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第23話『海底ケーブルはこれより切断される』

 改バージニア級原子力潜水艦『アラスカ』はその時、日本の千葉県沖海底に鎮座していた。


『艦長、司令部より通信です。

「ルビコン川を渡った。橋を落とせ」とのことです』

「わかった」


 ゆっくりとうなずきながらも、『アラスカ』艦長のレイニー大佐は憂鬱な気分だった。

 核戦争がはじまった日に、ソ連へ向けて戦略核を発射するような世界線があるならば、その艦長も自分と同じ気分だったのだろうか。


(いや……世界を滅ぼすわけではないのだから、幾分マシというものか)


 それにしても、自分がこれから為そうとしている行いの重大さを考えるとき、彼は運命を呪わずにいられない。


『艦長……本当にやるのですか?』

「それが作戦であり、命令だ。もちろん『ハイ・ハヴ』もそう言っているわけだ……」


 怯んでいるというよりは、明らかに恐れを抱いている副長の様子も、さすがに責める気にはならない。


 レイニー大佐も副長も、軍に入る前の専門は電子工学である。

 それゆえに、2035年現在の世界がどれだけネットワーク通信に依存しているか、嫌と言うほど知り尽くしているし、その大多数が海底ケーブルを通して、α連合国のサーバーへ集中していることも理解している。


(何しろ私が学生だった25年前ですら……世界の通信の大半は、我が国のサーバーを経由していたからな)


 それはすなわち、インターネットを利用したサービス分野において、α連合国が絶頂を極めていた時代でもある。

 むろん、その頃(2010年代)に比べれば、サービスの多角化が進んでいるとはいえ、ロシアに代わる第二の超大国として台頭してきた中国が、分裂・内戦の状態にある今、α連合国の電子サービスにおける覇権は揺るぎない。


「作戦を開始する。DS(Deep Sea M)MU(obile Unit)放出。

 日本国と我が国を接続する海底ケーブルの切断を行う」


 ()バージニア級原子力潜水艦『アラスカ』は、21世紀初頭に建造がスタートした最新型の攻撃型原子力潜水艦である。


 元より、戦争の様相が多様化した21世紀の情勢を反映して、改以前(・・・)のバージニア級も特殊部隊であるNAVY SEALsの支援装備を備えていたが、()バージニア級原子力潜水艦の一番艦である『アラスカ』には、さらに充実した特殊装備が満載されている。


DS(Deep Sea M)MU(obile Unit)放出』

『予測された海底ケーブル埋設位置の掘り起こしを開始』

『第一通信ケーブルを確認。切断機を設置します』


 DS(Deep Sea M)MU(obile Unit)

 すなわち、深海(Deep Sea)機動ユ( Mobile)ニット( Unit)は超水圧下の深海において作業するための無人装置である。


 α連合国の誇る原子力潜水艦の技術を利用し、想像を絶する水圧がかかる深海においても、既存の潜水探査艇には不可能な細かい作業が可能となっている。


(ここからは見えるはずもないが……)


 レイニー大佐は想像する。


 無尽蔵に近い電力を使用可能な原子力潜水艦とケーブルで接続された、深海(Deep Sea)機動ユ( Mobile)ニット( Unit)は、光のまったく届かない深海を真昼のように照らす超高出力投光装置も備えている。


 さながらその周囲は、真夏の南洋でダイビングをしている時のように明るいだろう。


 また、ディープ・ラーニング技術を利用した、人工知能センサーによる海底・海中の高精度識別にくわえ、親機である『アラスカ』からの観測データとリンクして、わずかな潮流の変化や予測まで対応することが可能だ。


