94.たった一つの役割
夜の貧民街。
それも強い雨が降っているとはいえ、大声で叫んだり、人の家の上で好き放題魔法を扱っていれば何事かと気づく人も少なからず。
僕と男性……アレンさんはそれぞれ人々の意識から逃げるようにその場から去る。
とうに抗うつもりなど毛頭無く、ただ導かれるままに道を歩めば意外にもアレンさんは未だ開いている店で軽食を二人分買い、町の外壁の上に移動して腰を下ろした。
早速どこかの施設へ放り込まれるかと思いきや、意図の読めないまま徐々に弱くなっている雨の中続いて腰を下ろす。改めてお尻が冷えたが、今更濡れていない箇所などどこにも無く気にする必要は無かった。
「ほら」
「あ、ありがとうございます……」
投げ渡すでもなく、そっと手渡された菓子をあまり濡れないよう手で被いながら口に運ぶ。甘く、カロリーも十分備えているそれは、無理に酷使し破壊された体の修復にすぐ使われるため全身に周り心地の良い充足感を与えてくれる。
これほど美味しい食事は何時以来だったか。思わず考え、それが追憶に繋がる思考だとすぐに気づき中断。今を見る。
アレンさんはこちらを気遣う視線を寄越しながらも自分の分を食べている。夕食がまだだったのか、彼なりに体を無理に動かしたのか。それともあの右腕に刻まれた模様は過剰にエネルギーを使うのか。
これは、今は気にする必要はない。現在地は外壁の上。人の気配は雨など無くとも元より存在せず、また何かの間違いで今ここに誰かが近づいてきても、声が届く距離に入る前に気づけるほど視界も開けている。
外壁であって防壁ではない。国が同じ人間同士争う相手など世界に存在しているのかすらわからず、万が一にでも主要都市三つが争うことになっても小さい国だ。どこかが倒れてしまえばすぐに共倒れになることがわかっているが故に、クーデター等起きる可能性もない。
よほど馬鹿な野盗だとか、貴族間の争いだとかで小競り合いこそあるものの、町を覆うように展開されている高い壁は獣避けに過ぎない。当然見張りに警備隊や騎士団が配置されているわけもなく。
「そうだな、まずは私の立場から話そうか……あぁ、そうだ。アメ、お前に話しかける言葉は、どの程度が適切だろうか。
あぁ、ええとな、これぐらいなら難しい言葉を使っても大丈夫だとかそういうことだ」
少し言葉選びに困ったように、どの程度言葉を選んで話したほうが良いのかを尋ねてくるアレンさん。
瞳に映るは八歳の少女。魔法や体の扱い方が上手くとも、内面までは知る由が無いほど出会ってから短い時しか流れていない。
「普通に、大人相手に話すつもりで構いません。専門用語は一部わからない可能性があるので、その際は尋ねさせていただけると助かります」
「そうか、わかった」
見た目不相応な能力を見せながらも、アレンさんはそれだけで短く返答すると本題へと入る。
何かを察して気を遣ってくれたのか、面倒で追求を省いたのかいろいろと可能性は思いついたけれど、僕としては触れて欲しくない部分だったのでそれが少し嬉しかった。
そうしてアレンさんは語り始める。自分がどのような立場の人間で、普段何をしているのかを。
僕が想像していた通り人身売買人で、人を買い求める人間に売るというのは想像と同じだった。
ただアレンさんが所属している施設は特殊で、能力や容姿で優れている幼い子供を高値で買い、とある施設で教育を施した後より質の良い奴隷として売るための過程を踏む。
暴力をもって人に従うことを叩き込み、従順になったところで必要な技術を教え売りさばく。
パブロフの犬と同じだ。鈴の音で餌をもらえると唾液を出す犬に、逆らうことは罪であり、痛みを伴うと体に植えつけられた子供。そうした子供は自然と暴力を避けるために善い事である従順さを見せる。
