66.誰かを救うより大切なもの
「すぐに皆さんが落ち着けるよう案内をしたいところですが、先に最低限の情報共有を行いましょう。事によっては一刻を争うと思いますので」
カナリアの提案に僕達は応接室に案内される。
一度両親が顔を見せたが、娘にこの件は一任しているようで挨拶だけ済ませ去って行った。
私兵を動かすことが十二歳の少女にできるものかと思ったが、一つ下の僕達でも十分仕事を行い自活できているし、貴族である以上求められるものは並みの人間より高い場所にあるのだろう。
……貴族って結局何なんだろう。実業家?資産家?
「そうですか、他の方は皆……」
素性も知れたことでお互いの情報を共有する。
案内された応接室でカナリアにエリーゼ、それに僕達六人だけで会話を進める。
常に立っているエリーゼを見習い、僕も座らずに待っておこうかと思ったがカナリアに勧められたためしぶしぶ一ヶ月野外で過ごした体で綺麗なソファーを汚すことにした。
久しぶりの柔らかい感触に汚れきった体を任せるのはなんというかその、肉体的にも精神的にも凄く、いい。
こちらの目的は至ってシンプル、ユリアンの護送だけだ。
対してカナリア側、ミスティ家としては竜により発展都市レイニスが壊滅的な打撃を被ったと連絡があったのが二週間ほど前、それから交錯する情報をかき集めリーン家の建物が被害にあっていることが判明、大きな力を持っていたリーン家を失ったことによる貴族間の混乱の中、ミスティ家は迷わずに一人でもいるかもしれない生き残りを保護するために私兵を動かし、実際に動き出せた今日に郊外で異変が起きているのを確認し今に至る。
「改めてお願いしたい。リーン家最後の生き残りである私に、どうか復興まで力を貸してくれないだろうか」
ユリアンの言葉に少女は迷わなかった。
「はい。我らが受けた恩義、如何にして忘れることが叶いますでしょうか。見返りなどなくていい、手を差し出すことで崖に引きずり落とされても構わない。ガロン様が真っ先にそうしてくれたのですから」
「……ありがとう」
その言葉はリーン家当主のものとしてではなく、ただ一人の少年のものだったと僕は思う。
それからの会話は素早かった。各地に残っている資産回収の手筈、他家にリーン家の血筋がまだ存命であり、ミスティ家が後ろ盾についていることを誇示しながら立ち位置の覚束ない貴族たちを強引にでもテイル家ではなくこちら側に引き込む算段。
最低限の認識と段取りを共有し、今すぐに動けるものはミスティ家の人間を使い行っていくことを決め、長旅による疲れを少しでも早く癒そう……そうなるはずだった。
「……?」
ユリアンにカナリア、そしてエリーゼの視線が僕達三人に集まる。
何かまた別の大事な会話でも始めるような雰囲気で、慌てて舟を漕いでいるルゥを引っ張って起こす。
「皆……本当に、ありがとう」
「はぁ、どうも」
改まって礼を言われ、間の抜けた返事をしてしまう。
「皆がいなければ私は、リーン家の血筋は間違いなく絶えていただろう。それも追っ手が原因などではなく、そこらの獣に噛み殺されて全てが潰えていたはずだ。それを救ってもらえた。報酬の保証などどこにもなく、縁もゆかりも無い人間を命を賭して」
いや、それなりに仲良くなかっただろうか。あぁそれは護衛をすると決めてからか。
でも縁ならばガロン卿を通して少しでもあったのではないか……いや、それも縁とは呼べないか?
