7.御伽噺な世界
「あはは、もっともっと!」
一応宴の主賓であろうルゥが自身の短剣二つを抜き身で、更にコップとグラスを一つずつお手玉のように回して遊んでいた。
その言葉を聞いて見世物を楽しんでいた村人から一つずつ、物が投げ入れられ合計七個でお手玉をする。
「……もうっ、もう無理!」
そう制止するものの、表情にはまだどこか余裕があり、自身の周りに火の粉や水球を舞わせ、演出にも余念が無い。
宙を踊る物達が若干不自然な動きを見せる辺り、魔力で上手い事補助しているのだろうが器用なことには変わりない。
一つずつ傷つかないよう地面にゆっくり落としていき、大きめの短剣を手に取り腰の後ろにしまい、小さめの短剣はくるくると回転したまま腰の横にある開かれた鞘にそのまま収まった。
右手でスカートを少し持ち上げ、左手を胸に当ててゆっくりと礼をするルゥ。
どっと拍手が沸きあがり、若い連中がこぞって集まり胴上げが始まる。
「おもしろかった?」
「うん! すごく!」
やっと解放されたルゥは、乱れた衣服を整えながら僕達のところに来てそう尋ねた。
未だに興奮が醒めないコウは弾んだ声でそう答える。
「そう、よかった」
「冒険者ってあんなことできないとなれないんですか?」
「まさか」
身なりを整え、最後に髪の毛をふぁっと散らす。
もとから一部変に癖の付いた髪の毛は元には戻らないものの、彼女はそれで満足したらしくコップを手に取った。
今彼女はマントを身に着けていない。
日が落ちて必要ないのか、睡眠を前にして魔力に余裕があるのか、それとも少しでも村人との距離を詰めたかったのか。
衣服の厚みが心の壁の厚み。
とまでは言わないが、フードを被り表情を隠し、マントで身振りを制限されればどうしても近寄りがたくなってしまう。
その辺りを意識したのかはわからないが、何にせよ彼女は既に村に受け入れられているだろう。
「芸をして食べていけそうですね」
風貌から受けた第一印象がさっきの一件でさらに強くなる。
「本職には敵わないよ。それにわたしは冒険者のほうがいい」
「冒険者って、具体的になに?」
コウがそう尋ねる、僕もそれは知りたかった。
「手に職無い人間が、誰もやりたくないような雑用を押し付けられたり、命の危険があることをやらされる職業」
あんまりだ。
それではただのならず者ではないか。
「あとは誰も行ったことのない場所に行って地図作ったり、遺跡から掘り出し物見つけたりだね」
「へぇ」
コウの瞳が輝く。男の子の表情をしている。
僕も後者はかなり興味を引かれる、前者はできれば勘弁して欲しいけど。
「遺跡って?」
「前時代の建物だね、たまに残ってるんだよ、壊れてないやつが」
前時代……と聞いて絵本を思い出す。
竜に壊された文明が残っているのだろうか、そもそもあの本は実際にあったことなのだろうか。
それに、魔法だけじゃなく、文字も教えてもらいたいんだった。
思わず込み上げた、本を取りに行きたい衝動を抑える。
今は、宴を楽しもう。
「このお肉美味しいね」
「……え?」
ルゥが食べているのは犬の干し肉。
一応用意されているものの、こんな日に誰も好き好んで食べたくはない肉の保存食で、かなりの量が皿に残っている。
「なんのお肉?」
「この辺に生息しているウェストハウンドって犬です」
犬というより狼なのだが、狼というより熊の大きさの獣なのだが。
「ふぅん」
そっけないように見えて、かなり感情のこもった一言。
そして僕は見逃さなかった、のんびり食べる合間にいくつかポケットにしまったことを。
どうやらえらく気に入ったらしい。
「臭い……」
何かの間違いかと一枚食べてみるがまごう事なきそれだった。
きのこかたけのこかで戦争が起きる世界もあるし、食に対する価値観の差は大きい。
- 御伽噺な世界 始まり -
「うん、ほとんどあってる。チェックしてある場所教えてあげるね」
翌朝、コウと共に絵本の解説を頼むとルゥはそう言った。
「あ、その前に一つ」
「ん?」
「これって実際にあったことなんですか?」
コウも隣でこくこく頷いている。気になる気持ちは一緒だ。
「わからない」
「え……」
声に込められた重さを感じ取る。
彼女が知っていない、そうではない。
「二百年前、確かに三つ巴の戦争があったのは確からしい。でも、それ以外のほとんどのことはわかっていない。
どれほどの文明が存在したのか、三者が何を想い戦ったのか。
残ったのは恐怖だけ、技術が発展するたび、人が争うたび、力を持った二つが襲ってこないかと。
余裕も無かったんだろうね、歴史を記録する余力も、長期間記録できる技術も、負の記憶を後世に伝える気力も」
二百年。たった二百年?違う。
前世なら二世代だった、でもこの世界では四世代も昔のことだ。
