6.科学的な非科学
魔力は気持ち、魔法は三本目の腕。
翌日彼女は僕達にそう言った。
それがわかれば後は簡単だとも。
それがわからないから今まで使えていないと反論したら、
「だよね」
と笑いながら彼女は腰の短剣を取り出した。
「ちょっと痛いけど我慢できる?」
「頭大丈夫ですか?」
思わず口が滑る。
家の裏にある木の陰で、こうやって授業を受けているのだが、この様子を他の人が見たら問題だ。
昨日やってきたよそ者が子供を刃で傷つけようとしているのだ、間違いなく捕まる。
「いや、身の危険があったほうがわかりやすいかなと」
「村から逃げる準備をしてからやりましょうか」
「それは嫌だ、うん」
そう言いながら短剣を鞘にしまう。
そして片手を出し、その手のひらの上に水球を作ってみせた。
「これどうやっているかわかる?」
それを知りたくて学ぼうとしているのだ、そう言いかけて口を閉ざす。
考えないから、想像しないから、今まで魔法が能動的に使えていないのではないかと。
「魔力で水を作ってる?」
「んーはずれ。腕があっても無いものは掴めない」
抽象的過ぎる。
「……ん? 水って見えないだけで、その辺にあるの?」
コウが問いかける。
あぁ、彼はそこからか。
「そうだよ。土にもあるし、草や、空気にだってある。目に見えないほど、少しずつね」
「じゃあ、それを集めている、とか」
「あたり」
彼女はその答えに満足そうに頷き、水球を握りつぶす。
雫が弾け、地面に吸い込まれる前に、粒の一つ一つが集まり再び手の上で一つの塊になる。
「……うん、やっぱり切ろう」
その異常な行動を止める前に、ルゥは強引に僕達の指先を薄く切り裂く。
僅かな痛みと、赤い線から血が溢れ小さな球を作る。
「待って、すぐに治そうとしないで。落ち着いて、その傷口に何が流れているかを感じて」
感じる、といっても体外という逃げ場を手に入れた血の流れと、肉体の異常を知らせる痛みしか存在しない。
「うん、それでいい」
それを伝えると彼女は頷く。
「今から治すのを手伝うから、また感じて。さっきとは違う何かがあるから、目を閉じて、深呼吸して、わたしを受け入れて」
言われたとおりに目を瞑り、たいして荒くなっていない呼吸を少しでも整えようと努力する。
「いくよ」
一言告げ、傷口に触れる。
――確かに、感じた。
今まで意識したことの無いものを、彼女から流れ、そしてそれに呼応するように自分自身の体をめぐるものを。
「それが魔力、治したいって気持ちに魔力が答え、魔法という第三の腕がそれを行使した」
目を開けると傷口は塞がっていた。
ルゥは続ける。
魔法は本来できることを手伝うだけだと、不可能を可能にはしないと、ゼロじゃない確率、でも現実的ではないものを現実的な確率に変えるものだと。
水を集める魔法は、本来雲や草が水分を貯める動作を再現しているに過ぎない。
癒す魔法は、回復しえる栄養素や生命力を保有した状態で、その回復できる範囲内の自然治癒を加速させているだけだ。
身体能力を強化する魔法は、体が壊れないようにかかっている限界を外し、壊れた分だけ癒しているだけと。
これは魔法じゃない。
これは――科学だ。
浄水施設、医学、機械。
どれも少しは違うけれど、どれも本質は何も変わっていない。
- 科学的な非科学 始まり -
「でも切断した腕も繋げれるんでしょ?」
「うん。切断面をくっつけて、それが偶然いろいろなものが元通り繋がって、自然治癒するまでそれを維持する。それが理論上ありえるから魔法はそれを可能にする」
ありえないだろう、無数にある細胞が健全に動作するほど再現して繋がり、それが治りきるまで繋げておくなど。
でもゼロじゃない、数え切れないほど繰り返せばいつかはできる、それを魔法は必ず行う。
魔力で細胞一つ一つを繋ぎ合わせ、治癒能力を活性化させ、治す。
科学だと思って一瞬落胆した、十八年間見てきたものと同じではないかと。
けれど違う、発想と扱い方次第でこれは科学を超える。
「やってごらん、水を集めてみて」
さっき傷が癒える時に感じた源を想う。
どうか傷が治りますように、どうか、水が集まりますように。
想いに答え、心が魔力を吐き出す、任せろと。