上手く思考が回っていない気がする、表面化していないだけで肉体や精神に疲労が溜まっているのか。でもよくよく考えると思考のロジックがおかしいのはこの世界に来てからずっとだったかもしれない、一度死ぬと人の頭のネジは飛ぶ。覚えておこう。
「私からも最大限の感謝を。きっと想像もつかないようなつらい旅路に、多くの決断もあったのでしょう。それら全てを乗り越えてくれた皆さんに」
旅路はそうでもなかった気がする。開拓の後だったこともあるが、あの冬の行進と比べれば温いものだ。
いろいろ決めたのは……まぁそうかもしれない。幼馴染を助ける、人を殺める。まぁ今思い返してみれば、全て上手くいった今ではたいしたことがなかった。
だからこうして改まって礼をされても、僕としてはユリアンの護衛はルゥを守るという目的の二の次でどこからか申し訳ない気持ちすら出てくる。もちろん今では守るべき友人だったと確かにそう思ってはいるのだけれど。
「わたしとしてはユリアンを守ることが目的というか報酬そのものだったから、こうしてカナリア達に渡した段階でお仕事は終わり。
アメとコウ見てもらえばわかるけど、報酬もどうでもいいから早くお勧めの宿とか紹介してくれると嬉しいな」
確かにそれが一番だ、さっさと休みたい。
僕ですら流石に疲れた、ルゥに至っては限界だろう。先ほど意識が薄れていたのは会話が退屈だったからではなく、肉体的なものが主だったかもしれない……前者を否定しきれないのが悲しいが。
ルゥの言葉にユリアンとカナリアは視線を交わし、ユリアンが口を開く。
「わかった、けれどしばらくは近くにいてほしい。こちらとしては適切な報酬を払いたいのだが、先ほどの会話でわかるように今その資産を各所から集めなければならないし、集めたとしてもリーン家を維持するために大部分を割く必要がある。その報酬を支払える環境を整え、顔を合わせ直接手渡せるまではリルガニアから離れないでくれるとこちらとしてはありがたい」
その言葉にカナリアはすぐさま後に続く。
「私としてはユリアンを助けていただいた礼として、客人として屋敷に滞在していただきたいです。無論使用人含め、私も生活のため自由に使ってもらって構いませんし、日々を送るのに不自由のない金額はお渡しするつもりです」
二人共貴族として、人としての務めを果たさせてくれ、そう言っている気がした。
僕の目標としては竜の討伐が最優先だ。一つの地、それもレイニスから一番遠いリルガニアに縛り付けられるのは不便極まりない。
しかし竜を倒すための装備を整えたり、訓練に、それから長旅で疲労した体を癒すための時間は必要だ。しばらくの間はお世話になっても構わないのではないだろうか。
コウとルゥの意見を聞こうとしてやめた。
どうせこの二人はいつも僕に決定権を押し付けてくる。
「はい、こちらとしても宿が……えっと帰る場所があるのは助かるのでよろしくお願いします」
僕の言葉にカナリアは胸に片手を当て、スカートの裾を僅かに持ち上げ深くお辞儀をした。
抵頭しているのにもかかわらず少女は、その優雅さを損なわず僕達に言葉をくれた。
「私達にとって大切な方を助けてくださったあなた方はもはや家族のようなもの。どうかここを我が家のように扱い、日々を過ごしてください。我々はそれを心から歓迎します」
- 誰かを救うより大切なもの 始まり -
「お風呂ー! おふろだあぁ!!」
心の底から僕は全裸で叫んだ。
あるかもしれないと思っていたその存在は、長旅で汚れきった体を清潔にとカナリアから提供された。
僕は今、非常に感動している。正直竜を倒すことに繋がるだろう報酬も一瞬頭から吹き飛んだ。既に湯が張られ浴場内に立ち込めるその湿気を全身で味わえているだけで僕はもうどうにかなりそうなのに、これから湯に浸かり体を芯から温めることを想像すると叫ばずにはいられなかったのだ。
「うるさい」
同様に服を着ていないルゥが隣で注意してくる。
「お風呂だよ?あのお風呂だよ? わかる? お風呂って知ってる?」
「知ってる知ってる。わたしも好きだけどそんなにはしゃぐ必要はないでしょ、子供か」
「子供だよ」
僕はそう言いながら腕を組み少し胸を持ち上げてみせる。
まだたゆんと揺れるほどではないが、腕に乗るほどには確かに存在している。少なくともルゥのものは乗りそうにない。
「もぐぞ」
彼女は僕の煽りに大して反応を見せず、それだけを言って椅子に座りシャワーで体を洗い始めた。
すぐさま湯船に飛び込みたい欲求を抑えつつ、僕も同じく体を洗い始める。頭皮や顔にシャワーが当たるだけで心地よい、お風呂とはなんと素晴らしい存在か。
