71.血月が綺麗ですね
自主訓練にエリーゼ達親衛隊に混ざっての訓練、それにユリアンやカナリア姉妹と過ごす時間を含めても日々の生活はまだ少し暇を持て余していた。
どれだけ何かをしたい時間があっても、この世界ではそれ以上に元から存在する時間が多いのだ。
一日が二十四時間以上あるというわけでもなく、単純に娯楽、学校や仕事に縛られる時間が少ないだけなのだが、こうも暇だと本当に地球よりも時間が長いのかと錯覚してしまう。
まぁ冒険者として活動している時も危険な仕事を選んでいたり、エターナーの縁もあってか実入りはレイニスの街中に居る時から暇な時間は多かったのだが。
王都に来てから半月前後。長旅の疲れはすっかり癒え、なんとなくここでの生活もわかってきたが未だ過ごし方を確立できたとは言い難く、またユリアンの僕達に支払う必要のある報酬も依然目処が立っていないのが現状だ。
元より半年以上かかると宣言されている身。特に焦る気持ちはまだ湧いてこず、今しばらくはのんびりと過ごそうと考えているであった。
ただ漠然と日々を過ごすかといえばそれも否だ。
僕達には、少なくとも僕には竜を倒したいという大きな目標、抗えない欲求が存在しており、それを実現するためには少しでも一日一日を前進せねば目標を果たす前に寿命を使い果たすのが先というのが摂理というものだろう。
具体的に何をしていけば良いのか。それを確かめるためにはまず情報がいる。
前時代の人々がどうやってあの竜と戦争……互角に争うことができたのか、数で勝る人類に個々の能力はどれほど求められ、またそれを現文明で得るにはどうすれば良いのか。得られ無いにしても何か代用できるものは存在するのか。
炎竜という個体に対する具体的な情報、生態から戦う際に有効な性質、言ってしまえば弱点は何かあるのか。
ここで一つ重大な問題が発生する。情報を得る手段がまず無いといっても過言ではないのだ。
インターネットという環境はどこにも存在せず、ならば人に聞いたり書物を漁るのがもっとも効率的なのは理解しているが、誰に聞いても竜に挑むような頭のネジが外れている人間は聞いたこともないと首を横に振るだけで、書物に至っては元より高価な上、遺物や竜に関する前時代に関する物品は全て国が所持している、或いは戦争時竜や調律者と呼ばれる人々に根こそぎ破棄されたなどまことしやかな噂が常識として漂うほど。
そんな情報規制が現実的に行えるものかと眉を顰めるが、事実遺物は国が高値で買い取っているのが民衆から容易く見えるようになっている上、僕達が直接目にしてきた新発見の遺跡も殺傷力のあったりデータの詰まった物品はどこにも存在しなかった経験がそれを裏付ける。
何より竜に関する書物はほとんど市場に出回っていないし、過去に見た文字を学んだ本に、エターナーから借り受けた竜に関する書籍、この二つとも空想というかもはや神話の域で具体性などどこにも存在しなかった。
流石に神話生物相手に……たとえ竜という存在がそのような次元の物だったとしても、抽象的であやふやな情報を元に命を賭けて戦いを挑む気など毛頭無く、情報面では正直どうしたものかと悩むしかなかった。
希望があるとすればエターナーに頼んでいた竜関連の書物を集めて欲しいという願いが未だに有効で、その筋の専門家とも呼べる彼女がそれを忘れておらず、なおかつ何らかの成果をあげている可能性。
それと国が発展都市レイニスに多大な被害を上げたことに対し、竜相手に何らかの対策を練り上げる際その成果を盗み見る、もといあやかることを頭に入れておく程度か。
肉体面では竜相手にどれほどの力が必要なのか、もしくはどういった方向性で鍛えていけばいいのかもその情報が無い故に判断できず、じゃあ武具とかを新調し、遺物とまでは言わずとも竜に効果的な魔道具を用意するかとなってもその資金は絶賛ユリアンが調達中だ。
ただでさえレイニスからここリルガニアまではのんびりすると一ヶ月前後片道でかかってしまう上、今のところ竜による被害が酷くお金がまともに動くのはそれこそ当初予定されていた半年以降だろう。
