85.生まれた村、育った町
ローレンからレイニスへ向かう時間は一瞬だった。
……いや、実際は一瞬だったわけじゃなく、馬車を借りて走っただけなのだが。
自分達で戦えるので護衛役はいらなかった分相場より安く抑えられたが、それでもこの移動方法が高価なのには変わりないほど金持ち向けの移動方だった。魔法の存在で飼育できる動物が少ない世界に、開拓できている領土がそもそも少なく飼育するスペースの無い貴重な馬。
馬の飼い主であれば物を運ばせ利益を上げたほうがお財布に良く、それが面倒で他者に貸し出し馬車として使うにしても相応の値段を取るのが自明の理。
自分の足を使わない分楽で、退屈とも言えるがその退屈な移動時間を根本から軽減できるのは大きかった。まぁそうそう移動だけに馬車を使う機会は無いだろう、しばらくはレイニスを離れる予定は無い。
印象よりも多かった交通に疑問を覚えつつ東門を潜り、その問いに対する答えをすぐ目の当たりにする。
竜による被害 "竜害"
炎竜撃が爆ぜたレイニスの東側はまだ酷く傷跡を遺しており、必死に他の町から人や資材を集め復興作業を行っているのはわかるが、あれから一年経っているのにもかかわらず未だ二割程度しか元の兆しは見えていない。
おそらくこの景色が元通りに戻ることはないし、失われた人命が帰ってくることも無い。
あの時僕達は、他に負傷している人々を無視して町の外まで逃げ出した。
竜はそれ以上暴れることは無く、結果的にその判断は間違っていた……あくまで結果的には、だ。ルゥを助けるため、自分達が助かるためにあの選択は正しかったと今でも思っている。
でもそれでも、あの時救命活動をしていたら、救えた命が一つでも増えたのだろうか。そう思うと、強く握った両の手を解くことはできなかったし、目を逸らしたいのにその惨状から目を逸らすこともできなかった。したくなかった。
「あ……」
そうして町を西へと歩いている最中、一つのオブジェクトが目に入る。
シンプルな石造が、何も刻まれず爆心地とも呼べる騎士団支部が在った場所の近くに設置されていた。
何の文字も刻まれていない。何を連想させる造形でもない。
でも、その周りで啜り泣く人や、添えられている花等の品々が今は居ない人々を想う為の物だとはわかった。
「……あとで、何か持って来ようか」
僕達が見捨てて走った人のためにも……気持ちすら守れなかったスイとジェイドのためにも、ただの自己満足かもしれないが僕はそうしようと思った。
「そうだね」
あまり悲観的な感情を抱かないのか、表に出さないだけなのか、未だにわからないルゥの素っ気無い声を聞きながら宿へ向かう。
別に今に始まったことじゃないし、ルゥに人を想う真心が欠けていないこともわかるので特に不快にはならなかった。
「施設内は禁煙っ!です!!