所謂学校のような場所で、彼は施設長を勤めているそうだ。言うなれば校長か。
「大筋はわかったか?」
「はい」
だいぶ酷いところだということはよく理解できた。
時間を掛けゆっくりと人格を歪んだ形に矯正される事を考えたら、いっそ物のように扱いさっさと売り払われたほうがマシだと思うのは僕だけだろうか。
「……次の段階に進む前に、一つ尋ねてみてもいいか。返答によって何が変わるわけでもないが、少し気になったので聞いておきたい」
「えぇ、もちろん」
立場が上のアレンさんがやたら僕にもって回った言い方をするのが少し気になる。
そこまで丁寧に前置きしなければ、満足に問うことすらできない内容なのだろうか。
何が変わるかなんて彼の脳内でしか処理されないし、流石に不快な返答をしてしまえば僕達の関係は悪化してしまうだろう。そう考えるとどうしても少し身構えてしまった。
「アメ、お前は聡い。同い年の子供が同じようなやり取りをしても話の理解はおろか、そのような安定感のある応答はできないだろう。
ならば何故、自身が親に売られたと知った時、そこで初めて逃げ出そうとしたのだ」
何故? 何故もなにもない。奴隷になりそうなら誰だって逃げ出す。
そう口を開こうとして、まだアレンさんの言葉は途切れていないことを把握し止めた。
「――何故、あの段階に至るまで気づけなかった?」
これはもっと、奥深い問いかけだ。
何が理由で状況に気づくのが遅れたのかという問いではなく、何が理由で、実際に明言されるまでに想像できただろう僕が思考を放棄していたのか、そしてその理由は何なのか。
「溺れていたんです」
「……」
口から肺に残っていた僅かな酸素を吐き出すように、僕は思わずそう呟いていた。
「昔、とても幸せだった日々があって、今失っているこの時にも、未だその日々の残り香に縋りついて。
でも、考えると胸が苦しくて、だからなるべく何も考えないようにして……そして、奴隷として売られたと知った時、自分がそのような場所へ行くと、この悲しみに浸り溺れ続ける現状すら許されないのか、それを考えたら恐ろしくて堪らなかったんです」
主語なんてどこにもない。曖昧な言葉達に、具体性の無い感情論。
誰かに吐き出してぶつけてやりたかったのかもしれない、そうしてぶつけられたアレンさんは、その死んだような瞳を少し光らせると何故か満足気に頷いた。
「そうか、やはりお前に賭ける選択は間違いなどではなかった。
話の続きをしよう、先に話したのは私の組織内での立場の話。そして今から話すことは、私自身の話だ」
悪いようにはしない。
あの時アレンさんが言っていた言葉は比喩でもなんでもなかった。彼が語る物語を聞くたびに、僕は世界が色を取り戻すかのよう何か特別で、異彩で、劇的にこれから何か変わっていくのだろう。そう確信を得るのだった。
昔々、といっても僕の昔ほど半分程度しかない昔の話。
一人の男は優しい妻と、可愛い娘を授かり幸福な家庭を築いていました。
ある時、それは一瞬で男から全てを奪いつくしたのでした。おしまい。
おしまい――終いだ、本当に。
ここからは男のエピローグ。エンディングのその先に存在する、不要な物語。
家に帰ると吐き気のするおぞましい空間の中、息絶えている二人の家族を見つけた男は糸よりも細い情報を伝い、ある組織の幹部がそれを行ったことを知った。
妻がそうした組織に何らかの関わりを持っていたのか、はたまた不運な被害者に偶然選ばれたのかは今となっては誰も知らない。ただ一つわかっていることは、通報を受けても犯人を見つけることすらできなかった国に代わり、男は争いとは無縁の生活から復讐のため暴力に満ちた世界に自ら身を投げた。
