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曖昧なセイ  作者: Huyumi
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69.平穏は幸福の中に

 それからしばらくは平穏な日々が続く。

 ルナリアと知り合った僕は、彼女が暇な時には共に会話を楽しみ、いろいろなことを話題にしつつ時には自分達が歩いてきた道程のことを話の種にした。

 ユリアンが僕達の話題で戦いや冒険といったものに興味を抱いたのに対しルナリアは、その時僕や皆が何を思って生きていたのかを興味深そうに尋ねてきた。

 会合を重ねるにつれて僕はルナリアが、人の心といったものに強く惹かれていることを知る。それを直接指摘したら、彼女は少し考えた様子を見せて微笑んだ。


「多分私はあんなことがあったからこそいろいろな人のことを知りたいんだろうね。他者の気持ちがわからなくて、もう二度と悲劇を引き起こさせないために……いや、ただ単に知りたいだけなんだろう。

他の人の事を知って、それを知ったときに自分が感じる気持ちを確かめて。それが堪らなく幸福なんだ。

もし何かの歯車が外れてしまって、今はもう居ない彼と会話する機会を得られるのなら彼自身の気持ちも直接尋ねてみたい。まったくどうして君はあんな破廉恥なことをしようとしたんだ、そう笑い合いながらね」


 歯車は違わない。

 違ったとしても、それはそうあるべきでそうなったのだから、結果としてその機構は正しく働く。

 僕の故郷は戻ってこないし、仲の良かった兄妹は二度と傍で笑ってくれない。ルナリアの言う彼はガロン=リーンに殺され、その当人は無慈悲な竜に事故とも呼べる最期を迎えた。

 これが正しいのだ。この世界の歯車は、それらが噛みあい構成される世界は。

 もし、なんて存在しない。それらが許されるのは空想や夢の中だけだ。



- 平穏は幸福の中に 始まり -



 ルナリアとのお茶会も続いているが、たまには暇を作れたユリアンやカナリアとの時間も楽しんでいる。


「仕方の無い事とはいえ、あまり積極的にこちら側へ付いて来れる貴族が少ないのは寂しいことですね」


 朝食を食べながらカナリアはそう呟く。

 暇を作れる、と言っても大抵は何かの作業がてらその場に居合わせる程度だ。


「いや、今のところ半数以上は好意的な態度を見せていられることはありがたいことだ。それにふるいをかけられたと解釈するのもそう悪くはないだろう」


 王都に着き、それなりの日々を得ても未だ立場が安定する様子はないようで、必然的に食事の会話も明るいものは少なくなってしまう。

 ただそれが僕達の食欲を減らすということには繋がらない。

 ユリアンとカナリアはその程度でどうとなる人間ではないし、僕達は未だにあの冬の行進に味わった飢えを忘れられてはいない。


 食事一つでも少しコツがある、どれだけお腹が空いていても腹八分で止めることだ。

 お腹一杯食べることは幸福だ。食べる喜びというものは確かに存在するし、腹が満たされると何より生命として安心感を覚える。

 ただ無闇に胃袋を広げる必要はない、筋肉を維持する最低限の食事さえあれば人は飢えて死ぬどころか衰えることすらないのだから。


 もしまたいつか飢えてしまった時に、少しでも苦しみが減らせるように。

 もしまたいつかつらいことがあったときに、少しでも堪えられるように。


「今のリーン家に付く人間はそれはもう凄い家だけだろうね。恩義を忘れない犬のような人間か、遠い未来を見据えられている頭の良い人間か、はたまた何も考えていないただのバカか。

……あ、紅茶お願い。ミルクと砂糖はいつもより多めで」


「ルゥ、言葉選んで」


 あえて棘の出ているような言葉で遊んでいるのは見逃そうとしたが、その後にすっかり慣れた様子で近くの使用人に食後の紅茶を頼む図太さが僕の中にある一線を超え流石に注意する。

 客人とはいえ僕達は一般人、更に言ってしまえば冒険者というならず者に分類される。そんな自覚を忘れていないのであれば、どうすればそんな態度が取れるのか本気で参考にするために聞いて見たいほどだ。


「たとえ助力してくれる人間が愚か者だったとしても、己の手腕を問われるというもの。刃物を適切に扱えなければ自身を傷つけるのは自明の理。もし他者を頼り自身の体を傷つけるのであれば私自身もそこで潰えるまでの愚者だっただけのこと。

