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第36話『デグナー首相はNut!と言った』

「私がドイツ連邦首相のデグナーだ。ようこそ、アルダナ少佐」

「α連合国陸軍少佐アルダナであります」


 首相応接室へ通されたアルダナ少佐をむかえたのは、ややスラヴ系の血が入ったドイツのデグナー首相だった。

 なんでも先祖は東ドイツの出身だという。おそらくはもっと東方にルーツがある家柄なのだろうと思われた。


「で、交戦国の佐官が何の用だ?」


 礼儀に則った挨拶もそこそこにデグナー首相は鋭い目を向けた。

 うほ、とばかりに驚きと高揚の混じった息をもらすと、アルダナ少佐はにんまりと笑う。


「そう邪険にしないで頂きたいものですな、首相閣下。

 90年前のようにロシア人どもに踏み込まれるよりは、いくらかマシだと思いますが」

「そうだな。ソ連軍に攻められてベルリンが廃墟と化しているわけでもなければ、首相が━━あの時代は総統だが。

 最高指導者がろくに敗戦処理もせず自殺しているわけでもない」

「我々α連合国は総力を持ちまして、欧州全域のインフラを封鎖し、殊に通信を支配(・・)しております。

 そんな状況下でも、独力で多数の情報を得ていらっしゃる、貴国の能力に敬意を表します」

「……我が国だけの能力でもない」


 デグナー首相の胸の内だけは。

 アルダナ少佐も、そしてこの首相官邸電撃訪問を立案した、国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』もまた知り得ない。


(α連合国にはドイツ系の国民が少なくないのだ……)


 アラヴから移民した者が、しばしばテロの先兵となったように。

 あるいは、日系人は危険であると強制収容されたように。


 血は、(えにし)は、たとえ米国旗(レベル・フラッグ)へ向かって宣誓しても、完全に断ち切れるものではない。


(事前に複数のルートから、α連合国が欧州全域に戦争を仕掛けようとしてるという、情報がもたらされていなければ、文字通り何もできなかっただろう……)


 すなわち、ドイツはα連合国に住まうドイツ系市民からの情報を集めており、この戦争の可能性を検討し、そして多少なりとも対策を練っていたのである。


 それゆえに、主力が配置されている欧州統合軍をはじめ、多少なりとも相互連絡と事態の共有に成功している。


 もっとも、あくまでドイツ単独の話であり、E連合全体での共有に至っていなかったのは、デグナー首相にとって痛恨だった。


(……せめてフランスには知らせておけば良かった)


 デグナー首相は思う。

 現在のE連合は確かに通信を『支配』されている。


 ドイツがこの戦争の対策を取っていたと言っても、せいぜい無数にある碁盤の目で、ほんの僅かな石同士が連絡できているに過ぎない。


 本来であれば、盤上を埋め尽くす全ての石が密に連絡し、あらゆる情報を共有できる━━それが2035年という時代であるはずなのだが。


「フランスの降伏は既に聞いた」

「閣下、恐れながら降伏ではありません。あれは停戦です」

「同じことだ。

 言っておくが、我がドイツは単独でも戦う。たしかに君たちは通信を支配している。それは空と海を支配したも同じことだ。

 だが、E連合は陸地だ。そして、我がドイツは本質的に陸軍国だ。

 いくらα連合国といっても、犠牲を払わずに我が国を占領はできまい……我々は君たちに許容しがたい犠牲を強いる用意がある」

「おほ」


 またしてもアルダナ少佐は驚きと高揚の入り交じった息をもらした。

 不快そうにデグナー首相が眉をひそめる様子を見て、彼らは背筋を伸ばしてからこう言った。


「失礼、首相閣下。

 どうやら勘違いしておられます。我々には貴国を占領するつもりはありません」

「どういうことだ?」

「それどころか、貴国の現有戦力と戦う意志すらもありません。

 まあ、無力化は実施させて頂きますが」

「滑走路を破壊し、航空機をピンポイント破壊したところで、何だと言うのだ。

 我々には最新鋭の戦車もあれば、訓練された歩兵もいるのだぞ」

「その最新鋭戦車でありますが……こちらをご覧下さい」


 アルダナ少佐がぱちりと指を鳴らすと、副官が進み出て、タブレット型のディスプレイデバイスを渡した。


「……これは何だ」

「人工知能による翻訳ですので、誤訳がありましたらご容赦を。

 つい先ほどアウグストドルフにいらっしゃる、欧州統合軍・主力機甲部隊を全滅させた際の詳細レポートです」

「全レオパルト3戦車が戦闘不能……そんなバカな! 来週の演習のために200輛以上、集結していたはずだ!!」

「ええ、ええ。実に。

 ごっそりと集まって頂いたことで……実に好都合であったと爆撃機のパイロットから伝言が入っています。肉声をお聞かせいたしましょうか?」

「いらん。……そもそも、このレポートが捏造でないという保証があるのか?」

「お疑いであれば、戦果確認用ドローンから送られてきた映像をご覧いただくこともできます。

 我々はこの状況下でも超高速通信を維持し続けていますから」

GSMレベル(2Gケータイ)の通信ですら回復でない我々に対する嫌みか?」

「それどころか、固定電話回線レベルの通信も、あなた方は復旧できていません」


 高速データ通信以前の携帯電話通信規格を上げて慨嘆するデグナー首相に、アルダナ少佐は肩をすくめてみせた。


(もっとも、我が国には固定電話なんてものは残ってないが……)