仇を討つための力を血反吐に塗れた日々で身につけ、国が関与できないほど重鎮である仇が隙を見せるのを待つために、自身の娘のような子供から大人まで不幸にし、仇そのものへと媚を売り組織での立場と信頼を得た。
「討てたんですね、仇は」
尋ねる僕の声は確信を持って、そして抑えきれない震えを共に発せられた。
僕達は同じなんだ。理不尽に対する復讐者。大切なモノを奪われた悲しみに、正しく憤る怒りの具現化。
「あぁ、一瞬だった。今まで過ごしてきた地獄のような日々は、奴が瞬きする一瞬に私が後ろから心臓を抉り取り終わった」
重い、非常に重い語気でアレンさんは右手を握る。
その腕には例の青白い模様。堅牢な氷の盾を力任せに破壊できたその腕では、人間の肉を裂くなど容易く文字通り心臓を手にしたのだろう。
「その時全てが終わった気がした、自身の生を含め、今まで背負ってきたものを下ろす時はその時だったのだろう。
だが万全のタイミングを選び行った犯行は、周りに人間は居ないどころか、私達二人の行動の足取りすら誰も知り得なかった。
それを理解した時、もう居ない家族の声……あるいは悪魔の声が耳元で聞こえた気がしたのだ"自分達の分まで生きて欲しい"と」
死者は何も語らない、何も思わない。
復讐は生者のものの為で、故にその言葉は自身の内から飛び出したもの――そう一蹴するにはあまりにも残酷で、一人生きながらえることがどれほどつらいものかを考えたら僕はその欲求の根源を考えることはやめた。
自分の胸に押し付けたその手は、感情を吐き出さないために抑え付けているのか、それとも自らには成せなかった醜い偉業に脈動する鼓動を確かめているのか。
それから男は犯行を隠蔽し平穏な日常に帰ろうにも、来る者は拒まず、去るものは追うのがそういった組織。
それもそれなりの地位まで居場所を上げた人間に、少なからず身内殺しの嫌疑がかかっていれば組織が放っておくわけも無く。
いま男は、施設長という一見大層な立場を与えられつつも、胸を張って表を歩けない仕事をしている人間でも唾を吐くほど最低な人身売買、それも子供を専門に扱う職。国相手に誤魔化しが利かないほどヘマをした際、トカゲの尻尾のように首を切られるのは真っ先に彼の役目だ。
「大筋は理解したか?」
「理解したつもりですが、僕の存在がよくわかりません」
これら全ての会話は、僕という新しい奴隷の存在が前提にある。
たとえアレンさんがどのような人生を歩んでいたとして、この話が架空のものだったとしても、僕という存在にそれを話すメリットが見当たらない。
デメリットは無論無数にある。誰かにこの話を聞かれるのもまずければ、僕が誰かに密告するのもマズイ。
故に、未だ語られていないその一点を中心に全ての話が繋がるのだろう。
「一つの貴族が人員を求めているらしい。武力、ただその一点を求め人を欲し、手中に収めたそれを大切な戦力として扱う保障を前提に。報酬はもちろん、身の回りの安全すらもな」
略歴問わず、罪状問わず。武力のみ有するのであれば、国やその他組織からも庇護下に置く。
夢のような話だ。一体どんな仕事を任されるのかわかったものじゃないが、真っ当じゃない組織でまともじゃない仕事、それに何時首が飛ぶかわからない現状を考えると遥かに良い環境を得られるだろう。
復讐を遂げた犯罪者が、何も両手に持たず余生を過ごすには貴族の下というのは十分な居場所だ。
「未だわかりません、何故僕が必要なのか」
「門を叩いた人間が、皆口を閉ざして出てきているのだ。闘技場で活躍する選手や、騎士団でそれなりに名誉を挙げている人間ですら、な」
実力はおろか、給与名誉全て保障されている人間が扉を開け、その全てが拒絶されている事実。
