95.表には絶望を、裏には絶望色の幸福を
「今戻った、ザザ」
歓楽街とスラムの合間。建物から囲われ隠れるようにその施設は裏路地の奥へこっそりと存在した。
僕達を、いや、アレンさんを迎えたのは一人の男。様子はどう見てもチンピラ風情のそのもの。顔が少し赤いのは、子供達が学校から抜け出さないよう見張っている退屈な仕事の合間に酒でも楽しんでいたのか。
ザザという名前は事前にアレンさんから他の情報やこれからの取り決めと共に教えられている。それなりに能力はあるのだが良くも悪くも感情の起伏が激しい人間らしく、機嫌が悪い時は近くにいる子供を殴り飛ばし発散するし、逆に良い時は自分が食べもしないのに買っている菓子を子供達に分け与えるほどの極端さ。
つい日常生活でカッとなったとき人を殺しかねない危うさらしい……あぁ、故にこの施設の福施設長を任されているのか、既に何人か殺っちゃったのだろう。何にせよ普段は近づかないほうが懸命だ。
「おかえりなさい。遅かったですね、アレンさん」
「あぁ、コイツが思いのほか従順だったんでな、ついでに他の仕事もこなしてきた。名前はアメだ」
名前を呼ばれ、僕は黙ったまま頭を下げる。
ザザはさして興味も無さそうに顔を確認しただけで、すぐさま視線を逸らした。
「少し光るところがあるのでな、私が念入りに手を加えていこうと思う」
「はぁ、そいつは物好きなことで。まぁ構いませんよ、面倒さえ起きなければね」
どういう意味の物好きなのだろうなぁとぼんやり考えつつ、時期を見て二人で組織から貴族へとの脱走を企んでいるにもかかわらず、顔色一つ変えず頷いただけのアレンさんのやり取りが少しだけおもしろかった。
実際に脱走が成功したのならばザザがこの施設の長に格上げされるだろう……いや、失敗しても僕達の命は無いのでその時は惜しみない拍手を送ってあげよう。おめでとうザザさん、これでいつでも首が胴体から離れる準備はできたねって。
もはや日付の変わっている時間。
わざわざ見張り以外の人間に商品一つの顔を見せる必要など無く、僕はアレンさんに案内されて寝静まっている建物の中を構造を確かめながら静かに歩く。
「ここだ」
立ち止まった一つの扉はこれからの僕の自室か。
案内してくれたことに黙って一礼をし、ドアノブを握ろうと手を伸ばすと背中から声がした。
「これから頼むぞ」
「はい」
施設内部で感づかれることを恐れ、一切口を開かないつもりでいたがアレンさんがそう言ってくれたので僕も一声だけ返事をした。
ここでは僕も一人の奴隷。たとえ腹に何かを抱えたもの同士でも、然るべき立場の差を周りに誇示しなければならない。
そんな日々は酷く歪で厳しいものだろう。だから敢えて言ったのだ、誰かに聞かれているかも知れないこの空間で一言だけを。
ドアノブを握り僕は室内に入る。
初めに感じたのは臭いだった、何もないを嗅ぎ取った。
普通人が生活をすれば部屋というものは体臭なり香水の臭いが残るもの。食堂なら食べ物の匂いが、馬小屋なら獣の臭いが。
けれどこの部屋には何も、いや厳密には臭いは存在するのだが、際立ったそれは一切存在しないが故に特徴を嗅ぎ取ることができなかった。
室内そのものは至って普通。
もはや空気口としか呼べないほど抜け出せなくされた小さい窓に、そこから僅かに差し込む周りの建物に反射される青い月光。
その月明かりは室内を照らし出し、それでも僕は魔力で目に入る明かりを増やしながら他に光源の無い部屋を見渡す。
二つのベッドに棚、そして一つしかない机と椅子。以上だ。正直床で寝ることも覚悟していたが、どんなに硬いベッドだろうが存在していたことは喜ばしい。そう思っていると空いていない一つのベッドから何かが飛び上がる。
「驚かせてごめんなさい、今日からここに住まわせてもらう人間です」
「……」
扉の開閉音に反応し熟睡から覚醒したのだろう。
一人の少女が身を起こしていたが、入ってきた僕が大人ではなく無害な子供だと気づくと何も言わず再び体を休めることにしたようだ。
一瞬だけ見えた見慣れたその瞳が彼女がもう卒業間近なことを証明する。一人分顔と名前を覚える労力を抑えられたことに感謝しながら、僕はなるべく音を立てないよう着ていた服を脱いで、用意されていたボロボロの布で体を拭き、ボロボロの服に着替えた。
自分用の棚にそのタオルらしきものと、当分着る事はないだろう綺麗な服を乾かすために掛けかけておき、案の定硬いベッドで僕も意識を落とすことにする。
体は随分と疲れた。普段動いていないにもかかわらず無茶な動きをしたせいで痛めているのがよくわかる。ただ僕は、三度目の生で初めて精神的充足感を味わいながら眠りにつくことができたのだ。
