61.形の違う穴に入るモノ
「あっ……」
目前広がるは桜の様な木々。
丁度時期が合っていたのか、満開に桃色の花びらを咲かせ、風に揺られ美しい吹雪を散らすそれは僕の胸を締め付ける。
懐かしい。
そう感じるのは日本人だった僕だけだろうか。
記憶があれば懐かしいと感じるのか、それとも日本人の血さえあれば桜を見たことのない人間も哀愁を覚えるのだろうか。
転生の正体に少し近づけそうだった。でもその感覚はこの光景を美しいと感じる心を邪魔すると思い、僕は思考を放棄しただただ目の前の光景に魅了されることにする。
「アメ、構えて」
呆然と立ち止まっていた僕にコウが声をかける。
意識を自分の中に戻し、辺りを見渡すと三匹のウェストハウンドがこちらを囲んでいた。
なんてことはない。
そう時間を必要とせず僕は二匹の犬を感電死させ、残った一匹はコウが斬り殺し桃色に彩られる地面に赤を添えた。
- 形の違う穴に入るモノ 終わり -
「やはり凄く不味いな」
桜を眺めながら、狩ったばかりのウェストハウンドを食べているとユリアンが呟く。
ハウンドは不味い、ウェストハウンドは凄く不味い。
基準が明確だ、僕も異論はない。
「どうぞ、少しマシになると思います」
不味いと言いながらも、しっかりと栄養を補給するユリアンに僕は持っていたカレー粉を渡す。
王都に着く日数を考えるとまだ温存しておきたかったが、今の今まで使わなかったし何より頑張って食べ続けているユリアンへのご褒美だ。
「おぉ、食えなくは無い味になったな。ありがとう」
「いえいえ」
瓶を受け取るが大して量は減っていない、何も言わなかったが欲張らず最低限しか使っていないようだ。
前世でもカレー粉やマヨネーズさえあれば何でも食えると言われていたが、この世界でもそれは通用するみたいだ。マヨネーズは見当たらないんだけどね、この世界。
「皆は使わないのか?」
「わたしこの味が好きだし」
ユリアンの問いにルゥは微笑む。
僕とコウはいつかの飢餓を思い出せばなんでも食べられる体になってしまった。
ならば少しでも味をマシにする調味料はユリアンに回すべきだ。彼はきっと慣れない旅路で消耗しているだろうから、少しでも楽しみを増やしてあげたい。
「綺麗、だね」
「……うん」
コウの言葉にみんなにも見せてあげたかった、そんな言葉を飲み込む。
故郷の皆もそうだが、この景色はスイやジェイドにも見せてあげたかった。
二人の髪色と同系色の花びらは、きっと二人に言葉にできないような感動を与えられたはずだ。
「さっきの戦闘、ユリアンさん凄かったですよ。おかげで楽に勝てました、ありがとうございます」
もうどこにもいない仲間のことではなく、今ここいる仲間に意識を向ける。
心に空いてしまった穴に、違う形をしたもので埋めようとする行為だが何もしないよりはいいだろう。
人が生きていたら空いてしまうどうしようもない穴だ、きっとこれからも似たような経験を積んでいく。
「そうか、少しでも役に立てたらよかった」
先手を打ち僕が閃電で一匹を仕留めると、ルゥが止める間もなくもう一匹がこちらへ向かってきた。
その時ユリアンが間に入り閃電を溜める時間を稼いでくれて、また充電を終えると僕が何かを言う前に射線を開けてくれた。
本来ならルゥがユリアンを守る中僕は逃げ回り、コウが対峙しているウェストハウンドを討伐するまで時間を稼ぐ必要があった。
新しい敵などのイレギュラーさえなければ誰も危険がない手段だが、時間のかかる面倒くさい戦略だったのでそれを省略できたのは大きい。
一瞬とはいえ短剣一本で肉薄したユリアンに傷はなかった。
ここまで戦えるのであれば長い武器がコウの剣以外にないことが悔やまれる。まともな武具さえあれば護衛対象であるはずのユリアンを戦力として数えることが可能だったかもしれない、それこそコウと並び前衛として立たせることができるほどに。
