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第43話『翼は行く。跳んではまた降りて。繰り返して』

 それでも、不安は時間が解決し、怒りもまた、永続するものではない。


 トロント空港を飛び立って数十分。

 美しい夕陽の光が、後方に見えるようになってくると、コウの心中にも落ち着きが戻ってくる。


(これがハリウッド映画なら、飛行機を撃墜されて、僕が口封じされる流れかな……)


 そんな馬鹿馬鹿しい想像も浮かんでくる。

 もっとも、コウがα連合国本土で経験したこと自体が、すでに馬鹿馬鹿しさの極みといえるのだが。


「それにしてもこの飛行機、けっこう小さいよな」


 改めて、機内を見回すと座席は150に満たない程度である。


 2035年においても一般的といえる、中型双発の旅客機と比べると半分程度の座席数だが、カナダまで飛んできたところをみると、それなりの航続距離は持っているのだろうか。


(……あっ、この飛行機って三菱製なのか)


 座席に備え付けのディスプレイを点灯すると、富士山をバックにしたプロモーション映像が表示された。


 本来はこのディスプレイに表示される無数の娯楽で、到着まで何不自由ない時間を楽しめるのだろう。


「……そりゃつながらないよな」


 だが、10秒ほどのプロモーション映像が流れたあとは、無情な『サービスをご利用いただけません』のエラーが表示されてしまう。


 しばらくして、ディスプレイはブラックアウト。コウが漏らした溜息と同じ色の音は、周囲からもひっきりなしに聞こえてくる。


『これはどうして使えないんですか?』

『ご存じのように全世界規模で通信障害が……』


 フライトアテンダントが説明する声も耳に入る。せめて電話だけでも使えないかと懇願するように訊ねる人もいる。


(無理だよな……)


 川野コウは想像する。飛行機から通信するのだから、恐らく衛星通信なのだろう。だが、全世界と接続する海底ケーブルまで切断したα連合国が衛星通信網を放っておくとは考えられない。


(まさか衛星ごと壊したわけじゃないだろうけど……)


 徹底的に。だが、あっという間に。全世界を接続する衛星通信網を壊滅させたのだろう。

 しかも、自らの使用する軍事通信ネットワークだけは、維持したままで。


「………………」


 そして、今このときにも、その通信網破壊は進行しているのかもしれない。


(ひょっとしたら、日本国内だって……)


 α連合国の恐るべきクラッキングによって、電話一本メール一通届かない状態になっているかもしれないのだ。


(僕らも……この飛行機のフライトアテンダントや機長も……それが何一つわからないんだよな)


 知りたいのに知れない。調べたいのに調べられない。届けたいのに届かない。


 これまでの人生で、当たり前のように実現し、維持され続けたものが、どんなに偉大なものだったのか、コウのみならず機内の全員がひしひしと思い知っているに違いなかった。


「……やめよう」


 このことは考えても仕方ない。日本に帰ってからゆっくり思いを巡らせればいい。


 と、そのとき、機内に日本語のアナウンスが流れはじめた。


『このたびは日本航空をご利用いただき、ありがとうございます……』


 難民じみた帰国の便だというのに、『ご利用』もないものだ。そんな感情を含んだ嘆息や失笑が漏れる中、日本人の姓名を名乗った機長は淡々と日本までの行程を説明する。


『日本到着までの時間は22時間を見込んでおります』


 ざわ、と驚きの声が満ちた。妙に長いではないか。何かトラブルでもあったのか。そんな思いがこもっていた。


 だが、機長は客室内の反応を予想していたかのように、ゆっくりと。聞き取りやすい声で説明を続けた。


『本機━━Mitsubishi MJ2050は通常、東京~千歳間に就航している機材でございます』


 機長は言う。この機体は国内線用であり、太平洋を一気に横断するほどの航続距離はそもそも持っていない。


 そのため、日本からトロントへ来る際も、何度か給油しながらやって来た、と。

 日本への帰路は往路をなぞる形となり、カナダ国内で一度給油したあと、α連合国が給油目的に限って他国の旅客機へ解放している、アラスカのアンカレッジ空港でもう一度給油すること。


 その次も一気に東京まで向かうには燃料が厳しいため、北海道の女満別空港で最後の給油をして、最終的に東京へ向かうこと。


(3回も給油するのか……)


 飛行機に関する知識がほとんどないコウにとっては意外だったが、遠い昔は給油を繰り返して大洋を渡ることはむしろスタンダードなやり方だった。もしも、衛星通信が生きていれば、フライト中にオンライン辞典を参照した乗客たちも納得していたことだろう。


