9.衣服の鎧、言葉の盾
それから毎日、戦うための知識や技術を吸収し続けた。
午前中は知識や魔法の技術をルゥから学び、午後には体の動かし方や戦術を学んだ。
結局剣を最低限振ることにはしたが、あくまで僕の本領は魔法、コウは剣だ。
今までやっていた仕事の手伝いをやめたわけでもない。
時間を見つけては、人手が足りていない場所を三人で周っていた。
「いや、そんな話は聞いたことないねぇ。それよりあんた、聞いておくれよ……」
ある日、衣類やタオル等の修繕を、ディーアとまとめて直しながらルゥは彼女と話していた。
ルゥは村の昔話をよくいろんな人に聞いてる、今回も竜信仰があったかどうかを尋ねたらあっさり否定され、おかえしと言わんばかりに世間話を聞かされていた。
僕とコウは無言でベッドのシーツを直し続ける、延々と聞かされる狭い村の世間話は退屈で仕方がない。
コウの手元を見ると、ぱっと見どこが破けていたのかわからないほど綺麗に直されていっている。
対して僕はそれに及ばない……どころか、辛うじて使えなくないだろうというレベルだ。服なら使い物にならないほど、修繕箇所が目立っている。
泣き虫なところさえ直ればな、それさえなけば完璧だ。今でも十分かもしれないけど。
「退屈じゃないですか?」
修繕した物を各家に届けつつ、僕はルゥに尋ねる。
「そうでもないよ、同じことでも人によって感じ方が変わるからね」
彼女は世間話を思い出しながらそう笑う。
人によって物事の受け止め方や感想が変わる、その一人一人の価値観を知ることはとても楽しいことだと。
根本的に見えているものや考えているものが僕とは違う。
寂しい、そしてしょうがないことだ。人と人とはそういうものだ。
そう感想を述べると彼女はまた笑った、その考え方も楽しいねって。
別の日、ルゥはケンと畑仕事をしながら雑談に盛り上がっていた。
掴みどころのない二人は息もあるらしく、互いの知識を価値観を、押し付けて引っ張って、言葉で踊るように会話を楽しんでいた。
ケンにもようやく相手が見つかったか、そう思ったがすぐにその考えを否定する。
両者共々恋愛をするという生々しさを想像するには、生きているという認識が希薄過ぎる。
「恋愛? 今は、いいかな。それよりも楽しいことがあるし」
僕達を見て彼女が微笑む、一緒にいることが楽しいのだと。
「でも必要な時にはすると思う、今までそうしてきたしね」
十歳の少女が何を言うのか、思わず鼻で笑うと彼女は少し攻撃的に嗤って尋ねてきた。
「アメはしないの?恋愛」
隣にいるコウのことを考える。表情は見ない、多分どちらかの顔は紅いだろうから。
恋愛するとしたら彼……もしくは最低でも男性なのだろうが、まだ男性だった意識が強い自分には抵抗がある。
「それとも女の子が好き?」
それも、違う気がする。
身体的に女性を受け入れることは無理なのだ。
言ってしまえば欲情する部分がなければ、どんなに感覚的に女性を求めても体で受け入れることは難しい。
僕は今、丁度中間に位置している時期なのだろう。
心に従い同性愛に目覚めるか、体に従い異性愛に落ち着くか。
「悩め悩め。人生短し恋せよ乙女、花が枯れる前にどう花を散らせるかをね」
おっさんか。
そんな日々を繰り返し季節が変わり、冬が来た。
「このままだと食料が少しまずい」
昼食の場、ウォルフがそう告げた。
「あぁいや、今日明日どうにかなるってわけじゃないが、このまま不作が続くと不味いな」
「遠征するか」
この辺りの動植物が少ない、ならば遠出するしかないだろう。
こちらを見てそう言った父親に頷き返す。
僕達もついに実戦を迎える時がきた。
- 衣服の鎧、言葉の盾 始まり -
「意外と少ないですね」