結果今の僕達に許されているのは普段から行っている訓練の延長線でしかなく、打倒竜を掲げても明確に活動を行えないのはやっぱり少しもどかしいのかもしれない。
「少し威力を上げるよ」
「うん」
コウの言葉に水分を集め、その動きを魔力で抑え込み氷へと固める。
集めた氷を体が覆われるほど広く展開、直後コウが氷の盾を展開し終えるのを待っていたように炎の塊を飛ばしてくる。その間約十秒以上。
炎と氷がぶつかり合い、若干の衝撃。
そしてそれから炎が氷を食らい、溶けた氷が水となり炎を食らう――食らいきれず、氷盾を突き抜ける炎球を横に跳び直撃を避ける。
「……っ」
完全にそれを避けることは叶わなず、少しだけ体が焼けたのに思わず声を上げる。
慣れた痛みだが想定外、避けることができなかった事実ではなく、そのお膳立てされた状況ですら少し出力を上げた炎には敵わなかった現実に身を焦がされ心も焦げ声を上げてしまった。
「大丈夫?」
「うん、ありがとう」
心配してくれるコウに礼を告げながら、頭を必死で動かす。
速度も、魔力も、何もかもが足りていない。
ユリアンと王都へ向かっている間、魔力の最大値が下がっていると実感したがそれも町へたどり着いてからは大分マシになってきた。
それでも同程度に魔力が減っていると実感しているコウ……同年齢である僕よりも、それどころか人として規格外だったとしてもその力は竜に及ばない。
とてもじゃないがその竜が放つだろう炎球に氷の盾は防御手段として適切なものではないだろう。
現状竜が扱う炎は二種類確認している。炎球に、炎竜撃だ。
炎竜撃は以ての外、炎球ですら一般常識からは大きく外れている。
あの日、初めて竜と対峙した時は今以上の魔力を、いやその時のみ僕にしては異常なほどの、人にしてみれば最大限の水球で攻撃してみた。
その水球が一度は炎に打ち勝った……にも関わらず内側から消えた炎に食い殺された尋常じゃない理を外れた挙動。
実際は何らかの魔力で炎球にあらかじめトリックでも仕掛けていたのだろうが、その結果だけを見ても手段はいくつも想定できてしまう。
もし水球に内側から食われないようトリックを仕掛けていても、魔力の差から仕掛けを正確に判断できねば正しい手法でなかった場合どうあがいても魔力の差で水は散ってしまう。
炎球はまだいい。炎竜撃に至っては三人の魔力をほとんど使った上、ルゥの体がボロボロになって初めて無傷でやり過ごせた魔法だ。
戦いの最中そんなことをしている余裕はないし、炎竜撃が十分な威力を確保することに若干の準備時間が必要なのはあの時理解したが、理解したところで少しでも蓄えられたその攻撃の威力に対策が思いつくわけでもない。
それに炎球に炎竜撃とくれば、放射状に火炎を吐き続けることも十分可能だろう。防ぐにしてもそれだけの持続時間、それに面で防御できるだけの範囲を維持するのはとてもじゃないが無理だ。
まだまだ炎に対しては対策の目処が立っていない上、更に引き出しが残っているだろうことを考えるとあまり今後の見通しは良くない。
肉体面も問題だ。
生半可な盾など体と共に粉砕してしまうような強靭な肉体。遠くから見ても気迫に迫り、騎士団副団長を勤める実力のあるジーンの攻撃をまるで物ともしない頑強な鱗と甲殻。
長い尾の優位性は偽竜相手に十分理解しているし、翼があることも明確に脅威を秘めているのがわかる。
空を飛ばれたらそれだけで一方的に嬲られるし、瀕死まで追い込めたとしても逃げられてしまえば全てが無意味だ。
……本当に人が敵う存在なのだろうか、前時代の人間はアレと渡り合うなど一体どれほどの技術を有していたのか想像するだけでも身震いしてしまう。
でも、やらなければならない。もう二度と大切なものを失わないためにも、勝てる可能性が零で無いのなら、いや零であっても存在しないゴールに僕は走り続けるのだ。
「ルゥ、今のやり取りを見て何か感想はある?」
「真っ向から立ち向かうのは厳しいかな、ぐらい」
僕とコウがいろいろと実践し試行錯誤している隣に、ルゥもしっかりとそこに居る。
ただ積極的に干渉することは無く、アドバイスを求めても漠然とした答えしか返って来ないのであまり当てにはできない。