当事者達の想いは霞んで消え、何も残らないには十分すぎる時間。
「だからわたしの解説は憶測と誤解の塊でしかない」
ルゥはそう前置きをしてページを開いた。
"むかしむかし、ある所に文明が発達した人々の町がありました"
「むかし……は二百年ほど前だね。
文明は王都……ここリルガニアって言う国なんだけど、王都リルガニアでは最近蒸気や電気が使われ始めた」
コウが尋ねる、それはなに?と。
彼が尋ねたからかどうかはわからないが、彼女は僕のほうをほとんど見ずに蒸気と電気の解説を簡単に済ませる。
「えっと、そのじょうき?とかは遺跡で見つかったものなの?」
我ながら白々しいなと思う。
ルゥはその白々しさを無視し、否定する。
「違う、これは今の文明で発展した技術」
そして無慈悲にも告げる。
「遺跡で見つかる道具達は、最低でも無から有を作り出せる」
絶句する。
無から有を作り出す、魔法なんてものじゃない。
しかも、それが最低ラインであるという。
「空を飛んだり、人間の性別を変えたり、音を色に変えることもできるみたい」
「何、最後の」
コウが呟く。僕は言葉すら出ない。
空を飛ぶなら飛行機があるだろう、性別を変えるなら手術でどうにかできるかもしれない。
音を色に変えるってなんだ、まるで想像もつかない。
「さぁ? そうとしか表現できないらしいけど。
真相は厳重に国が保管してわからないし、多分想像できないからそういう表現に落ち着いているのかもしれない」
落ち着くってなんだろう。
落ち着いて意味がわからなくなる次元なのか。
「まぁなんにせよ国が遺跡から出たものを高値で買い取るから、冒険者ってのはなかなか減らない」
死因がわからないほど死んでいるのに物好きなやつらだよ、彼女はそう自嘲気味に笑う。
国が把握できないほどにたくさんの人が死んでいるのか、行方不明なのか、遺跡の謎の技術で消えてしまったのか。多分全部だろう。
高値で買い取り、それを厳重に保管するというのも、技術の独占ではないのだろう。
怖いのだ。個人が使用した技術で国が滅びるのも、技術を使用することで竜達に目を付けられる可能性も。
少し世界の話をしようか。
ルゥはそう言った、僕達に異論は無かった。
「王都リルガニア、二十万」
雑に三角形を床に描き、右下の角にそう書く。
「商業都市ローレン、八万」
右上の角にローレン。
「発展都市レイニス、六万」
左上の角にレイニス。
その横にちょんと点を付けた、おそらくこの村だろう。
「以上主要三都市、住んでいる人は小さい村合わせて三十五万ぐらいかな。
あとは全部未開拓、冒険のし甲斐があるね」
文字で埋まった床を見渡し笑う少女。
……おそらくこんな比率じゃすまない。両手サイズの三角形と、それを内包する床を見て思う。
「レイニスからこの村へ来るのに何日かかりましたか?」
「12、ぐらいかな」
馬車で荷物の負担を軽減し、魔力で肉体を強化。
一日50km歩けるか、どうか。
「ここから、ここは?」
レイニスとローレンを指差して尋ねる。
「20日」
約1000km
日本列島は3000km。北海道、本州、九州を結ぶとだいたいこれぐらい。
外部からこの村に人が来ないのも理解できる。
主要都市と主要都市がそこまでの距離で、これだけの人口なら技術が発展しないのも理解できる。
体が震えた。
怖かった、こんな脆弱さで人類は生きているのだと。
興奮した、世界はこんなにも可能性で満ち溢れているのだと。
「見てみたい」
彼は言う、
「そんな大きな町も、たくさんの人も」
目を輝かせて。恐怖などどこにも無い。
無知で無垢な少年の胸には好奇心しか湧き上がらない。
「行きたければ、行けばいい。君達には脚があるのだから」
「一緒にはこないの?」
「望めば」
僕達が望めばか、彼女が望めばか、村が望めばか。
力が必要だと思った。
知識、世界を知る必要がある。
武力、脅威から身を守るために。
村から出る出ない以前に、この世界で生きていくにはそれが必要だとそう思った。
絵本の話に戻る。二ページ目を見る。
"人々は人間同士で争いました。他者が望む技術が欲しかったためです"
「争ったのは事実、理由もだいたいあっていると思う」
人が殺しあうのは資源、技術、信仰。この三つだ、それはこの世界でも変わらないだろう。
"それを見た調律者はその力を恐れました、このままでは世界が壊れてしまうと"
「調律者?」
「うん、そういう人達がいる、もしくはいたらしい。この本みたいに大きくずれてしまった大切なものを元に戻していたみたい」
たまにあそこで見たと噂に聞く程度で、正式に国が認知している存在ではないらしい。
もしかしたらどこにもいないのかも。前世のように自然の浄化作用や、司法が神格化された存在なのかな、そう思った。
世界という訳は当たっていたそうだ。