夜、寝る前に持っていく道具を見てそう思う。
「まぁ五人で行くし、そんなに日にちかけるわけじゃないから」
最低限、もしくは何も取れそうにないなら早々に帰ることになっている。
しばらく村全体が一日一食になれば、この冬は越せる。
できればそんなひもじい思いはしたくないので遠征をするのだが、そのために必要以上のリスクは背負えない。
「不安?」
ランプの火を消し、ベッドに入るとルゥがそう尋ねてきた。
「いや、寒いです」
震える僕を見てそう言ったのだろうか。
窓の外は雪が降り続けている、もう何日降っているのか忘れた。
暖房どころか暖炉もなく、寝室は凄く寒い。
「だよね、わたしあったかいもん」
二人一緒のベッドに寝るからかなりマシ……でもなく、冷え性の彼女はかなり冷たくてむしろくっついていると体温を奪われている感覚すら覚える。
「おふっ……」
冷えた末端を擦り付けてくるルゥを肘で黙らせる。
「大丈夫、みんないるから」
みんないるのだ。
メイルも、ウォルフも。コウもルゥも。
きっと傷つけても、傷つけられても、なんとかなる。
「そう……いっ!」
緊張をほぐすためだろう、そう信じながらじゃれてくる彼女に再び肘を突き出すとかなりいい当たりかたをした。
ルゥはその日、もう体温を奪いに来ることはなかった。
「行ってきます」
「はい、気をつけてねー」
気をつけてとは口ばかりで、母親からは早く家のなかに入らせてくれと目で訴えかけられる。
遠征……泊りがけで狩りをするなんてよくあることで、日常のうちに過ぎない。
緊張しているのは僕とコウだけ、そう思う彼を見るとピクニックにでも行くように表情を弾ませていた。
……緊張している人間は誰もいない、僕もしていない。本当に。
「行くぞ」
「お前ら気をつけろよ、まぁ気を張りすぎてもダメだけどな!」
父親が先頭を進み門を開ける、次にウォルフが、その後ろに僕とコウが並び、しんがりをルゥが務める。
……彼女、結局一度も狩りに参加したのことがないようなので、実力は未知数なままだ。しんがりを任せて大丈夫なのだろうか。
事前に打ち合わせたとおりに進み続ける一同。
僕は定期的に魔力を放出し、周囲の探索に努めながら見慣れない景色を目に焼き付けていた。
魔力を放出するのは獣を見つけるためだ。
生き物はかならず魔力を保有する、そして自分以外の魔力はかならず反発する性質を持つ。
それを利用し、広範囲に薄く魔力を放出し、異常が見られた場合、その箇所に集中して魔力を射出。
正確な数や相手の大きさを割り出して陣形を整える。
今回は一応これが主な役割だ。
子供組みは荷物持ちと、空気に慣れるのが一番の目的で、戦力は大人二人だ。
その頼れる父親は大剣を背中に担いでいる。
普段は荷物になるのでロングソード程度の剣だが、今回は荷物持ちがいるのでその心配はいらない。
本人曰く獣を叩き切るにはこれぐらいが丁度いいらしい。
ウォルフはロングソードと弓を持っている。
魔力を消費せず中距離以上に対応できるのが使い勝手がいいらしく、ルゥから攻撃魔法を学んだけれどそれを選んだ。
僕は邪魔にならないよう短剣を一本、コウはロングソードに盾を持っている。
ルゥは普段通り、大きさの違う短剣二本を身に着けている。
「報告、右、小さい反応一つ。ウサギ……かな」
「うん、あってる」
定期的にこうやって報告をする。
一度目はウサギで、二度目も二羽のウサギだと思ったら鳥だった。
そして三度目、今回はウサギであっていたようだ。
ルゥの補足に感謝しつつ、この探知の難しさに頭を悩ませる。
広範囲に魔力をばら撒くと、何匹居るかもわからず、狭い範囲を重点的に探しても魔力に大きい小さい以外の大きな差はなく、生き物の種類までは経験で予測するしかない。
