第40話『使徒、博士、そしてジェネラル・オブ』
「ごきげんよう、ドクター」
「……使徒、か。久しぶりじゃな」
ドイツの降伏、いや、停戦に目処が立ちそうであることを、アルダナ少佐からの通信でα連合国首脳が知った━━その頃。
ワシントンDCの地下深く。議会関係者専用・地下鉄路線のもっとも新しい駅。
すなわち、国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』が鎮座する、巨大マシンルームに、S・パーティは姿を見せていた。
「予定より遅かったのう」
「着替えに時間がかかったのよ」
もっとも、その服装は川野コウに見せていたゴシック・ロリータではない。白と銀を基調にした、神職の法衣に近いデザインであり、まるで聖なるものと対面する時のような威厳を伴っていた。
「我らが擬神の調子はいかが?」
「順調じゃな。
いや、快調とすら言ってもいいかもしれん……見るのじゃ、これまでの運用成績の中で、最高のパフォーマンスを今の『ハイ・ハヴ』は記録している。
世界中から送られてくる莫大な情報に対して、即座に応え、人間よりも遙かに正しい判断を下し続けているのじゃよ……」
「ふぅん」
ドクターと呼ばれた初老の男は、神経質そうにメガネの弦を掴みながら、ディスプレイの複雑なグラフに目を通している。
(古典的なことね……)
生返事を紡ぎ出すと同時に、S・パーティの表情は、微かな侮蔑に歪んでいる。
そんな円や棒のグラフが何を示すものか、と思う。理解力の乏しい人間向けに、ムリヤリ情報を削ぎ落としただけではないか。
(本当にコンピューターのパフォーマンスを知りたければ、ログを見ればいいのに)
しかし、ヒトにそれはかなわない。テキストとしてのログを見ることはできる。
だが、それはあまりにも膨大にして判読性が悪すぎる。
そんな情報の大洪水にヒトのCPUたる脳は耐えられないのだ。
(だからこうやって、グラフにして……図にして……わざわざ情報を削るのね)
大切な異常推移があるかもしれないのに、平均化する。
マイクロセコンドまで細かく見た方がよいはずなのに、時間ごとのスケールで区切ってしまう。
(こんなふうにわざわざ不完全な情報に頼るくらいなら、その解析自体をコンピューターにゆだねるべきだわ)
そう、まさにそうした仕事にこそ、人工知能はうってつけなのだ。
「それにしても、大西洋の向こう側にいる人達はどんなふうに思うかしらね。
何の抵抗もできず、自分たちを敗北に追い込んだ物の正体を知ったときに」
「人工知能技術の可能性は、遙か昔から論じられていたことじゃ。奴らが不明でありすぎただけのことよ」
ドクターはひんやりとした『ハイ・ハヴ』の筐体外部パネルへ手を置きながら、なじるように言った。
「欧州大陸の連中は……いや、我が国以外の世界すべては、人工知能の威力を知っていながら、あえて背を向けたのじゃよ。
地域の統合だの、雇用の安定だのと……くだらないことに囚われ、怯え、恐れおののいて、進歩から逃げたのじゃ」
「ラッダイト運動の元祖は私たちの味方でもあるイギリスだけど、産業革命の威力をもっとも早期に思い知らされたのは、欧州に共通する歴史よ。
その時も膨大な失業者と社会不安が蔓延したというわ。
だから、人工知能技術が産業革命ほどに社会を変えてしまうと想像できたのなら、逃げだしたくなる気持ちも分からないでもないわね」
くすくすと笑いながら、パーティは円筒形の椅子に腰掛けた。
ドクターがムッと顔を歪めても構いはしない。確かに彼女が腰掛けているのは、椅子ではなく、フロントエンドとして使われている、コンピューターであるが……。
「この会社のコンピューターなら、椅子扱いしてあげるのが歴史的評価ではなくて?」
「……そいつがダウンすると、何か起こったときのメンテナンスに支障が出るのじゃが」
「お尻がちょっと冷えたのよ。ちょうどいい放熱具合で、気持ちいいわ」
あなたの言うことを聞くつもりはない、とでも言うように、パーティがあらぬ方向をむくと、ドクターと呼ばれた男もまた、ディスプレイの表示する数値に熱中し始める。
が、そんな相互合意の分離がなされた直後に、入室する者がいた。
「おお、いたいた! 久しぶりだな、諸君!」
ブーツの音が軽やかに響き、口から発せられる声は重厚にきしむ。
