第35話『アルダナ少佐はベルリン近郊へ降下する』
ドイツ・アウグストドルフ演習場で欧州統合軍の主力部隊が、そのもっとも重要な攻撃力を失った、数時間後のこと。
同じドイツでも東部にあるベルリン郊外で、藍より青い大空に真っ白なバラが咲いた。
落下傘、つまりパラシュートである。周辺が緑濃い平野であることもあって、その光景はなんとも平和で牧歌的であり、大した違和感をもたれなかった。
せいぜい「この国全域(と少なくともドイツ国民は思っていた)を覆う通信障害が継続しているというのに、スカイスポーツとはのんきなことだ」などと。
少し離れた国道を通る者達は思ったに違いない。
『これで本当に大丈夫なんですか!?』
「心配するな、シミュレーション済みさ!」
パラシュートに吊られて、ゆっくりと地面へ降下する影は2つだった。
もっとも、人間2人だけにしては異様にパラシュートが大きい。
まるで重量物を降下させるときのような大型パラシュートである。
そう、彼ら2人はそもそも、ヒトが舞い降りるときの姿勢で降下しているわけではない。あるいは、インストラクターとお金を払った客のように、ハーネスで前後に連結されているわけでもない。
(まあ、シミュレーションといっても……俺の頭の中だがな!)
彼ら2人は1台のオートバイにまたがっていたのである。
つまり、オートバイに乗車したまま、パラシュート降下しているのである。
総重量は数百キロを超えているはずだが、四輪駆動車の降下にも使える大型パラシュートだけあって、ずいぶんとその姿勢は安定していた。
「━━っと!」
『いてっ!』
「はは、ケツ打ったか。だから着地の瞬間はステップに立ち上がれって言ったろう?」
タンデムシートに腰掛ける同乗者が、着地の瞬間に悲鳴をあげると、妙に着ぶくれしたツーリングジャケットを羽織ったライダーは、中腰のままでそういった。
『そ、そんなことを言われましても、私はバイクに乗るのは初めてで……』
「さあさあ、文句を言う前に体と車体のハーネスを外すんだ。よーし、引っかかってるところはないな? それじゃあいくぞ!」
再びそのライダーはバイクに乗車したままステップへ立ち上がると、右足の後方にあるキック・スターターを踏み下ろした。
Vツインエンジンが目覚め、野太い排気音が響きわたる。
心地よい鼓動を感じながら、スロットルオン。パラシュートを草原に放置したまま、ハーレー・ダビットソンXL883Rスポーツターは走り始めた。
「地図の通りだ、この国道を進めばベルリンへ行けるぞ。
電話は当然できないが……GPSは拾える」
『それにしても、本当にうまくいくんでしょうか、少佐殿』
「さあな。
しかし冒険的ではある。俺としてはたまらなく面白い作戦だと思うがな」
パラシュート降下した草原と国道を分離するフェンス。そこにはクルマが通れない程度にがら空きの隙間がある。
(こんな日でもなければ、ピクニックに来たりする親子がいたんだろうな……)
そんなことを思いつつ、フェンスの隙間をすりぬけて、彼のハーレー・ダビットソンXL883Rスポーツターは国道に出る。
(さあ、行けっ!)
明らかに交通量の少ないまっすぐな国道。ハーレーを駆るライダー、すなわちα連合国陸軍のアルダナ少佐はスロットルをあおり、一気に加速した。
たちまち、ぶかぶかのツーリングジャケットが走行風に膨らむ。まるでミシュランマンがタンデムしているようだ。
「ベルリンまで50kmか……いいツーリング日和だ」
『我々は観光にきたわけではないのですよ、少佐』
「わかっているさ!」
そう言いながら、アルダナ少佐はヘルメットに内蔵されたインカムのスイッチを切ると、さらに加速した。タンデムシートの副官は思わず振り落とされそうになり、アルダナ少佐にしがみつく。
そして、速度が安定してからタンデム時の注意を思い出し、前にいるアルダナ少佐の腰を挟むように両足を狭めた。
「はは、そうそう。うまいじゃないか」
そのつぶやきは時速90kmの走行風にかきけされ、すぐ後方にいる副官には届かない。
50kmの先にあるベルリン。だが、それはオートバイにとって、至近距離といってもよい。
道中では機能停止した信号による大渋滞を鮮やかにすり抜ける。
実に45分後には、彼らのハーレー・ダビットソンXL883Rスポーツターはベルリン中心部へ入っていた。
「失礼、首相閣下にお会いしたいのですが」
『……なんだ、お前達は?』
ドイツ首相官邸の守衛は、突然現れたハーレー乗りの2人に面食らったようだった。
言うまでもなく、今はドイツ全土の通信障害━━この守衛はそれがE連合全土に広がっていることを漏れ聞いているが━━という、重大事態である。
変わり者のバイク乗りの悪戯につきあっている暇などあるわけがなかった。
『こらこら、動画でも撮って投稿するつもりか? 今は大変なんだ。さっさと行った行った』
「お取り次いで頂いた方がスムーズかと思いますが」
『だから、遊びにつきあっている暇は……』
「我々はこういうものです」
アルダナ少佐とタンデムシートの副官は、やおらツーリングジャケットのジッパーを下ろすと、その内にあるα連合国陸軍の制服を覗かせた。
『………………なっ』
文民警察官である守衛とはいえ、首相官邸に勤務するという特殊性から、その制服には見覚えがあるらしかった。
「緊急の用件なのです。どうかお取り次ぎ願います」
『し、しばらくお待ちください。……ハルダー! おい、少しかわってくれ!』
慌てて同僚を呼ぶ守衛の表情に、アルダナ少佐はにんまりと笑みを浮かべていた。