その経験も今日初めて積んでいるわけで、どうにも歯がゆい思いをしてしまう。
敵意ある獣以外は今のところ全部無視だ。
木の実なども最低限取りつつ、大まかな場所だけ覚えて先に進む。
荷物になるものは帰り際にまとめて集める予定だ、わざわざ重いものを持って歩き回る必要はない。
もっとも、ウェストハウンドが襲ってきた場合、倒したそいつを引きずってさっさと帰るだろうけど。
「着いたぞ」
適度に休みながら四時間ほどかけて、目的地である洞窟に着く。
雪を防げるここは、夏にも雨風を防げる拠点として活用しているらしい。
結局道中は特別何かあるわけでもなかった。
「やっぱり便利なもんだな」
ウォルフが薪に、覚えたての魔法で火をつけながらそう呟いた。
魔法があるからマッチや火打石を持ってくる必要がないし、水筒の中身も空だ。喉が渇いたときにだけその辺の雪を溶かして飲めばいい。
「まぁなくてもなんとかなるんだがな」
濡れたコートを乾かしながら明るく笑う。
探知も使えず、治癒の効率も悪く、魔法を戦闘に組み込めない。
それでも彼らは今まで狩人をしてきた、死なずに殺し続けてきた。
魔法は科学で、奇跡を行う。第一印象がそれだった。
けど違うのかもしれない、そんなもの意識しなくとも、人はこうやって綱渡りで生きている。
人という存在自体が奇跡だ、可能性の塊だ。
「よし、行くか」
父親が立ち上がる。
遅れないように慌ててまだ半乾きのコートに手を伸ばす。
「いや、お前達はいい」
ウォルフは僕とルゥを見てそう言った。
なぜだろう。
「道中ずっと魔法使ってただろう、もう少し休んどけ」
それに女の子なんだしな。
彼は笑った、そして男三人で辺りの散策に向かう。
「勇ましいもんだね、男も女もたいして変わらないのに。まぁいいや、楽できるなら楽させてもらおう」
いや、変わるだろう。体の作りがそもそも違う。
どうしてもできることとできないことが生まれる。
そう反論しようとして、目を閉じ仮眠でもするつもりのルゥを見て、やめた。
できないことをできるようにする術がある。
その術が、魔法があるなら、男女の差なんてほとんど無くなってしまうのではないか。
三十分ほど経ち、ルゥも目を開けて焚き火の世話をしている。
冬に火を扱う際は気をつけなければならない、乾燥した空気に落ちた落ち葉、森がなくなるのはあっという間だ。
まぁここ数日積もった雪でそれはないだろうけど、どちらかというと火が消えて寒いのが問題だ。
「ここじゃない気がする」
「……?」
思わずぼやくと、ルゥが怪訝な面持ちでこちらを見る。
「あぁ、えっと……。この前"でんき"の話してくれましたよね、町ではどう使われているんですか?」
愚かさを被る。
自分は狼じゃなく、ただの少女ですよと。
「最近発明されたばかりみたいだよ、日常で使われるのはまだまだだろうね」
先に発明されるのはきっと照明関係だろう。
年中使われるわけじゃないエアコンはまだまだ遠い。
「そっか。行きたいですね、温かい場所」
この地方は寒い。
地球で言うなら多分ロシアと北海道の間ぐらい。
「まぁね」
でも、と続ける。
「寒いのも悪くない、暖炉を皆で囲めるから」
「暖かい場所でも人は集まるでしょう」
「いつかわかるよ、いつか」
彼女はそう言って僕の頬を撫でた。
――即座に叩き落とす。
いくら焚き火に手をかざそうと、冷え性である彼女の手はまだ冷たい。
いつかって、いつだろう。
この生活に慣れた時か、技術をありがたみを忘れた時か。
一度死んでもわからない、一度死んだ、からか。
「ただいま、見て見て」
両足を縄で括られたウサギを持ってコウ達が帰ってきた。
今日の晩御飯はコイツかな。