たとえ全ての知識をその小さな体に有していたとしても、彼女はハイかイイエで答えられる問いにしか明確な答えを返してくれないだろう。とてもじゃないが竜に対して有効な手段は?と尋ねても、何かしら手応えのある反応が返ってくることはまずない。断言できる。
やる気はルゥなりにあるのだろう。しっかりと訓練をするときは参加はせずともいつも傍にはいるし、ユリアンに加担した時のように他の何かに気を取られる様子も見せていない。
あまりにも希薄過ぎるのだ。僕達が抱く目的意識や、それに参加することで自分が生き延びることへの生存本能に。彼女は深く悲しみを抱いていない、誰かの死も、自分の死すらも。それが少し、寂しかった。
- 血月が綺麗ですね 始まり -
暗闇の中を手探りで進む不安感と徒労感、それにルゥのことを考えてしまい少し気落ちしたまま訓練は終える。
「そんなこんなで進歩は良くないですね、それこそ竜に傷をつけられるようになるのはいつかさえわからないほどに」
午後。ルナリアと共にお茶をしているときに思わず愚痴を零してしまう。
コウは思うところがあったのか午後も訓練するようで、ルゥは町に消えてしまった。二人共無理をしていなければいいのだけれど、疲労や財布とか。
「可能性を考えるってことは望んでいるのとほとんど同じ。考慮しなければ、そもそも頭にはそんな未来はないのだからね」
僕の愚痴にルナリアは鼻で笑って一蹴した。
そんな無下な態度に、元々下がっていた気分が怒りという感情に昇華する。
「……暴論、ですね。それこそハウンドのエサにもならないほどの」
「そうかな。心のどこかで君は望んでいるんじゃないかな、このまま敵わないことを知って、諦め竜の手が届かないことを祈り日々を生きることを」
「それは生きていたとしても活きてはいないでしょうね」
たとえば試験の時、自信がないと風邪でも引いて休めないかと期待してしまう。
たとえば試合の時、自分に責任がかかる状態になってしまうと、隕石でも降ってきてそれどころじゃなくなってしまってほしいと思う。
知恵と感情を持つ人の本能と言ってもいい。自分のことなのに、自分とは関係ないことでその矛先が逸れていると錯覚でも良いから安心感が欲しいのだ。
でも、それは。
それこそ、ルナリアの言う想定=望みの方程式を肯定するようなものだ。
故に人はそれを律しなければならない、どうしても抱いてしまう感情を、どうしようもないほど強い感情でねじ伏せる必要があるのだ。
自ら幸福をもぎ取る為には、竜からそれを奪う必要がある。
「上手い事を言うね、でも口じゃ竜は倒せないよ」
「気の持ちようでも竜は倒せないですよ」
願うだけじゃ叶わない。竜には、敵わない。
世界中の誰よりも竜を殺したいと請い、それを実現できるだけの力を手にしなければ。
「そもそも先の理屈ならば目を閉じて、耳を塞げば竜は襲ってこないんですか。
口も閉じる必要があるでしょうか、不安や不満を零してそう願わないためにも。
ついでに鼻も塞ぎましょう、記憶というのは意外にも嗅覚に依存しやすい。ふとした拍子に何かの香りを嗅いでしまって、竜を倒せない、竜に襲われるそんな可能性を生み出さないように。
……死因は何でしょうね。窒息死? それとも栄養を摂取する手段の無いことによる餓死? あるいはそう全ての情報を得ないと決めた時点で、心が死んでいてただの脈動する肉の塊に過ぎないのかもしれませんね」
「アメ」
ルナリアが僕の顔を見て嗤う。
ルゥのように嗤う。
「やっぱり君は最高だ、その隠しきれない怒りを見せる姿は美しい」
煽りにも聞こえるその賞賛は僕の心を落ち着かせた。
そもそも僕が愚痴を零したのが初めで、他の対象で抱いた不満をルナリアにぶつけているに過ぎない。
「……ごめんなさい。少し嫌なことがあって、八つ当たりになってしまいました」
「いや、良い。むしろ貴重なものを見れて私は嬉しい」
心の底からそう言っているだろうルナリアに僕は少し疑問を覚える。
今度は僕が怒りをぶつけられる番なのだろうか? 僕は本当に冷静になり、相手を見ることができているのだろうか?
