64.人間セイの武器
所々に残る痕跡を必死に辿りながら、月光の下ほぼ暗闇の状態を一人木々の間走る。
誰かが争った痕跡もそうだが、魔法により残されている痕跡も確認しつつ僕は茂みをかきわけ進む。
元より魔力に色をつけて逃げる可能性も考慮していた。現に僕が辿る三つ目の痕跡も魔法の痕跡を絶やすことなく次の場所へと導いてくれている。
初めに赤、次に赤紫、今は紫。それぞれ北、北東、東だ。
三つ辿れている現状そこに間違いはなく、また敵がダミーとして間違った痕跡を配置している可能性も低い。
短時間で、それも追跡をしながらどの色がどの方角かを解析し、上手く生成するのは現実的ではない。
あくまで色という表現は感覚的なものだ。直接視認できるものではないし、その色を色と感じるまで僕達四人は何度も繰り返し訓練し、感覚を概念から観念へと同様のものに近づける訓練をしていた。
色を読み取るのも難しければ、それを上手く配置するのも困難。ならばあとはこれを設置しているだろう先頭にいるコウを信じて走り続けるだけだ。
「アメ?」
いくつかの痕跡を辿り、僕が森に入り初めて出会ったのはコウとユリアンだった。
「状況は?」
「追ってきた二人の片方に軽症を負わせて、今何とか振り切ったところ。大した傷はないよ」
コウの言葉に僕も状況を伝え認識の擦り合わせを行う。
僕の相手を殺すことを迷ってしまった、そう明言はできなかったが。
「……ルゥは!?」
コウは無事、ユリアンも走り続けたことで消耗しているが大丈夫。
でも僕より先に森に入ったルゥはどこにもいない。
「……わからない、とりあえず身を隠そう」
探知魔法がある以上身を隠しても接敵することは避けられないが、場所を把握されても僅かな月光が照らす現状戦うとなれば視認しずらい場所に位置取ることは有効だ。
月光が差し込む中、もしくは光源を点けた相手が迫ってくるのならこちらから奇襲をかけるには打って付けの材料になる。
多少狭い上、虫が鬱陶しいが茂みの中三人で身を寄せ合うことにする。
「ユリアンさん、これ」
今はいない人間のことは後回しだ。
僕は倒れた女性から奪い取った長剣をユリアンへ渡す。
「いや、長剣はアメが持っていてくれ。お前のほうが上手く扱えるだろうし、私は短剣で生き延びることを優先する」
まぁ一理あるか。大人しくその提案に従いつつも、奪ってきた短剣を押し付けるようにユリアンへと渡す。
短剣と長剣、二本の剣を相手から奪い取り自分達のものにできた。これは郊外で活動する現状、補給の目処が立たない今では大きな影響を与えるだろう。
「ルゥは、どうしようか」
コウの呟きに、いろいろな可能性と手段が頭に浮かぶ。
まず A.彼女が既に死んでいる可能性 B.生きているが合流できない位置へ逃げている C.生きていて未だ交戦中で助けが必要。
取れる手段は 1.迎えに行くか 2.この場でしばらく待機し動きを見るか 3.痕跡を残しつつ王都へ向かうか。
「A-2が無難」
「いや、それなら3の手段が一番リスクが少ない」
僕の提案をコウが却下し新たに提案を出してくる。それぞれの記号や数字が何を意味するかなど僕達の間で擦り合せる必要は無い。
同じ順序で僕と同様の可能性を思いつくか、話の流れで彼が合わせてくれる。
「でもCなら1しか取れない、1を選ぶのならBでもマシ」
「1だけは取れない、現状もっとも恐れる事態はユリアンを危険に晒すこと」
コウは言う。
ルゥを見捨てでも先へ進むべきだと。
それはしたくない……けれど情報がない以上彼女が手遅れという自体を受け入れて前に進む必要もある。
それにルゥなら、ユリアンを守ると宣言したルゥなら、自分を見捨ててでも少しでも生き残る可能性を選ぶことを望んでいるだろう。
