68.青空は平穏を紡ぎ
訓練はいつも通り三人……いや、二人とそれを見ている一人で行い、体が衰えないことを意識しながら毎日食事を取る。
ユリアンとカナリアは毎日慌しく各所で動いており、カナリアの両親も同様に暇がないように見える。
結果応接室を三人で占有し、食事や休憩の時はここにいることにしているがいつまでもだらだらしていられないのが僕達。
コウは一人で勝手に訓練をしたり、町を歩いていたり、はたまた厨房に乗り込んだかと思えばいろいろな料理をプロの方々から強引に聞きだしている。最後のは申し訳なく思いつつも、ちょっとコウの料理が更に美味しくなると思うと嬉しい。
ルゥは正直何をしているかわからない。風に吹かれるように気づいたらいないし、僕とコウが二人で行動していると気づいたら隣にいる。まぁいつものことだ。
対して僕は一人になると少し困る。
レイニスに居た頃にはエターナーから大量に渡される本を楽しんだり、あるいはいろいろな人と交流をして日々を過ごしていたのだがリルガニアではとなると共にそれらを叶えるのは厳しくなる。
本が貴重なのは変わらないので渡されるお金をそこに使うのは躊躇ってしまうし、前世でいう図書館のような一般向けの施設はここ王都にも存在しないようだ。識字率の問題、本の貴重性、情報の有用さ、どれをとっても大衆向けに公開される訳がなく、一部上流階級か物好きな人間のためとしてしか本は存在していない。
屋敷にある少ない本は実用書が多くてあまり興味は惹かれず、娯楽誌を所有していそうな貴族や施設に顔を聞いてくれとは流石に言えない。
なので僕は町に出会いでもないかと練り歩きつつも、屋敷の中でもおもしろいことがないかと欠伸を噛み殺しながら廊下を歩く。
するといつも通り渡り廊下を歩いていると、目に映る中庭がいつもよりも輝いて見えた気がした。
何が原因だろう?
屋根に遮られながらも、地面の半分を明るくしている陽光は陰影をアクセントに使い、上手くその空間にメリハリを付けている気がする。
草木も普段通り元気だ。庭師が丁寧に整えているのだろうか、中央に存在している花壇はもちろん、周りに添えられている草木も抜かりなく整えられておりどこを見ても落胆はしない。
……あぁそうかと、ようやくそこで気づく。中庭という存在にだけ囚われていて、その空間そのものを意識できていなかった。
目に映れば気づくはずだ、いや気づいていたのだろう。気づいていて、きっとそうあるのが自然だと納得していたんだ。
一人の少女がいた。
カナリアよりも少し彩度の濃い蒼い髪の毛を、ロングの彼女とは違いセミロング程度におさえ、また可憐ながらも動きやすさを意識したその服装。
遠目で見ても間違いなく値段の張るような服装を、躊躇いもなく土で汚しながら日の下で何かを植えているのだろうか土を弄っている。
上手いこと崩しながらもまだ保っている気品を纏いながら、そのせいかガーデニングを楽しむ様子も違和感などなくむしろ風景に馴染みすぎて彼女の存在に気づくのが遅れた。
声を、かけてもいいものなのだろうか。
客人とはいえ、相手は身分の高い人間だ。カナリアならまだしも、それ以外の人間となればやはり気安く喋りかけるのは不味いのではないか。
そんな建前や常識を未練がましく感じるそぶりを見せる自分を自覚しながら、最悪機嫌を損なわれても王都に長居するつもりはないし、不快に思われたならカナリアに助けを求めて屋敷を去るまでの期間を無難に過ごそう。
出会いを求めている時に、目に止まった存在を運命に認める。
それには退屈など勝てそうにない、開拓時の仕事に実感した……冬の行進の時といい、何かどんどん受け入れがたいものが増えていく気がする。飢えとか退屈とか竜とか、まぁいいか。
「こんにちは」
少しだけ怯えつつも、まぁどうにでもなるしどうにでもなれと思いつつその少女に喋りかける。