夜空には星が光っているので惑星に住んでいるのとは思うけど、星のように見えるだけで別の何かかも。
前時代の技術を想像するに、惑星とか宇宙とか何もかも壊してしまえそうだし、その辺りはあまり気にならない。
"調律者は人間同士の争いに介入することにしました。
有り余る文明を衰退させ、危険な存在である人間の数を減らすために。
いつしか戦いは、人間と調律者のものになっていました"
「この本のように調律者が考えていたなら、彼らの目的は達成されていたことになるね」
ルゥは笑う。負けたけど、と。
僕も笑う。人がたくさん死んだけど、それをもう今の人たちは覚えていない残酷な現実に。
"戦いは長引きました。
そしてその戦いは、ついに竜の目にとまることになりました。
竜は思いました、長引く不毛な戦いを終わらせようと"
「これは、竜の目的の解釈は正しくないと思う」
はじめて明確に否定する言葉だ。
「この本の作者は竜信仰者だったんじゃないかな」
「竜信仰?」
僕の言葉にルゥは頷き、まず宗教が何かをコウにわかりやすく伝える。
「竜が尊いものだと信じている人達が居るんだ。間違った人々を正すために竜は動いた、そう信じる人達がいる」
「調律者を信じる人たちも居るんですか?」
「いや、そっちはごく僅かだよ」
負けた上、姿が見えないからね。
もっともだ。逆に竜は歴史が勝ったと証明しているし、目に見える範囲に存在している。
おそらくピラミッドの一番上にいる存在だ、人間を超えて。
信仰が生まれるのも無理はない。
「でも」
ルゥはそこで言葉を区切り、目を閉じる。
まるで自分を律するかのように。
「わたしには竜が知能を持っているようには見えない。
戦いに介入したのは活発に動くおいしそうな餌達を見つけたからか、戦火の飛び火で種が滅びるのを恐れたか」
「根拠は?」
「三者のうち一番最後に動いたから。そして、そんな高尚な理念があるならいま人々を導いていないとおかしい」
正論だ。
でも、とも思う。
知恵はあるかもしれない。
三番手に動いたのが、一番おいしいところを狙ったのだとしたら。
今干渉して来ないのは、人類が脅威とみなされていないか、餌が育つのを待っているのではないか。
確信にも似た何かが胸に残る。
きっと、ルゥもこの可能性には気づいている。
でも、口にはしない。人より強大な存在が、人に近い知恵を持っていたらそれは人類にとって何になる?
"三種が交わる戦いはかつてないほど激しいものになりました。
多くの命が失われ、文明は失われていき、地形や理そのものが変わり果てるほどでした"
「地形は間違いなく変わったよ、多くの遺跡は地面に埋まっている」
「窓があるの?」
コウが聞き、ルゥが頷く。
はじめから地面に建物を作るなら窓がある必要ない。
「理が変わった、は流石にわからないや」
夏は暑い、水は流れる。
そんなものが既に変容してしまった後なら、正しかったものを知る術はない。
そういった行為を可能にする技術が失われた、という意味なら確かに理は変わっただろう。
"ついに戦いが終わる日が来ました。竜の圧勝でした"
「竜ってどれぐらい強いの?」
「さぁ? 戦って帰ってきた人はいないだろうし。
でも剣や槍は固すぎて傷つけられないって聞くね、それが本当なら町の人間全員で戦っても無理じゃないかな」
発展都市レイニスを指差し彼女は言う。
六万人全員が戦えたとして、有効打が無ければ数は無意味だろう。
しかも空を飛び、空を飛ぶために必要な強靭さ、もしくは魔力を保有している。
質問したコウを見ると、目を輝かせて明後日の方を見ている。
機会があれば戦ってみたいと言わんばかりだ。
勘弁してくれ男の子、もしその機会があれば僕は隣に居るだろうから。
"ほとんど損傷のない竜は翼を広げ、いつも居た場所へ帰って行きました"
「竜は数がいる、そんなに多くはないけど。あぁ種類は多いかな、炎竜、水竜、風竜とか」
このせかいこわい。
生息する地域や、特徴で名前が変わるらしい。
普段僕達の上を飛んでいるのは炎竜だそうだ。
"調律者は生きていたものの、少なくない被害を受けました"
「ここはなんともいえない」
何しろ姿が見えないのだ。
複数居たのか、唯一存在した単体が死んでしまったのか。
"僅かに生き残った人々は再び集まり、町を作り始めました。
けれど竜と調律者はいつもそれを見ています、発達した文明が、再び世界を滅ぼさないかと"
「昔話にはよくある終わらせかただよ、慎ましく生きましょうってね」
前世の昔話を思い出す。
それらとこれの大きな差は、二百年前確かに存在し、今も人々の生活に根付いている考え、という点だろう。
「ねぇルゥ」
明るい声に嫌な予感がする。
「戦い方を教えて欲しい」
慎ましく生きようよ、少年。
- 御伽噺な世界 終わり -