首を捻るにはまだ早い、肉は少しでも新鮮なほうがいい。
「それじゃ、休んだぶん働きますか」
「はい」
乾ききったコートを纏い、男性陣から探索した場所を口頭で聞いて、二人洞窟を出る。
今度は僕達が探索する番だ。
「うぅ、寒い……」
「日が落ちきる前に済ませよう」
寒いし、お腹が空いた。
胃に何かがある状態で運動はしたくないから、今日だけ昼は抜きで夜にがっつり食べる。
空を見上げても見えない太陽は一応仕事をしているらしく、彼が休む前に少しでも探索を進めるべきだ。
二人で取れるものを取りつつ、前に進み続ける。
……この一面真っ白な世界ではどちらが前かも気をつけなければわからない、後ろを振り返っても足跡などすぐに新しい雪でほとんど消えてしまう。
靴が埋まるまで激しく降っているわけではないのが幸いか。
そんな環境で、初めて村の外に出た僕にできることなど少なく、どう見つけているのかわからない食べ物を集めるルゥからそれらを受け取り、荷物持ちと探知に専念していた。
「……! 警戒! 左前、大きい」
ついに何かに遭遇してしまう。
大きいそれは熊なのか、犬なのか、鹿なのか。
出会ったこともない存在を知る術を僕は知らない。
目視しようにも木々に阻まれ、距離があるせいでそれも叶わない。
「探知止め、剣もしまって」
敵意を見せるなと彼女は言う、無害を主張しろと。
あとずさりたいけどそれも堪える、少しでもその大きな魔力を持つ何かに興味をもたれてはいけない。
二人でそれと戦うことは無謀だ。少女二人は、大きな獣一匹に狩られる立場だ。
緊張で胸が苦しい、呼吸が荒くなる。この呼吸も相手を刺激しないか心配になる。
長かった、せいぜい五分程度だったはず。
探知を使わずともわかるその気配は、体感その何倍にも匹敵する時間をかけて、去っていった。
汗が凄い。全身から溢れるその液体が体を冷やす。
「ちょっと少ないけど戻ろう、無理はしたくない」
僕は黙って頷いた。
一刻も早く安全な場所に帰りたかった。
「そうか、無事でよかった」
父親は言う。何もなかったことが、一番の成果だと。
「今日は休もう、明日以降その辺りを探索しつつ、何か得れるか、数日何も無いようなら諦めて帰る、いいな?」
頷く一同。
一匹いたのなら、他にもいるかもしれない。
持って帰れるのならたくさん持って帰るべきだ、複数を相手にするリスクを背負ってでも。
帰った時には既にウサギは肉になっていた。
その肉と、途中取った野菜を適当に石釜で煮込む。
魔法は素晴らしい。
本来少しずつ削って作らなければならなかった釜を、簡単に岩を掘削し作れる。
無い物は生み出せないが、有るものに干渉することはできる。
炎を飛ばし、水を沸騰させ、風を巻き起こし、岩を掘る。
物理的な流れを変えることは容易い、位置エネルギーとか、言ってしまえば原子そのものの動きを変えているだけだ。
ご飯を食べ終え、ぼんやりと焚き火を眺めながらそんなことを考えていた。
「そろそろ寝るぞ」
父親の声で顔を上げる。
まだ日が落ちてそんなに時間は経っていないが、もう寝る時間か。
ただでさえ娯楽の少ないこの世界、その上冬で食べ物が少なくてしょうがなく出てきた遠征。
少しでも体力の消耗を抑え、食べる量も減らせるに越したことはない。当然だ。
「ローテーションを決める」
外敵が多い、というか自然という外敵の中で野営する危険さ。
その危険の中で見張りをつけず、全員が熟睡してしまったらもう二度と目覚めることはないだろう。
それに火の管理。
雪と風が防げる洞窟の中、体感気温は下がるものの、気温自体は大して変わらない。
寝具も一応持ってきているが、ベッドと比べたらそれはただの二枚の布で、地面から伝わる冷気は全然防げない。