何が正しい?何を選んだら後悔がない? 僕はまだ迷っている、スイを助けられなかったこともそうだし、さっきの相手に止めをさせなかったのもそうだ。
また後悔するのか、あの時ああすればよかったと、日々後悔する要素を今増やそうとしてしまっているのか。
そんな悩みを笑うように魔力の反応。体を撫でられるそれは探知魔法の対象にされたということだ。
現実は待ってくれない、今こうして誰かに見つかってしまい僕は決断を迫られる。
咄嗟に探知魔法を返す、相手は一人。
魔力の大きさで詳しく相手がわかるわけではない。反応自体は小さかったがそれがルゥのものか、消耗した敵のものか、それとも意図して魔力を抑えているのか。
「……視認次第敵なら奇襲」
「うん」
「あぁ」
二人の返事を聞きながら茂みから相手を覗き見る。
先ほど僕達が居た光が照らす空間だ、探知をかけた場所から大きく迂回しないのであれば多少なりとも姿は見える。
「アメ達……だよね」
そこに現われたのはルゥだった。
全身に無数の傷を携え、瞳と同じような赤い肉と血液をそこら中から見せている。
切り傷、刺し傷、打撲痕に火傷、服はボロボロで下着や肌を見せ、持っている短剣の片方は半分に折れている。
満身創痍……でも、生きていた。
「よかった、無事で……敵は?」
「初めの女の人に、もう一人追加で殺した。追っては上手く撒けた筈、着いて来ている様子はなかったよ」
ふらふらしながらこちらの茂みへ近づいてくるルゥへこちらから向かう。
追っ手がいないというのなら月光程度でも明かりがあるほうが便利だ。
「助かった、本当に。ルゥって実は強いの?」
僕の言葉にルゥは鼻で笑う。
「まさか。奇襲して、視界の悪い暗い森の中で戦ったら戦いの流れがこっちに運よく回ってきただけだよ。
あと、少し夜目が効くのもポイントだったのかな。この体は光を集めすぎるからね」
色素が薄い彼女の体は魔法で調整しなければ肌は焼けるし、目は痛む。
夜間ではそれが有利に働いたのだろう、本来視力に使う魔力が減り、逆に相手は魔力を多く使う。
様々な要因が重なり、少しでも生き残れる可能性が上がったのならそれは喜ばしいことだ。
「短剣、刺さってる」
「……抜いて」
倒れそうだったルゥの体を支え、背中を見るとそこにも多数の傷と短剣が一本刺さったままだった。
全身の痛みで気づかなかったのか、わざわざ抜いている余裕がなかったのか。
僕がその短剣を体から引き抜くと、一瞬血液が溢れたが魔法でそれを防いだのかすぐに傷は他の箇所と同程度まで収まる。
「あ、それわたしのだ」
引き抜いた短剣を見てそう呟くルゥにそっと渡すと、彼女は折れていたほうの短剣を放り投げて二つの剣を鞘にしまった。
ぴったり収まった辺り背中に刺さっていたのはルゥ自身のものだったのか、一体どんな戦いをしたらこんなことになるのだろうか。
- 人間セイの武器 始まり -
ルゥの魔力が回復し、傷が治るのを待って彼女が唯一の予備の服に着替えたのを確認し睡眠時間を削りながら町へと向かう。
追っ手が存在するとわかれば本来南側の牧草地帯を通る予定は止め、歩きずらい王都から北西の森林地帯を継続して歩くことにする。
襲撃された夜に無理をして進み、以降は平時と同様のペースで進むことにした。
相手は人間だ。死んだ仲間の弔いをするだろうし、そうしたのなら無理をした分だけ距離を離せる。
「これでもし襲撃されるのなら、無理をして距離を詰めてきたことだろうから残っている体力の分だけ僕達が有利に戦える。
……もう一人倒せたのなら、こちらから仕掛けるのもありだと思ったけど」
思わず愚痴る。
コウはユリアンを守りながら逃げていた。
