから高度なセキュリティセッションを構成するようになっているの」
「つまり、自分たちの都合のいいようにだけドアを開けられるってわけか」
「そういうことね」
キミズ叔父はよくわからない、という顔だった。
しかし、それはフェイクである。コウにも分かるし、S・パーティにも伝わっている。この『見抜き』は正しい。
「ミスター・キミズ。あなたがコンピューターテクノロジーに一定以上の見識を持っていることは把握しているわ」
「こりゃすまなかったな。丸裸って言われたばかりなのに」
「1ヶ月に1度、定例の会合を開催させてもらうわ。
日付が近くなったら、こちらから連絡します。
場所を指定するから、そこでネットワークにつながっているディスプレイにこのスティック・コンピューターを接続してちょうだい」
「……つまり1ヶ月のあいだは、いじり放題解析し放題ってわけか」
「解析するのは自由だけど、故障したら日本国はα連合国との唯一のチャンネルを失うわよ。
それと暗号化されたデータの解析は、現在最速のスーパーコンピューターを動員したとしても、数年はかかるわ。
まあ、あなたの国で量子コンピューターでも実現していれば、話は別だけれど」
キミズ叔父は答えなかった。ただ、肩をすくめて了解と。そして、さしあたりの参ったを宣言しただけだった。
「それじゃあ、今日はこれでオヒラキね。
……ああ、そうそう。次の会合にもコウは同席させてね」
「コー坊を?」
「待ってくれ、なぜ僕が━━」
「コウのことが一番気に入った、って言ったでしょ。
バイ、コウ。次に会うときまでにもっとかっこよくなっていてね」
「な━━」
そして、唐突に画面はブラックアウトした。
だが、もしディスプレイの背面にあるスティック・コンピューターの動作ランプを誰かが見つめていたとしたら、画面表示が途絶えてもしばらくは動作を続けていることに気づいただろう。
それが第三者による解析を防ぐための入念な━━そう、短時間ではあるが、恐ろしいほどに手の込んだ、セキュア・シャットダウン処理であると判明するのは、この日の夜、キミズ叔父が防衛省の情報本部へこのスティック・コンピューターを直接届けてから、数日後のことである。