- 表には絶望を、裏には絶望色の幸福を 始まり -
朝。
日が昇り始めた頃、同居人が起きてゴソゴソと準備を始めるのを確認。
確認し、もう三十分ほど惰眠を貪ることに決めて意識を薄める。
そろそろ頃合かと思った頃に誰も居ない部屋で身なりを整える……といっても無造作に腰辺りまで伸びた髪を整えたりする以外何もできないのだが。
自室を出て廊下を確認、案の定誰も居ない。
これから何をすればいいのか誰かに確認したかったのだが、まぁなんとかなるだろう。
そもそも勝手を教えてくれようとしたアレンさんを止めたのは僕自身だ。既に子供らしさを演じることを失敗し両親との不和を生んだ僕、普通よりも何も知らない程度が丁度いい。
人の多い場所に行けばなんとかなる、そう思い身近な場所に誰も居ないのが気配でわかり、思わず索敵魔法を行使しようとし留まる。
索敵魔法は魔力を霧のように広く飛ばし、反発して来た存在を感知する魔法だ。魔法を能動的に扱えない人間ならまだしも、ここの大人達が感知されたことを把握できないほど能力面で劣っているとは思えない。
そして建物内部で探知魔法を使うような人間はイレギュラーだ。勝手を知る大人達が使う理由はないし、子供達が魔法という過ぎたものを扱えるよう教育されているわけもなく。
アメという例外を気取られるな。でも目的の場所へは向かえ。
朝食の時間はとうに過ぎていて、今は恐らく授業中の時間帯。人が多い空間を見つけられればそこは子供達が集められているか、大人達が集まっているか。
後者はなるべく引きたくないが、過度に魔法を扱えない現状もはやくじ引きに等しい確率。
角を一度曲がり、誰も居ないことを再び確認。
建物の外見を思い出し、昨晩自室に移動するまで見てきた内部と照らし合わせる。そこから建物がどういった形であるのが好ましいかを想像し、ある程度目星をつけたあとは聴力を強化して一歩一歩進む。
この程度の魔法行使ならば睨み合う状態でもほぼ感づけない。ただ自分の足音すら五月蝿いほどの聴力に、何か大きな音でもしたら大変なことにあうのだろうなぁと憂いはしたが。
「遅かったな、いい身分だ」
すぐにたどり着けた教室らしき箇所では、既に子供達が教えられたことを学ぶため器に入れた砂に文字を書いていた。
迎えてくれたのはアレンさん、予定通りだ。
「ごめんなさい、何をどうしたらいいかわからなくて……」
嘘じゃない。
混じりの無いそれは演技ではなく言葉で発せたと思う。
「あいつが居ただろう、何故聞かなかった」
顎で指されたのは一人の少女。多分僕の同居人。
アレンさん以外子供しか居ないこの空間で、視線を集めたにもかかわらず彼女は器へ視線を気にせずおろし続けていた。
「……」
それに対し僕は無言。
連帯責任が無いからって、寝坊しているフリの僕に一声もかけなかった彼女は酷いと思う。
「もはや言い訳すら思いつかないか」
アレンさんはそう言い、持っていた指示棒を振りかぶる。
めっちゃしなってる、あれ鞭みたいに痛いやつだ。
バシンという音と共に頬に酷い衝撃。殴打された箇所は腫れ上がり、表面が僅かに裂けて血液を散らす。
殴られた反動で丁度子供たちを見る。八名ほど居る中で、六名は何事もなかったかのように作業を続けているにもかかわらず、二名だけが怯えたようにアレンさんを見ていた。
あの二人がまだ新入りの部類か。二人に恐怖を植え付けるため、施設内での特別扱いを目立たせないために僕は今こうして殴られている。
「拭け」
「……はい」
投げられた落ちきらない汚れを抱えた雑巾を一度顔面で受け止め、あぁこの雑巾最後に洗われたのは何時なんだろうなぁ……と虚しい思いを感じながら手元に落ちてきたそれを手にして、床に散った血液が染み込む前に拭くため屈む。
「失敗を犯した罰は上の人間から与えられる、そして後始末をするのは罪を犯した人間の当然の勤めだ」
既にアレンさんの視線や語りは僕へと向けられていない。
「これは、床を汚した分だ」
言葉と共に振り下ろされるは二つ目の殴打。
雑巾を動かしている右肩に突き刺さり、堪らず手を離せば再び掴もうとしても痛みがそれを邪魔をする。
やめて、せめて左肩にして。
「大丈夫か、痛むか?」
「平気です、痛みには慣れているので」
そう心配するのは傷をつけた張本人であるアレンさん。相変わらず瞳は死んでいるが、その顔つきから本気で僕を心配していることがわかる。
午前の皆で集まって授業をする時間は終わり、昼食後今は郊外に出て人目のつかない場所に居る。他の子供たちは個別で何かを叩き込まれているか、休息日になっているのだろう。
