83.緩流は激流に身を委ね
「ここに居たんだ」
道から川のほうへ顔を出して覗き込み、下にある足場にルゥが居たのを確認し声をかけて階段を下りる。
起きた時ベッドにルゥが居なくて、宿の人に聞いてみたら釣り道具一式を持って出て行ったと聞き探してみた。
「よく見つけられたね」
「一度ここを気にかけているのがわかったから」
宿からそう遠く離れた場所ではないので、見つけること自体は難しくなかった。
ただあまりにも朝が早いと言うか、普段ですら早朝から訓練をしている時間以上に今の時間は早く、まだ日は半分沈んでいるようなものだ。
アバウトな感想になったのも仕方無く、水辺が多いせいか朝霧が酷い。川の対岸ならまだしも、遠く離れた場所はとてもじゃないがまともに見られそうになかった。
ルゥはより早く起きていたのか、それともそんな気候が追い風なのか既に数匹の魚をバケツに泳がせていた。
「いつ買ったの?」
釣り道具一式を見る。
「しばらく滞在するって聞いた後にちょこっとね。できればレンタルしたかったけど、そんなサービス見当たらなかったり知り合いも居なかったから中古で適当に買ってきた。
多分あと二、三回も触ればいいぐらいだしね。ローレンを離れる時は安くでさっさと誰かに押し付けて置いてくよ」
「ふーん……うわ、気持ち悪っ」
釣り道具を眺めていると、エサだろうかミミズのような生き物が数匹うねうねしているのを見つける。
見つけ、思わず手にとってしまい、そのグネグネした動きに更に嫌悪感を覚える。
……そういえばジェイドと落ちた遺跡への穴、結局あれは何が原因で出来た穴なんだろう?
現実的に考えて大きなミミズって線は十分あるはずだ。自然が豊富の未開拓な地域が多い……だろう世界に、自分の体重という問題を克服できる魔法の存在。竜や偽竜、大きな鳥も居るのだから大きなミミズも居るのだろうか。
「気持ち悪いって言いながら触らないでよ」
もっともとだ。
触って元気が無くなり、生餌としての効果が薄くなったと文句を言われても堪らない。
「アメはさ」
「ん」
「竜を倒せたとしたら、どうするの?」
どうするって……どういうことだ。
竜という脅威がなくなったのなら、普通の冒険者として適当に生きるのがいいだろう。それか別にやりたい事が見つかるかもしれないし。
「大きな目標をやり遂げた時、人は燃え尽きてしまうってよく言うよね。竜を倒すってのはそれに……その頂点近くに分類されることだとわたしは思っている」
「まぁそうかもしれないけどさ、なってみないとわからない。なれる見通しも今は立っていないし」
ルゥは釣竿を上げ、エサの無くなった釣竿に、針が見えないよう僕がさっき触っていた虫を突き刺す。
体の半分は刺されなかったが、もう半分が抉られている痛みにか自由に動く箇所をばたばた動かしながら。
さぞかし魚からは美味しそうに見えるだろう。ルゥもそう思ってか満足気に川へ糸を垂らす。
「でも、想像はつくよね。故郷を奪った竜を殺しても、竜という種が滅ぶわけでもない。炎竜じゃなく、風水地竜もいる。
竜じゃなくてもいい、その辺の犬にでも、また大切なものを奪われたらアメはどうするのかな」
自分が生きている限り、敵対する存在は生まれ続けると少女は笑う。
僕は言ってやりたかった。殺させない、守るって。でも、それができないことは僕が一番知っている。そんな甘い夢は叶わない。
「……殺して、殺して、殺し続けるよ。自分が死ぬまで」
奪われたのなら、奪い返してやるだけだ。
たとえそれ自体を取り戻せなくとも、奪った奴の心臓ぐらいは奪うことが出来る。それしか、できないんだ。
「それも、いいかもね。誰が敵かをしっかり考えて、その上で皆殺しにするのならアメはひとりぼっちにはならない」
もし何もかもが敵に見えるのなら、死体で溢れた世界で二人きりになったその時に、大切な誰かを殺さないで済む。
でも、そんな頃には命の大切さも、誰が大切かも忘れていそうだ。
今ですら、僕は必要であれば人の命を奪いことを厭わない。今でもまだ、誰が大切かを覚えているのかな。
「やめやめ、今日は撤収。アメが来てから釣れなくなった」
「え、それ僕のせいなの?」
「さぁ? 魚じゃないからわたしにはわからないけど」
余ったエサ達を適当に川へ投げ入れ、片づけを始めるルゥ。
