63.環の内にある理外
「もう、少しだと思う。日数や歩いた距離を考えて、あと一週間もあれば十分王都にたどり着けるはず」
ある日の夜。
疲労を顔に出しながらルゥがそう呟く。
ユリアンの疲労も隠し切れない段階に来ている、僕とコウはまだまだ大丈夫だが二人はそろそろ余裕がないだろう。いや、むしろここまでよく持ったものか。
「町の位置関係、それに俺が体感で感じている距離を考えても、ルゥの意見はほぼ間違いないと思う。あと少し、だから頑張ろう」
コウが焚き火に薪をくべながら意見を言う。
僕はようやく森の中で迷わなくなってきた段階なのでよくわからないが、二人がそう言うのならきっと大丈夫だろう。
「調味料、遠慮せずにもう使っていいですよ」
だから僕にできるのはユリアンを気遣うことだけ。
「貰えるのならありがたいが、皆は大丈夫なのか? 今まで全然使っている様子がないのだが」
「ルゥは犬肉大好きですし、僕とコウは慣れているので使わなくても大丈夫です。それに体力にも余裕があるので、精神的に少しでも落ち着けるのならユリアンさんが遠慮せず使ってください」
僕の言葉にユリアンは短く礼を告げ、気持ち少し多めに調味料を食べ物にふりかけて美味しそうに口に運ぶ。
体力も精神力も似たようなものだ、どちらかが欠けてしまえば人は人として活動をできなくなる。
そして僕達四人は誰一人欠けることも許されない。
ルゥはユリアンを守ると言うし、僕達は幼馴染を失いたくない。
ならば一人が四つ集まった運命共同体ではなく、四人を四つに分けている命の塊だ。倒れるのなら皆一緒がいい。
「少し席離れるね」
そんな実感を確かめていると、ルゥは一人暗い森の中へ入っていった。
きっとお手洗いだろう、満足な食事を取れたことに幸福を感じながら見送る。
冬の行進は酷かった。
- 環の内にある理外 始まり -
「あ、おかえ……」
少し焚き火から離れた場所で薪を作っていると、反対側の茂みが揺れて人影が見える。
そこはルゥが入っていった場所で、きっと彼女が帰ってきたのだろうと思い声をかけたが最後までは言い切れなかった。
確かに彼女は帰ってきた。
けれど余分な人間を一人連れて。
コウとユリアンは元より視界に捉えている。
そして出てきたのは片腕を掴まれ簡単に拘束されたルゥと、彼女を掴まえている大人の女性だった。
こんな場所で人と出会うことはまずない、そして出会ったとしてもルゥが拘束される必要はまずない。
万が一あるとしたらそれは、冒険者仲間でも野盗でもなく……
「おっと、動くなよ」
臨戦態勢を整えようとしたら僕の背後から声がして片腕を掴まれ背中に押し当てられる。
力を入れようとすれば入れられる簡単な拘束だが、恐る恐る振り向き見上げると中年の男性だった。
体格はしっかりとしていて、とてもじゃないが真っ向から対抗できる相手ではない。
拘束された僕とルゥの間。
焚き火の傍で休んでいたコウとユリアンは既に抜刀していて体勢を整えているが、呆気なく掴まってしまった僕達という人質がいるからには逃げ出すことすら叶わない。
それどころかもう四名、僕達を四方から囲むよう焚き火を中心に男が集まってきた。
片側二名、反対から二名。もう二箇所は僕とルゥを拘束している人間が一人ずつ。計六名か。
「夜分に済まないな、子供達。用件はわかっているよな?」
リーダー格なのだろうか。代表として二人並んでいる男の片方が口を開く。
「用件って……なに?野盗以外ないでしょ? 持っているもの全て渡していいから、二人を解放してほしい」
コウがとぼける様子を確認しつつ、何とか跳ね回る心臓を落ち着けようと努力する。
右手は拘束され、左側は僕を拘束している男が持つ短剣が喉を狙っているのがわかるが今のところ傷は一切つけられていない。ルゥに至っても同様だ。
「おいおい、理由も伝えずに護衛をさせるほどリーン家のお坊ちゃまは酷い人間だったのか? それともお前達の頭が足りていないのか? 多額の報酬を口頭で伝えられただけで、ほいほい安請け合いしてしまうような」
リーダー格の言葉を聞き安堵する。
常識的に考えたのならそんな可能性あるはずないのに、それに至れないのは僕達の行動が常識外れだったのか、それとも無知な子供と足元を見ているかだ。
現に拘束は非常に緩く、武装解除をしていないどころか抵抗しようと思えばどうにかできる段階だ。
「……どういう、こと?」
「どうもこうも、お前達が守っていたそのガキは悪いやつだったんだよ。
正確には父親が人殺しでな、一家全員もそれを見咎めたりしなかったんだ。
俺達はその被害者の家に頼まれて、こうしてリーン家のガキを探していたのさ」