「そうか、もう治しても構わないぞ。夕食まではもう誰にも会うまい」
「はい」
今日の見せしめの役目を負え、僕は放置していた傷を魔法で治す。
目立たない肩はこっそり途中で治していたり、頬の切り傷は魔法を使わずとも勝手に治っていたが、まだ腫れ自体は治まっておらずヒリヒリしていて煩わしかった。
多分これからも僕に疑念の目が向けられたり、子供達の顔ぶれが入れ替わる度にこうした役目を担っていくのだろう。
本当ならこうした理不尽な暴力に痛み、そしてアレンさんの二つの顔に心も堪えかねていくのだろうけれど、幸いというか今まで味わってきた過去を考えると鼻で笑う必要すらない程度のものだ。
「こうして時間を作れるときに、私が知っている技術を教えていこうと思うがその前に、アメ、お前がどの程度の技量を持っているか確かめる必要がある。そうして確かめた足りない基本的な箇所を埋め合わせ、私独自の技術や知識を教えていこうと思っている」
「教養、常識などは騎士団の方々が持っているもの程度には。専門知識や、あと家事は大分怪しいと思います。
それと戦闘方面では大衆に知られている魔法は大概使えますが……その、武術の方が心苦しいのですが、どんな武器も上手く扱えなくて、教えられてもまるで扱える自信がないです」
前世では剣道を、それからこの世界に来て短剣から槍、果ては斧やルゥの持っていた鎌まで使ったが、どれも自分の武器だと心に落ち着くものが無く、どれだけ鍛錬を重ねても人並みにすら届かなかった。
結果魔法を基本に戦っていたが、家事もそうだが幼馴染二人の存在が結果的に僕のできることを減らしてくれていた。その助けてもらっていたツケが今来たらしい。
「その言葉から私が予想できた能力が正しいのであれば、アメは期待以上の逸材だ。家事は施設で学ぶだろうし、武術面はその器用貧乏さがむしろ私の教えるものに適正を持っているやもしれん」
「どういうことですか?」
「私が基本的に扱う武器は己の肉体だ。これは仇を討つために、状況を選ばず実行できることを求めた結果だ。
ただ体だけで戦うかといえばそれも違う。組織で扱われるような小型の武器、暗器や冒険者達が好んで持つような刀剣、言ってしまえばその場にあり状況を有利にできるのであれば家具や箒も武器として扱う」
基本は肉体、けれど必要ならば他の武器も。
得物の扱い方を学ぶのであれば一本に絞ったほうがいい、人の時間は有限だ。戦闘中複数の武器を扱う状況などほとんどない。
けれど僕は既に三度目の生を授かりその枠から少し外れているし、前世では柔道に空手を学んでいる。そう考えるとアレンさんが提示する技術は器用貧乏な僕に適しているような気がするのは楽観的思考か。
「ではまず……」
「あの、すみません」
何かを始めようとしたアレンさんを遮る。
何を始めようがこれだけは伝えねばならない。
「ん、なんだ?」
言葉を遮られたアレンさんは嫌悪感も示さずそう尋ねてくる。
「走りこんできていいですか。全然運動なんてしていなくて、筋肉も持久力も無いので教えられたことを満足にこなせる自信がありません。
運動した後の疲弊した体を休ませている間に、体力がつく期間、その時に知識を学ばせていただきたいです。そのほうが効率がいいと思うので」
「……確かに効率的で、段階を得る良い案だと思うが大丈夫なのか? 慣れないうえ酷い環境に身を置く事になったところに、そうして無理をして精神的には大丈夫なものなのだろうか」
思わず二つ返事をしようとして思いとどまる。
もし僕が倒れたり、壊れてしまったら困るのはアレンさんだ。それを避けるためにこうした生活が現実的なものかをしっかりと考える。
「やってみないとわかりません。けれど無理をしないよう意識するのと、アレンさんが見ていてくれたのならば何とか管理できると思います」
精神的負荷は考えなくて良い。
必要なのは今までの体と思わず、しっかりと自己認識しながら調整して鍛えることと、主観的評価に溺れないよう見てくれる誰かだ。
「そうか。ならば実際に体を動かすのは後日からにする予定だったし、行こうか」
「……?」
思わず疑念の目を向けてしまう。どこに行くつもりなのだろう。
「なに、私もたまには堅実に体を鍛えてみようとな。昔築いたものを、魔法で誤魔化し続けるよりも今、暇持て余すことなく共に勤しんだほうが良いだろう」
「――はいっ」
誰かが傍にいてくれる。
そのささやかながら、大切な幸福に心を躍らせ走り続けていると、すぐにペースを誤り息切れを起こした。
調子に乗っていたのもあるが、この体……やばい。
- 表には絶望を、裏には絶望色の幸福を 終わり -




