第38話『英国本土、2人のハスラム』
『ヴェンジャンスより入電。予定通り、フランス原潜ル・テリブルとの邂逅に成功とのことです』
「どうやらうまくいったようだな……」
━━ル・テリブルのロッシュ艦長とクルーたちが、壮大なクエスチョンマークを胸に抱えながら、母港への帰途についた頃。
英国はスコットランドに存在する、クライド海軍基地のコマンドセンターではハスラム海軍准将が安堵の息をついていた。
「護衛の攻撃型原潜をまいて、いきなりコンタクトされたのだから、さぞかし驚いたろうさ……」
『それにしてもあんな旧式艦でコンタクトに成功するとは、いささか意外です』
「私だって同じさ、レオン」
にやりと笑ってハスラム准将は、同じハスラムの姓を持つ副官にウインクしてみせる。
もっとも、同姓といっても彼と副官は血のつながりがない純然たる他人である。しかも、老練な准将と気鋭の副官とでは、親子ほども年の差があり、クライド海軍基地内ではパパ・ハスラムとジュニア・ハスラムとあだ名されているほどだった。
「ル・テリブルの護衛にあたっているのは、シュフラン級の攻撃型原潜だ。
常識的に考えれば、一世代古い我々のヴァンガード型……つまり退役寸前のロートル艦が、見つからずにコンタクトを取るのは難しいだろうな」
戦略核を搭載した弾道ミサイル原潜には、必ずといっていいほど、攻撃型原潜と呼ばれる、護衛の潜水艦が随伴している。
それは遠い昔、爆撃機を護衛した戦闘機のようなものであり、世界を終わらせるためにSLBMをぶっ放す弾道ミサイル原潜を、敵の潜水艦から守り抜くのが攻撃型原潜の任務である。
もちろん、優秀な護衛戦闘機はしばしば同レベルの迎撃・侵攻戦闘機であるように、護衛を行うのが攻撃型原潜なら、そもそも襲いかかってくるのも敵の攻撃型原潜と呼ばれる艦種である。
「運動性も一桁上。核ミサイルなんてぶっそうなもんにスペースを取られないだけ、攻撃能力も聴音能力も攻撃型原潜が上。
それが常識だ」
『はい』
「本気で牙をむいた攻撃型原潜に対抗できる兵器など、この世には存在しないさ。
たとえ、最新鋭の水上艦だろうとな」
それは2035年の海上・海中戦闘の最先端を知り尽くしたハスラム准将だからこそ言える台詞だった。
海底に設置された水中聴音網、ヘリから吊されるディピングソナー、あるいは航空機から投下されるソノブイ。
そして、潜水艦の位置を特定した上で放たれる対潜兵器の数々。
(確かに世間では……それで潜水艦を制圧できると言われているさ)
が、そこにはどうしても欺瞞が含まれるのだ。
潜水艦の能力は、第二次世界大戦以降、あらゆる兵器の中でも最高のトップシークレットである。
潜水艦に比べれば、核兵器やステルス機の方が圧倒的に情報公開が進んでいると言えるほどだ。
「先の大戦から90年間━━ほとんど1世紀の時間が流れた。
ナチスのUボートと、日本のイゴーを我々の駆逐艦が狩っていた時代から、あまりに長い時間が流れてしまった」
『ええ、准将。
その間、僅かな例外を除いて、潜水艦は真の力を見せたことはありませんでした。それゆえに過小評価されているのです』
「まあ、一度だけあるがな。他ならぬ我が英海軍のコンカラーだ」
ハスラム准将の挙げた艦は、フォークランド紛争においてアルゼンチン海軍の巡洋艦を撃沈した原潜のことである。
しかしこれとて、その戦闘の詳細は公開されていない。
ただ分かっているのは、狙われたアルゼンチン海軍の巡洋艦は、えんえんつけ回されていたというのに、まったく原潜コンカラーを探知できず、いかなる反撃もできないまま、魚雷で沈められてしまったということだ。
「フォークランド紛争は1982年……もう半世紀以上前だ。
半世紀前ですら、それだったのだ」
2035年の現在に比べれば、信じられないほどうるさかった、当時の原潜ですらそれほどの能力があったのである。
『それにしても、我らのヴェンジャンスはフランスの護衛潜水艦をうまくまきましたな』
「蓄積が違うからな」
ハスラム准将は笑った。