ルゥは普段からは想像できないほど活躍した。
もう一人敵を削れたとしたら僕だ。地面に叩き付け、無防備な相手を前に足を折ることに留めてしまったのは他でもない僕だけなのだ。
もしもう一人削れていたら人数の均衡は崩れていた。そうとなれば人数で劣る相手にこちらから積極的に仕掛けるという選択肢もでてきただろうに。
「驚いた」
ルゥが珍しく驚愕の感情を見せる。
「……何が」
「アメがその発想をできたことに」
まぁ確かにそうだ。
僕は本来こんな攻撃的な思考はできない、興奮状態になれば別だが今は比較的冷静だ。そんな状況で積極的に襲い掛かるような選択肢を思い浮かべるなんて自分でも少し驚く。
人の血や、死。ルゥに全てを押し付けたことや、自分が役目を果たせなかったこと。これらが重なり、青い炎のように普通とは違う興奮状態になっているのかもしれない。
それからの日々は緊張をしながらも平穏だった。
焚き火の痕跡などを残さないようにしたことや、進路を変えたことで追っ手を撒けたのかどうかはわからないが襲撃はなかった。
ハウンドの体格も徐々に小さくなり、否応にでも町が近くなったと実感してしまう。素直に喜べるわけがなく、その安堵が自分達の喉を不意に食い破らないか怯えながら足を動かす。
保存食と調味料を使いつつ、食料調達にかける時間を減らしながら歩みを進めるとようやくそれが見えた。
「あれが、王都?」
二キロほど先か、見たところレイニスの四倍ほどの大きさがある町がそこにはあった。
大きな建物もたくさん存在し、人が密集する箇所はレイニスの中心の比ではない。
城も見え、何故かまったく別の世界に来たような感覚、そうファンタジーの世界に今更来たのだと、魔法を今の今まで使っていたのにそう錯覚してしまった。
「うん、そうだよ」
独り言、もしくはユリアンが答えてくれるだろうと期待し呟いたのだが、予想に反し答えたのはルゥだった。
「来たことあるんだ」
「少しだけね、長居して愛着あるのはレイニスとあの村だったけど」
何故かその言葉に安堵する自分がいる。
そうだ、ルゥは僕達の幼馴染だ。相変わらず出生などは語らないが、それだけは揺るがない。
多分コウも同じ気分だろう、少しだけ交わった視線がそう語っていた。
「後方、追っ手が来たようだ!」
ユリアンが索敵したタイミングで敵に見つかったのだろう。
急速に接近する気配を肌で感じる。明確に僕達を狙っているのだ、知能を持った存在が。
「全力で逃げる?」
あと二キロほど。
残っている魔力を全て使い、人目の多い街中へ入れたらこちらの勝ちだ。
「冗談、背中を見せたらいい的だよ」
双剣を抜刀しながらルゥが笑う。
コウとユリアンを見ると同意見のようでそれぞれ剣を抜いていた。
「遮蔽物はほとんどないよ!?」
町の近くだ、広範囲に渡って整地され視界を遮る物はほとんどない。
少しでもゲリラ戦という不確定要素を戦いに混ぜ、戦闘の確率を乱す手段が取れない。
「大丈夫、相手はこちらと違って無理をして追いかけてきただろうし消耗しているよ。
あとは徐々に町へ近づきつつ、遠慮せずドンドンバチバチやればきっと助かる」
あぁ、そういうことか。
ならば可能性は十分にある、これが最後だ。これを生き延びれば僕達は助かる。
奪い取った長剣を鞘から抜く。短剣以外の刃物はほとんど触ったことないが、最低限村で練習していたし、前世では竹刀を持っていた。
何倍か重いが、この程度なら鍛えた体と魔力でどうにかできる。
「行くよ」
コウがそう言い、ルゥも続いて前に進む。
人と人が殺しあうのに言葉は要らない。左右から挟むように接敵した二人に一人ずつ対処し、残り二人は真っ直ぐに僕とユリアンのほうへ向かってきた。