「あぁ、こんにちは。少しだけ待っていてくれないかい、もう少しで作業が終わるからさ」
口を開いてみればいきなりカナリア同様予想を裏切られるような人間性を垣間見た気がした。
予想していたよりも強気?さばさば?……とにかくよくわからない何かを感じながら僕はその作業とやらが終わるのを待つ。
- 青空は平穏を紡ぎ 始まり -
待てと言われてから約五分。
もう少しかかるらしく、作業している横に棒立ちしているのもあれで適当な地面に腰を下ろす。
十分。
人によって少しだけ、は結構違うものだなぁと実感しつつ体が火照るのを感じる。
まだ比較的涼しい季節に、肌を刺す日差しが丁度良くてとても心地が良い。
十五分。
……意識が、まずい。非常に穏やかな睡魔が全身を包み込み、その甘く気だるい感覚に身を委ねてしまおうかと思い始める。
いや、そもそも僕は何をしにここに来たのだろうか。昼寝だった気がする、この中庭結構いい昼寝スポットではなかろうか。
二十分、だと思う。
落ちた意識が少女の声で引き上げさせられる。誰だっけ、この声。
「待たせたね……あ、待たせすぎて眠たくなっちゃったか。
どうする? このまま寝たいって言うのなら、私はこの場を離れるけど」
少女が僕に話しかけてきている。
睡魔は既に体中に張り巡っている。
意識を浮上させなければ。昼寝など太陽がそこにある限りいつでもできるのだから。
「いや、こうして実感してみると今日の日差しは中々良いね。君がいいって言うのなら、私も隣で昼寝と洒落こんでも……」
「……起きます、起きました」
「そうか、それは残念だ」
何か酷く香りの良い甘言が聞こえた気がするが、とりあえず忘れ虚ろだった両目を開いて意識があることをアピールする。
「それで、何の用だい?」
「いえ、これと言った用事はなかったんですけどね。あ、手洗います?」
土を弄り終え、未だに手を洗おうとしない少女に向かって僕は魔法で水球をゆっくりと差し出す。
見たところ近くに水は存在しないし、わざわざ蛇口や瓶のある場所まで行って会話を再開というのも手間だろう。
「おぉ、これはおもしろい手の洗い方だね。斬新でそれも手間が要らない、楽しいな」
少女はそう言いながらバシャバシャとあえて音を立てながら手を洗う。
中に浮いている水球がどんな動きをするか、そしてその感触を手のひら全てで楽しむように。
「植物達に害はないのかい?」
「完全に、とは言えませんが、今の水球は空気中から多くの水分を取った上、こうして還してあげれば大きな影響は無いと思います。少なくとも直接踏みつけられる芝生の草達よりはマシでしょう」
その辺から汚れになるものを取り除いて集めた水球を、少女の汚れた手を洗い穢れてしまった水にして取ってきた土や草木に撒き散らす。
僕達が思っているよりも水分とは近くに存在しているし、僕達が思っているよりも草木は頑丈だ。
魔法で強引に水分を奪われたとしても、そう遠くないうちにその傷は無かったことになる。直接的に還せなかった空気中の水分もすぐに別の場所から風が流れてきたり、地表から昇華するそれで気づけば元に戻るだろう。
「それはもっともだね……ところで君は誰だい? 冒険者を三名客人として迎えていて、女の子が二人、それに白い方じゃないと来たら残る黒いほうなのはわかるのだけれど」
やたら持って回った言い方をしているが、自己紹介、更に言ってしまえば名前を求められているのが少し遅れて理解できた。
未だに睡魔が体から抜け切っていないらしい。少し体を揺らし、それらを抜き出たことを確かめ口を開く。
「名乗りが遅れてすみません。僕はアメと言います、ユリアンさんを助けて今は客人としてこの屋敷に滞在させてもらっています」
「そうか、私はルナリアだ。ルナリア=ミスティ。付き合いが短いものか長いものになるかはわからないけれど、よろしく頼むよ」
ルナリア=ミスティ。
カナリアの姉で、リーン家を交えた三家に激動をもたらしたきっかけとも言える少女。
