70.蔓延る幸福は退屈を招く
「は? 対人戦闘技術を学ばせて欲しい?」
ある日エリーゼにそう頼み込むと、やたら怪訝そうな反応をされてしまった。
これからも人と争う可能性があることを考えると、貴族の私兵、それも親衛隊隊長を勤めるエリーゼに頼むのは道理というものだった。
「……えっと、もしかしたらこれからもユリアンさん達を守る必要性があったり、そもそも自分達の身は自分達で守りたいのでどうしても学びたいんです」
客人としての立場に甘えているのはわかる。けれどそれ以上に技術を増やせることを重要性も理解している。
冒険者として獣を狩り、個人的な目標として竜を見据えても世界はそうも言ってくれない。また人間相手に何かを守る力の必要性が生まれたり、竜へ到達する以前に野盗に襲われ死んでしまっては意味がないのだ。
「別に教える分には何の問題は無いのだが……あぁ普段親衛隊で行っている訓練に混ざってもらえば良いだけなのだから。
……ただ何故それにユリアン様が同行する必要があるのかが私には理解できない」
隣を見る。コウ、ルゥ、そしてユリアン。エリーゼが怪訝そうな反応を示したのは最後が原因か。
「私も自身が戦えないことに不備を感じることは否応にでも実感した。もし直接戦う機会が訪れてしまった時に、また足手纏いになるのは御免だ。
私を守ってくれる人間に負担をかけないためにも、私自身守れるはずの誰かを見捨てる可能性を失うためにも」
ユリアンの決意は固い。
というか一度僕達で止めたのだ、彼が居る場でエリーゼに教えを請うことを決意した際、共について来ようとした彼を。
当然の如く一蹴された、私が居なければ最後の戦いでアメは自身を危険に晒すことはなかったと。
二度目の戦い、王都を目前に争った時、危機に陥ったユリアンを助けるため僕と対峙する相手に放つはずだった雷を違う相手に使ったのは事実だ。
もう少し、本当にもう少しだけユリアンが状況を保ってくれたのであれば、人と争うことに不慣れな僕でも、戦うことに慣れている私兵相手でも初めて見るならば文字通り必殺できた閃電で戦況は大きく変わったはずだ。
その現実を知っていたから――知られていたから僕はこれ以上何かを言うことはできなかった。
「……ふぅ」
何かを守りたい、ただそれだけを純真に語る少年にエリーゼは諦めたように息を漏らす。
「わかりました、ただ訓練の際は手加減をしませんし、貴族や客人といった身分も忘れてもらいます。それでも構わないというのであれば、明日からの訓練に、学びたい時好きに参加してもらって構いません」
「ありがとうございます」
僕達はエリーゼの判断に、四人で頭を下げた。
- 蔓延る幸福は退屈を招く 始まり -
「ははっ、それはエリーゼも大変だ。客人だけでも精一杯だろうに、ユリアン君も混ざるとなれば堅物な彼女は慣れるまで胃が痛いだろうね」
ルナリアとのお茶会、話題にそのことを出すと彼女は心の底からおもしろそうに笑った。僕自身気の毒に思っているのは間違いないので、その態度に何も言わず自分の分の紅茶を淹れる。
こうして会話をしている最中、常に使用人をこの場に居合わせさせるのも気の毒だし、必要になれば一々呼ぶのも面倒だ。
ということで自分で淹れるようになったのだが味は……まぁ悪くない。これでも初めより大分マシになったほうだ、普段コウやお店に頼っている実情がここに来て祟る。これを機に少しでもこういった家庭的な部分を磨いていきたいが、多分屋敷を出るとすぐに剥がれてしまうのが見えているのは悲しいかな。
ちなみにルナリアの分も僕が淹れているが特に苦情は来ていない。日々少しでも上達する僕の腕を味覚で楽しんでいるようだ。
「それで、冒険者という生活はどうなんだい。極端に言えば日々が命のやり取りだ、殺して傷ついて、そんな日常はつらくはないのかい?」
僕達の身の上はほとんど語ってしまった。けれどお茶会は続くし、自然と話題が絶える事もない。
「どう、でしょう。冒険者になる前は狩人が職と呼べるものだったので、そういった危険に身を置く事が自然になっているのかもしれません。
怪我をすると痛いし、誰かが亡くなると悲しい。でもこの生き方を変えることはできそうにないですね」
中毒と言っても過言ではない。
惰性ではない。たまに街中での仕事を手伝うこともあるが、どうしてもいずれ血が見たくて堪らなくなる時が訪れてしまう。
退屈で仕方が無いのだ、死中に活を求める、ではなく死中にのみに活を見出している気概すらある。傷つけて傷つけられて、そんな日常でようやく僕は活きているって実感を得られる。
それでもまだ足りなくて、竜を倒すなんて目標も掲げてしまったのだが。
