74.からっぽの一日
「幸福は二種類ある」
ルゥはそう切り出す。
「ふむ」
ルナリアは相槌を打ち、
「……」
僕は黙る。
何かを喋るとルゥが黙るからだ。
せっかく波長が合うだろうと、ルゥをルナリアとのお茶会に誘ったのに彼女が会話に参加しなければ意義が薄れる。
「今が不幸だからいつかは幸福になる、という幸福。
今は幸福だけどいつかは不幸になってしまう、という幸福」
「幸福と不幸は表裏一体。どちらかが欠けてしまえば、幸福は幸福足りえず」
「不幸は不幸足りえなくなってしまう」
まるで事前に打ち合わせていたようなやり取り。
餅を突くようなものだ。タイミングを合わせ、双方が会話する。あらかじめ決められたプロセスを、なぞるような会話。
「幸福を実感できなくなってしまった時、それがもっとも人が恐るべき不幸だ」
ふむ、と話を飲み込むルナリア。
「幸福に慣れる……それが当たり前だと感じてしまった時、比較対象を失い幸せを実感できなくなるからだね」
うん、と頷くルゥ。
僕は紅茶を口に運ぶ。中々の味だ、紅茶を淹れる技術も大分上達してきたと思う。ルナリアからも悪い感想より良い感想を聞く機会が増えてきた。
「ならば」
「どっちの幸福が好ましいか」
ルナリアの言葉にルゥが続く。
一時の静寂と共に、それを晴らすため双方が寸分違わず口を開く。
「明日は来ないかもしれない……故に今ある幸福が好ましい」
というのはルゥ。
「不幸の最中、幸福を想う時間はそれなりに幸せではないだろうか」
というルナリア。
ピシッと空気にヒビが入ったような感触。
僕は構わず菓子に手を伸ばす、凄く美味しい……というか僕好みだ。
今日は何故か使用人ではなく、コウがスキップでもするようにお茶会セットを持ってきたので十中八九彼が手を出したのだろう。
ちなみにこうして順調な会話が一言で途切れるのは今日何度も起きた出来事だ。
二人の好みである理由は共に同感できる、おそらく二人共もそうだろう。
けれど複数から選択、まず先に口に出すものが何故か必ず違ってしまう。
「おほんっ」
ルナリアが露骨に咳払いをし場を仕切りなおす。
その意味を僕は深く理解しているし、ルゥも理解しているだろう。
「この前、デザートにアップルパイを頼んだんだ」
「うん」
まるで先の話とは関係ない話題に、ルゥは違和感もなく相槌を打つ。
「するとしばらくして持ってきたのはブルベリーパイだった」
「叱ったの?」
「いいや、誰にでもあるミスだからね。作り置きだったので、次からは見分けがつくよう目印でも付けたほうが良いとアドバイスだけしておいた」
「理想的な雇い主だ……それで、そのブルベリーパイは?」
再び一瞬の静寂が訪れる。
言うなれば西部劇のガンマン、弾いたコインが地に着くまでの合間。
射撃したのはほぼ同時だった、けれど僅かにルナリアが速かった。
「見ただけじゃ判らず、一口齧ってみたけれどとても美味しかった。アップルパイだった気分だけれど、今日はブルベリーを楽しもうと思うほどには」
遅れて撃つのはルゥ。
言葉はほぼ重なっているが、三者共に聞き逃すわけはない。
「もちろんアップルパイを持って来させたんだよね?