潜水艦が戦うのは、何も戦争中だけではない。平時でも攻撃型原潜は仮想敵国の弾道ミサイル原潜や戦闘艦艇に張り付き、音紋データを収集する。
あるいは、航空機がそうであるように、急接近などの挑発行為すら仕掛けたりする。
「フランス海軍は我々を敵だと思っていなかったようだが、その認識は間違っている」
断言しつつ、ハスラム准将はアフタヌーンティーに口を付ける。
「何もEUを離脱してからじゃない。
歴史を振り返れば、我々にとって欧州大陸に存在する国家は……等しく敵だった」
『フランスのみならず、ドイツ、ロシア、イタリア……どれも戦った経験がありますな』
「フランスと協力したのは、ほんの100年少々の話だ。
またネルソン提督の時代に戻った……それだけのことなのさ。
もっとも━━」
不意にハスラム准将は、声を潜める。
それとなく機密に関する話題と察した副官のレオンが、耳を近づけてきた。
「例の国家戦略人工知能システム……『ハイ・ハヴ』だったか。
あれのサポート情報がなければ、そもそもル・テリブルのいる海域すら特定できなかったかもしれんな……」
『何物なのですか? あるいは何者なのですか、そのシステムは?
人工知能と言いますが……エシュロンと似たようなものでしょうか?』
「分からん……一つ言えるのは、既存の情報収集や盗聴システムとは根本的に異なることだ。
どうやら人工知能技術を、極度に高めた戦略判断を補助するシステムらしいのだが……」
α連合国と特別な関係にある英国。
だが彼らは同盟国であるとしても、運命共同体ではない。
(少なくとも、我々に『ハイ・ハヴ』その概要しか伝えてこないということは……)
ハスラム准将は思う。
α連合国にとって、英国は人工知能技術のすべてを明かすに相応しくない。そして、明かしたところで何らかの利益が得られる国家ではないということになる。
「歴史を遡れば、我々がα連合国に技術情報を与えてやる側だったのだがな……いよいよ逆転してしまったわけだ」
『第一次世界大戦以前……世界の電信網を我が国が握っていた時代……』
「盗聴などし放題さ。植民地も山ほどあった。
二つの大戦を経ても、それは本質的には変わらなかった。ナチスのエニグマを解読したのは我々だった……α連合国はエニグマ解読情報を喜んで受け取っていたものだ」
『そして、コンピューター・ネットワークの時代が来ましたが、その時でもなお、我々英国は彼らと対等な地位を確保していました』
「IBMの製品があろうと、Crayのスパコンがあろうと、それでも世界中にネットワークを引くためには、我々、英国の影響圏に入ることになるからな」
かつては実在すら疑われたエシュロン・ネットワークの本質は、ゴシップ記事や陰謀論者の語るような、くだらない盗聴システムではない。
第一次世界大戦以前にも遡る、英国の世界通信網支配。
そして、第二次世界大戦以降のα連合国におけるコンピューター技術躍進。
さらに対ソ連という冷戦時代の事情。情報を掌握し続けることの強み……そうした諸々の要素が、歴史の流れの中で発展し、要求とされたがゆえに、ある意味で必然的に生まれたグローバル情報収集システム。
(それがエシュロンと呼ばれるシステムだ)
ハスラム准将に言わせれば、エシュロンは実在を議論すべきシステムでもないし、アングロ・サクソンの陰謀でもなければ、世界支配のためのシステムでもない。
情報技術の歴史をたどり、時代の事情を把握すれば、生まれるべくして生まれたシステムなのである。
(国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』……それも時代の必然だと言うのか?)
だが、ハスラム准将には自信が持てない。まして、エシュロンの場合と異なり、英国は請うて人工知能技術の情報をもらう立場であり、α連合国は技術情報を与えたとしても大した代償が得られるわけではない。
「……斜陽と言われ続けて久しい我が国だが、いよいよ日が沈むのかもしれんな」
その言葉に、副官のレオンは何も返さなかった。返せなかった。