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曖昧なセイ  作者: Huyumi
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73.伸ばせば届く星空に

「痛いです……」


「痛くしたからな」


 二度目の試合に決着はついた。

 というか目まぐるしく回転し続ける僕の視界に脳がついて来れず、エリーゼによって床に叩きつけられた際、防ぐ余裕もなく顔面からもろに直撃した。


「悪くない、いや良い、だな。何をしたか具体的にはわからないが、随分と動きにキレが出た。

お前はそれを磨くといいだろう。でもまぁ、積み重ねた齢には勝てなかったな……最近いろいろと悩みが出てきたが、経験が多いというのは戦いでは大きな強みだ」


 剣を鞘にしまい、アドバイスなのか愚痴なのかわからないそれを告げるエリーゼを背中に僕は床に散った血を拭う。


「うら若い乙女が、人目のある場所で鼻から血を流してそれを拭いている現実とどっちが悩ましいですか」


「……手伝おうか?」


「結構です」


 上手い言葉が思い浮かばなかったのか、そんなことを申し出たエリーゼの願いを蹴る。

 みっともない負け方をして、その後始末を手伝わせるなど絶対に嫌だ。

 血に濡れたハンカチの、まだ汚れていない部分で顔に付いた血も拭いつつ僕は立ち上がる。


「ありがとうございました。良い経験になり、これからもこうして積んでいきたいと思います」


「あぁ……そう気落ちするなよ? 経験の差もあるだろうが、魔法に制限を掛けているんだ。雷なんて物を使われたら私でも真剣勝負ならお前に勝てるか怪しい」


 それはわかっている。僕はあくまで魔法を中心に訓練を積んできたから、単純に武術や剣術で他者に勝るとは初めから思っていない。更に相手は親衛隊隊長だ、経験も実績も違う。

 気落ちしているように見えたのなら、誰が見ているかもわからない空間で鼻血を出してしまったことに対してだ。

 ……それがわからないのだから、もしかして屋敷内でもエリーゼの浮ついた話を聞かないのだろうか。



「あ、終わったの?」


 見学しているルゥの隣へ寄ると視線をこちらに向けないまま彼女はそう対応した。


「うん、見てなかったんだ」


「ごめん、あの二人が楽しそうに戦っているからさ」


 視線の先を見てみるとコウとユリアンが善戦していた。

 この様子だと僕が鼻血を出したことはコウもルゥも見ていないようだ。

 ならばよし、この二人が見ていないようなら忘れよう。コウに見られるのはなんか嫌だし、ルゥに見られるとそれをネタに弄られかねないがその心配がいらないのなら幸いだ。


 僕もルゥの隣に腰をおろし、二人の戦いを見守る。

 見たところコウはほとんど肉体強化に魔力を割いていない……所謂ハンデを背負っている。

 日頃鍛えているといっても、魔力を使っていないコウではとてもじゃないがユリアンに力や速さで勝てない。前世で言うと少女が成人男性に戦いで挑むようなものだ。

 まず敵うわけが無いと思う。無理、なのだ。勝てる理は、どこにも、ない。

 その無理をコウはこじ開けている、感覚にも魔力を割いていないのか普段より反応は鈍い。それでもユリアンの振るう素早い攻撃は彼を直撃しない、魔力を使わなければ僕でもその剣戟は見えていないだろう。でもコウは視線の動き、武器の位置、呼吸、あらゆる要素から予測しそれを防ぐ。

 ただ単に受け止めても力で押し切られる、圧倒的な力の差に敵う道理はない。でもコウはそれを往なす、弱点を突く刺突はその部位を動かすだけで、縦に斬り下ろされる鈍器のような一撃は身を反らし、薙がれる刃はまともに受け止めず上下に流す。


「凄い……」


 口から出た感想はそれだけだった。ルゥが見入るのも仕方のないことだ。

 それほどまでにコウの技量は常人離れしていた。ユリアンの能力が劣っているわけではない、彼は彼なりに上手くやっている。一ヶ月野営を続けられ、私兵の襲撃から生き延びた技術は確かにユリアンに根付き、幼い貴族の子供の枠から大きく外れているのだ。

