第24話『フランス大統領クリスチャンは決断する』
「こんばんは。
いや、そろそろおはようございますですな、大統領。こんな時間に騒がせしていることをお詫びします」
『……インフラへのテロかと思ってみれば、まさかα連合国とはな』
花の都パリ。官邸を制圧したスペンサー大尉と面会した、フランス大統領のクリスチャンは、不機嫌の中にもどこか現状が信じられないような顔だった。
これは夢なのではないのか。あるいは、どうしようもないボタンの掛け違いが続いただけなのではないか。
こんなイリュージョンはもうやめにしてほしい。さっさとまともな現実に戻してほしい。
そんな感情が瞳の奥からうかがえた。
「単刀直入に申し上げます、大統領。
降伏……いや、名誉ある停戦に同意していただきたい」
『その前に私の質問に答えてもらおう。
君たちは本当にデルタ・フォースか? α連合国政府の正当な統制を受けているのか?』
「つまりところ、我々が部隊名を偽っている可能性や反乱部隊あるいはα連合国軍そのものの暴走を想定されていると?」
『そう考える方がよほど自然だろう』
苦虫をかみつぶしたような顔で言うクリスチャン大統領。スペンサー大尉は思わずこぼれ出る笑みを抑えきれなかった。
「申し訳ない大統領。本当に申し訳ない大統領。
あなたの願いには応えられないのです。我々はα連合国正規軍であり、この作戦は我がα連合国大統領によって承認された、最優先の作戦なのです」
『………………なんということだ。
ロシア人でもムスリムでもなく。
ドイツ野郎ですらなく! よりによって……α連合国とは!!』
「我々は既に貴国、いや欧州全土のインフラを制圧しています。
あなた方は電話をすることもできないでしょう? パリの様子をご覧頂ければ分かります通り、電力もすべて遮断されています」
『我がフランス軍はまだ健在だ!』
「しかし、官邸に備えられている非常用の通信ラインも、さきほど制圧が終わりました。
従って、あなたが軍と連絡する手段は絶たれています。
もちろん、この異変に気づくものがあれば別でしょうが……それでもしばらくの間は、どんなフランス軍の部隊も駆けつけることはないでしょう。
どうです? その間、私たちを相手にCQCで持ちこたえますか?
あなたや官邸のスタッフを我々のオスプレイに押し込んで、飛び去ってしまっても良いのですが?」
『くそっ!!』
スペンサー大尉が嘘を言っているわけではないのは明白だった。
大統領は胸元のペンを床に投げつける。
上空でホバリングするオスプレイの鈍い音が聞こえる。それはクリスチャン大統領にとっては、忌々しい蝙蝠の羽ばたきにも等しかった。
「我々もなるべく手荒な方法はとりたくありません。
犠牲を出したくないのです。今、大統領が決断してくだされば、歴史上、かつてないほど少ない犠牲者で━━事実上の無血で、この戦争を終わらせることができるのです」
『勝者の傲慢な論理だ!』
「傲慢かもしれませんが、事実です。
我々はツェッペリン飛行船で爆撃などしていない。パリ砲を撃ってもいません。
それどころか、フランス軍の1部隊すら攻撃していないのです。
ただただ、インフラを狙い打ち、通信とエネルギーを絶っただけです」
『ならば、それが回復すれば戦いになるということだ!』
「いいえ、我々は大統領が停戦に同意していただけない場合、徹底的なインフラへの攻撃を加える準備を整えています。
その時、もたらされるのは現在のようなピンポイントの遮断ではなく、回復まで数年はかかる廃墟の出現です。
こちらをご覧いただきたい」
スペンサー大尉はタブレットタイプの戦術情報表示デバイスを部下から受け取ると、クリスチャン大統領に画面を見せる。
『………………!!』
「大統領。あなたは軍の出身です。この意味がお分かりでしょう?」
そこに表示されていたのは、ご丁寧にもフランス語表示の部隊配置図だった。
クリスチャン大統領は絶句する。
フランス沿岸には複数の原子力潜水艦が展開している。また、ブリテン島周辺には老兵B-52をはじめとする通常型戦略爆撃機が大量に遊弋しているではないか。
艦船もまた凄まじい規模で欧州沿岸に殺到しつつあり、その中にはE連合を離脱して久しい英連邦の軍も含まれていた。
「これらの戦力が投射しえる巡航ミサイルとスマート爆弾の数は4000を超えます」
『……わかっている』
「今から36時間以内に海兵隊の強襲揚陸艦が、最大で10の地点へ上陸することができます。
あくまでも占領軍━━いえ、停戦なった貴国へ友人として駐留する予定でありますが……むろん、通常の戦闘もまったく問題なく可能です。
通信もままらない貴国の軍隊に、これらを退けることができますか?」
『くそっ!!』
どうにもならない。既にチェックメイトに限りなく近いことをクリスチャン大統領は思い知らされる。投げつけてしまったペンの代わりに、彼は拳を机へ叩きつけた。
『っ……停戦条件はなんだ?
