第48話『届くはずのない声、そして姿』
「さて、ここなら一安心だ。
ああ、ふたりとも適当なところにかけていいぞ。特にコー坊は疲れているだろうし、楽にしろ」
キミズ叔父が彼ら兄妹を招いたのは、品川プリンツホテルの最上層、角にある部屋だった。
住居に近い表記をするのなら、1LD程度のスペースになるのだろうか。
しかし、それは基本的に一人用の部屋である。
ベッドはダブルサイズを並べたよりもなお広く、また、室内には来客や、現地で連れ込む人間を想定したかのように、応接のためのスペースもそなえられているものの、デスクが異様に広い。
(すごいな……)
窓の面積は大きくとられており、その眺望はぞっとするほど良い。
右手にレインボーブリッジと共に東京湾を一望し、左手には東京都心の摩天楼が見える。
さしずめは昼は海、夜は都市。24時間いつでもすばらしい景色を楽しめるわけだが、あまりにも絶景すぎて、この部屋から出歩かなくても、観光欲求が満たされてしまうのではないかと思えるほどだ。
(こういうところに作家とか、缶詰になるのかな?)
コウの覚えた感触でいうならば、一夜の休息よりも、一時のロマンスよりも。
働け。仕事をしろと急かすような、ビジネスの匂いが強い部屋だった。
「で、コー坊」
どっかり、と慣れた様子で主の椅子に腰掛け、足を組むキミズ叔父。
面接にそろそろ慣れてきた就活生のような表情で、来客用のソファにかけるコウ。その隣で拾われてきたネコのようにかしこまっているキノエ。
「α連合国の━━あー、その『使徒』とかいうのから、何か渡されなかったか?」
「……渡されてる」
そう言いながら、コウは大事に胸元へしまっていたスティックタイプのメモリーを取り出した。
(そうか……)
今になって、ようやく自分がα連合国へ招かれた理由が。
そして、S・パーティが言うところの選ばれた理由がわかった気がした。
「僕はたぶん……これを叔父さんに手渡すために、α連合国へ行ったんだね」
「そうかもしれんなあ。ここに来るまで誰かに襲われたり、つけられたりしなかったか?」
「………………」
「へ、なに?」
羽田空港で背後から奇襲をかけてきた妹を一瞥すると、コウはゆっくりと首を振った。
「幸い、なにもなかったよ」
「そいつは何よりだったな。
ふうん、そういうことかもしれんなあ……運び屋にするなら、なるべく土のついてない人間がいい。
ごくごくヘーボンな人生送ってるコー坊は適任だったってわけだ」
「叔父さんはもちろんダメ。キノエも未成年だからダメってわけだね」
「キーちゃんはまた別だろうがな」
ひとり、意味がわからないという表情で、口をぽかんと開けているキノエを見ると、キミズ叔父は破顔一笑した。
「ま、キーちゃんみたいな子が平和に暮らせるように、国とか行政ってのはあるもんだ。コー坊もちょっとは実感できたんじゃないか?」
「そう……だね」
「じゃ、使ってみるか」
そう言いながら、キミズ叔父が立ち上がると、今度はコウも意味が分からないという顔をした。
「えーっと、こいつの端子は……裏側か。つなぎにくいな。
おい、コー坊。そっちのケーブル、持ち上げてくれ」
「え……えっ? 叔父さん、メモリはディスプレイにつなぐものじゃないよ」
「んなことたぁ、コー坊の100倍承知だ。
そもそもこいつはメモリじゃない。こいつは━━スティック・コンピューターだよ」
ディスプレイの背面にある端子へ、コウから受け取ったスティックタイプのメモリならぬPCを差し込むと、キミズ叔父は言った。
「ふたりとも、『The・フォン』の電源切れ」
「……どういうこと?」
「はーい、マナーマナーもーど」
「マナーモードでも機内モードでもない。電源自体、切るんだ。
俺はコー坊に会う前からそうしてるぞ」
キミズ叔父がディスプレイに接続したスティック・コンピューターには、電源ボタンがなかったが、通電させると自動的にブートプロセスが走るようだった。
コウとキノエが『The・フォン』の電源ボタンを操作していると、ディスプレイには真っ黒な背景にシンプルなテキストが羅列された、ブートプロセスが映りはじめる。
しばらくすると、いったん画面がブラックアウトし、カラフルな表示に切り替わった。
そこからはコウも義務教育で教わった覚えがある、いわゆるパソコンの画面といった具合である。
(……なんだこれ?)
だが、そこに表示されているロゴは━━おそらくOS名なのだろうが、コウの脳内データベースにはヒットするものがない。
どうやら伝統的なOSではないらしい。
「ほうー」
キミズ叔父は驚いたように、しかし何かを予測して身構えるように呟くと、鋭い目つきでなおもめまぐるしく表示を変え続けるディスプレイに集中する……。
「ねえ、コー兄、これ何なの?」
「僕にもよくわからないけど、とりあえず待ってろ」
「んー、こういう時間って暇だよねえ」
対して、妹のキノエはというと、どうにも退屈なのか、両足をぱたぱたと動かしたり、肩をコウにすりすりしたりしている。
(うっとうしい……)
どこか生暖かい気持ちと共にそう思ってしまいながらも、拒絶することがないのは、今はそんなことをしている場合ではないからだった。
(これは……ひょっとしたら)
もし、コウの想像が正しければ。そして、まったく詳細はわからないが、なんとなく━━うっすらと察することができる、画面表示の意味が。
(まさか……まさか、ここから)
つまり、ディスプレイ上のプログラムが試みている行為が成功したならば。
「━━本当につながりやがった」
キミズ叔父が、これから戦争を始める時のような声でそう言った。
妹のキノエはなおも目をぱちくりとさせていた。画面に映っている後ろ姿はよくあるビデオ通話アプリの相手なのだろうとしか思っていなかった。
「……そんな」
そして、コウは。川野コウは。
『……んもう、こんな夜遅くに呼び出すなんて、いくら何でも無粋じゃない? お肌が荒れちゃうわ』
最初の音は、ごく僅かなノイズを交えて。
しかし、直後にはかなり明瞭な声になって、室内に響きわたった。
(間違いない……!!)
コウは知っている。
およそ一昼夜の間、共に過ごしたその相手の声を、背中を、肩を、首の細さをまだ覚えている。
『ハーイ、コウ』
モニタの向こうの相手は、不意にくるりと振り返った。黒基調のゴシックなネグリジェに、急いで引いたと思えるルージュの赤が怪しく光っていた。
『日本のお天気はいかがかしら?』
「S・パーティ!!」
その少女の名はS・パーティ。国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』の『使徒』。
あらゆる通信が遮断されているはずのα連合国から送られてる、リアルタイム映像だった。




