第21話『スペンサー大尉は大統領官邸へ降下する』
そして今、フランスの首都パリ上空では、一機の怪鳥が飛んでいた。
V-22Xことエンジェリック・オスプレイは史上初のティルトローター機にして、同機種の金字塔となったV-22オスプレイを、特殊・潜入任務用に大改造したモデルである。
そのフォルムは原型機であるV-22オスプレイのマッシヴで曲面を多用した造形とは異なり、鋭角的できわめてシャープなものに変容を遂げている。
また、もっとも目を引くのはそのプロップ・ファン回転外周を覆うように取り付けられている『エンジェル・リング』である。
すなわち、正面からみると、回転するプロペラの外周に、ぎりぎり接触しない程度に大きなリングがとりつけられているのである。
土星の輪、と開発段階では呼ばれていたらしい、この相対的ステルス性を増すための装備がいかなる効果を持つのか、それは軍事専門家の間でも議論がわかれている。
さながら、レオパルド2戦車の最新型が突如装備した、ショト装甲について議論が百出したように。
しかし、『天使の輪』という命名については異論を挟むものはないだろう
『航空機モードからヘリコプターモードへ漸進遷移』
『パリ上空、目的地へ到達。これより急速降下へ移る』
オスプレイを筆頭とするティルト・ローター機の特徴であるエンジンの回転機構が作動した。
双発の固定翼機といった外観だったV-22X エンジェリック・オスプレイのエンジンが傾いて、じわじわと真上を目指していく。
もっとも、彼らがいるのは高度6000メートル……すなわち、純粋なヘリコプターではほとんど到達不可能な高度である。
そこからいきなりモードを切り替えては墜落しかねない。
フライ・バイ・ライトシステムが完璧に計算制御した、もっとも危険な、しかしぎりぎり失速墜落には至らない速度で、V-22Xエンジェリック・オスプレイは、一部の大企業本社と官公庁以外は明かりの絶えたパリ中心部へと降下していく。
高度1500メートルでエンジンはいよいよ真上を向いた。
『天使の輪』はV-22X エンジェリック・オスプレイの左右に一つずつ浮かんでいる。
もっとも、皮肉なことにこの状態はV-22X エンジェリック・オスプレイが航空機モードで持つ高いステルス性が失われる。
常識的には危険としか言えない急速降下も、極力、レーダー捕捉時間を減らすための必要戦術である。
そのような危険を冒さざるを得ないこと自体が、ジェット機に対してプロペラ機・回転翼機でどれだけステルス性確保が難しいか、その厳しい現実を示しているとも言える。
『大統領官邸を目視で確認』
「了解。警備部隊との交戦に備えよ」
V-22X エンジェリック・オスプレイのキャビンで突入部隊の指揮を執る、デルタ・フォース隊長のスペンサー大尉は、緊張に顔をこわばらせている。
先進国の官邸ともなれば、当然、対空ミサイルの類いは備えられている。いくら奇襲とはいえ、そんな場所に突入しようというのだ。
今、まさに撃墜されて全員戦死したとしてもまったく不思議ではないのである。
(事前に電子攻撃で潰しているとは聞いているが……)
皓々と自家発電の明かりが灯っている大統領官邸を見る限り、確証は持てない。
そもそも電子攻撃━━つまり、NSAの作戦をスペンサー大尉は何も知らされていない。とはいえ、デルタ・フォースは部隊の存在自体、公式には『ないこと』になっているのだから、お互い様とも言えるが。
『官邸屋上ヘリポートまで50メートル』
じわじわとHマークが迫ってくる。
誰かが上空に指を指して、大声をあげているのが見える。確実に気づかれている。
この瞬間、スペンサー大尉は難しい決断を迫られる。
どんな軍事作戦も、たった一つのプランのみで遂行されることはない。戦いは相手のある行為だ。そして戦いの相手は自分の任務を果たすため、あるいは自らの生命を守るため、必死で抵抗するものだ。
(プランΓに移行すべきか……?)
プランΓ。
それは強力な抵抗が予期され、強行突入前に撃墜の危険が高い場合に、濃密な電子妨害を発動するとともに、大量の煙幕攪乱弾を投下するものである。
(どうする……?)
スペンサー大尉は迷う。
しかし彼は経験を積み、訓練を重ね、強靱な精神を持った指揮官である。だが、指揮官の才能はそれだけではない。本当に重要なタイミングで決断できるかどうかだ。
━━おそらく、あと数秒の猶予があるならば、彼自身が最適な決断に至っていただろう。
「……全員聞け。
プランはαのままでいく。『ハイ・ハヴ』もそう言っている」
だが、この土壇場で彼が決断の補助としたのは、右腕に装着している多機能通信システムのディスプレイに表示された一文であった。
その意味は簡潔にして、シンプル。
国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』は、プランαの継続を強く推奨していた。