パスタが食べたくてそのお店に入ったのに、出てきたものはどんぶり飯のようなものだ。
それは酷く気分を害される、心構えを、それを楽しみにしてた心を蔑ろにされるのは悲しい」
一つの的を狙って撃つはずだった。
けれど見解の相違で、片方は別の的を狙ってしまっていた。
再び空気にヒビが入る錯覚。
もちろん錯覚だ。たとえ空気が壁になっていても音を立てて崩れるわけがないし、たとえピシッと音を立てるような素材に変わっていたとしても、それは既に粉々に砕け終えて音を立てるだけの壁など無い。
- からっぽの一日 始まり -
「二度とああいったお茶会には誘わなくていいよ」
ルゥと二人、町に出た瞬間彼女はそう言った。
「……相性、良いと思ったんだけどなぁ」
「相性は、うん良いと思う、凄く良い。
でもなんていうか、一緒の夢を見ていたとして、彼女は彼女で、わたしはどう足掻いても蝶なんだ」
「もう少しわかりやすく」
「パイという括りで見たら何も変わらないのだけれど、食べる人にとってはブルーベリーとアップルパイという結果的に見たら致命的な違いがあるというか」
まだ少しわかりづらい。
「鏡を見ているんだよ、同じ動きをする鏡を。
例えば踊りの練習をして、途中まで完全に同じ様子を映しているのに、何故か決めポーズだけが違ってしまうんだ。
同じだと思っていたのに実は違った、完全だと思っていたのに実は不完全。そこに至るまでの過程が理想的だから、理想的過ぎるから尚更その一つが気に入らない、というか納得できないというか」
「また少しわかりづらい場所に行ったけど、何となくわかったよ」
「多分ルナリアも同じこと思っていると思う。気が向いたら話題に出したら良いよ、わたしは気にしないしあっちも気にしないだろうから」
適当に頷きつつ歩みを止める。
多分話題に出すことはないだろうが。
「で、どこ向かってるの?」
「適当」
「何しに」
「デート」
無言で睨む僕にルゥは慌てて口を開く。
「えっと気晴らしに、というか気分転換に二人で出かけられるのならどこでもなんでもいいかなって。最近意識して二人きりってあまりなかったから」
まぁそう言われてみればそうだ。
日々は移ろうし、人は死ぬ。
リルガニアに来てから僕とルゥは同じベッドで寝ることはなくなったし、仲良くなった二人ももうそばにはいない。
ただ意識してみればそうした日々に帰ったつもりになることは幾らでもできる。
「どこ、行こうか」
口に出しながらも考えるが、特に思いつかない。
普段遊びに行きたい時はすぐに動くし、何より基本的に暇を持て余しているほどだからだ。
改まって遊ぶとなっても、何か思いつくのなら既にそれを消化している。
「……特に何もないなら、ついて来てもらってもいいかな。
少し思ったより早かったけど、こういったものも時期や運命っていうのかもしれないし」
「……? うん、いいけど」
珍しく畏まった様子で意味深なことを呟くルゥの後を追う。
思えば彼女の背中を追って歩くというのは珍しいことかもしれない、いつもは誰かの後ろを追うのは彼女の立場だからだ。
「待って、どこ行くの?」
ただそこに入ろうとした時、僕は思わず制止してしまった。
今僕達が立っているのは街並みが変わり始める境目、向かうはどう見てもスラム。
昼間といえど女二人で武具を持たずに立ち入る場所ではない。
「浅い場所で済ますから。やめとく?」
「……ううん」
引き返そうかと思ったが、普段とは違う様子で今日の予定を決めたルゥが心に引っかかる。
滅多にないそれを、僕の臆病一つで止めてしまったら彼女のそれは次に何時出てくるかはわからない。
緊張しながらも荒れた街並みを歩く。
やたら視線を感じる。すれ違う人から、物陰から、家の窓から。
何をしに来たんだ、カモが来た、若い女だ。
緊張が幻聴を引き寄せる、十二分にありえる言葉を耳に入れる。
何とかそれを理性と、危機を未然に防ぐ警戒心で押し止め、縋るようにルゥの背中だけを見る。
他には何も見たくなかった。僕達を見る視線の元も、酔っ払いが吐いただろう跡も、暴力に抉れただろう壁も。
「見て」
そんな中ルゥは立ち止まり、見ろ、と言う。
一番したくない事を、今一番信頼できる人間が言う。
これを終えたらこの場を離れられる、そう祈りながら指された方向に視線を向ける。
少年が居た。
灰皿のような透けて薄い皿に僅かな硬貨を乗せ、忌々しい太陽をただ堪え忍ぶよう日陰で俯いている少年が。
物乞いだった。外套はボロボロで、そこから覗く片腕はひしゃげ変形し。
どうしてだろう。
初めに抱いたのは疑問だった。
何故腕を治さないのか、この世界には魔法が満ち溢れているのに。
次に抱いた感情は憐憫だった。
魔法を使えず、また対価を支払わなければ腕を治してくれるような人も身近には存在しない。