我々フランス国民は奴隷になるくらいなら、レジスタンスとして戦い抜くぞ!』
「とんでもありません。
歴史と伝統と文化を誇り、そしてE連合有数の実力を持つ貴国をそのように扱うことなどあり得ません」
『ならば、どうする?』
「我が国と軍の駐留と通過を認めていただきたい。それと、現在欧州法で規制されている人工知能の制限を撤廃して頂きたいのです。
それだけです。政府も企業も国民も、むろん憲法も法律もそのままで結構。
あなたをエルバ島へ追放するような真似も致しません」
『……そんな言葉を額面通りに受け取る者がいるものか。
何を隠している?』
「さすがは偉大なフランスの大統領閣下だ」
うっすらと。しかし獰猛にスペンサー大尉は笑った。
「たった一つだけ明確な要求があります。
これは丸呑みしていただきたい」
『前置きはいい。言ってみたまえ』
「大西洋上に展開している、貴国の弾道ミサイル原潜を直ちに帰還させて頂きたい。その現在位置も共有して頂きたいのです……不測の事態を避けるために」
『私がフランスの名誉に賭けて、全SLBMの発射を命じたとしたら?』
「恐ろしいことです。
貴国の弾道ミサイル原潜1隻あたりM60ミサイル16基……しかもMIRVですらか各ミサイルごとに弾頭が6。
つまり96発の核弾頭が発射されることになります。
我がα連合国は全力を挙げて迎撃する用意をととのえていますが、ほんの1%強の撃ち漏らしがあっただけで、地獄が生まれることになります」
『そうだ。そして、君たちも撃ち返してくるだろう。
どちらも地獄だ。それこそが核抑止力だ。相互確証破壊だ』
「確かに。しかし、大統領閣下。あなたはそこまで分別のない方ではない。
危機においても、冷静で大局的な判断のできる人物です。
我々の国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』はそのように判断したからこそ、この作戦は実行されました」
『………………君たちが人工知能を国策の決定に関与させているのは知っているが』
クリスチャン大統領は悩んだ。
大いに悩んだ。実時間にすれば、ほんの1分にも満たなかったが、彼にとっては数日にも、あるいは数週間にも感じられた。
(……ここまでシナリオ通りに進むと、こちらの方が驚いてしまうな)
そして、その煩悶を見守るスペンサー大尉にとっては、あくまでも予定通りの待ち時間であり。
大げさに頭を抱える仕草すらも、国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』が事前に予測した通りのものであり。
『……分かった』
苦渋。苦悶。苦断。
そんな感情が濃縮されたような声もまた、予測されたそのままであった。
『停戦に応じよう。ただし、我々フランスの名誉は守ってもらいたい』
「メルシー。
もちろんですとも、大統領閣下。
あなたは敗れてなどいません。もっとも素早く、もっとも賢明な決断をすることで、全フランス国民を救っただけなのです」
スペンサー大尉がやはりシナリオ通りに慰めの言葉をかけると、クリスチャン大統領は瞳に涙を浮かべて頷いた。
時に2035年6月6日午前4時。
E連合・西の巨頭にして、唯一の核戦力を備えるフランスはここにα連合国との単独停戦を行った。