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第26話『技術的特異点~すなわち機械がヒトを超える刻』

(……確か)


 機械の知性がヒトの知性を上回る瞬間。

 それが技術的特異点と呼ばれていたはずだ。


(……だけど)


『聞き覚えがある』という形式で、コウの脳内データベースにヒットするほどには、既にその言葉はトレンドから外れていると言って良い。


「昔、もてはやされた概念だろ」

「ひょっとして、そのあとは廃れたと思ってる?」

「だってそうじゃないか。現に今ではほとんど聞かない単語だ。

 大体、機械━━つまり、人工知能の方が人間より賢い時代なんてものが来るなら、戦争をする前に世界を平和にするだろうさ」

「どうして戦争より平和が尊いと思うの? どうしてヒトより優れた知性が平和を選ぶと思うの?」

「……それは、争いは何も生まないからだよ」


 少し苦しい言い訳をしてしまったな、と。

 コウは舌打ちしたい気分だった。そんな彼の表情を見ること自体が、一つの悦楽でもあるかのように、パーティは大きく両腕を広げて喜びを表現する。


「だったら、何かを生む争いならいいということになるわ!」

「………………」

「正当な競争。ライバル同士の競い合い。

 どう? これは素晴らしい成果を生む争いではなくって?」

「それは詭弁だ。僕が言ってるのは、今はじまっている戦争のことで━━」

「ヒトより優れた知性だからこそ」


 ━━ああ、まただ。


(またこの女は僕を黙らせるために顔を近づけてきた)


 それどころか、その細い可愛らしい人差し指で、唇すらふさいだ。これが指でなく、唇同士だったらいいのに。そんなことを思ってしまう自分が、コウはいやになった。


「ヒトより優れた人工知能だからこそ、何かを生む有益な戦争が遂行できるのよ」

「……何を生むっていうんだ」

「人工知能によって完璧に統制された、新しい世界の出現」

「ゲームでもやっててくれ」


 川野コウは即座にそう答えた。フィクション、あるいは妄想の類いであると。あらゆる意味で断じることができると思った。


「いつまでそう言ってられるかしら?」


 しかし、S・パーティ。彼女は。


 負け惜しみでもなく。強がるでもなく。平然とコウの目を見返しながら、そう言った。

 その仕草には色仕掛けの類いは、欠片も混じっていない。


「私がこれから話すことを聞けば、あなたは信じざるを得ないわ……人工知能こそがヒトを導けることを」

「馬鹿馬鹿しい……」

「あなたの反論はわかっているわ。

 ヒトはコンピューターより優れている。とても複雑なことができるとでも言いたいのでしょう?」

「もちろんさ」


 思考の先手を打たれたにもかかわらず、川野コウは動揺も驚きも覚えていなかった。


「それだけで十分じゃないか。人工知能なんかがヒトより賢くなるなんてことは、あり得ない」

「でもね、コウ。少し考えてみてほしいの。

 たとえば人間には手足があるわ」


 そう言いながらパーティは、広げた右手の指を左人差し指で一本一本数えてみせる。


「いち、に、さん、し、ご……左手、両足。全部で20本ね。

 もっとも、ヒデヨシ・トヨトミなら21本だけど」

「?

 よくわからないけど……まあいい。それで?」

「ヒトはこの20本の指と無数にある関節を使って、とても複雑な仕事(ワーク)をこなすことができるわ。確かに優れているわよね」

「ああ、そうさ。人間はマイクロメートルの仕事だって出来るんだ」


 いつの日か映像でみた職人の手作業映像を思い出しながら、コウは言った。


「だけど、人工知能ならナノメートルの仕事もできるのよ。

 たとえば、半導体は何十年も前からそのレベルで製造されているわ。

 原子数個分のトランジスタが作り出されて、どれだけ経っていると思う? その間にヒトの仕事は追いついたかしら?」

「ちょっと待ってくれ、それは精密機械を使って製造しているだけじゃないか。

 人工知能の仕事じゃない」

「だから理解していないと言うのよ、コウ。

 いい? ヒトは脳という『知能』の源から指示を出して、手足を動かしている。その手足で機械を操作したり、道具を使うわ。

 人工『知能』も同じ。だけど、ヒトと違ってあらゆるコンピューターや機械と直結することができる」

「………………」

「少なくとも仕事(ワーク)という次元では、人工知能の方が勝っていると思わない?」

「それは……製造だけだったらそうかもしれないけれど」


 しかし━━とコウは思う。


 どんなに精密な機器の製造であろうと、スタートのボタンを押すのは人間ではないか。

 それは結局、人工知能と同じく、機械や道具を使って仕事をしていることではないか。


「あなたの今、考えていることを当ててあげるわ」

「わかるっていうのか?」

「コウ、あなたの考えている通りだとしたら。

 手足を欠損したヒトは。全身が麻痺のヒトは。ボタンを押したくても押せないヒトは。

 もうヒトたる知能を持っていないということにならないかしら?」

「っ━━━━━━」


 パーティの言葉に思わず川野コウはうめいた。

 ぐ、う、という声にならない声が喉奥から漏れる。彼女は真剣な目をしている。挑発しているのではない、からかっているのではない、と言うように。


(けど、それすらも……)


 自分をわざわざいたわって、そうしているだけなのではないか。


 やりこめられた屈辱よりも、怖れにも近い感情が川野コウの全身を支配していく。


「もちろん、違うわ。たとえ手足も。五感すらなかったとしても、ヒトにはヒトたる知能がある。

 考えることができるし、伝達手段さえあれば、どんな精密な仕事(ワーク)だって出来る。

 つまり、その根源的な状態に関しては、人工知能と差はない。

 少なくともヒトが人工知能より勝っているという証明にはならない……」

「そ、れ……は……」

「あなた達ヒトが『優れている』と自認している複雑な判断やフレキシビリティというものは、人工知能でも何の問題もなく対処できる次元だわ」

「それはそうかもしれないけど……人工知能には心がないじゃないか?」

「知能に心が必要なの?」


 今度こそ、川野コウは何も言えなかった。


「ヒトは人工知能より優れている。

 知能には心が伴っていなければならない。

 どれもこれもありがちな思い込みだわ」

「君は……何が言いたいんだ」

「ディープ・ラーニング技術を使った人工知能はね、脳の模倣なのよ」


 ずりずりとシーツを引きずりながら、再びパーティはコウの眼前まで近づくと、紫のネイルを塗った細い人差し指で彼のコメカミへ触れた。


「わかる? 脳の模倣。

 つまり、その構造をコンピューター・データで再現しているの」

「ニューラル・ネットワーク……ってやつか?」

「そうよ。その単語。

 物知りだけど、たった一つの専門分野もないあなたが、深く意味を知らずに覚えているだけの言葉」


 またしてもコウは呻いた。

 物知りだけど、たった一つの専門分野もない。それは彼自身も嫌と言うほど理解している欠点だった。


(そうでなきゃ……)


 とっくに誰にでも胸を張れるような職について。

 夢を持ち、希望を抱き、あるいは家族や大切な人すらも手にして、人生を歩んでいたに違いないからだ。

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