 そんな常識外れを、より枠を大きく壊しているコウが渡り合う。魔力を制限してこれだ、爆発を扱い身軽に動く彼に敵う人間はいるのだろうか。

 思い出す。王都に着く直前の戦闘、コウは傷を負っていたのか。思い出せない、少なくとも目立った傷は存在しなかった。テイル家の私兵、つまり対人戦闘のプロ相手に、だ。

 エリーゼ相手に本気で殺しあっても、きっと最後に立っているのは少年だ。傷が多少ついているだろうが問題はない、そこに僕とルゥを加算し一対三で戦う。膝をつかせる事は出来るだろう、でもその時僕達はもう既に全滅しているに違いない。


「でもこれじゃ負けないけど、勝てない、よね」


 突いて避けて斬って防いで。

 薙ぐ逸らす迫る掴む解いて打ち付ける。

 繰り返される攻防、けれどそのどれもが致命的にはならない。このままではいつか綱渡りを失敗してしまう。


「アメはそう思っちゃうのか。でも大丈夫だよ、この勝負はコウが勝つ」


「何故言い切れるの?」


「アメじゃないからね……そろそろだよ、見て」


 僕はその物言いに不機嫌になりながらも、黙って二人を見届ける。

 徐々にユリアンの剣が鈍くなる、対してコウの動きは止まらない。

 それどころか防戦から攻勢に打って出始め、ユリアンが攻撃を防ぐ機会も瞬きをするたびに増えていく。


「……参った」


 ユリアンの声が聞こえた。


「戦いの勝負がつく理由は生死だけじゃない。時間切れ、この場合もそう」


 ユリアンの魔力と、体力が持たなかったのだ。初めからコウは武力で勝利するつもりなど毛頭無かった。

 相手が有利な場所から、魔力が無くなり同じ場所まで落ちてくるのを待っていたのだ。初めから。

 勝敗のルールがそうだったのかもしれない。けれど魔力のあるユリアンが魔法を使っていないコウを制圧することができなかったのだ、そんな人間相手の試合にこれ以上続けても勝てる道理はどこにもない。


 ニヤリとコウが嗤った。

 戦いの悦びを今になって実感したのか、勝負に勝った満足感からか。

 でもすぐに口元を押さえ、笑みを消す。対戦相手に無礼だと感じられる可能性を考慮したのだろう。


「楽しかったっ!」


 ユリアンと共にこちらへ来たコウが叫ぶ。

 全力も出せず、相手を明確に屈服させることも出来ず、ただ制限時間まであらゆる技を駆使し耐え忍ぶだけだった少年が心の底から笑う。

 ユリアンは体力も魔力も底を尽き肩で息をしているのに対し、コウは魔力をほとんど使っておらず、体力も魔法で休息に回復している。

 と言ってもその回復する時間もあまり多くはないだろう。僕の幼馴染は凄いのだ。



- 伸ばせば届く星空に 始まり -



 午後。

 昼食を終え、コウと二人町を楽しむ。


 興味を惹かれるものがあればそこに吸い寄せられるコウを必死で追い、楽しげなものを見つけたら彼を誘いそこ行く。

 ……デートではない、断じて。言うなればお守りだ、暴走しないよう手綱を握るのに必死なんだ。


 初めて町を一望した時、レイニスを四つ集め中心に城を置いているような見た目と称したがレイニスにいくらでも無い存在はある。

 王政区はわざわざ門番が立って居たり、何か目印があり境目があるわけでもないが、目に見えない区切りがそこには存在することがわかる。

 別の区画から中心へ向かうと、徐々に街並みは高級に、商店は減り何かを売っていたとしても高価な家具や衣装でとてもじゃないが手を出せないし、服は機能性が無い上無駄な装飾が多くあまり興味が湧かない。