驚愕したようにコウがユリアンを振り向き、視線を集めた彼は黙って目を伏せる。
ユリアンもそうだがコウも中々の演技派だ。多才だったがこれほどまでに素直な彼が演技をできるものだっただろうか。
「俺達はそいつに謝らせるために町へ連れて行く、お前達三人は何もしなければ無闇に傷つけたりはしない。
俺達の目的と、お前らがどうすればいいのかはわかるな?」
「いや、でも……」
コウは迷いを体で表すように構えていた剣を徐々に下ろし始めている。
どう謝らされるのか、そして首だけ連れて行けば十分なのかを想像してユリアンも動揺を示し始めている。
予定通りだ。
いくつか想定していた追っ手に捕まったときのパターンの一つ、それもかなり温い方の現実が襲ってきた。
僕達を取り囲む人間が未だに手を出して来ないのが良い例だ、本当にユリアンが必要ならば目撃者を皆殺しにしてまででも事を済ますべきだ。
そうしないのは子供を舐めているのか、それとも本当に穏便に済ませたいだけなのか。
……後者だと申し訳ないが、そこに付け入れさせてもらおう。
改めて人数の確認。
目視できるのは六人、探知魔法は使えない。戸惑う僕らがそんな冷静な行動をしてしまったら相手に付け入る隙がなくなってしまう。
正面から戦うのは愚作、けれど逃げ切る程度ならば二人多いのはそんなに大きな戦力差ではない。
王都へ向かう南東と北西は二人の男が阻んでいるので、北側が一番手薄になるのか。
テイル家の私兵と思われる人物達は動揺するコウが決断するのを丁寧に待ってくれている。
そして、僕の仲間たちは僕が決断するタイミングを待ち続けている。
あえて声を振るわせつつ深呼吸。
思わず止めていた呼吸を再開するような荒さを演じてみたが、半分はきっと本当に自分の意思だったと思う。
今行われているやり取りは命のやり取りだ。獣との争いではない、人が、人と争う。
ルゥを見る。視線が合ったとき彼女の口が動く。
どうするの? と。
相手が無条件で襲い掛かるような相手ではないのなら、僕達はユリアンを差し出すことも考えていた。この方針は本人も了承済みだ。
けれどそれは戦力差が大差の場合のみ。
そして子供四人と大人六人はそれには含まれない。本来は諦めていた戦力差だろう、でも一ヶ月ほど共に過ごしたユリアンとの日々がその戦力差を埋める。
父親を尊敬し、自分自身を信じ、無理を押し通してでもリーン家の血筋を絶やさないと決意した男の子。
憧れていた冒険に胸を躍らせながらも、失った大切なものの痛みに堪えながらつらい行進を続けたユリアン。
コウと楽しそうに笑い、ルゥと興味深い会話を楽しみ、過ごした時間の少ない二人のよくわからない好意に戸惑っていた。
運命が違えば一緒に冒険者として活動したかった、そう言った彼の表情を僕は未だに覚えている。
ユリアンは殺せない。
たとえ他の人間を殺してでも。
少なくない戦力差など押し通して見せる。
僕はルゥにいいよ、そう口の形を変えただけで告げた。
緊迫した空気の中ルゥが動く。
拘束されていない片手で短剣を抜き、あくまで自然に動く。
僕は彼女の動きを見ていた、僕を拘束している男もきっと見ていた。当然ルゥを拘束している女性も何をしているか把握していたはず。
でもルゥは動き続ける。
誰も彼女の行動が異常だと指摘できない、確かに認識しているはずなのにそれが呼吸をするように当たり前の行動かと錯覚してしまう。
空気は止まり続けている、いや、正確には動き続けているのだ。
誰もが動き続けている、ルゥが行動していなければ行われていただろう空間が、ルゥが動き続けているこの場に存在し続けている。
異常なのは僕達なのか、それとも彼女なのか。
わからないままルゥは短剣を突き立てる、自分を拘束しているはずの女性の心臓に深く深く突き立てる。
女性は無防備なままそれを受け止め、確かに自分に突き刺さる刃を視認する。
でもそれに悲鳴を上げることすら叶わない、さも体から生える短剣が自分の一部かと誤認しているように。
ルゥは躊躇わなかった。
僕が決断をしてから、彼女は人を殺すことに一切の躊躇いを見せなかった。
そしてまた、躊躇わずに剣を捻りながら引き抜く。歪に歪んだ傷口から血液が溢れ、それが致命傷だと僕は気づく。
魔法があるこの世界。心臓に傷がつけられてもどうにかなることは多い、けれどそれは何かしらの体勢を整えていたり、傷が浅いものに限る。
そしてこれは、例外だ。
「……っ!? お前らやれ!皆殺しだ!!」
女性が膝をついて初めてリーダー格が叫ぶ。
もう命が消え始めている女性が地面に倒れこんだところで、ようやく場の時間が動き始める。
「しんがりを務める。みんな走って!」
真っ先に動いたのはルゥだ。