だから火の管理は大切だ、少しでも体温を維持するために。寒いと寝れないどころか最悪死ぬし、危険な環境での明かりは心を温める。
順番は僕とコウ、コウとウォルフ、ウォルフとメイル、メイルとルゥ、ルゥと僕。
それぞれのグループが、約二時間担当し朝を待つ。
僕は普段と同じような時間に寝て、朝いつもより早く起きる。コウは少し遅くに寝ていつも通りに起きる。ルゥは早く寝て早く起きる。
大人達はは一度睡眠を中断せざるを得ない配置、子供に優しい配慮は助かる。
ルゥに対してその気遣いが本当に必要かは疑問だが、僕は野営は初めてだ。
前世で何度かキャンプに行ったことはあるものの、皆揃ってテントの中で熟睡していたので状況が異なる。
明日から本格的に戦闘を前提に動くとのことなので、少しでも体力精神共に余力を残しておきたい。
「頼むぞ」
「任せてください」
父親の大きい手が僕の頭に乗る。
ぎこちなく、撫でるわけでもないその手はとても大きくて頼もしい。
「何かあればすぐ呼ぶんだぞ。まぁ小動物が現れるたびに叫ばれたらたまったものじゃないがな!」
ウォルフもコウの頭に手を置きがしがし撫でる。
「うん、わかってる」
その手を振りほどきながら、少し鬱陶しそうに言葉を吐くコウ。
子ども扱いしないで、ということか。年齢的にもそろそろ反抗期かもしれない。
焚き火を挟んで出口側にコウと二人並んで座る。
三人は奥のほうで、焚き火の温もりを得られる位置で横になっている。
「頭撫でられるの嫌?」
睡眠を邪魔しないよう、気持ち小さめな声で聞いてみる。
夜は長い、少しでも話題は多いほうがいいと思い先ほど感じたことを確かめる。
「好きだよ」
じゃあなんで?
そう聞こうとして質問の真意に気づいた彼は説明する。
「子ども扱いするのはいいんだ、実際まだ子供なんだし。ただ……」
「ただ……?」
コウは更に声を小さくして、囁くように零した。
父親の耳には入らぬように。
「力が強いんだよ、頭がぐわんぐわんするぐらい」
くすっと思わず笑い声が漏れてしまった。
慌てて振り向くが誰も気にした様子はない、まだ意識は落ちていないか睡眠が浅いだろうけれど。
見逃して貰えた、もしくははじめから話し声など気にしないのだろう。その心に感謝しつつ思う。
"親の心子知らず"
前の世界のことわざを思い出す。
確かにそうだ。十八という大人になりかけた段階でようやく僕は親の愛情を知った、大人が教える理屈の意味をわかった。
だけど、だけど逆もまた然り。
大人は知らない、抱きしめたり、頭を撫でる力が子供にとって強いことを。
その後も会話は続いたが、しばらくしたら話すことがなくなった。
普段から一緒にいるせいで共通の話題しかなく、何か思うことも都度話すので今特別話すことなどない。
彼曰く外の世界は凄い、らしいが僕にはよくわからない。
浅く長く降っている雪のせいで視覚的な感動がわかりにくく、またその刺激も危険の只中にいる緊張と、熟考し整理する余裕も今のところない。
結果、会話を続けようとするのはやめ、いつも通り知っている言葉を文字に書いてみたり、魔法の復習や応用など試し勉強していた。
「お前らこんな時にも熱心なものだな」
ウォルフが笑いながら近寄ってくる。
「もう時間ですか?」
「あぁ、ゆっくり休め」
熱中したせいかまるで時間を感じなかった。
時計などないので正確に交代などできないのだが、見張り役が交代役を起こしに行くという取り決めだったので、それを無視して出てきたということはそれほど時間が後ろにずれてしまったのか。
少し振り向き、先ほど勉強していた内容をコウに教えてもらっているウォルフを見る。
熱心だと笑った直後にまじめな顔して、少しでも生活に役立てれないかと模索する男。