そんな彼女と、宿に残しているコウを僕はまだ大切だと思えている。
なら、きっと大丈夫だ。
- 緩流は激流に身を委ね 始まり -
「うぅーー……やっぱり僕も上着欲しい」
「なに今更恥ずかしがってるのさ、別にだらしない体ってわけでもないんだから」
ビーチに来て、一応更衣室的な場所があったのでそこで着替えるが、普段こんなに肌を露出させる機会なんてないのでどうしても恥ずかしい。
どれぐらい恥ずかしいかというと、ひんやりと肌を撫でる風が何か意図を持って体を触っているのでは無いかと錯覚するほど恥ずかしい。
寒い地方、それも冒険者なんてなるべく肌を露出させないほうが怪我の予防にも繋がる……あぁそう考えるとなおさら、服どころか武器も持っていない現実は身の危険を感じる。魔法があるし、他の人も居るので物騒なことは滅多にないとは思うが、そっちの方面でも不安になってきた。
「ルゥは少し体型気にしたほうがいいと思うよ? 筋肉どころか、最低限の脂肪すら足りてないからね?」
「うるさい。ほら進め進め、女は度胸だ」
そう言いながら僕を外へ何度も蹴りながら押していくルゥ。
もう既に結構時間を掛けているので、これ以上コウを待たせておくことはできないと知っていることもあり渋々歩くがやはり歩みは遅い。
「男は?」
「男も度胸」
少しでも時間を稼ごうと尋ねたが、流石に待ち飽きたのか強く蹴り出され外へ出てしまう僕。
嗚呼、太陽が僕を視ている。道行く人々が僕の体を……というのは自意識過剰すぎる。いや、そもそも何となく気づいていたが普通に寒い。
雪が降り積もる地域の春ってどう考えても海開きはするべきじゃない季節だ、案の定人少ないし。
そう思いながらルゥと二人、コウが居るだろう場所へ魔法で体を温めながら移動する。
多分帰ったら体温維持のために凄く体重減っていると思うのだけれど大丈夫だろうか。ルゥの体。
「お待たせ……」
日差し避け……主にルゥが日焼けしない為に荷物と共にパラソルを刺してある場所へたどり着く。
薄着なせいか心細く途中まで片腕を抱いていたのだが、左手を抱く右腕の内側に当たる肉を協調している気がして両手とも腰の横で握ることにした。改めて意識するとポーズというのも気になるもので、これはこれで不自然じゃないかと思うのだが今更何が自然かどうかもわからない。
「うん。似合ってるよ、二人とも」
僕達の水着を見てコウは特に深い反応も示さずそう感想を言った。
……うん、水着を着ている僕達じゃなく、水着そのものしかあまり見ていなかった気がするのは何故だろう。それはそれで凄く屈辱な気がする。
水着を選んでいる時もそうだったがあまり僕達がどうのとかじゃなく、純粋に水着や衣類そのものが気になるのだろうか。
二人の水着はコウが選んでくれたものそのもの。コウは気づいたら自分のを買っていた、特に特徴があるものでもないが、似合っているしいいのではないだろうか。
僕は青い水着。僅かな装飾だけで少し大人びた雰囲気だが、まぁ着ている人間の年齢が年齢なのであまり色っぽさといった魅力は無いと思う。ちゃんと可愛らしいとは思うけれど。
ルゥはフリル多めの赤い水着。普段つけている私服がそれっぽいので、何となくゴシックなイメージが湧いてくる。フリル一杯のドレスにリボンなんかを着てみたら、性格も相まって小悪魔的な容姿が様になるだろうが多分本人の嗜好的にそこまでがっつりしたものは着ないだろう。
何気に彼女は、ゴシック系と動きやすい格好の中間あたりを狙い続けているのは知っている。基本着ている自作の私服もそうだが、絶対に動きを阻害するようなものは着けないこだわりを日々感じているのだ。
「とまぁ見せ合いっこも終わったところで、んじゃわたしは荷物番してるから二人で楽しんできてねー」
そう言いながら荷物からパーカーを取り出し、適当に羽織りながら楽な姿勢を整えるルゥ。
「暖かそうだね……僕もっ……! ちょ、コウ待って。行くから、引きずらないでっ」
海への好奇心が抑えきれなかったのか、辛うじて勝手に離れ怒られないよう僕の手だけは取りそのまま歩き出すコウ。
踏ん張ろうにもいつも以上に踏ん張れない。砂って予想以上にすべる……というか痛い、マジで痛い。足の裏が研磨剤にかけられているかのごとくゴリゴリしてる。これやばい。
「やったー!」