 そんな中を止まらずまだ中心へ進むと、気づけばそういったお店すらほとんど見当たらなくなり、騎士団や貴族、その供といった人々が歩く中、周りの建物は大きな屋敷や国の施設ばかりになっていく。

 次第に歩む速度は衰え、気づけば立ち止まり来た道を戻る。それが、目に見えない区切りだ。


 商業区や王政区の中間辺りには大きな施設が密集しており、以前適当に口から出た劇場や人々が力を競い合ったり、騎士団が良い人材を探す、もしくはその様子を見て楽しむ人々がいる闘技場がある。

 博物館や植物園は意外にも無かった。これは恐らくこの国、いや世界が、二百年ほど前に起きた戦争からまだ立ち直れておらず、実益の無い資料や、過去を振り返る歴史や余裕が未だ存在していないからだろう。

 純粋にスポーツを楽しむ競技場も無かった。これも戦争の名残が抜けきっていないことが原因だと思う。娯楽のため体を動かすのであれば、どうせなら武力を磨ける闘技場を発展させた方が良いのだろう。


 ただ遊ぶ場所が無いかといえばそうでもなく、芸術面、絵画や音楽等は町で盛んに取り扱われており、腕や実績、もしくは名があるものは適切な施設で披露する場があるし、そういったものが無くとも小さいアトリエ等で肩を寄せ合い技術を磨き、路上販売や披露をして得たチップで少しでも生活を楽にしようとしているのがわかる。

 無論それだけで食っていける人間など僅かだろうが、他の仕事の合間にそうやって活動を行い、町全体を活性化させているのには本人にも周りの人々も有意義なことだろう。退屈は人を殺すが、心に余裕が無くとも人は死んでいく。芸術方面が発展していくことは動物を狩り、植物を育てる実益的な面以外でも人々を支える重要な要素だろう。


 街中にはいくつか公園もあった。

 あまり植物を植えられるスペースが少ないその空間に、大きくは無くとも危険な郊外に出なければ見られない植物は人を本能的に安心させるのか、家族やカップルが穏やかな時間をそこで過ごしているのが見て取れた。

 まぁ僕達にとってはあまり必要の無い存在なのだけれど。森の中に入れる力はあるし、ミスティ家の屋敷に帰れば中庭を好きに使える。何より一ヶ月郊外で過ごしていたので当分は必要ないだろう。


 ふと目に止まった施設に、コウに一声かけて二人で入る。

 レイニスでも慣れ親しんだ教会だ。丁度訪れた施設はイオセム教のものだったのか、相変わらず偶像は置かれておらず中に居た人々は自由気ままに過ごしていた。

 どこのイオセム教会もあまり変わらないものだと安心しつつ、他に見ていた教会のことも思い出す。レイニスとは違い他の宗教と思われる教会の比率も多かった。人口が多い故に教会が多くあるのか、レイニスが特別イオセム教を信仰しているのか……まぁどちらでもいい。ぼんやり思考に耽るなら、王都にいる間は屋敷の中庭で満足だ。寒くなってきたら少し考えるけれど。



 町に出てから数時間。

 僕達の足はまだ止まらない。街中を歩くなど大した困難ではないし、子供の興味は尽きることを知らない。


「なんだろう、これ」


 そんな中、コウの足を止めるのは一つの施設。

 未知は恐怖だ、けれど好奇心と知識欲を満たすものは未知だ。

 そして少年は恐怖に屈服することはない。昔からそうだ、未知を既知に変える速度は尋常じゃなく、恐怖そのものを楽しむ気概すら存在する。


「きっと素敵だよ、入ってみよう」


 手書きの看板を、たくさんの星で埋めたその施設に入場料を払い二人で中へ入る。

 そう多くはない椅子の隅っこに座り、感触の良いそれを楽しんでいるとベルの音が鳴り響き室内の照明が落ちる。

 拡声器を使って室内に響くアナウンサーの声。ここがどういう施設かを説明し、それではまだ太陽が高い時間、夜の旅をお楽しみくださいという決まり文句と共に暗かった室内に光が満ちる。