……きっと気を使ってもらったんだろうな、多分時間は大きくずれていない、もしくは少し早いぐらいかも。
何にせよ真実を確かめる術はない、さっさと寝てしまおう。
「遠慮せず一緒に寝ようよ、女の子同士なんだしさ」
ルゥと少し距離を開け横になると、彼女は目を開けずにそう言った。
女の子同士に妙なアクセントがついている気がするが無視しよう。
「体温欲しいだけでしょう?」
「そんなことないよ、ちゃんと温めてるから。ほら」
彼女はそう言い片手を差し出す。
手を握ると確かに温かかった、どちらかというと冷めている部類だがさっきまで見張りをしていた僕の手よりは断然温かい。
言葉に甘え、体を寄せ合う。
「魔法使えて、楽しい?」
「はい、意識して扱えるというのはとても楽しいです」
「そっか、よかった」
いつもの彼女より建設的ではないような問いと、答えに対する感想。
起きている様に見えて半分寝ているのかもしれない。
「敬語、やめていいのに」
「……これは」
これは、なんだというのだ。
年齢と性別が変わり、どう会話していいかわからないからこの喋り方に落ち着いた。
流石にこれをそのまま伝えるわけにはいかない、何か丁度代替の効く言葉を探していると彼女は言葉を続ける。
「わたしは、敵じゃないよ」
「え?」
敵か敵じゃないかと聞かれれば敵ではないだろう。
出会ってまだ数ヶ月だが、いろいろなことを教えてもらい、同じ家やベッドで暮らしている。
底知れぬ存在でこそあるものの、ある程度受け入れているつもりだ。
「そうじゃないか、うん。そうじゃない」
うわ言が続く。
きっと半分寝ているのだろう、適当に無視して僕も寝てしまおう。
そう思って、聴くのをやめる。
「たずなを握れなくても、わたしは君を傷つけたりはしない。
丁寧な言葉で相手を気遣って、少しでも攻撃されるのを避ける必要はない」
冷たいものが胸を掴む。聞いてはいけない音が耳に入る。
彼女の腕は動いてない、けれど確かに、何かが僕の心臓を掴む。
確信を突かれた気がした。今まで自覚すらしていなかった感情を見せ付けられるように。
そんなつもりないですよ。
思わず出ようとした言葉を飲み込む、今まさにそれを指摘されているのだ。
「……うん、わかった」
少し考え、僕はルゥにそう言った。
年齢の大きく異なる大人達に、丁寧な言葉で話すのは問題ないだろう。
この世界、少なくとも村に年上を敬って言葉を変えるという文化は存在しない。
けど別に言葉を変えても悪い気はされないだろう。
ただ、二つしか変わらないであろうルゥに敬語を使うのは何か違う気がした。
年齢が同じで、特別仲のいいコウに気安く話しかけるのは正しい。
二つしか変わらない、かなり仲良くなったルゥに丁寧に話し続けるのは……間違いだ。
そう思ったから告げた。
彼女はそれに対し何も言わなかった。
ただ僕を抱きしめ、温めあうその腕に、少し力が入ったのは間違いではない気がした。
丁寧な言葉は壁だ。
傷つけられぬよう、傷つけぬよう。
丁寧な言葉は壁だ。
これ以上近づくなと、近寄りたくない、近寄って欲しくないと。
前世では上手くやっていたと思うだけどな。
立場や関係、状況によって使い分けて、人と上手に付き合って。
もう、あまり思い出せない。八年、八年経ったのだ。しょうがないのかもしれない。
そうやって学んだはずのものが、性別や年齢、文化や常識が変わるだけで適応できなくなるなんて。
寂しいな。
悲しいとは思わなかった。
十八年の記憶が死によって否定され、八年の記憶が今あるから肯定されている。
しょうがない、人ってそんなものだろう。
意識が徐々に薄れていく。
- 衣服の鎧、言葉の盾 終わり -