それは陸軍の制服を着た男だった。
足が悪いわけでもないだろうが、木製のストックを持っている。懐かしげに笑って手を振る表情からすると、彼はパーティとドクターの知り合いらしかった。
「ごきげんよう、ファイブ・スター」
「相変わらずだな、使徒よ」
Crayという社名ロゴが刻まれた円筒形のフロントエンド・コンピューターから腰を上げると、パーティは優雅に一礼した。少し砕けた敬礼で『五つ星』と呼ばれた軍人が応じる。確かにその胸の階級章には、星が五つ輝いているようだった。
「ドクターはまた『ハイ・ハヴ』にかかりきりか? あまり根を詰めると、身体を壊すぞ。ははッ!」
「ここで斃れて死ねるなら、本望そのものというやつじゃよ」
背を向けたままディスプレイにかじりついているドクターの肩を叩きながら、『五つ星』は笑った。ふん、と拗ねるようにそっぽを向いて、ドクターは応える。
無礼な態度にも見えるが、どこか2人の間には信頼がかよっているように見えた。
「今日はめでたい日だ。開戦初日にして、大勢が決した。
こんな戦争は有史以来、一つもないだろう」
「あら、イギリス・ザンジバル戦争は40分間で終わったはずだけど」
「先立つレコードを知らずに吹聴する新記録ほど、むなしいものはなかなかないのう」
「やあ、失敬失敬! うわはははははッ!」
一本とられたわけでもないだろうが、ストックをカツンと鳴らすと五つ星は大笑いする。
「でも、これからどうするの、ファイブ・スター。
フランスとドイツの降伏に目処がついたからって、E連合全体の意志決定ではないでしょう?」
「いや、そうでもない。
E連合の本質はドイツ第四帝国。その副首都がパリと言ったところだ。
よって、残りの構成国すべてが徹底抗戦したところで、大した差はない。むろん、そんなことは起こらないがな……」
何からのジェチャーコマンドなのだろうか。五つ星が軽やかに指を振ると、真っ黒だった壁が一枚のディスプレイとして点灯する。
そして、しわくちゃに丸められた紙くずのような画像が、いくつも表示された。
「これが諸君らもご存じの通り、国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』が作成した、E連合首脳の脳モデルだ」
パーティが当然の顔でうなずいた。ドクターは恐れ多い物を見るように、やや上目遣いだった。
「人工知能はヒトの知性をコンピューター上に再現するもの。
ならば、現在存在している特定個人の知性を模倣することも可能だ」
「元よりディープ・ラーニング技術による、ニューラル・ネットワークの構築に至っては、もはやヒトの脳と本質的な差異など無いというわけじゃな」
「さしずめ『ハイ・ハヴ』は、この世界でもっとも強大で賢い脳そのものというわけね」
「その『ハイ・ハヴ』によって、我々はE連合のみならず、世界各国の首脳……要人たちの脳モデルを作成したわけだ」
ちらりとファイブ・スターは周囲に視線を走らせた。
万が一、あるいは億が一にも、部外者が入り込んでいるようなことはないか、と確認するように。
「……すなわち、それこそが本戦役における決定的要素でもある」
「DSB……ステルス兵器……インフラへの重点攻撃……E連合の奴らは、それらを決定的要素として注目するじゃろうが、間違いじゃ」
「人工知能はヒトの行動を予測できる」
にんまりと笑って『使徒』は言った。
「その通りじゃ。人工知能はヒトと同じようなプロセスで思考する」
「全分野においては不可能だとしても、特定分野については間違いなく可能だ」
ドクターとファイブ・スターもゆっくりと頷く。
「特定個人の脳モデルを作成することで、人工知能は高い精度でその行動を予測できる……」
「たとえば、一言一句を確実に予測することはできんにしても、その方向性については、実用的なレベルで当てることができるわけじゃよ」
「E連合各国の首脳は、当然だが有名人だ。
幼少時代から現在まで、その発言……インタビュー……著作……分刻みの行動スケジュール。
一般人に比べれば、無限にも近い資料があまねく公開されている。
それらを『ハイ・ハヴ』によって、解析し、ディープ・ラーニングよる学習を繰り返す」
「その結果、高い精度で本人と同じ判断を下す脳モデルが作成できるわ」