『給油のための着陸に際しては安全がカナダおよびα連合国政府より保証されております。

 α連合国は現在、戦時体制にあるため、軍用機が当機周辺を警戒飛行すると思われますが、どうかご安心ください』

(安心……しろって言われてもな)


 コウの心中は穏やかではない。先ほどくだらない想像として浮かんだ『口封じのために撃墜される』が現実化するのではないかと思えてくる。


(やめてくれよ……そういうのは)


 機長の説明は終わり、機内には静寂と━━そしてエンジンの轟音だけが満ちる。


 その時、ぷつりと緊張の糸か切れた。


「……あ」


 睡魔の襲来はあっという間だった。夢うつつの中で、Gを感じた。

 空から降りていくときのG。減速G。滑走路上を転回するときのG。加速Gと離陸G。そして、また重力に引かれて降りていく……。


「………………あれっ?」

『よく寝ていたなあ、兄さん』


 ふと、コウが目を覚ますとMitsubishi MJ2050はちょうど離陸を終え、姿勢を水平に戻しているタイミングだった。


 通勤電車を乗り過ごしてしまった時のように、反射的にコウは立ち上がろうとして━━しかし、腹へ食い込むベルトの感覚に、自分の体が固定されていることを思い知る。


「ぅぐ!」

『ははは、あんまりよく寝ていたからさ。アテンダントさんがベルトつけてくれたんだぜ』


 隣席の日本人男性が愉快そうに目を細めている。窓の外に見える大地はカナダのそれとは違っているように思えた。時計を見る。離陸してからすでに半日近く経過している。


「今って、アンカレッジを離陸したところですか?」

『ご名答。ぐっすり眠れた兄さんがうらやましいよ。

 周りを見てみな、どいつもこいつも暇を持て余した顔をしているだろう?』


 お世辞にも笑える状況ではないというのに、なんとも楽しそうに隣席の男性は言う。


(仕事で世界中を飛び回ってるビジネスマン……って感じだな)


 年の頃は40後半、そろそろ50という風体である。

 カジュアルながらもそのスーツ姿は、空港についたら直接仕事の打ち合わせへ直行━━といったタイトスケジュールを連想させる。


『俺も普段は北米との往復なんかで退屈することはないんだがな。

 何しろ電話の一本もつながらない。本社じゃ、そろそろ死んだことにされてるんじゃないかな?』

「それは……そうかもしれませんね」


 会話がうまい、というか。あるいは、人の心に入り込んでくるのが上手というか。


(こういう人がビジネスに向いているのかな)


 相手に不快感を覚えさせず。さりとて、自分だけが縮こまることもなく。目の前のビジネスマンを見ていると、川野コウはいやでも自らに欠けているものを意識させられる。


『で、どう思う、兄さんは?』

「どう、って言いますと?」

『遂に人工知能のせいで戦争が始まったんだぜ? 若いなりに思うことはないのかい?』

「僕は……なんというか、別に」


 失礼にならない程度のやる気のない声を返すコウ。

 ビジネスマンは機嫌を損ねた様子もなく、言葉を続ける。


『キモになるのは、α連合国の大統領さんが演説で言ってた、国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』さ。

 あれ、どんな代物だと思う?』

「いやあ、よくわからないですね」

『だろうなあ……』


 相手より何かをよく知る者特有の優越感を見せながら、ビジネスマンはうんうん、とうなずく。

 それは無理もない。君が悪いわけじゃない。ところが俺は知っているんだ、とでも言うように。


『実はな……俺にはなんとなく想像がついてるんだ』

「想像がついている、ですか?」


 そして、コウの方はというと。


(……何も知らないくせに)


 やはり、相手より何かをよく知る者特有の優越感を覚えていた。だが、それを表情に出すことはしない。

 それは軋轢を生むから。それは言っても信じてもらえないから。そもそも、それは秘密にしなければならないから、とでも言うように。


(想像がついている、ね。

 そうだよな、あんたは想像するしかないもんな……)


 むろん━━川野コウは『想像がついている』どころではない、直接的な情報を知っている。

 それは恐らくこのビジネスマンが生涯かけたとしても、たどりつけないほど核心的で本質的な情報である。


 だが『自分は本当のことを知っている』と偉ぶっても、何の意味もない。


 だから、コウは聞き手に徹するのみだ。

 どうせ日本につくまで、この狭い機内でやれることなど、ほとんどないのだから……。


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