 もっとも、気象条件が激しく変化する大気中に比べれば、海底はあまりにも穏やかな世界である。

 これは将来の学術探査まで見込んだ実装とのことだが、現に今、軍事作戦に従事しているレイニー大佐にとっては、どうでもよいことだ。


『これで日本国と我が国の通信は事実上遮断されます。

 復旧に取りかかるとしても、最低数ヶ月はかかりますな……』


 ━━今ならまだギリギリ止められる。

 そんな含みを口調に込めた副官の呟きがいかなる意味を持つか、レイニー大佐はわかっている。

 何しろ、遮断されるのは日米の通信だけでない。日本を介した他国の通信もすべて遮断されるのだ。


 すなわち、アジア地域の通信に影響が及ぶわけで、まさに世界的である。


「我々のように海底ケーブル切断を行っているのは、ここチバ沖だけではない。フィリピン……台湾……インド洋……大西洋……」

『攻撃型潜水艦の大半がこの任務に投入されているそうですね』

「もちろん、艦隊の直衛についている艦もいるだろうが、思い切った戦力分離だ……」


 ━━我々だけが止めても無意味だ。

 そんな感情を込めてレイニー大佐は言いながら、カップのコーヒーを飲み干した。

 そのコーヒーは熱く、そして実に美味い。

 原子力潜水艦ならではのありあまる電力によって海水を電気分解・真水に還元して生み出された、親潮コーヒーである。まずいはずがなかった。


「副長、君も覚えているだろう。世界の通信がこうした海底ケーブルにどれほど依存しているかを」

『うっすらと。およそ85%でしたかな』


 2010年代からタイムスリップしてきたものがいるとすれば、それは驚くべき数字であった。

 政治情勢やテロによる破壊の標的となりかねない地上ケーブルに比べ、海底ケーブルはもっとも安全なインフラであり、設置と依存は進む一方なのである。


「では、こちらは覚えているかね。海底ケーブルの設置や修理ができる特殊保守工作船は全世界に何隻あるか」

『なんとなく。およそ40隻でしょうか』


 そう、しかしそのインフラは恐ろしく僅かな特殊船によって支えられているのだ。

 海底地震や浅海における漁業でのケーブル破損が起きると、これらの特殊保守工作船は出動する。いわば、電気やガスのレスキューカーのようなものである。


(たった40隻で世界中を……このチバ沖だけでも何十本もあるというのに……完全復旧に何年かかることか)


 今回の作戦を言い渡されたとき、上官である海軍少将が言ったセリフをレイニー大佐は思い出す。


『今回の戦争は最大効率での最小破壊を方針としている』


 と。


「くっくっくっ」


 レイニー大佐は自嘲せずにいられない。

 潜水艦本来の存在意義を考えれば、まるで対極である。


 わざわざ抵抗の大きい海の中へ潜り、あらゆる非効率と同居しなければならない潜水艦。

 狭く、暗く、何より小さな損傷でも沈んで乗員は全滅確実。効率の意味で言えば、潜水艦は最小最悪の存在である。


(しかし、いざ牙をむけば……)


 巨大空母だろうと最新鋭の護衛艦だろうと敵ではない。

 攻撃型潜水艦乗りの一人として、レイニー大佐には確信がある。


 土台、海上艦が海中艦にかなうはずがないのだ。

 潜水艦は制圧しえるもの、という世間の認識など、仮想敵国の艦があまりに性能劣悪だったからにすぎない。


(そもそも、最新の潜水艦が本気を出した戦いなど、あの第二次世界大戦以降、一度も起こっていないではないか……)


 最新の潜水艦が本気で隠れ潜むとき、対潜哨戒機はそれを見つけられるのか? 聴音網は? 護衛艦は? すべてはお題目であり、実戦データがあるわけではないのだ。


 しかし、潜水艦が攻撃に転ずるならばはっきりとしている。海中から発射される戦略核ミサイルにしても、巡航ミサイルにしても、長魚雷にしても。


(絶対防げる!……という防御システムなど、未だに存在しないではないか)


 MD網が戦略核ミサイルを一発でも撃ち漏らしたら、それだけで数百万の人間が消え去るのだ。

 対空システムが巡航ミサイルを仕留め損ねることは、よくあることではないか。

 まして━━完全に照準された魚雷を防御するシステムは、今でも世界に存在していない。


「この世界は不条理の塊だな、副長」

『まったくですな、艦長』


 副長は強くうなずいたが、レイニー大佐の心中をほんの1割も理解していなかった。

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