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第42話『川野コウは祖国への帰路にある』

 α連合国とE連合の電撃的な開戦から、およそ一週間が過ぎていた。


(まさか、ここまでとは……)


 カナダ・トロント空港。

 その広大なトランジットエリアで、川野コウは今、母国行きの便を待っている。


 見上げるディスプレイに表示されているのは発着便の一覧である。だが、その大半には『SP』のマークがついていた。空港係員の話では臨時便を表しているらしい。


(定期便が欠航しまくった分、臨時便で埋め合わせしてるのは分かるけど……)


 それでもトロント空港のトランジットエリアには、乗換待ちとしてはあまりにも多すぎる旅客があふれていた。

 しかも、その大半は疲れ切った顔で、通路へ腰を下ろしてぐったりしているのだ。


(同じような顔をニュース映像で見たことがあるな……)


 そう、それは確か台風……さもなくば大雪……新幹線が止まってしまい、ターミナル駅で足止めされ、疲れ果てた顔でインタビューに応えていた人たちのような……。


 ━━と、そのとき。


「もし……あなた」


 コウをおなじ日本人と見たのだろう。目のしたに疲労感の濃い中年女性が話しかけてきた。


「日本行きのチケットは余ってませんか。お礼はちゃんとするわ」

「あの、すいません……残念ですけど」

「そう……」


 中年女性は肩を落として去って行く。家族旅行でもしていたのだろうか。彼女が戻っていく一角では、うつむきながら小学生くらいの男の子が壁にもたれ掛かっていた。


(ひどいもんだな)


 だが、同じような光景はトロント空港のそこかしこで見受けられる。

 そして、その対象は日本人だけではない。


 マスコミ関係者とおぼしき撮影機材を抱えた一団もいる。

 だが、取材に走り回っているのは地元カナダの局だけで、それ以外は純粋に足止めをくっているのか、頭を抱えてただ座り込んでいた。


(この状況だと、本国に連絡を取ることもできない……ってところなのかな)


 コウが見ている人たちは、皆。


 帰国便の座席を確保できず、何日もこのトランジットエリアに滞在することを強いられている者たちである。


 もちろん、何の予約もとらずに空港へやってくるほどのんきなものは、その時代に存在しないと言っていい。

 帰国便の座席はとれなかったのではなく、消えてしまったのだ。α連合国とE連合の開戦に伴って、空港から飛行機が飛ばなくなってしまったのである。


 もちろん、ここは北米大陸のカナダであり、戦争の当事者ではない。


 しかし、α連合国と欧州の間で戦争をしているというのに、その間にある大西洋を悠長飛んでくる民間航空便があるはずがない。

 当然、欧州を本拠地にするキャリアは全面運行停止である。


 なにより、相互に状況を確認しようにも、電話一本つながらないというインフラの停止に欧州が見舞われている状態である。


 たとえ、アフリカ大陸やアジアからの航空便であろうと、定期運行など続けられるはずもない。


(……α連合国と欧州に釘付けになっている飛行機だけでも、何百機にもなるっていうもんな)


 コウは思う。このトランジットエリアにいる人々の中では、自分だけがその真相を知っているのではないかと。

 S・パーティから説明受けた通り、DSBドローン・スマート・ボムによる悪魔的な最大効率最小破壊が実行されたとすれば、少なくとも欧州に残っている機体のほとんどは無傷だろう。そして、それらは停戦後、スムーズに再利用できる。欧州のために。しかし、少なからぬ割合で、α連合国のために。


(……たとえば東京とパリを往復している便だって巻き込まれているはずなんだ)


 あるいは、ニューヨークとベルリンをつなぐ便にしても巻き込まれている。おそらく欧州全土には、このトロント空港など比ではないほどの、帰国難民が途方に暮れていることだろう。

 

 ━━とはいえ、それでも。


「えーと、『電撃的な開戦から一週間で急速な輸送力の回復を見せる航空業界』……これほんとかな」


 呆れたような顔でコウが手にしているのは、トランジットエリアの帰国難民用に配られている紙の新聞だった。新聞といっても、どうも空港の管理会社が手配した突発版のようなものらしく、各国語の翻訳も付属している。