相手の第一優先は明白だ、そしてそれを自覚している彼は後方を確認しつつ町へ向かって走り出す。
無論逃げ切れるとは思っていない、でも敵に少しでも本命が逃げ切る可能性を臭わせれば相手の行動をある程度誘導できる。
僕の横を一人の男が駆け抜けつつ、僕を抑えるために最後の一人がこちらへ向かってくる。
相手は以前足を粉砕した彼だ、ルゥの相手もリーダー格。
それぞれ因縁を感じているのか、それとも相手の情報を身で知っている適材な人間を割り振った偶然がもたらした結果なのかは知らない。
助走により勢いをつけて繰り出される長剣を、なんとかこちらも剣で防ぐ。
流された刃を今度は切り上げられ、僕はそれを最低限の動作で避けると肩を狙い刺突する。
相手も体を傾け最低限に避ける。でも逃がさない、避けられた刃を相手が逃げたほうへなぎ払い少しでも傷を与えられるように動く。
今度はそれを剣で防がれ、鋭い蹴りが繰り出される。思わぬ攻撃にこちらも足を上げ防御し、体を浮かせ蹴り飛ばされるまま距離を離す。
宙を飛んでいる最中、すぐに充電を開始する。
素早く視界を動かし戦況を確認するが、ユリアンを含め極度に押されている味方はまだ存在しない。
「っ!」
確認した直後、ユリアンの息を呑むような声がこちらまで届く。
慌ててそちらを見ると相手の重い剣に短剣が吹き飛ばされてしまったのか、素手で無防備な状態を晒してしまっている。
《走れ、死よりも速く》
半端に溜めていた電気を、彼を救うため放つ。
致死量でもなく、距離も想定より離れていたそれは命を奪うどころかまともな傷を負わせることも叶わない。
けれど、少しでも相手の動きを止めることはできた。その時間を使い、ユリアンは予備の短剣を取り出し相手と対峙することができた。
対して僕は不利だ。
溜めた電力は消費した直後で、挙句足りない威力を少しでも補うため詠唱で魔法陣を展開し、雷で音を出し注目を集めている。
対峙する僕の敵がそれを逃すわけがない。ユリアンから視界を戻したら目の前には男の姿、蹴り飛ばされ空いた距離は既に無くなっていた。
最上段から振り下ろされる刃を転がるように後方へ逃げると、逃げた先で文字通り溺れる。
川や湖どころか、水溜りも存在しないこの場で水に触れるのは一つだ。敵による妨害目的の魔法。
僕がハウンド相手によくやる水の魔法、粘着質のあるそれは呼吸を阻害し視界を奪う。
ただすぐに現状を理解できたからか、自分が得意とする魔法だったかは知らないが風を上手く操りすぐに水球を散らすことに成功した。
相手をしている男が魔法を行使した様子はなかった、ならばコウかルゥが相手をしている敵の魔法に上手く誘導されたのか。
人と人の争いには未知に部分が大きい。経験の差からもたらされる不利を実感しつつ、僕はユリアンのほうへ寄りながら攻防を繰り返す。
コウとルゥの位置関係が近いのは問題ないだろう、問題があるとすれば咄嗟にユリアンを援護できる距離に僕が居ないことだけだ。
防ぐ。手が痺れる鋼と鋼が響く感覚は剣道のそれとは比較にならない。
攻める。防がれ、再び痺れる。攻防の何かがずれてしまえば、どちらかの命が飛ぶ現実に心まで震えそうになる。
電力が貯まり、距離を離し閃電。
再び轟音。そして敵は剣を避雷針代わりにし、最低限の被害で致死性の電を無駄にする。
……一度見せてしまったのが問題か。初撃ならば対応できずにこれで決まっていただろうに。
敵が行使した炎と共にこちらへ向かってくる。
魔力を込め剣を切り上げ、両断された炎にすかさず集めた水を振りかける。
そんな中男は止まらずにこちらへ走り、なんとか鍔迫り合うことで堪える。
水の魔法を顔にかけようとするが、水分が集まりきる前に風の魔法ですぐに霧散される。