「ふむ、存外充実していそうじゃないか。ユリアン君が言っていたピクニックとやらで少し空気を味わって、性に合いそうであるのなら冒険者になってみるのも一興か」
やめてくれ。
僕の意見を聞いて、貴族の大事な娘が冒険者になってしまったのなら責められるのは僕だ。
あとその誤った観念を広めるのもやめてくれ。
ユリアン相手程度なら大丈夫かと思ったが、この調子だと世界中に広まりいずれそれが本当にピクニックという認識に落ち着き新しい概念が産まれてしまう。
「貴族という生活は楽しくはないのですか? 好きにお金や人を使えるというのは楽に生活できて憧れられると思うのですが」
「思いのほかしがらみという物は多いものなのだよ。生活を保つためには金を動かし続けなければならないし、人を使うにしてもわだかまりの発生しない方法というものがある。
……それよりそんな危険に身を置いていたら、恋の一つや二つはあってもおかしくは無いんじゃないかい。つり橋効果というものがあるだろう?」
話題を逸らそうとしてもすぐに戻されてしまう。
どうにか冒険者という対象から興味を逸らしたいのだが。
「同年代の人間と出会うことが、あまりありませんので」
若い冒険者などすぐに死ぬ。
案内所で若いなぁと注目していた人間は大体気づいたら居なくなっていたものだ。
そう思うとスイとジェイドは長くもったほうではないか。竜なんてものが街中に降ってこなければ、名を馳せるほどの才を秘めていた可能性が高い。
「コウ君がいるじゃないか」
「……。……コウはその、幼馴染という気持ちが強いので」
思わずいつも以上に言葉が詰まる。
「いま、嘘ついたね」
「……」
「幼馴染という感覚が強いのも間違いではないだろう。でもそれ以上に、別の感情が瞳に浮かんだ。遠慮?劣等感? どれもが正しそうに見えて、そのどれもが根本を違えている。
……あぁ、アメ。もしかして君は、性別が違うのかい?」
舐るようではなく、ただ一つ一つ確かめるように疑問で僕の心を撫でて、ついにはそれを掴んでしまう。
人間分析に長けているのも問題だ、僕は今確かに鈍器で殴られたような衝撃を感じたのだから。
「……それも、少し違います」
僕は今確かに女としての実感が存在している。
立ち振る舞いや考え方も徐々に男性のそれから変わっていると自覚しているし、その事実を受け入れているのも確かだ。
でも僕達の時間はあの日、まだ女として慣れないまま故郷が滅んでしまった時に置いてしまっていて、男だった時の記憶も全て忘れ去ることはできていない。
それが今ここに存在しているアメを否定するに足りえるかというとそれも違う。
僕は、アメ。この体は両親から授かったもの、この性別は遺伝子が決めたもの、男だった記憶も僕のもの、そんな中途半端な状態で過ごす日々で抱いている感情も、全て僕のものだ。
「そうか、もし必要であれば私にでも相談すると良い。常に寄り添う人間に相談しずらいことも世の中には多々あるだろう」
「それも、多分大丈夫です。きっと時間がそろそろ解決してくれると思っているので」
ゆっくり頷くルナリアを見て僕も自身を見つめる。
昔に比べたら大分慣れてきた。まだまだ割り切れないことはたくさんあるけれど、女として男を好きになったり、やっぱり男のまま誰かを好きになったり……男の記憶のある女として同性を好きになることもあるかもしれない。
それもそう遠くはない、焦る必要はないのだ。
「ふと思ったのですが、ルナリアさんはもしかしなくとも恋愛脳ですか?」
僕の言葉に辟易するのはルナリアの番。
今回の話に、カナリアとユリアンをそんな目で見る彼女は長い時間、具体的には僕が二度カップに口を付けた後にようやく口を開く。
「……今まで自覚していなかっただけでそうかもしれない、いや違うな。親が最近うるさいんだ、そろそろ相手を見つけろって。
貴族はあの事情を知っているから私を避けるし、それ以外の人間とは出会いが少ない上立場があるのに一体どうしろっていうんだ」
言葉の初めは比較的冷静だったのにもかかわらず、最後は若干苛立ちの感情を乗せて言い放つ様子に少しらしくないと思い吹き出す。
「笑うなよ。全く酷いじゃないか、アメなら私の気持ちも知っているくせに、そうやって笑うなんて」
「いえ、普段人の反応を楽しんでいる人間が、動揺する姿はやはりおもしろいな、と」
「……そんな酷いことをしたつもりはないんだが、いやこれから少し自戒することを心がけようか」
容疑者は皆そう言う、僕はそんな言葉を口にせずただ肩を竦めるとルナリアは勝手に自分を戒めることにしたようだ。
まったく、僕の幼馴染も見習って欲しい。彼女は自覚した上で僕を虐めることを楽しみ、虐める自分自身を見つめて更に楽しんでいるのだから。
- 蔓延る幸福は退屈を招く 終わり -