そう楽しそうに声を上げながら海へ飛び込むコウ。
もちろん僕も一緒だ。無理やり手を繋がれたまま、いや抵抗したら腕をもがれる勢いだったので半ば自分から飛び込んだ形だ。
二メートルほど上に、そして五メートル以上横へ。こんな時に鍛えた体と魔力を発揮しなくても良いのに、とかゆっくり考える時間を得た段階でコウは足から水の中。僕は……背中からだった。
痛い。くっそ痛い。
痛みを魔法で緩和しようとして、続いて鼻から入ってくる海水に慌てて対応する。
やばい、溺れている。多分足は着く深さだと思うのだけれど、久しぶりに、この世界では初めて頭まで水に使った上、入り方が酷かったせいでどこが地面だかよくわからないでしばらくもがく。
自分で立つ前にコウが姿勢を整えさせてくれ、ようやく一息つけた時に息を吸いながら喋る。
「ありがと……じゃないよ! コウのせいで大変だよ!!」
「ごめんごめん」
全然謝っている気持ちが伝わってこない謝罪を聞きつつ、水着がずれていないかを確認。
そう簡単に外れたりはしないが、ぽろりは勘弁して欲しい……あぁ大丈夫みたいだ。
「それで初めての海、どう?」
「しょっぱい」
味かよ。
「それと、安心する」
「安心?」
故郷は近いとはいえ海の反対側だ。
大きな水源という括りで見ても、井戸を除けば川が村から離れた場所にあった程度。哀愁など覚えるわけも無く。
母なる海という概念そのものは、多くの国が海の語源を母に関連したものにしていたり、生き物全てが海から誕生してきたという歴史が前提に存在する。
記憶、由来、語源、起源、知識、歴史。なんだっていい、哀愁とはそういった前提があって初めて成り立つ感情だ。今の僕達にはそれらはない。
海という単語が母に関連していたり、生命の起源を常識として根付かせるほど科学が発展していたり、海に思い出があるわけでも、風習も、何も。
「なんだろう。雨って海の水が元で発生するんでしょ?」
「うん」
顔に出ていた疑問を読み取り、丁寧にもそれを説明しようとしてかコウは語りだす。
「だからその、雨の元である海とか……そうルゥも水ってイメージが強いから、なんていうか二人って連想できる大きな水の塊が、今こうしてここにあって、体を浸せるんだなって思ったら安心するのかな」
確かにルゥは水のイメージがある。
好んで使う魔法は水だし、僕に初めて魔法を教えてくれた時に使った魔法も水だ。
つまりコウは海に対して、身近な僕達を錯覚しそれに包まれたり触れれる現状に安心感を覚える……もしくはやはり、人の根源に刻まれたそれを、そう錯覚し表現しているだけなのか。
「……錯覚や連想は、知能を持つ人間にだけ許された行為だ。
御伽噺の後、揺れる木の葉が人の顔に見えて怯えるのも。懐かしい香りを嗅いだ時、今はもう会えない誰かを思い出すことも。全部」
思わず浮かべた誰かの言葉を、僕は独り言のように呟きコウはそれに感動したように深い声を出した。
「ロマンチックな言葉だね」
「そうでもないよ。この言葉の持ち主は、人間以外に心が無いって言っちゃってる。獣達も伝わらないだけで、きっとみんな何かを思って生きているのに。
……コウって泳ぎ方知らないよね。なら安心なんてしている場合じゃないよ、教えてあげるから泳げるようになろう」
繋いでいた手をそのままに、バタ足の練習から息継ぎの仕方。
それからすぐにクロールの腕の動かしたかを練習したら、コウは気づいたらすぐに泳げるようになっていた。
あまりにもテンポが早過ぎて、教師役としての喜びなんてもちろん無い。
まぁ今に始まったことじゃないので気にはせず、今日は休暇と決めていたので泳ぎもそこそこに、二人で、たまにルゥも参加して砂浜をメインに日が暮れるまで楽しんだ。
流石に寒さが限界になった頃に帰るとき、少し寂しさを覚えたのは海が名残惜しかったのか、それともそばに居たはずの人達が今はもういないことを実感してしまったのか。
引率するはずの大人達や、コウと泳ぎを競い合うジェイドに、それを眺め楽しんでいるスイ。瞼を閉じればそれが幻だとわかっているはずなのに、どこか懐かしくて。
いつか、王都に居るだろう友人達と、遊びに来ることができたらこんな錯覚に苦しむ必要も無いのかな、そんなことを考えてしまった。
- 緩流は激流に身を委ね 終わり -