ここまで、違うものか。獣相手ではなく、人間を相手にする戦闘はここまで違うのか。
「どうした、人を殺すのが怖いのか? 攻撃に迷いが見えるぞ」
対峙する男の言葉が耳に障る。冗談じゃない、こちらは初めから今まで常に全力だ。
前世で学んだ武術に、この世界で学んだ技術。ありったけの魔法と知識を使い、それでも傷を負わせることはできていない。生き延びることだけで精一杯だ。
だから、その言葉はまるで、前世で僕が学んできた数々の武術を否定する言葉のように感じた。
もし問題があるとすればそこだ、この世界の武術は生き物を殺すためだけに存在する。
けれど前世の武術は平和な世で、人を傷つけるその技術から人を傷つけない心の大切さを学ぶためのものへと推移していた。
その心が問題ならば、僕がすることは一つ。
怒った。挑発に乗り、心に怒りを宿らせる。
でも、頭は冷静を保ったままで。
コウは言った、ぷっつんしたアメは普段できない事をしてみせると。
ならばやってみせよう。命を大切に思う意識を興奮で忘れ、冷静な頭で相手を殺すための手段を導いて見せよう。
この相手から得た知識と経験を再確認、男が繰り出す攻撃はあくまで力そのものを活用したものだ。
相手よりも力強く、相手よりも早く、そうして今までいろいろな人々を殺してきたのだろう。
否定させてたまるものか、前世の武術を。
それらは確かに人を殺すための技術ではなかったかもしれない、でも人を御するには十分な技術ではあったはずだ。
相手を傷つけるための手段ではなく、傷つける上で精神的な高みを目指すそれを、僕は否定されたくなかった。
再び繰り出される攻撃。それを僕は下から剣で巻き上げる。
これは剣道で培った技術。
試合で決まればとても派手で気に入って練習をしたものだ、文字通り竹刀を巻き上げ宙に弾き飛ばすそれに僕は見入られ一心不乱にその技術を磨いた。
そしてある時気づかされる、巻き上げは例外を除いて対峙する相手にとって失礼な手段だと。
油断をしている相手に活を入れるためには適切な方法だ、けれど目上の者にとってそれは無礼以外の何者でもない。
それを理解した時僕は剣道をやめた、今まで積み上げてきたものを否定された挫折で逃げ出したのだ。
でも今この瞬間、その技術は僕を勝利へと繋げる。
確かに体格差もあり、また一撃一撃は重くそう何度も剣で受け止められるものではない。
それでも相手には慢心があった、自分の半分も生きていない子供に負けるはずがないと。
そこに付け入る。対格差もあり重い一撃を、武器を手放すほど効果的に剣で行えるわけがないその無意識に。
相手に一瞬の隙が生まれる。剣が飛ばされ姿勢を崩し、無防備な姿を見せさせることには成功する。
僕はその時点で剣を投げ捨てた。
相手が刃物を持っていないのなら僕にはそれが必要なかったから、ユリアンの方向へ投げ捨てたのだ。
彼は僕の意を汲み、拾った長剣を構えてより対等に相手と渡り合う。これでしばらくは持つはずだ。
その行動に男の目が驚愕に開く、そして僕に抵抗させまいと空いている手を伸ばし牽制程度の威力しかない拳を振るう。
それも子供の僕には十分有効的な一撃だろう、でもそれはあくまで生き物の本能的な反応でしかない。僕の行動に驚いた体が、脳に信号を送る前に肉体だけで相手を害することで敵を制御しようとした賜物だ。
僕は、心を学ぶ武術から得た技術で、人間性を維持したまま相手を暴力で屈服させたいのだ。
空いている手で巻き取るように拳を払う。
これは空手の技術。
力に技で対抗し、真正面から受け止めず最低限の動作でそれを往なす。
無防備な体に掌底で衝撃を叩きこむ、胸にめり込んだ手のひらは内臓へ確実にダメージを募らせる。
