第01話『川野コウ、S・パーティと出会う』
どこか懐かしい匂いのする石畳の道路を、不必要なまでに巨大なクルマが駆け抜け、数名が両腕を広げても通せんぼできないほどの歩道を、無数の人が行き交っている。
どこかで記念イベント行事でもやっているのだろうか。国歌のメロディが耳に聞こえてくる。
道をまっすぐ進めば、そこに並ぶのは政府機関の建物。国旗は風にゆらゆらと揺れている……。
(経済じゃなくて、政治の中心地っていうのは……こういうものなのかな?)
政治経済双方の中心を兼ねる東京しか知らない日本人の彼が━━川野コウが、ワシントンDCに対して抱いた第一印象は、そんなところだった。
あるいは、遠い昔の京都、さもなくば平安・平城の都もまた、このような雰囲気を兼ね備えていたのかもしれない。
さしずめ、経済の中心だった大阪はニューヨークにあたるのだろう……。
ひっきりなしに通勤者や観光客が通り抜ける、交差点の一角に構えられたコーヒースタンドで、若い黒人がドリンクを注いでいる。
コウは首都らしい価格のそれを一杯を注文すると、口に含んでみた。苦い。しかしそれ以上に熱かった。
(もうすぐ夏とは言っても、この格好じゃ寒いよな)
ぶるり。薄手の上着一枚の体をコウは震わせる。
手に持った『THE・フォン』、すなわち『The・フォン』をみると、待ち合わせ時間はまもなくだった。
「はじめまして」
そして、その声は。
マイクロセコンドほどもズレのない、ぴったりの時刻に響いた。正確にはその10秒前に、交差点へタクシーが止まり、5秒前にその声を発する主が下りてきた。
「そして、ごきげんよう。ミスター・コウ。
我が国へようこそ」
「……はじめまして。お会い、できて、光栄……です」
「うふふふ。
無理をして英語を話さなくてもいいのよ、こちらが合わせてあげるから」
きわめて流暢なイントネーションの日本語でけらけらと笑う彼女は、どうやらコウが待ち合わていた相手で間違いないらしかった。
しかし、刹那に人違いを疑ったのは無理もないことである。
彼女の服装は漆黒のゴシックロリータ。
純正の青い瞳と長い金髪は、彼女がネイティブの西欧人であることを教えてくれるものの、コウの母国で出会ったならば、何のコスプレかと眉をひそめていたことだろう。
「君か、僕を招いたのは」
「私よ、あなたを呼んだのは」
切れ長の目を細めながら、ゴシックロリータの少女は右手を伸ばした。
細やかな刺繍とフリルの施された手袋に思わず見とれてしまってから、コウは彼女が握手を求めているのだと気づく。
「よ、よろしく」
「ええ、よろしく。承知していたけれど、初心な人ね。
あなた童貞? 今までにお付き合いした女性の数は? ハイスクールでラブレター詐欺に引っかかった回数は何回?」
「どっ!!━━き、君の想像に任せるよ」
「そうね。対人コミュニケーションは、人並みにできるみたいね」
進むからついてこい。
そうとでも言うように、ゴシックロリータの少女はくるりと半回転してから、一歩を踏み出した。
見えそうで見えなかった下着は、きっとシュレディンガーの箱よりも蠱惑的な秘密なのだろう。
なまめかしく誘惑するほっそりとした首筋が、後を行くコウの視線に晒されていた。
「ぼ、僕はコウ。川野コウだ。22歳。少し前まで学生だった」
「知ってるわ。就職先に困って、暇ばかり持てあましていることも」
「……君は一体誰なんだ。
いきなりメールを送って来たと思ったら、航空券と現金まで送りつけて。
何を訊いても、とにかくこの日この時この場所へ来いとしか言わなかった……」
「私はパーティ」
再びゴシックロリータの少女は━━パーティは半回転した。
今度はそのスカートもほとんど翻らなかったが、コウが生唾を飲み込まざるを得ない角度で、上目遣いに見あげてくる。
鎖骨から視線を下ろしていくと、僅かなスキマが胸元に存在している。そして、完璧に計算されているかのように、見えてはいけないものは見えなかった。
「パーティ?」
「それが名前。S・パーティ。ただのパーティと呼んでくれればいいわ」
「……米国人の姓名には詳しくないけれど、結構珍しい名前だな」
「それを言うなら、あなたはありきたり過ぎる名前だわ。
もっとPEKACHUとかSONGOKOとかHEICHOとか、日本人らしい名前にすればいいのに」
「……そういう人達とはあまり懇意にしていないんだ」
「うふふふふふふ。やっぱり真面目な人ね。承知していたわ。
ええ、あなたに会う前から承知していたもの」
「………………」
けらけらと笑って、みたびパーティは半回転。
無防備にうなじを晒す姿勢へ戻ると、ほんの僅かに足を速めた。
「どこへ行くつもりなんだ」
「せっかくワシントンDCへ来たんですもの。観光案内をしてあげるわ」
「……その前に君の用事と目的を知りたいんだが」
「それも兼ねて、よ」
どこかのアニメで見たことのあるような角度で、パーティは首から上だけを軽く反らせてそう言った。
艶やかなピンクの唇が妖しく光っている。そのまま抱きついて、押し倒したくなる衝動を、コウは辛うじてこらえていた。