もちろん数の多くない獣相手限定だが、少しでも安全性を増すための可能性を潰してしまったのは悔やまれる。
捨てたルゥの槍でも持たせられたのなら丁度よかっただろう。まぁあの時は余裕を持って竜から逃げられるとか、ルゥがまた槍を持てる体になるとか想像できなかったので仕方のないことだが。
ただ僕の短剣を渡しておけば最低限自衛できるほどの力を発揮できるのは助かる、これならルゥを前線に送りユリアンは僕と共に後ろで戦える余裕が出てくる。
「ウェストハウンドって名前初めに付けたの誰だろうね」
ユリアンの能力を見据え、戦術面を皆で見直した後にルゥがそう呟く。
レイニスの西にいる大きなハウンドだからウェストハウンド、そう呼ばれているが北にいようが今南にいるハウンドもウェストハウンドだ。
恐らく開拓の進んでいない時期に、その地域特有の名称として名付けられたのだろうが実際は人里離れると大きく成長したハウンドはどこにでもいる。
ウェストの部分をビッグだとか、ワイルドとかに変えるべきだろうが今更それを国かどこかが決めたところで民衆に伝わるかは怪しい。
「王都の西だからウェストでいいんじゃないかな」
適当に返事をする。
正直どうでもいい。
「おぉ、これが川というものか」
「そうですね、間近で見るの初めてですか?」
「あぁ」
ある日行進を続けていると川に当たった。
今までも近くにあるような気配を感じていたり、崖を登ったときなど遠くに見えることはあったが特に用事はなかったので無視し進んでいたので間近に見るのは初めてだ。
食糧には未だ困ったことはないし、水は魔法でどうとでもなる。
「今日はここで休みましょうか。見晴らしもいいし、息抜きしましょう」
ユリアンの瞳に映る感情。
それがいつか初めて川を見たコウと同じだったのでそう提案する。
それなりに開けているので襲撃された時にもすぐに対応できるはずだ、川そのものを楽しんでもらおう。
「わたし達もわたし達で楽しもうか。女の子らしく、ね」
ルゥがそう言いながらソックスを脱いで、楽しそうに川へ走っていく男二人の背中を見る。
女の子らしい楽しみかたってなんだろう、個人的には足を冷やして涼む程度でいいのだが。
そう思いながら少し遅れルゥの後に続くと、彼女は男連中と変わらないように川へ入っていく。
性別で何が違うんだ、少し騒がしくない程度ではないだろうか。
「……?」
川辺で靴を脱ごうとして少し疑問を抱く。川へ入っているルゥの足元に魚影が見えるのだ。
普通川へ人が入ったら魚は警戒をすると思うのだけれど、人里離れているどころか獣もあまり近づかない川なのだろうか。
そう思い靴を脱ぐ動作を中止し、数歩近づき水面を覗き込む。
すると足元の岩から水中へ振動が伝わったのか、魚達はすぐに逃げていってしまった。
また距離を離し、ルゥに尋ねようとする。何か逃げられないコツでもあるのだろうか。
「ルゥ……」
「アメさ」
「ん?」
口を開くと遮られるように名前を呼ばれる。
「たまには違う肉を食べたい?」
肉。
肉といえば犬肉だ、町を離れてから肉は基本的にそれしか食べていない。
たまに鳥を食べる機会もあるが、町で食べられるようにプリプリした肉は基本的に期待できない。
「そりゃまぁ違う肉も食べたいけど」
「そっか」
僕の感想にルゥは素っ気無い返答に水面を見つめる。
そして一呼吸置く時間、自然の環境音に耳を安らがせているとルゥの左手が素早く動いた。
飛んでくるそれに僕は反応できず、顔面に生臭い物体の直撃を許してしまう。
地面で暴れるのは一匹の魚。
それを確認し、顔に張り付いた一枚の鱗を剥がし捨てながら呟く。
「……熊か」
魚を捕まえるといったら釣竿や網、それか罠だろう。
もしくは銛か……少なくとも素手ではない。