それにな、実際愚か者が人の上に立ち国は成り立っているし、初めて出会った人間に命を捧げ私を助けてくれたのはお前達ではないか。

傍から見ればその決断は愚かだっただろう。でも私は知っている、どれほどの決意と苦悩、そして苦痛の先が今こうして存在していることを。なら、それで良い」


 挑発的なルゥに、ユリアンは挑戦的に笑って見せた。

 本来ならば気分を害しても当然の言葉に、その反応。相変わらず相性は良いようだ。


「犬でも愚かでも、それこそ道具でも良い。ユリアン、これからもこれまでと同じよう私達を、いえ私を好きに扱ってくださいね」


 カナリアのその言葉はルゥを意識しているように聞こえたのは僕の気のせいだろうか。

 もしそうだとしたらその感情の源は嫉妬だ、親愛でも恋慕でも構わない。その劣等感とも呼べる感情は二人の絆が確かに強く結ばれている証拠だろう。


「あぁ。共に隣を歩むものとして、これからも頼らせてもらうぞ」


 そんなやり取りにコウは一切口を挟まなかった。

 やたら朝食を食べる一口一口に集中していた辺り、何か料理に感銘を受けるところがあったのだろう。

 確かに今日の朝食もいつも通り美味しい。これはコウの料理の腕も楽しみだ、この屋敷に来た時と出る時、その二つにどれほどの差があるかと想像すると心躍るのも仕方ないというものだろう。



 毎日ただ平穏な日々を楽しんでいるかと言えばそれも違う。

 日課である訓練も欠かさなかったし、必要とあれば実戦で血を流すことも躊躇わなかった。

 そんな訓練のある日、コウは僕におもしろいものを見せてくれると宣言してくれた。


「行くよ?」


 五メートル以上、十メートル未満といったところか。

 そんな距離を取り、僕にコウはそう尋ねる。

 行くも何も何が来るのかまるでわからないのだが、この状況や距離感はもしかして標的にされるということなのだろうか。

 新種の魔法かなにかで狙い打たれるのだとしたら、流石に防御したいのだが正体がわからないそれをどう防いだものか。せめて雷のように即着弾、ということがなければ怪我をすることもないとは思うのだが。


 二度三度、地面を確かめるようにステップを踏むコウを注視する。

 痛いのは嫌だ。体が燃えたり、腕が飛ぶ程度なら堪えられるが、堪えられるのと堪えたいのは別だ。

 そんなことを確かめていると、コウは跳んだ。

 横に。


 まるで走り幅跳びをするような予備動作は見せず、荒々しく動いた様子も無い。

 少し体が浮いたかと思えば、スライドするように姿勢を維持したまま僕の目の前に着地して見せた。


「どうどう?」


 僕の幼馴染はまるでおつかいを果たした子供のように僕に尋ねる。凄いでしょ、褒めてって。


「……びっくりした」


 それに対し僕は素直な感想を口から漏らすほか無い。

 未だ焦点は彼がステップを踏んだ地面に捉えられており、突如目の前に移動してきたコウに言葉も出ないほど驚いたし、そんな技術を考え実践してみせるその能力にも遅れて驚愕するしかなかったのだ。

 彼が口にした行くという言葉は比喩でもなんでもなかった、言葉通り自分がそこに行くよ、だ。


「縮地ってやつだね」


 巻きこまれない位置から何が起きるのかを見守っていたルゥが近づいてきて口を開く。


「……縮地って相手の視界から外れて、一瞬で近づいたように見せる技術だよね?」


 僕の記憶が正しければ、前世でも縮地と呼ばれる技術は存在していた。

 人と戦う際に視線という要素は非常に大きな役割を持つ。

 呼吸や視線の動きで何をしたいのかはある程度読めるし、狙撃などの技術はそもそも一方的に視線を通せているかの前提が存在してる。

 その視線を上手く外し、例えば姿勢を低くして素早く相手に近づくことができたのだとしたらそれは相手にとって瞬間移動したと言っても過言ではない。

 そうして縮めた事実を、相手が使用者を再び視界に収めることで認めることができなければ至近距離で狙撃をされるのと同義だ。武器を持っていたのならもちろん、たとえ徒手格闘だったとしても敵を戦闘不能に持ち込むのは容易い。