ほらほら、迷惑にならない場所で吸った。次ルール破ったら追い出すからね」
「わかった、わかったよ……」
宿「雛鳥の巣」へ向かうと、ユズが洗濯物のカゴを持ちながらそれで男性客だろう思しき人物を宿から押し出しているのが見えた。
そういえばあそこでタバコの臭いを嗅いだ記憶が無いと思ったが、喫煙客にはもともと注意でもしていたのだろう。
子供や女性のための宿というのは理想だけではなく、僕達が見えていないだけでこうして実際に動いていることもたくさんあるのか。
「お久しぶりです、ユズさん」
そのまま裏へ消えようとするユズに声をかける。
声をかけられたユズは僕達を見て硬直した。
どうしたのだろうか、何か見た目、変なのかな。郊外を移動する時お風呂はおろかまともに体も拭けない様な生活だ。これでも頑張って清潔にしている方だが、街中にいる人々には十分汚い部類なのかもしれない。
「アメ、ちゃん……?」
「はい、そうですけど。あ、そんなに背、伸びました?」
ようやく搾り出された声は僕だけの名前。
コウとルゥも認識している様子だが、そこまで対応する余裕がないように見える。
しばらく会ってはいなかったが、劇的に身長が伸びたり筋肉がついた実感はあまり無い。ただこれは自分自身や、いつも傍に居る二人ぐらいしか確かめる相手がいないのでよくわからないが。
「……っ! ベルガさん!それにエターナーさんも! 早く、早くこっち来て!!」
宿の従業員にあるまじき行為。
持っていた洗濯物のカゴを投げ捨てて、ユズは宿の中へとドアを壊れんばかりに押し込み、ベルを盛大に鳴らしながらもつれ込むように入っていく。
カゴは投げ出され宙を舞い、洗ったばかりだろうシーツがその中から飛び出す。
地面にそれらがつく前に慌てて飛び出すがそれよりも早くコウが跳躍し、まるで初めから何も無かったかのようにカゴへシーツを戻して両手でそれらを抱える。
ユズの態度に釈然としない何かを抱きつつ、僕達はユズを追って宿の中へ入った。
「あんた達っ……!」
先に僕達を視界に入れたのはベルガ。
好意的な感情が大部分だが、僕達に向けられる視線の中には僅かな怒気が込められているのがわかる。
ユズが中に戻り、ベルガが反応し、ようやくカウンター席の隅に座っていたエターナーが読んでいた本から顔を上げる。
僕は思わず息を呑んだ。
もともとエターナーは感情を表に出さず、表情があまり変わらない人間だった。
それでも、今僕の前に居る彼女は明らかにやつれて見えた。
目には隈があり、その瞳ですら光をほとんど発していない。顔を上げる動きはぎこちなく、まるで錆び付いた歯車がガシャンガシャンと不規則に動くようで。
「ア……メ……?」
ただその表情も、急に色づき始める。
今まで流れていなかった血液がようやく循環するように血色は良くなり始め、動きは滑らかに。
けれどそれを否定するように……認めてしまったら、もう一度その穴に落ちてしまうのではないか。
まだ絶望の淵から抜け出していない、ただ抜け出したと錯覚しているだけではないか。
そう何かを否定し、何かを正しいと認識するために、ゆっくりと一度だけまばたきをしてエターナーは僕達へと駆け寄った。
「よかった……本当に、よかった……!」
僕は抱きしめられていた。
抱きしめる彼女は、涙こそ流していないもののそれ以上に大切な何かを零れさせているのはわかる。
でも、未だに僕はその正体を掴めていない。それが、とても申し訳なく感じていた。
「ルゥも、コウも……」
一度体を離し、今度は三人まとめて抱きしめられる。
何がなんだかわからないまま、僕達は彼女が満足するまでその行為が収まるのを待っていたのだ。
- 生まれた村、育った町 始まり -
「それで、いったい一年間黙って何をしていたんだい?」
自然とテーブル席へ座らせられ、三人に囲まれた時点でベルガがそう尋ねてくる。
この時点で僕はようやく気づく。今の今まで、僕達は死んでいたと思われていたのだ。
エターナーを介して騎士団支部へ行き、そこで竜に襲われた直後誰にも会わずに郊外へ。彼女の憔悴は身近な人を失ったことだけではなく、自分がそのきっかけになってしまったことに対する自責もあったのか。
「ごめんなさい。人を助けるために王都へ行っていて、その人や仕事内容が少し特別だったので連絡することができませんでした」
嘘だ。
王都に着いた時点で、手紙でも送ればよかったのだ。生きているって。
忘れていただけ。彼女達の存在をじゃない、彼女達の心情を察することを忘れ、気づけていなかっただけだ。