口調やこうしてやり取りを交わし僅かに垣間見た人間性に意外性を感じていたのは何も儚そうな容姿だけではない。
カナリアに似た見た目からこの少女が誰かを推測し、つらい過去を抱えている少女が立ち直ったとは聞いていても今どんな状態かを考えたらこうしてここに在るということには違和感しか覚えなかったのだ。
妹と同じ赤い瞳が笑った気がした、見誤ったな、と。
「それで、結局本題はなんだったんだい?」
「特に無い……あ、あえて言うなら喋り相手が欲しかったなぁと」
ルナリアは一瞬きょとんとし、それから声を漏らし笑った。
「なんだいそれは。私が誰かなんて予想できなかった、そんな無知そうな顔を君はしていないじゃないか。まぁ私は構わないんだけどね、ある程度暇な時間はあるしむしろ君みたいなおもしろそうな子が喋り相手になってくれるのならそれは僥倖だ。
ただ話し相手が欲しいだけ、なんて理由で今忙しいカナリアや、母さんや父さんには話しかけてくれるなよ。皆苦笑いしつつも付き合ってはくれるだろうが、余程暇でもない限り雑談を心の底から楽しむ余裕はないだろうからさ……そうだね、間違っても私の妹や両親なら大丈夫だろうけど、他の貴族連中には間違わなくても気をつけるんだよ」
判断自体は間違っていた。
けれど結果や、決断。それに偶然意識に止めたルナリアに歩み寄ったのは間違いじゃなかった。
人はこれを運命と呼ぶのかもしれない。まぁ僕はそこまで大層に呼称するつもりはない、暇つぶしに話しかけた相手が正しかった、ただ運が良いそれだけのことだ。
「肝に銘じておきます。それで、何故草木を弄っていたのですか?」
「何故でもないよ、趣味だからだ。本職には無論及ばないけれど、ガーデニングは好きだからこうして中庭に私が触れるスペースを置いてもらっている。
植物は良い。何も口うるさく主張はしないし、正しく何かを与えれば正しく答えてみせる。少なくともいきなり人の服を破いてきたりはしないしね」
思わず息を呑む。
実際に当人の目から見た事の概要を知りたいとは思っていたし、こんな人柄ならばいつか機会があれば直接聞いてみても大丈夫だと思っていた。
けれど知り合ったばかりのこのタイミングで、それも相手からなんの脈絡も無く口に出されるとは思っていなかった。
「そうそう、それだよ」
何を言えばいいのか決めあぐねている僕にルナリアは笑う。いや、嗤った。
「人が動揺する表情は堪らない」
植物は良いと、好きだと彼女は言った。
けれど人間が嫌いだとは一言も言っていない。
「皆私に対してその話題は避けようとするんだ、だから敢えてこちらからその話題を出すと皆が皆おもしろい反応を見せてくれる。でも君は違ったね。他の人とは違う、少しベクトルの方向が逸れているような動揺の仕方をした」
この世界で十六歳、成人のうえ貴族ともなれば人間観察はお手の物ってわけか。
なんというかルゥを相手にしているような錯覚を抱く。それはつまりほとんど遠慮をしなくて良いということだ。
「そのベクトルとやらが違うのだとしたら、こうして会話をしてみて僕はいつかあなたに件の話を聞いてみたいと思っていたからかもしれません」
「件の、ねぇ。一体何を聞きたいんだい? 君は」
わざわざ交わされるやり取りを増やし、それら全てを見てルナリアは楽しんでいる。自分が言葉を発することも、僕が見せる反応も、僕が返す言葉も。
こういう相手と接する時に考えることは一つだ、肩の力を抜いて自分も楽しむ。
「まず何が起きたのか、ですね」
「多分君も知っているだろうけれど、私が不慣れなパーティーであたふたしていると癇癪持ちのお坊ちゃまが居てね、難癖を付けてきて最後にはどうかしちゃったのか私のドレスを破いたんだ。隠す努力をしないと下着が見えてしまうほどにはね。