「まぁそう言う魔法を使わない技術もそう呼ぶけど、コウがやって見せたように魔法を使って距離を詰めることも縮地って呼ばれるんだ。

体を浮かして、必要な箇所に魔力を込めて前に飛ぶ。言葉にしたら簡単に思えるけど、まぁ使える人はかなり少ないだろうね」


「ルゥはこの技術知っていたんだ、なんで教えてくれなかったの?」


「聞かれなかったから」


 負い目の一切無い表情で彼女はそう断言した。

 よくよく考えるとルゥから教わってもらった技術はあまり多くはない。

 初級中級上級に魔法を分類するのであれば、彼女が口にした技術は皆初級に含まれるか、実用性の乏しい中級程度だ。


「まぁそんな怖い顔しないでよ、三つの欠点を聞けばわたしが教えなかったことにも納得してくれると思うから」


 とりあえず言ってみろ、そう顎で指図するとルゥは説明を始めた。


「まず一つ目、単純に扱いが難しいこと」


「教えても無駄だったと」


「というかわたしにも使えないし、今のアメにも無理だと思う……正直この段階でコウが使えるようになったのはかなり、想定外」


 ルゥはあまり負の感情を表に出すことはないが、それには驚愕も含まれる。

 技術は無くとも知識はあるようだし、何がどうなるかを見定めるのは彼女の得意な分野だ。


「二つ目は応用が効かない事。縮地最大の利点は一気に距離を詰められることなんだけど、要するに一歩で近づけなければあまり効果的じゃない」


 縮地を行うために必要な魔力と集中力。

 利点を活かす為には迎撃を察知し二歩目で方向転換をするのは一歩を踏み出した際に使ったリソースが無駄になるし、歩数を増やせば増やすほど速度は落ちる。


「三つ目は意識の空白を衝いて行使しないといけないこと」


 何か含みのある言葉に僕は眉をひそめる。

 そしてそれに気づけない僕を確認し、ルゥは付け足した。


「獣は反射的に動くことが多いんだ、そこには相手の行動を予測するといった思考は存在しない」


「……なるほど。予測を裏切り、瞬時に距離を詰められる必要が」


 獣には存在せず、人間には存在するのだ。

 縮地は、対人用の術だ。


 相手がそもそもこちらを見ていないのであれば魔法で不意を撃てば十分。

 特に僕達には雷という放てば一瞬で事が済む手段が存在している、魔力の動きを察知するだけでは足りない。視界に収めた上で、何をするのかを予想し適切な対応をできなければ、十分に充電する時間さえあればこちらの勝ちなのだ。

 そこにわざわざ距離を詰める理由は存在しない。注意を払われた上で、それを打破するための――人と争うための技術。

 今までの僕達には必要の無かったものだ。


 故に必然と縮地を行使する相手は限られる。獣ではなく、最大限注意を払った人間だけに。

 もちろん例外はいくらでも存在するだろう、けれどその無数で……些細な可能性のためこんな難しい技術を会得する労力は必要ないはずだ。


「コウ、一体どこへ向かっているの」


「……? どこって、竜を倒すんでしょ?」


 竜を倒すのであれば、このような技術は必要ないと今の会話で結論が出たはずだ。

 それを理解できぬほど彼は子供ではない。理解したうえで、僕には到底見えない何かを見て今も行動している。

 とてもそれが頼もしくて、不可解で、少し、彼を遠く感じた。


「人は成長するんだ。世の中のどうにもならない事を知り、割り切ることを覚えて。

それでも、それでもって言い続けたい。大人になっても夢を抱き続けるため、子供の間に不条理へ対抗する眩い強さを身につけることで」


 そんな寂しさが顔に出ていたのか、ルゥが慰めになっているようでなっていない、それどころか的外れとも捉えられるような言葉を謳って見せた。


「それでルゥさんは一体どこが成長しているので?」


「……どこ、だろうね」


 おどける様に尋ねた僕の言葉にルゥは、その平らな胸をペタリと触り呟いた。

 ……もしかして本当はスタイルとか気にしているのだろうか。所謂持ち自虐ネタとかじゃなくて。

 以前お風呂で見せた表情も少し気になる、あまりそういったネタをふるのはこれから避けたほうが良いのかもしれない。



 ちなみにそれからしばらく縮地を僕も練習したが、とてもじゃないが使えるようになるとは思えなかった。残念。



- 平穏は幸福の中に 終わり -

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