その幼い子供が置かれた立場を想像すると、胸が苦しくなり涙腺が脈打ち始めた。
「行くの?」
ルゥが問いかける。
「行かないの?」
僕は一歩前に出て問いかけなおす。
「何故だと思う?」
問いかけは三度反発し、僕の中に入り込む。
これはあれだ、幼い頃……いや、今も幼いからもっと幼い頃に何度も繰り返されたやり取り。
考えろとルゥは言う、どうしてか、それが大切だから。
足を止め、代わりに頭を働かせる。
問いかけは恐らく腕を治さない理由だ。そう思い、僕は素直に感じたことを口にする。
「それだけ?」
「……」
「足りないよ」
無言で肯定する僕にルゥは赤いインクでバツを付けた。
「容器、腕を誰が何故、外套の中、周囲の人」
ルゥは主語しか告げなかった。
動詞はきっと考えて、だ。でもその幾つもの問いかけは明確な答えを僕には浮かばせなかった。
ただ不穏な存在を感じ取りながらも、それでも施したいという気持ちを強く抱いた。
「行っちゃ、ダメかな?」
「……別に止めはしないよ、それ自体は何の問題もないから」
僕はその言葉を信用し、少年に近づき金貨を数枚ミスティ家から貰っているお金から容器に入れた。
過剰なほどに礼を告げる少年に気まずさを覚えながら、僕はボロボロの外套の内側にあった綺麗な服に違和感も抱く。
あたりを警戒していたルゥと合流し、僕達はスラムを後にした。誰かに施す、その偽善に溺れることはできなかった。
「用はあれだけ?」
「うん、初めから」
その言葉に、どんな意味があったのかは尋ねられなかった。
多分その答えは既に問いかけとして提示されている、言うなれば問いかけがルゥが求める答えそのものだ。問いかけを解けず、彼女の求心に至れない僕にとっては。
もやもやとした感情を抱きながらまたどこかへと向かうルゥの後を追う。
今は安全な街中、それも商業区へと向かっている最中だ。
思考が巡る。
どういう意図だったのか、これからどこへ向かうのか、お金だけじゃなく腕も治してあげればよかった、ルゥは何を考えているんだろう。
形取れないそれを持て余していると、ルゥがふと立ち止まる。
「……どうしたの?」
見ればルゥは鏡を取り出し、自分の姿を様々な方向から眺めている。
「いや、わたし今日も可愛いかなって」
「……ぷっ」
「酷い。笑うことないじゃん」
彼女なりの気遣いだったのだろうか。
少し違う場所へ行き、少し違う行動に戸惑っている僕への。
誰かを、いや僕を気遣うルゥなんて珍しく、また自身の容姿を賞賛する方向でネタにすることも見たことのない彼女に肩の力を抜く。
僅かにだが軽くなった足取りでたどり着いた次の目的地は市場だった。それも業者向けの。
前世のテレビでたまに見た、魚はこっちのほうが安い、美味い、取れたて、とそんな声が響く中、視覚と聴覚だけでなく磯臭い香りが現場らしさを惹き立てる。
発展都市レイニスと違いここリルガニアやローレンは海が近い、商業都市ローレンに至っては町と海が合わさったような街並みになっていると聞く。新鮮な魚を楽しめるだけではなく、レイニスに帰る際立ち寄るだろうローレンの想像もつかない街並みを想像すると心が躍った。
「値段見て何か気づかない?」
「レイニスより安い、海が近いからだよね」
「それもある、じゃああそこのお店は?」
含みのある回答を告げながら、新たに別の方向を注視しろと言うルゥに従う。
視線の先にはあまり人が寄っていない店があった。
魚はかなり新鮮だろう、ただ値段は安い場所から二回りほど高いものを示していて、人もそれを知ってかあまり寄り付かない。
売れないのが不満なのか店の人も客寄せにやる気を出さず、稀に来る客に手馴れた様子で義務的に売り払っているほとだ。
安い値段を提示している店よりなんというか必死さがない……温もりも、なかった。
なんというか他の店は必死に客を寄せるのだ、早く売らなければ、これは良いものだぞ、と。
もちろん利益を上げたいためだろう、けれど上手く言語化できない感覚器はそれだけじゃないとも叫ぶ。
売る人も必死ならば、買う人も必死だ。
更に小売店に新鮮な内転売するためか、痛む前に家で食べ終えたいのか、商人と思われる人も一般の人と思う人も急いで買って帰る。中には十分安い値段を更に値切り大量に買おうとする人もいるほどだ。
対して高い値段を提示している店にはそれもない。来る人来る人は皆落ち着いていて、身なりの良い人間や使用人と思われる人々が義務的に、予め決められていたように淡々と動くのみ。
「次、行こうか」
いろいろな物を見ていた僕と、僕が見ていた物を確認し、ルゥはここでの目的は達したと言わんばかりに移動を再開する。
それからも様々な物を見て、見せられた。
その度にルゥは僕の様子を伺い、時には問いかける。
僕は上手く答えられたのだろうか? ルゥは感情の起伏が少ない。そしてそれはこういう場で、僕に是非の判断材料を与えないことも意味する。