 データ通信網の利便性に依存して、固定電話回線を先進国がほぼ全廃して久しい。

 このドイツ首相官邸ですら、例外ではない。


 しかし、本来、固定電話回線とは単に電話をするのみならず、電気が絶たれた状態でも、電話局から僅かな給電を受けることができる自己完結型システムである。

 つまり、電話局さえ自家発電などで動いていれば、大地震あるいは核攻撃の後ですらも、電話をかけることができるのだ。


(結局、俺達は……新しく、便利で、そして複雑なものに依存しすぎたのさ)


 アルダナ少佐は思う。

 ここまで彼が乗ってきたハーレー・ダビットソンXL883R。これは四輪自動車では絶滅した、そして二輪ですらも骨董品のキャブレター方式で燃料を供給する。


(非常時ほど、シンプルなものが強いんだ)


 キャブレターの原理は小学生ですら知っている『霧吹き』に他ならない。

 故障原因の特定すらままならないインジェクション(燃料噴射)とは違い、原始的で、アバウトである。


(たとえばNSAの奴らなら、そこらを走っているクルマの1台1台にすらクラッキングを仕掛けることができるかもしれないな……)


 2035年において、道路情報やナビゲーション、自動運転のためにクルマがネットワークへ接続することは当たり前のことである。


(だったら……)


 それ自体がひとつの高性能コンピューターである、|エンジンコントロールユニット《ECU》の知られざるバグを利用して、クルマを停止に、あるいは暴走に追い込む技術すら、NSAは持っているかもしれない。


(だが、もしそうだとしても)


 アルダナ少佐のハーレーだけはその影響を免れるだろう。


 なぜならば、古式ゆかしきモーターサイクルは、外部との通信など行わないからだ。むろん、ナビなどついていない。道路情報の受信などできない。故障時のSOSを発信する機能もない。


 おそろしいことに基本的な故障診断のための、データポートすら彼のハーレーは持っていない。

 そもそも|エンジンコントロールユニット《それ自体がひとつの高性能コンピューター》が、彼らのハーレーには存在しない。


 従って、電子的攻撃は原理的に不可能である。


(ああ、そうさ。たとえ、上空で核爆弾が破裂したとしても)


 EMP障害により、彼の胸ポケットへしまわれている『The・フォン』は破損するだろうが、彼のハーレーは走り続ける。


 辺りの民家では、凄まじい電磁波が家電の一つ一つに至るまで動作不能に追い込むだろうが、そのVツインエンジンは何事もなく回り続ける。


 都市の電線は火花を散らし、変圧器が火を吹いたとしても、キャブレター駆動にポイント点火、始動にセルモーターすら使わない、彼のオートバイは平然と走り続けるだろう。


「まったく皮肉なものですな、首相閣下」


 そんな光景を思い描き、そしていささか悪趣味なことに、なんとすばらしい光景だろうとほくそ笑みながら、アルダナ少佐はデグナー首相に言った。


「コスト。効率。より新しくより安い技術。

 それらを求めて、あなた方は決定的な弱点をさらけだしてしまった。せめて基幹ネットワークくらいは、自国の製品で固めておけばよかった」

「確かにな。

 電力インフラをピンポイントで破壊し、ハッキングでデータセンターを抑え、ネットワークを『支配』する。無線通信もアンテナを破壊し、広域妨害を行う……それだけで我がE連合はこのざまだ」

「本当に的確に現下の情勢を把握していらっしゃる。

 首相閣下は我がα連合国にエスパーでも派遣しておられるのですか? そこまでの情報をどうやって集めたのですか?」

「技術ではない。人と。強いて言えば……絆だ」

「そいつは素敵ですな。

 さて、状況をご理解いただいたところで、いかがですか。友邦フランスにならって、我々と停戦して頂けませんか?」

Nuts(ふざけるな)!!」


 ━━およそ90年前。

 バルジ大作戦の最中、ドイツ軍に包囲されたα連合国の師団長が降伏勧告にたいして送った返答がNuts(ふざけるな)である。


「ここはベルリンです。バストーニュではありませんよ、首相閣下」


 ━━わざわざそんな故事を。

 そう、2035年においては故事となった返答を、ドイツ首相が口に出すということは。


(お前達の第101空挺師団がそうだったように、徹底抗戦するだ……そう言いたいんだろうが。


 しかし、そこで激高しては交渉の意味がない。

 だが、ここでそうですかと頷いてはネゴシエーションにならない。


 アルダナ少佐は自分の役割を思う。

 なぜ、銃を構えて戦車で乗り込まなかったのか。わざわざ軍服の上からライダーズ・ジャケットを羽織り、何の武装も、転倒防止のバンパーすらもつけていないハーレーで乗り付けたのか。


(そうだ、俺に求められているのは、破壊工作でも軍事活動でもない)


 ひとえに潜入。そして、外交活動である。

 銃弾の一発、あるいは拳の一発すらも、ドイツに叩き込んではいけない。彼はこの作戦開始にあたり、あらゆる局面で厳命されているのだ。


(つまるところそれは……)


 本気でドイツ連邦軍が抵抗の道を選べば、巨大な損失が発生すると。

 それはE連合全土を手に入れたとしても、あまりに割に合わないコストであると。


(……この作戦を立てたのは、人間じゃない。『ハイ・ハヴ』だ。

 人工知能さまの尊いご判断……というわけなんだろうな)


 そこに人間の意志が介在していないことに、首をひねりたくもなる。

 だが、国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』がそう判断したということは、α連合国・国家全体の意志に限りなく近いのである。


「まあまあ、もう少しお話させてください」


 そのことをよく認識しているアルダナ少佐は、至って気楽な口調で、交渉を続けるのだった……。

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