すると大変、お坊ちゃまよりも大きな癇癪を持っていて、頭がどうかしちゃっていたガロン様が迷う間もなくスパーンとね。あっという間に人々の注目は私の肌から、血を噴き出している死体と、それを作り出した殺人者に向かって行ったよ」
「……一応恩人なのですから、そんな言い方は」
僕の瞳を見つめて少女は声のトーンを元に戻し口を開く。
「そうだね、ちょっとおもしろおかしく言い過ぎた。まぁそんなことがあってうら若い私の肌は皆の記憶から忘れ去られ、後に残ったのはリーン家とテイル家の禍根だけ。あと私達ミスティ家とリーン家の繋がりか、リーン家と密接に関わるようになって互いに資産を増やしていったね」
「心の、傷は」
「今はないよ、昔はあったけどすぐに無くなった。我が妹ながらカナリアはいい子だ、うん。あの日のことは思い出すとちょっと恥ずかしいだけで、むしろミスティ家の踏み台になったテイル家、見方を変えたらリーン家も王都から追い出されて気の毒だなぁぐらい……ガロン様が亡くなったのは少し寂しいけどね、私は、私達はあの人に恩義があるから」
朗らかにつらかっただろう過去を振り返りながら、最後に少しだけ憂いを見せてルナリアは呟いた。
「リーン家の血筋なら残っていることが判明しましたが、ルナリアさんは手伝わないので?」
毎日精力的に活動しているユリアンとカナリアの傍にルナリアの姿はほとんど見ない。
ガロンに恩義を感じているのが間違いではないのであれば、リーン家復興のために邁進している二人を手伝わないのは道理に適っていない。
「ユリアン君が生きていたのは凄く嬉しい、でも私が一番恩を感じているのはガロン様で、ユリアン君を一番想っているのはカナリアだからね。姉が妹の恋路に手を出してしまったら、奥手というか保身的といえる二人が結ばれる未来は無くなるだろうさ」
別に二人は恋したくて共に活動しているのではない。断じて。
「そんなこんなで私は最低限二人を手助けしながらいつも通りの日々。ちょこちょこ貴族らしくお金を動かしながら、こうして暇を作っては趣味に耽るのさ」
まとめるとパーティーで成り上がりに絡んできたお坊ちゃまが超えちゃいけない一線超えた。
息子を殺されたテイル家は怒り狂い、リーン家は発展都市に飛ばされて、ミスティ家はリーン家の繋がりを利用して家を栄えさせた。
ある日テイル家とはまるで関係ない竜がリーン家を壊滅まで追い込み、あと少しというところで僕達と恩を忘れなかったミスティ家にユリアンは保護される。
問題のガロン=リーンは死に、残ったのは禍根と恩義、そしてもはや何を狙っているのかもわからないテイル家の殺意。
当主の子供を殺すことに執着したのなら、当主が子供の居ないユリアンに変わったところで諦めればいいものを、まだまだ三家を取り巻く事象が収まる様子は無く、リーン家を立て直そうとしているユリアンを尻目にきっかけとなったルナリアはあるかもしれない恋路を優先しのんびりとした生活。
……世の中、ままならないなぁ。
「僕、その、貴族らしいって仕事がわからなくて、よかったら教えてもらえますか?」
「待って」
良い機会だ、その辺も詳しく調べておこうとしたところで制止される。
「私だけが話してばかりだな。君のことも、君たちのこともいろいろ知りたい」
「ごめんなさい。ではどうしましょうか」
「部屋に行こう、長くなりそうだしのんびりお茶でも楽しみながらさ」
僕はルナリアの言葉に頷き、彼女の後を追う。
背中を眺めながら思う、これは良い出会いを得たのではないかと。
気質はルゥに似ている。けれどルナリアはしっかりと自己を主張するし、聡く真心もある……いや、決してルゥが意地の悪いだけの人間だとは言っていないが。
ともあれ僕は彼女のことを気に入れられそうだし、ルナリアの僕に向ける興味もそう悪い感触ではない。
「……どうかした?」
気づけば歩みを止め、空を見上げていた。
「いえ、なんでも」
今日は良い空だ、とても。
- 青空は平穏を紡ぎ 終わり -