「スイとジェイドは……死にました。竜に襲われた時、僕達が守れなかったせいで」
エターナーを見て、僕達の隣に二人がいない事実、それにそれがどういうことなのかを理解している現実を見て、彼女が心の準備をできているのを確認し告げた。
「そう、ですか」
五人死んでいたことよりも、三人生きていた事実に納得できたのか、二人の死を受け入れられている様子だ。
「エターナーさんのせいじゃないですよ。僕達が自分達で行くって決めて、守れなかったのも自分たちのせいです。
……復興作業のほうは順調ですか? ここに来るまでに見てきましたが、直るまではまだしばらく年月が必要みたいですね」
「あれで中々順調なほうなんですよ。国からは十分援助がきていますし、街の人々も手伝ってくれているおかげで最善の速度で復興していると言ってもいいでしょう。
町が本来の機能を損なわないためにはあれで十分……ただ、人的被害は別ですね。
全身が吹き飛んだ人々や、その遺族達はまだマシなほうです。問題は体の半分が溶けたり、欠損してしまった人々。無くなってしまった部位が残っているのならすぐに治せるのですが、あのような形の被害ではそれも叶いません」
ただ、とエターナーは付け加えた。
国は竜を討伐することを諦めた分のリソースを、被害にあった人々や町に向けることにしたそうだ。
たとえ片腕や両脚が消えてしまっていても、専門の知識を持った人々が魔法と共に数年付き合えば失った部位も再生はできる。
問題はその人材と、人材を動かす資金……それに心に付いた傷跡だ。
「まぁその精神的な問題も、街の人々が支えあったり、信仰のおかげでどうにかなりそうですけど。
……今この町での信仰割合は、一強だったイオセム教に続いて竜信仰が数を増やしています」
そう付け足した言葉に、若干の毒を感じたのは気のせいか。
竜信仰。
竜こそがこの世界の支配者であり、戦争に負けた人類はそれに従うべきだと謳う人々。
別に問題は無い。竜がピラミッドの頂点にいるのは変わりないし、竜による被害すら全て必然だと受け入れようとするのは絶対的な力の差が明確な今、仕方の無い事とも言える。
……ただ、気に入らない。泣き寝入りするどころか、それが当然だと、竜に人々が殺されるのは誉れだと。そう痛みを痛みと認識せず、僕からしてみればただ理不尽な現実から逃げているだけのその人々は。
エターナーが嫌悪しているのもその思想か。それとも思うところがある竜が祭られている宗教が単に気に入らないだけか。
「スイと、ジェイドのお金って引き出せますか? 近い肉親がいるとは聞いていないし、開拓の時に得たお金がまだ残っていると思うんですけど」
「えぇ、できますけど」
「全額復興のために寄付しておいてください。きっと彼女達が生きていたら、そうしたと思うので」
謙虚で、人の気持ちを誰よりも重んじる二人だった。
もし生きていて、この惨状を目の当たりにしたらきっとそうしたはずだ。
「はい、わかりました」
「それに僕の……僕達の預かっているお金も。
先に言った仕事でしばらくは楽できるお金を確保したので、そちらが預かっている分は全て復興に使ってください」
自分だけの、と言おうとしたところで、コウとルゥの二人から無言のプレッシャーを感じた気がするので表現を変える。
ユリアンから貰ったお金はまだ残っている。当面の生活は大丈夫だし、大きな買い物をする予定も無い。仕事をせず、竜を倒すためだけに活動するというのも考えていないので、開拓時に貯めたお金は必要ない。というよりも必要だからこそ、今こそ町に使うべきだ。
自己満足が大部分を占めているのはわかっている。けれどお金で、今まで何も町に対して行ってこなかった自責の念が少しでも晴れるのなら、それでも良いと思ったのだ。
「ありがとうございます、本当に助かります。
……これからアメ達はどうするんですか? レイニスに滞在するんですか? それなら案内所に復興関連の仕事が多数張り出されていますよ、国が援助していることもあり羽振りはいいですがどうです?」
その矢継ぎ早に繰り出される言葉は嘆願だったのだろうか。
否定したい、もしくは否定して欲しい。僕達が内に秘めているものを。
「余裕があればそうしたいと思います。でも僕達にはやることがあるのでそう多くは手伝えないかもしれません。復興よりも大切な」
「……」
「もう二度と、いえもう三度目を起こさないためにも、竜を、殺さないといけないんです」
- 生まれた村、育った町 終わり -