 基本的な論調は、今回の開戦による混乱に対して、各航空会社の過失はないことと、現在の混乱は遠くないうちに過ぎ去るだろうという楽観的な予想である。


「……ほんとかな」


 コウは疑いに満ちた視線でその記事を一読し、帰国難民たちは希望にすがるような目で何度も読み返す。

 なにしろ、彼らにはこれ以外、ろくな情報がないのだ。カナダ国内の通信事情はα連合国に大きく依存しているため、国外サーバーへ接続するような通信は事実上全滅である。


 カナダ国内でもそうなのだから、このトランジットエリアにおいて、リアルタイムでニュースを追えている者などほとんど皆無だった。


 と、そのとき、搭乗開始を知らせるアナウンスが流れた。


「来たか」


 予測していた時の顔でコウは立った。そして、帰国難民たちのうち、何百人かがもう諦めていた夢がかなった時の顔でどよめいた。


 ━━こっちはまだか。

 ━━なんであっちだけ。


 そんな嘆きの入り交じる中を、川野コウと日本航空臨時便の搭乗客は進んでいった。


~~~~~~Deep Learning War 2035~~~~~~


(いいのかな……)


 ふと、コウは思う。


 自分だけが何不自由なく、この飛行機に乗り込んでしまって良いのか。


 入手することがきわめて困難な日本までのチケットを、他人に━━つまり、S・パーティに手配してもらって。


(何日も待たされている人たちを尻目に、自分だけ並んだりせずに快適な思いをするなんて……)


 それが日本人的な感覚であることはコウにもわかっている。異国の地にいると、殊更に意識するといってもよい。


(……ひょっとしたら、僕はもう日本に帰ってこられない人たちをここで見捨てて、自分だけ帰ろうとしているんじゃないか?)


 定員いっぱいの脱出船。敵軍が迫る中、乗り込もうとする人を振り払って、出発する最後の臨時列車。


 どこの映画で、物語で、あるいはアニメやマンガで見たものか。そんな光景がコウの脳裏に浮かんでくる。


(本当に……僕は)


 立ち止まり振り返ると、うらやむように。あるいは、恨めしそうにコウを見ている幼い少女がひとり。


(……たとえば、この子を。小さな子供を優先して帰してあげるべきなんじゃないか)


 ━━これから起こる事実だけを述べるならば。


 航空各社による奮闘と、政府専用機まで動員した輸送作戦によって、明日から日本への輸送状況は劇的に改善する。

 今、コウが見ている帰国難民たちも、明日の午後には綺麗さっぱりいなくなり、近隣国の人間まで相乗りさせるほどになるのだが、残念ながら神でもなければ、人工知能でもない川野コウにそこまで予想することはできない。


「………………っく」


 結果として、コウは後から振り返れば滑稽な痛みと共に、未練を断ち切ることなる。


 目をつむり、かぶりを振って、搭乗口への歩幅を早める。前だけを見て、後ろも、横もみることなく、ボーディングブリッジから日本航空が手配した三菱製の中型旅客機に乗り込んだ。


「……っはあ」


 目の前に広がる光景も、空気も一変した。

 狭苦しい、しかし余計なものが見えない、ジェットの機内。天井は低く、通路は狭く、疲れ果てたどこかの誰かがぐったりと腰を下ろす余地などない機内。


(……これで、良かったんだよな)


 フライト・アテンダントが「大変でしたね」と気遣う言葉をかけてくるのが、コウには聞こえていない。むしろ、その言葉を聞いていたのなら、コウは爆発していたのかもしれない。


 大変でも何でもない。この機に乗り込む人たちの中で、自分だけは何の苦労もしていないんだ、と。


「……帰れるんだよな」


 トロント空港の滑走路から車輪が離れ、上昇がはじまると機内では拍手が起きた。


 誰もが安堵し、誰もがこれまでの我慢が報われたと喜んでいた。


 その中でひとり、川野コウだけは苦虫を噛み潰したような顔で、徐々に遠くなっていく北米の大地を睨んでいた。

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