「これは?」
シャワーの近くにいくつかボトルが並んでおり、それぞれシャンプーやリンス、コンディショナーにボディソープというのは何となく見た目や書いていることでわかる。
ただ一つわからないものがあったので、既に頭を洗い終えようとしているルゥにボトルを見せて尋ねる。もったいない、髪を一度洗ってしまったら、次に洗えるのは何時になるかわからないのにそれを手早く済ませるなんて。
「香油……ボディオイルとかアロマオイルって言ったほうがわかりやすいかな。お風呂を出るときに体に塗るといいよ、香りがきついと思うのなら要所要所だけで」
貴族と言っても流石に毎日は湯を張れないだろう。
客人ならある程度自由は利くかもしれないがそこに甘えるつもりもないので汗を掻きそうな場所に少しだけ塗っておこうかな、このオイル自体も高そうだし。
お風呂に入れない時はいつも町にいるようにこまめに体を拭くか、香水で誤魔化すことにしよう。
「あ゛あ゛~」
湯船に浸かり、ふぅと溜息をつくルゥの隣で僕は声を漏らす。
想像していたより、いやその何倍も湯船というのは心地が良い。
十年以上入っていなかったし、長旅で疲れた上汚れた体だ。相乗効果でえらいことなってる。産まれて初めてお風呂に入った体の脳は多分少しぐらい溶けているかもしれない。お風呂は危ない薬と同等だったんだ。
「女の子が出す声じゃないから」
「今日のルゥはうるさいね」
いつもは僕達が気ままに行動するルゥを注意する側だ。
「アメがわたしより何倍もうるさいからね」
「なら仕方ないね」
「うん」
その言葉を皮切りに僕達は沈黙を始める。
お風呂を楽しむのに言葉はいらない。いや、普段ならもう少し雑談でもしていたのだろうが、あまりにもいろいろありすぎて喋る気持ちにはなれなかった。
「これからどうする?」
意外にも沈黙を破ったのはルゥからだった。
そろそろふやけ始める頃かと思っていたときに、彼女はそうぽつりと呟いたのだ。
「どうって……」
竜を倒したい、でもルゥはユリアンを守るといった。
その目標は遂げた、ならもう他に邪魔をするものは存在しない。
「竜を倒す」
「それはあくまで大目標でしょ、小目標を繰り返していつかたどり着けるかもしれない場所。わたしが聞いているのは小目標、竜を倒すためにこれから何をするのって」
竜を倒すために必要なものは……力だ。
武力。経験を積み、あの硬い鱗や甲殻を破壊できる武器や魔法、それに強靭な攻撃を防げる防具も必要かもしれない。
でも今は王都から離れることはできないし。
「まぁいろいろあると思うけど、今は休憩かな」
「いろいろ、ね。まぁ休むのはわたしも賛成、明日から、いや今日の夜からでもしばらくはベッドから動きたくないよ」
この時僕は、ルゥの言葉の全てを理解していなかったのだと思う。
ただ意見が一致した事実だけを認識し、肩の力を抜くように湯船から掬ったお湯で顔を濡らしたのだ。
「……ねぇ、痩せた?」
このまま無言で体を温めるかと思ったが、どうしても気になり、いや指摘したくなり尋ねる。
大事な部分を隠せるほど湯気は出てないし、お湯に色が付いているわけでもない。そんな環境ならばルゥの体の細さが隠せるわけもなく。
「痩せるに決まってるでしょ、野外で移動しながら一ヶ月過ごす生活のどこに痩せない要素があるのさ」
彼女はそう笑い、少し思い立ったように二の腕や太ももを触り期待を込めて口を開いた。
「もしかして筋肉ついた? 無駄な肉が筋肉に変わったって意味?」
僕が口にする言葉は無慈悲だろう。
けれど、事実だ。揺るぎようのない事実は、自分で冷静になり確認する前に伝えてあげるのが優しさというものだ。
「引きしまる肉なんて元々無かったでしょ」
「そっか」
僕の言葉にルゥは、朗らかに笑う。
まるで知っていましたよと、自ら話のオチになるように。
「……そっか」
でも二度目。
そう僕に聞こえるかどうかの音量で呟いた声は、達観している彼女には珍しく愁いを帯びていた気もする。
せめて聞こえなければよかった。
聞こえなければ、何気ない動作で自分についているいろいろな肉を強調するような動きを避けずに済んだはずだ。
腕を動かし湯を切ることもできなければ、足を動かし姿勢を変えることもできない。
もしルゥが本当に気にしているのであれば……そんなことを考えてしまった僕はゆっくりと姿勢を低くして、湯に触れた口から空気を吹き出し、ぶくぶくと泡を作って遊ぶしかなかった。
- 誰かを救うより大切なもの 終わり -