「どう? 凄いでしょ」
そう自慢げに胸を張るルゥの足元には、仲間が飛んでいったにもかかわらず警戒心のなくゆったりと泳ぐ魚達。
凄いかどうかと聞かれたら凄いだろう、ただそれ以上に違和感が大きい。それは自然の摂理として間違っている、と。
「魚って痛覚あったっけ?」
足元で暴れるそれを見て僕は尋ねる。
「さぁ? わたしはあると思うけど」
「……たとえ痛みがなくとも、水がない環境、今までとは違うってのは精神的に痛い、だろうね」
今こうしている魚も、水がないという異常に痛覚が無くとも苦しさは感じているはずだ。楽にしてあげられるのなら早目がいい。
「短剣貸して、それと絞め方も」
「ほい」
短剣を真っ直ぐに投げ、僕に突き刺すよう渡してくるルゥ。
受け取るのはそう難しいことではない、視覚を強化し世界の速度を緩くし、感覚を敏感にして上手く掴むだけだ。
ただ回転させず、武器として扱えるように刃物を投げるのは難しい。
どうしてもある程度の才と、それを活かせるための訓練が必要になる。
僕や、おそらくコウにもできないことだ。魔法があるこの世界、弓や銃ですらまともに扱われていないのに投擲武器などそれこそ趣味や暗器ぐらいしか使い道はない。
物好きもいいものだ。完全に努力の方向性を間違っているだろう。
「お腹いっぱい。ありがとね、コウ」
その日の夜。
河原で野営し、昼からコウが見つけた酸味のある果物で味を染み込ませた魚のマリネを堪能する。
スイがいなくなってしまった今、繊細な料理をできるのはコウだけだ。
村で覚え、町でも宿の仕事を手伝ったり口にした食事のレシピからいろいろ学んでいた腕は未だ衰えておらず、野外で食べる料理としては破格の美味しさだった。
「うん。楽しめたのなら俺も嬉しい」
僕の言葉に一番女子力の高い少年は破顔して笑う。
この調子ならば僕が料理を覚える機会はないだろう。
まぁ大丈夫だ、大体調味料かけて焼くか煮れば野営するときには困らない。
「これだけ美味しいと川から離れたくなるね」
魚は痛むのが早い、川をなぞる様に王都へは向かえない。次に川を見つけられるのはいつか。
まぁ町へ着けさえすれば食べたいものが食べられる環境へ入れる、少なくともどんな安い肉でも犬肉よりはマシだ。
「強欲は罪だ」
ルゥが星空を眺めてそう呟く。
責める口調や何かを説く様子は無く、どこか御伽噺を語るように楽しそうに。
「暴食じゃなくて?」
「うん、強欲。残り五個は言える?」
僕の問いにルゥは答えだけ教え、その理由は伝えてくれない。
そしてそのまま星を見ながら、問いを返してくる。
「怒り、妬み、色欲……傲慢……あとなんだっけ」
「怠惰」
思い出せなかった答えを渡してくる少女はまだ夜空を見上げ続けている。
「なんだ、それは?」
疑問を覚え尋ねるユリアンと、同様の瞳をしたコウの視線。
「えっと、人が犯す罪……違うや、罪を犯す原因になる感情ですね」
僕の言葉に二人も空を見上げ思考に耽る。
一を伝えれば十にたどり着ける二人だ、新しく得た知識で見識でも広げているのだろう。
「で、どうしたの、突然。説教? それとも意地悪?」
一から十まで説明してもらわなければ僕は十にたどり着けない。
一見脈絡のないようなルゥの言葉に、僕はその説明を求める。手法を理解しなければ、結果を与えられても意味がないだろうから。
「別にどっちでもないから構えないで。まぁ何かはわたしもよくわからないんだけど」
ようやく視線を地上に戻し、ルゥは僕と視線を交わしてそう呟く。
「なにそれ」
「なんだろう。感覚的には昔話、噂話、あるいは神話、そんなものを喋っている気分」
うわ言の間違いじゃないだろうか。
「まぁ興味がないなら聞き流してもいいよ。興味があるならいつか役に立つ……かもね」
そう前置きし、改めて言葉を並べるルゥ。