「怒りは第二感情に分類されるって知っているかい?」
「いいえ」
名前は聞いたことがあるかもしれない。
けれど流石にその詳細までは覚えていない。
「何かきっかけがあるんだ、不安や不満。ようはストレスを感じる出来事が。出来事があり、そういった感情が過ぎ去って初めて第二感情、そう怒りが込み上げてくる。
感情の派生、おまけと言い換えられるかもしれないが、私は怒りがより高次元な感情だと考える」
「高次元?」
一体どこがだ。
おまけどころか怒りは負の感情だ。嬉しさや楽しさよりも、いやそれと同列の感情だと僕は言いたくない。
「怒りは何かを守る時にしか生まれない」
静まった心臓がとくんと跳ねた。
優しく、それでも力強く。
「名誉でもプライドでも、仲間でも価値観でも、そう、ちっぽけな見栄でも良い。怒りはそれらを、何かを守る時に発生する。何かを守りたい、その感情を私は高次元に位置するものだと信じている」
これ、なのだろうか。
見せ掛けの才能、隠されている齢や別世界の知識ではなく、ルゥが僕に存在していると昔から言っていたものは。
「そんな高次元の感情をアメ、君は段階をすっ飛ばして発露して見せた。
日常で小さなストレスが溜まっていたのかもしれない。でも普段冷静な君なら、八つ当たりするにしても徐々にその感情を大きくする段階を踏むだろうと私は誤解していた。
私はたった一言発しただけだ。斜に構えた一言を、言葉遊びしたいがために口にしてみれば君からは想像できないほどの感情と、そして多くの引き出しを開いて中身を見せ、いやぶちまけて見せた。
そこには何の道理もない、正しく踏まれるだろう感情のステップも、誰かと接する上で自分に被せるはずの理性も」
「……やっぱり褒めてないですよね?」
「まさか。君は可能性の塊だ、人の皮を被った獣だ――感情を具現化した存在だ。
アメはさっき気持ちじゃ竜を倒せないといった、私が否定してあげよう。確かにそれだけじゃ倒せないだろう、でもいくつかある内の竜を殺す術としてそれは扱えるはずだ。
守るために殺すんだろう? もう二度と大切なものを失わないためにも。ならやってみなよ、その制御できない膨大な感情を、竜を貫くためだけの武器に変えて見せなよ」
怒りは何かを守るために存在する。考えたこともなかった。
怒りは高次元な感情で、決して悪いことだけじゃない。僕だけじゃ気づくことは無かっただろう。
感情は武器に変えられる、明確な意図を持たせることで竜を傷つける要素の一つになるだろう。
……事実だ。魔力は感情に比例し増幅する、ルゥから習ったし故郷を失ったとき無限にも思えた魔力の経験もある。
そもそも僕が戦いのなか戦果を上げられた時は大抵、何かに怒っていた気がする。怒っていない時はいつもコウが頑張っている。そのコウも言っていた、ぷっつんしたアメなら普段とは違うことをしてみせるって。
「ありがとうございます、もしかしたらこれが何かの武器になるかもしれない」
「それもだよ、アメ」
ルナリアは僕を微笑ましそうに見つめる。
「煽られて、分析されて、結果良かったにしてもそこで素直に感謝できるような人間はそういないんだ」
その言葉に僕は、ようやく羞恥として頬を赤らめるのだった。
多分、この反応は人として正しいと思う気がするがどうだろう。
「ルゥ」
そろそろ屋敷全体が寝る頃、そんな時間にようやく自室の近くでルゥを掴まえられる。
「ん、どうしたの」
「見つけたよ、ルゥが言っていたもの。僕の、歪で強い感情」
その言葉にルゥは優しく微笑んだだけだった。
何の話かとも確認しない、正解、その一言も呟きはしない。でも、それでよかった。
「頑張って使えるようになって見せるから」
今までだって上手く活用できていたほうだろう。
制御こそできていないものの、暴走する感情と頭を置いて動く体は結果的にとはいえ物事を良い方向へ導いたことのほうが多い。
本当はルゥに聞きたかった、どうやって僕の感情を武器にすれば良いのかって。
でも彼女は決して答えを言わないだろう。長い、本当に長い間それに気づいていて、指摘さえしたのにそれがなんであるかは決して言わなかった。
今更答えを見つけたから、これの上手い使い方を教えてくれ、そう尋ねても答える人間じゃないのは幼馴染である僕がよくわかっている。
……それに、この感情は僕のものだ。怒ったり笑ったり、そういったもの全部僕のもの。誰かに使い方を聞くものでもないし、聞きたくもない。
「そもそも昔痛い経験をしたからって、次に痛い目に合ったとき堪えられるわけがなんだよ」
月の光を浴びながら、部屋に帰る前ルゥはそう呟いただけだった。
「そう、かな」
僕に何が正しいか、常識かなんてわからない。
他人に聞いて、指摘されて、初めて気づけるような人間だ。
そんな僕は、廊下に一人残され月を見上げる。
隣に誰か欲しかった、綺麗だね、そう言い合えるような誰かが。
- 血月が綺麗ですね 終わり -