そのまま空いている手を掴み取り、片足を払いながら背中に持ち上げる。
これは柔道の技、魔力により本来難しい一本背負いを少女の体はやってのける。
ただし本来のものとは違う点は、僕の体も前宙のように浮かし投げ飛ばした男の上へと着地した点だ。
すかさず帯電。
《死ぬまで踊れ》
夢幻舞踏。はじめからこれが狙いだった。
密着し、確実にそれを当てることで数的に互角な僕達は勝利へと近づく。
最初は僅かな痛みかもしれない、それこそ体が僅かに痺れる程度の。
でも時が経つにつれそれは変わる。
はじめは1の痛みも、相手から反発する魔力を利用し、摩擦する際には2に上がっている。
次に僕から魔力を送ったときには4、次は8。
双方が同等の痛みを感じることは体の成長が劣っている僕に不利かもしれない、けれど何度もこの痛みを味わったおかげで僕には耐性がついている。
案の定はじめは痛みに苦悶の声を漏らしていた彼も、気づけば全身に電流が周りきり既に言葉を発することもできていなかった。
もう、いいかな。
男の呼吸は虫の息、いや呼吸を満足に行うことすらできていない。
止めを刺す必要もない、しばらくは動けないのだ。このままユリアンに加勢して、状況が好転すればそのまま僕達の勝利だ。
その時虚ろだった男の視線に再び光が宿る。
それは命に対する執着か、痛みを与えた僕に対する妄執か。
人間性に、殺されるぞ。
誰かが耳元で囁いた気がした。
それは男の声だった、きっと前世で発していた僕の声だったのだろう。
痺れている体にしては奇跡的なほどに素早く、腰につけている短剣を抜き取り僕の首元へ向かう刃。
襲い来る凶刃を強く殴打し防ぎ、手首を捻り武器を奪う。
「死ね!」
今度は、躊躇わなかった。
奪い取った短剣を振り下ろす、下ろした短剣の代わりに血液は舞い上がる。
「死ね!」
無力化するだけではまだ危険性が残る、その万が一を殺すため、僕は目の前の男を殺す必要があるのだ。
「殺す!!」
指笛の音が聞こえる。
甲高い音色がルゥが相手をしていた人間から響き、ユリアンの相手も森の中へと逃げていく。
この場に残るのは僕達四人と、コウが爆殺しただろう無残な死体。それに僕が何度も短剣を突き刺したもう動かない男。
「お疲れ、アメ」
「はっ……はは、ははは!」
駆け寄ってきたルゥの言葉に笑いしか込み上げてこない。
おかしい、本当におかしいことだ。
「流石に人を殺めることはつらかった?」
問いかけるルゥの表情にいやらしい笑みは浮かんでいない。
ただ僕の心配をする母のような優しい笑顔。
「そうじゃないよ、何も感じないんだ。そう、何も」
たくさんの大切な人々を失い、多くの死を目撃して、大量の獣を殺し糧を得て、気づけば人を殺しても何も思わなくなっていた。
これがおかしくなくて、一体なにがおかしいというのだろう。
「ははっ……」
掠れた笑いが零れる。
僕の体は返り血で真っ赤だ、そこに僕の血液は一つも無い。
完全に無傷で、心を豊かにする武術を使い、人と戦うことに長けた人間相手に勝って見せた。
むなしい、おかしい。どうしてせかいは。
コウとユリアンも駆け寄ってくる。
ユリアンが持つ長剣も血で濡れているが、彼が相手をしていた人間は逃げていった。
つまり護衛される、リーン家の血筋を絶やしたくない彼だけが、人を殺めていないことになる。
そんな彼が僕の隣に屈み、長剣を地面に置く。
そしてたった今、人を殺してその血で真っ赤に濡れている僕の手を、殺人者の手をユリアンが取り一言告げた。
「ありがとう」
「……はい」
その言葉を聞き、僕は割り切れない何かを飲み込むことができた。
守れたんだ、ユリアンも、幼馴染達も。
なら、いいじゃないか。
- 人間セイの武器 終わり -