「強欲は罪だ。そして無欲もまた、罪である」
それは、どういう意味だろう。
前者はわかる、ただ後者はよくわからない。
前世では我慢やストイックな生き方は美徳とされていた。浪費をせず、宗教的には罪源にも繋がらないそれは、実現できるであればお財布にも喜ばしいことだろう。無論実用的に実現できれば、の話だが。
「強欲は罪だ」
ルゥは繰り返す。まるで誰かに言い聞かせるように。
彼女は説教ではないと言っていた、だからそれは恐らく自分に言い聞かせているのかもしれない。
「一の幸せを持っていたのに十を与えられれば、一では満足できなくなる。
十を得れば、次は百を求める。そして、いつしか今持っている物の価値を忘れ、次に得た幸福も感じなくなってしまう」
求めて求めて、気づいたら幸せなはずなのに常に飢えを感じてしまう。
強欲の成れの果て、か。満たされて求めていたはずなのに、気づけば器は大きくなりすぎて、そこに貯まっているものを感じ取ることすらできなくなる。
まぁ極論だろう。そこまで幸福を得続けられる人間はいない、不幸もあれば幸福を忘れるなどまずない。
「無欲は罪だ。一を得られれば一で満足し、十を得られれば十で満足する。そこに欲求は存在せず、また成長も存在しないだろう」
「は?」
いや、いやいやいや。
言いたいことは何となくわかった、欲というのは前に進むために必要なものだ。
あれが欲しい、そしてそこに辿り付くまで歩こう。スポーツがわかりやすい、記録を出すために人は反復作業を行い、体の破壊と再生を繰り返し、そして成長する。きっと結果は出せるだろう、求めていたものと同等かは知らないが、少なくとも努力した分だけ。
まずそんな人間が存在しないのもわかる、そして僕やこの場にいる誰かがそれに該当しないこともわかる。
ただわからないのは、何故強欲と並べてその言葉を繋げるのかだ。
「え、どうしろっていうの?」
求めるな、幸福で溺死するぞ。
求めろ、成長に繋がらないぞ。
時と場合という言葉がある、おそらくその二つは共に世の真理だ。おおむね正しく、多くの場合人を救う。
八方美人とは言わないが、度が過ぎた人間に適切なほうの言葉を渡せばその人は変われるかも知れない。
時と場合という言葉がある。
少なくとも今この人間がいる場で、その二つを同時に、同じ話の中で語るのは間違っている。
「別にどうもしないよ。求め過ぎず、求めなさ過ぎず、ほどほどにって」
少女は語る。中間ぐらいが丁度いい。
少女の目は語る。本題はこれではない、まだ喋る事はある。
「でもさ」
「うん」
「強欲って感情的なものだよね? なら無欲は人間的な部分」
まぁそうだろう。
獣のように、なんて言い回しがあるほどだ。
何かを求めることが感情的で、動物的なものだと定めるのなら、その逆は理性的な人間性のある部分だ。
律することは人の特権、知恵と同様に自身を制御することで獣から脱出するための手段の一つ。
「それを入れ替えたらどうなるんだろうね」
「どういうこと?」
僕の質問にルゥは芝居がかった口調で再び空を見上げる。
「理性で吠え、感情でそれを制御して見せろ!」
その言葉にコウとユリアンが視線を降ろしてルゥを見る。
「どうなるかな? おもしろいと思うんだけど、どうだろう」
ルゥの視線は夜空を向いたまま、鈴を鳴らすように笑った。
「ルゥってさ」
彼女はいつも楽しそうだ。
不満げな表情を浮かべることはあるものの、抑えきれない怒りや悲しみを顔に出すことはまずない。
行動指針もシンプルだ。第一に楽しく、第二に他者への関与を最低限に。
「面倒くさい生き方をしてるよね」
ルゥも視線を降ろし、この会話を始めて、ようやく全員の視線が地上へと戻る。
そして彼女は口を開いたのだ。
「アメには言われたくないよ」
- 形の違う穴に入るモノ 終わり -