 頭上には星空。

 惜しむことなく散りばめられたそれは、ゆっくりと移ろいながら聞いた事のない神話と共に見るものを惹き付ける。


「――」


 コウの声は上がらない。

 ただ圧倒されていた、プラネタリウムという未知の存在に。

 魔道具、もしくは専門の人々が血肉を使い作り上げた投影機が星空を映し、アナウンサーはこの世界にある星海の物語を音楽と共に詠う。

 僕はその様子に安心と哀愁を覚え、長く息を吐きながら深く沈む椅子に体を任せながら映し出された空を見上げる。

 プラネタリウムに最後に来たのは何時だっけ。それを思い出そうと目を瞑ったら、瞼の裏にも星空があったのが何故か少しおもしろく感じた。





 懐かしい少女の声がした。

 目を開ける。座高の高い視線から、さっきまで居た場所とは違う光景が目に入る。


「あれはデネブ、夏の大三角でもっとも明るい星。他二つとあまり明るさが変わらないように見えるのは、一つだけ遠く離れているからなんだ」


 録音された音声を無視し、少女は浮かんでいる星空を好きに指差し()にそう言ってはしゃぐ。


「詳しいんだね。星、好きなんだ」


 少女は俺の言葉に頷く。


「うん、手が届かない場所で綺麗に光る星空は凄く魅力的。人には見えているのに、私達の目に映るそれはもうずっと昔のものなのも好き……この辺じゃ、町の光が強くてほとんど見えないけどさ」


 文明が発達するたびに人は自然環境から離れていく。星空は二十四時間輝くコンビニにかき消され、川は埋め立て、海や山はそこにあるのに人々はアミューズメント施設から離れようとしない。

 その現実に寂しさを覚える感覚を、人間という獣として哀愁と呼称したい。


「綺麗なのに手が届かないって、つらくない?」


 プラネタリウムという最たる自然と文明の矛盾を楽しんでいることに思わず苦笑しながら俺は少女に尋ねる。

 視界の端には、こちら側の肘掛けにだけ置かれた左手がちらりと見えた。


「バカだなぁ」


 俺の言葉に少女は不敵に笑う。


「だから人は落としてきたじゃん。神話で、望遠鏡で、プラネタリウムで、シャトルで。手が届く範囲に落としてきたんだよ」


 少女は右手をかざし、ゆっくりと広げた指を握りつぶした。

 小指から薬指、最後に親指と、暗闇の中はっきりわかるほど。


「届かないなら。声をかければいい、よく見て調べればいい、それでもダメなら走ったり飛ぶんだ。本当に綺麗だと思うのなら……ううん、いいなって思うなら、ね」


「……そっか」


 その言葉に俺は膝の上で拳を握り、空を見上げることに専念した。

 きっとあの星空にはあるのだろう。彼女を惹き付けるものが、彼女が彼女足りえるものが。

 それを必死に見つけようとしたんだ。





「……ばーか。そっちじゃないんだよ」


 僕は思わず小さな声を出してしまう。


「ん、起きた?」


 目を開けると室内は既に明るく、僕が寝ている間に上映が終わってしまっていること気づいた。


「ごめん、待たせた?」


「ううん、まだそんなに時間経っていないよ」


 周りを見渡しても既に人はもう居ない。

 そんな中、僕の目が覚めるまで待っていてくれたコウに感謝する。


「綺麗だった?」


「うん、凄く……次はルゥ達や、起きているアメと一緒に見たいな」


 寝起きには、彼の言葉は眩し過ぎた。

 そんな明るさから逃げるように立ち上がり……僕は手を伸ばす。


「……?」


 差し出された手をコウは疑惑の目で見つめる。


「早く出なきゃ、スタッフの人困っているだろうから」


「うんっ」


 それから施設を出るまでの間、そんな短い時間だったけど、僕と彼は確かに手を繋いだのだった。



- 伸ばせば届く星空に 終わり -

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