淡々と移動し、黙々と見て、思い出したように尋ねられ、感じたままに答える。
反応は少なかった……手応えは、皆無だった気がする。僕の問いかけに反応が少なかったのもそうだが、長年の付き合いがなんとなくそう告げていたのだ。確かな確信と共に。
「今日の用事は終わり、帰ろ」
日が暮れ始め、いつもの様にそう告げるルゥに僕は無言で従う。
このまま何も無ければ良いと願った。いつもと少し違う日、ルゥの気まぐれで何か意味深なように思える一日を、慣れた日々の間に挟まれただけだ。
気に留める必要はない、いつか、昔を振り返ったときには思い出せない忘れてしまうような一日だ。何かあった気がする、何してたんだっけ? 僕はルゥにそう尋ねるんだ、そうすると彼女はこう答える。さぁ? 忘れちゃったや。と。
でも聞こえてしまった。
ルゥの独り言、僕に聞かせるつもりは本当になかったんだろう。
僕も、風がその音を運んでこなければ、何も気に留めなかったかもしれない。
けれど確かに風はこちら側に吹いて来ていて、風と音の関係なんて大したことないなんてわかっているのにそれが原因だと感じてしまった。
「言いたいことを直接言えない、これが自分で好きで望み科せた枷なのだからわたしも相当だなぁ」
憐れむような声。
わかっている、ルゥがルゥに言っていることだって。
でも頭のどこか、心のどこかで考えてしまった。もしかして僕に言っている皮肉じゃないのかって。
「ごめ、ん」
考えてしまったら、感じてしまったら思わず口から零れてしまった。
本当は目から零したかったけど、それは負けた気がするから口から零れた。
僕は足を止め、ルゥはだから足を止めた。
「今日一日ルゥが何かを僕に求めていて、僕がそれに答えられなかったのはわかる。
でも結局未だにそれが何かわからなくて、何もわからない僕にでも、今の僕には絶対にそれを把握することすらできないってことはわかってしまうんだ」
わかっている。わからないことはわかっている。
わかっている。わからないことが大切だった物だってことはわかっている。
わかっている。こんなことを言って、何もルゥのためにならないってわかっている。こんなもの、ただの言い訳だ。でも、止まらない。
「負い目を感じる必要はないよ。わたしがそれを求めたのはわたしの意思だし、上手く求めることができないのもわたしが自分で選んだ道なんだから」
ルゥは僕が想像していた言葉を口にした。
ルゥは、僕が望んでいたことを口にしたかもしれない。
「それもわかる。それでもがっかりさせてしまったことに対して負い目を感じるのは僕自身の意志だ。本当にごめん、何度も」
これだけは譲れない。僕が僕であるために。
後になったら後悔するかもしれない、どうしてあんなことを言ったのだろうって。
でも後になっても絶対に譲れない、僕がこう感じて決めたことは譲れない。
「何度……?」
僕が意地を張っている中、ルゥは些細な言葉に気を留める。
肩透かし、ではないが空回りしてしまった気持ちが表に出てくる。
でもその言動は、彼女の言葉は僕が望んだから発せられた証拠にはならなくて、少し、安心した。
「その、初めて会った時、とか」
僕の本質の話だ。今の僕には前提がある、前の世界の、借り物の知識という絶対に覆らない前提が。
ルゥは僕が明言しなかったそれを受け取ってか、鼻で笑うと楽しそうに口を開いた。
「確かに本質を知ることで少しがっかりしたことはあったよ。
でもあの日、文字で埋め尽くされた部屋を見たときに覚えた感動は覆らない、あの日までアメがどれほど頑張っていたのか、あの日からどれだけ頑張っているのか。
まぁ少しばかり人よりずるしているかもしれないけどさ、それに胡坐をかかず死に物狂いで頑張っている女の子をわたしは知っているよ。
向いている方角が一緒だっていう感情を抜きにしても、その歳不相応な能力をいんちきだ!って石を投げる人間が居たらわたしが石を投げ返してあげる、じゃあやってみろ!って」
無茶苦茶だ。
もし石を投げる人が居たのだとしたら、僕の事情をまったく知っていない可能性が高い。
そんな人間に、知らなかった僕と同じ境遇を与える矛盾と、それを与える権利も能力もないルゥが石を投げ返しても何も解決などしない。
……でも、救われた。
「まぁそれにわたしもここで諦めるつもりはないから、まだ手段は残っているからね」
「……ありがとう、時間がかかるかもしれないけれど、必ず答えて見せるから」
「うん、期待しないで待ってるよ」
「何それ酷い」
それからは何事も、いや少しだけ考え事をして食事を済ませ、ベッドに入ってからもしばらく色々と考えていたが、睡魔が迫ってくるとそれらを忘れて僕は素直に眠ることが出来た。
それが、幸せだった。
- からっぽの一日 終わり -




