第46話『妹というものは兄が大好きなものである』
「あたし、キノコそばー。あと、コー兄が頼んだ天ぷらそばの天ぷらちょーだーい。
あっ、でも、おそばは太るから、いらないからね!!」
「そうすると、僕がただのかけそばになるんだが」
「もちろんコー兄がど~~~~~~~~~~~~し~~~~て~~~も!! あたしにおそばをあーん♪してあげたいっていうなら、ちょっとだけコー兄のおそばも食べるー」
「人の話を聞け……まったく、お前ってやつは」
14歳という年齢は確かに多感な年頃だが、それにしても子供のようにころころと表情の変わる妹だと思う。
(おまけに性格はわがままで、よく食うよく育つときてる……)
再生プラ箸をこつんこつんとキスさせながら、「あたしのキノコそばと天ぷらまだかなー」と目をキラキラさせている少女。すなわち、川野コウにとって戸籍上の妹であるところの、川野キノエ。
「おじさんとの待ち合わせは14時か……だとすると、少しのんびりしていけるな」
「いいよねー、おそば屋さんデート!!」
「いいのか? あとデートじゃありません」
「えーえー! 男と女が一緒にいたら、それはもうデートでしょ? きょうだいとか関係ないよ。
あたしにどーんと任せなさい!!」
「きょうだいはあくまできょうだいだし、お前にどーんとお任せとか、大変なことになりそうだからイヤだ」
「まったく、コー兄はああ言えばこう言うんだから、わがまま」
「こっちのセリフだ」
「えへへ~」
否定の言葉をぶつけたつもりが、なぜかキノエはにへら、と表情を崩した。
「なんかいいね、こういうの。コー兄が帰ってきたって気がする」
「………………」
屈託ない笑顔と言えばよいのか。あるいは、兄たらしの笑顔と言えばよいのか。
「ったく」
「えへへへへへへへ」
くしゃり、と頭をなでてやると、キノエはますます表情を崩して、そのまま箸を突き刺した玉子の黄身になって、運ばれてきたどんぶりの中に溶けていきそうになる。
「ん~、おいし♪ コー兄と食べるおそばだから、ほんとおいし!」
「そんなに持ち上げても、高価なみやげがあるわけじゃないんだぞ」
「あ、やっぱりないんだ。そっかー、残念。
せんそーが始まって、暴落した金の原石のプラチナの紛争ダイヤモンドとかとか、あるかと思ったのに」
「そんなものはありません」
「んぐぅ~!!」
「……それよりも、さ」
何かを期待するように、こちらを見つめて口を開けているキノエ。その喉めがけてエビ天を突っ込みながら、コウは不意に声を低くした。
「日本はどうなんだ。いや、日本だけじゃない。世界はどうなんだ」
「ううう……コー兄ってば、乱暴。あの日の夜みたいに、あたしのことをモノのように扱って」
「そういうねつ造話はいいから」
「はいはい、まじめなお話ね。んー、あたしは難しいことよくわからないんだけど、すごく平和だよ。
α連合国とE連合で戦争が始まったー、っていうニュースが流れて、数日くらいはなんていうか、ざわざわってしていたんだけど」
「ざわざわ?」
「うん、世の中がね」
世の中がざわざわしていた。
一個人ではなかなか掴もうとしても、掴みきれないその感覚を、キノエはけろりと口にする。
(こいつは前から……そういうのはうまいよな)
川野キノエ。戸籍上は川野コウの年が離れた妹。
はっきり言って、頭がいいわけではない。といって、浮ついているというわけでもない。
(ただ……なんていうか、な)
コウの考えるところでは、彼の妹はノリがふわふわしているだけだ。そして、頭がいいわけではないからといって、愚か者でもない。
(……直感がいいっていうか、不思議なところがあるよな)
他人が形容しにくいものを、一言でずばりと表してしまう。
うまく掴みかねる曖昧模糊としたフィーリングを、誰よりも的確に悟ってしまう。
「……その、世の中がざわざわしている間に、お前は何をしていたんだ?」
「べつー。外国のサービスとか全滅だし、メールとか電話も国内がかろうじてつながるくらいで。なんていうか、海外サーバー使ってるところはやっぱり全滅だったから。
すんごい苦労した人もいたみたい」
「デモとか暴動とか、そういうのはないのか?」
「は? なんでそんなのが起こるの?
だって、あたし達が巻き込まれたわけじゃないじゃん」
「……そりゃあ、そうだろうけど」
━━おそらく、それは。
(喜ぶべき誤算なんだろうな……)
コウが自分の祖国である日本の状況に思いを馳せたのは、意外にもほんの数時間前のことである。
北海道の空港に最後の燃料補給で立ち寄った際だった。
あいにくと、そこで降りる乗客以外には、『The・フォン』の通話許可はでなかったのだが、機内の小さな窓から眺める北海道は少なくとも平穏に見えた。
(でも、都市部はどうだろう)
東京はどうだろう。あるいは大阪は、名古屋は、福岡や仙台、札幌といった都市圏はどうなのだろう。
コウは国際政治の専門家でもなければ、経済学の博士でもない。
それでも、突然、α連合国とE連合という巨大政治圏が戦争によって切り離された、島国日本がただでは済まないだろうことは想像ができた。
(昔は……原油の値上がりだけで買い占めが起こったっていうし)
ガソリンが買えなくなっていたり。食料が配給制になっていたり。そんな激変が日本社会で起こっているのではないかと危惧していたのだ。
(それがどうだ)
空港につけば、電話をかける前から妹に飛びつかれ、そして今はこうして打ち立て茹で立ての天ぷらソバ(天ぷらなし)に舌鼓をうっている。
(平穏っていえば、そうなんだろうけど……)
本当にそうなのか?
今、見ていることは偽りの平穏ではないのか?
「大丈夫かな……」
「ん? 何が?」
「……ネギ、ついてるぞ」
「やーん♪ コー兄に唇触られちゃったー♪ これはもう実質的にキスだよね!」
「ばーか」
ほっぺたから取ったネギごと指をキノエに口を突っ込むと、もにゅもにゅと吸いつかれるような感覚が伝わってくる。
「赤ちゃんか、お前は」
「ばぶー。おおきくなったら、パパと結婚するー」
「あほう」
果てしなく巨大な溜息をこぼしながら、コウは思っていた。
(まあ……どっちみち、もうすぐ確かなことがわかる)
自分が送っていないメールが日本に届いていたのは。届くはずのないメールが届いていたのは。そして、その相手は。
(つまり、送った先にも……意味があるんだろうな)
そう考えると、不思議と自分がα連合国に呼ばれ、S・パーティに選ばれたのも納得いった気がした。もっとも、自分のような人間が世界中で何百人もいるのかもしれない、とも思うが。
「キノエ、今日キミズの叔父さんは?」
「あ、このあと品川のホテルで待ち合わせ。コー兄のこと、絶対逃がすなよ、って言われたんだけど、これってつまり……そういうことだよね? やったね! 叔父さん公認の仲だね!」
「そ・ん・な・わ・け、ないだろうがぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「痛い痛い痛い!! コー兄、前触れなくライン超えて実力行使するのずるいー!!」
調子の良さがきわまりすぎた愚妹を、コメカミぐりぐりで制裁しながら、コウは油断なく店内を、そして外の様子を観察する。
(絶対逃がすな、か)
つまり、それは自分が日本国内でも安全確実とは言えないほど、重大な境遇に置かれていることを意味しているのだ。