流石に事の重要さを理解する。それほど甘い蜜がそこにはあるのだろう、今十分満たされている人物達がそこへ向かうほどには。
そしてその蜜を守る蜂が、何より手強い。
一度戦っただけでもアレンさんの実力はある程度わかっているつもりだ。この人は以前の僕はもちろん、多くの冒険者や騎士達すら凌駕する実力を持っている。
「戸を叩いた人間は皆口を開かない、中で何があって、どうして拒絶されたのか。
かん口令を敷いた上で、何か試験のようなものを行っていると予想されるがその不明瞭なものに一度しか与えられない機会を使いたくない。
そこでアメ、お前と私を番で売り込む。上手くいけば私は組織を抜けられるし、アメも奴隷にならず人として生きることができる」
ここまで来ると流石に話が飲み込めてくる。
貴族側もそうだがアレンさんがそうした動きをしたら最後、組織側も二度目の逃走を許さず相応の処分をするだろう。
そこで僕の出番だ。性別も年齢も大きく違う僕が、アレンさんとセットで貴族へ売り込めば試験とやらがあるとしても対応できる幅が大きく広がる。
「優秀だと聞いていたが、アメは遥かに常識の枠を超えここにいる。そこに私の知る技術を全て教え込み、その上で二人一つで戸を叩けば真っ当な人生を今からでも送ることは夢物語でもないのかもしれない」
相変わらず辺りに人の気配はない。
夜の帳の中、淡々と降り続ける雨は徐々に弱くなっているものの、その雫が床を叩き雨音を鳴らす以外に音はない。
誰かに会話を聞かれている可能性は零で、もし僕がここでノーと言ったさい城壁から叩き落されミンチになっても誰かが気づくことも無く。
視界を上げ、視線を交わらせる。
アレンさんは僕を見ていた、復讐者は、復讐を失敗した者を残りカスである自身の人生を賭けるとこちらを見ていた。
僕は見ていた、死んだような目をしている男を通して自分自身を。
男は見ていた、死んだような目をしている少女を通して自分自身を。
心を殺さなければ生きることなどできなかった。
大切なモノは全て失い、永遠とも思える時間を生きるためには。
大切な者を失い、失ったような人々を物の様に扱い生きながらえるためには。
我ら共に復讐者。
奪われる痛みを知り、奪う痛みを与えると決めた者。
されど互いに決して交われぬほど断絶された事実が一つある。
片や復讐を成し遂げた者。愛する者を抱きしめるその手で、仇の心臓を抱く者。
片や復讐を目指し果てた者。未だ手にしていた大切なものすら見失い、挙句自身すら無に帰する愚者。
僕が届かなかった場所に居る人へ跪く。
尊敬し、畏怖し、妬み、羨望し、決して届かない事実に呆れ――最後に残った感情は崇拝にも近く、けれど決して言葉には表せぬ感情だった。
小雨も完全に去った雨雲の下、僕の頬に水滴が流れる。この時、誓ったのだ。僕はこの人に全てを捧げ、傅き目指す場所への踏み台になろうと。
「……僕に唯一つの役割をください。あなたが再び活きられる様、僕に全てを捧げさせてください」
跪く、恐怖に怯えるようただ丸まっているかのような僕にアレンさんは手を差し伸べる。
「アメ、わたし達は今日から共に相棒だ。どちらがどちらのためになどではない。我々が明日を活きるため、共に歩もう」
「――はい」
同じ場所へ引き上げようと手を伸ばすアレンさんの手を僕は掴み心の中で決める。
命を賭ける必要があれば、僕が彼を守るための盾になろう。
どちらかの名誉が必要ならば、僕は無様に地べたを這いずり愚者を演じよう。
どちらかしかその場所を許されないのならば、僕の生はそこで終わりだ。
三度目の生。死んだような日々を毎日過ごしていた、そんな中で僕は再び活きる意味を与えられたんだ。復讐を果たした者に、必要とされたんだ。
- たった一つの役割 終わり -