血に濡れた短剣をそのままに、もう一本短剣を抜いてリーダー格の男達へと走り始める。
次にコウとユリアンが彼女とすれ違うように森へと走り始める、それを止めようとした男二人と交戦しながら二人は森へと消えていった。
対して僕は拘束されている右腕に力を入れたが、相手の動きも早く膠着状態が生まれる。
それを打破するよう相手の短剣が喉元を狙うが、何とか空いている左手でそれを押し留める。
本当は腕を掴むはずだったがそんな余裕はなく、刃を直接握ってしまうが喉に穴が空くよりは何倍もいい。
魔法があるとはいえこの位置に力の差、喉という弱点に突き立てられたらそこで終わりだ。手のひらから溢れる血液は徐々に増えているが最悪の事態は避けられた……まぁどうにかしなければ時間の問題だろうが。
「ふざけた真似をしてくれやがって! 全部演技のうえ、おかしな手段でフルートを殺りやがったなっ」
リーダー格の男が仲間と共に叫びながらルゥに襲い掛かる。
僕を助けてくれる可能性と思った彼女はそもそも一対二だった。相手を倒すことを目標ではなく、生き延びることを最優先に戦っているが時間の問題だろう。どうにかしなければならないのは僕だ、自分の状況をどうにかして、その上で彼女を助けなければならない。
左手は相変わらず出血を増やしながらも短剣を食い止め、右腕は捻じ切られないよう堪えるので精一杯。
打破する可能性はやはり魔法か。一番効果的なのは雷、それも夢幻舞踏なら接触していることが魔力の反発を逆に利用し上手く活用できるはず。
けれどあれは僕自身も少し痺れる、その少しがかろうじて食い止めているこの短剣が望む先へ届いてしまうリスクを考えると本当にその選択で正しいのか悩んでしまう。
「くっ……」
二人の攻撃を凌いでいたルゥに、少し深めの傷が入る。
血飛沫が舞ったのを確認し、彼女はコウ達が走っていった森へ逃げていく。しんがりはどうした、僕がまだ残っているぞ。
「こっちはいい、お前はさっさとあいつらを追え! すぐに向かう!」
僕を拘束している男が、ルゥをリーダー格と一緒に追おうとし一瞬こちらを伺った男へと叫ぶ。
男は頷くと皆と同様暗い森へと入っていった。
僕はこれまで十分に思考をする時間を与えられていた。
つまりそれは僕の相手も十分に何か策を練れているということでもある。
あまり時間の猶予はない、ユリアンは戦力に数えにくく、また同数とはいえ相手は人と戦うことになれた大人達だ。
少しでも皆が生き延びれるためには、僕が早急に加勢しなければ難しいだろう。
考えている時間はない、リスクは背負えない。
そんなわがままに飽きて、僕は考えることも止め本能に従う。
手も魔法も駄目なら足だ。
右足で相手の右足を思いっきり踏みつける。無論これだけではたいしたダメージにもならないし、状況は変わらない。
けれど軸足は片方に傾く、左足を相手の内側から差し込みそのまま掬い上げる。
魔法で肉体を強化できるこの世界、相対的に体重優位さは薄れる。
それに人の体をしている以上覆らない前提、少しでも体が浮けば体勢は崩せるのだ。
何も投げ飛ばす必要はない。
少し背中で持ち上げ、横にずらして落とすだけ。受身などで対応ができないのであればこれが決定打となる。
「こふっ……」
背中から地面に衝突した男は肺から空気を吐き出してしまう。
衝撃に、ほとんど空気の入っていない肺。
僕は追撃を止めない、再び踏みつけ。
頭を潰す、首を折る、心臓を破壊する。
致命傷などどれでもよかった……でも僕はそれを咄嗟に選ぶことができなかった。
ミシっと骨の砕ける感触が足の裏から伝わる。
片足を粉砕されても抵抗を続けられた男の攻撃防ぐため、無造作に斬ろうとした短剣も足で蹴り飛ばす。
都合よく短剣は僕達が居た場所の中心、焚き火の傍へ転がっていくのを見て僕はそこへ走り短剣を回収する。
そしてそのまま倒れている女性の腰についている長剣を鞘と共に引き剥がし、女性がもう既に息がないのを確認して僕も森へ走ろうとする。
不意に背後から感じる魔力の流れ。
振り向いても何もそこには何も存在しない。炎も、水も、土も何も……風か。
鞘を被せたまま長剣に魔力を纏わせ、注意深く視認しようやく見つけられたかまいたちを防ぐため剣を薙ぐ。
上手く相殺できたのか僕の体に傷はない、この場に残っている男は片足を砕かれ魔法で攻撃しようとしているが僕にこれ以上ここに留まる理由はない。
奪い取った短剣と長剣を手に皆の後を追うことにする、骨折が治りきるまでには二、三分の時間が必要だ。それまで彼は追って来れない、そしてその僅かな時間は僕が彼から逃げ切り、他の人間に接触するのに十分な時間だ。
- 環の内にある理外 終わり -