広げた手のひらから想いは外に散り、無数にある水分を集め戻ってくる。
「……できた」
やり遂げた、奇跡を起こしてみせたのだ。
コウを見る、彼もまた水球を操り形を変えて遊んでいた。
視線に気づき、目が合う。思わず二人で微笑む。
ただ少し地味だな、そう思ってしまった。
アニメやゲームでの魔法はそれはもうドンドンバリバリで、もっと派手なイメージが植えつけられている。
今僕達がやってみせた魔法は小さな水滴が一箇所に集まるだけだ、それ自体は奇跡のようなものだが見た目のインパクトが少ないのは否めない。
「もう少し派手なものだと思っていました……例えば模様が出るとか」
頭に浮かぶのは魔法陣。
呪術的なそれが煌き動きながら魔法を放つ姿。
「ん、それもできるよ。見ててね」
僕が何を言いたいのかを理解したのか、そういいルゥは唱えた。
《来て、流れ行くというのなら》
彼女がそう唱えた瞬間、青白い光で複雑ではない魔法陣が足元に展開され、あっという間に水球が手のひらに出来上がる。
確かに水の塊だと認識できる大きさになった途端魔法陣は縮み、足の裏に吸い込まれるようしまわれていった。
「へぇ……」
「……」
僕は感嘆を漏らしたが、コウは言葉も出ない。
無理もないだろう、今まで扱ってきた魔法はあくまで自然現象の延長線上で、急に模様が描かれるとは思ってもいなかったはずだ。
「もう一回やってみるね」
夢に見たような光景に感動を抑える間も与えず、ルゥはもう一度詠唱して見せた。
《自然よ、わたしに水を》
しまわれた魔法陣は再び展開し、少女を包み込むようにくるくる回る。
先ほどとは逆の手に水を集めて見せ、二つの水球を両手に浮かべた。
展開された魔法陣は再び水球を作り上げるとしまいこまれ、そこにあるのは青白い色の跡形もない大地だけだ。
「一つ目と、二つ目。何が違うかわかるかな」
二つの水球を未だに崩さず、そう尋ねてきたルゥ。
「言葉?」
「……まぁそれはそうだけどさ」
露骨に呆れられた、少し悲しい。
「大きさ、というか魔力の量かな」
黙っていたコウがそう呟く。
驚いた、感動して言葉を失っていたと思ったからだ。
馬鹿か、僕は。僕の幼馴染はどんな時でも考える事をやめないことを知っているはずだ、たとえそれが悲しくて涙を流している時ですら。
「正解」
今度も感情を隠そうとはせず、驚いた様子でコウの答えがあっていることを告げるルゥ。
ルゥが言うにはこうだ。
魔力を言葉に乗せ詠唱する。
それが感情的であればより強力に、それが理論的であればより効率よく。
彼女がして見せた一つ目の詠唱は"来て、流れ行くというのなら"という言葉だった。
これは感情を込めたもので、普段より魔力を更に消費しより速く、より大きく水球を作るものだったらしい。
二つ目の詠唱は"自然よ、わたしに水を"だ。
水がどこから来るかわかる人間にしか発言できないそれは、確かに効果的に魔法を行使できるのだろう。
そう言われてみれば一つ目の水球は若干大きい、僕達にはわからないが魔力の効率は後者のほうが優れているはずだ。
「まぁこの詠唱はあまり使わないんだけどさ」
「何故ですか?」
「目立つし、言葉が必要なぶん時間がかかる」
魔法を日常で使うのならば、わざわざ人目を浴びたり独り言を言ってまで魔法を効果的に扱う必要はない。
魔法を戦闘で使うのならば、余計な警戒をされるうえ、言葉を喋る時間すら期待しないほうがいい。
ルゥがそう告げたことに対して僕はどこか落胆していた。
思春期はとっくに過ぎたつもりだったが、やはりかっこいいセリフや派手な魔法陣には多少なりとも憧れるものだ。
それを、その現実的な部分を魔法という夢を運んできたサンタクロースが、プレゼントは買ってきたと宣言したような感覚に近い落胆を覚えたのだ。
そんな容赦のない大人に対し、意地でも使ってみたいと思い詠唱してみるがなかなか上手くいかない。
魔法を使えるようになってまだ時間は経っていない、仕方のないことか。
「ありがとうございます」
「ありがとう」
夢を"今"は諦めることにし、魔法という奇跡を教えてくれたことに礼を言うとコウも遅れて続いた。
「いいっていいって。それより村を案内してよ」
その言葉でようやく気づく。
まだ自分達は、彼女に村も人々も教えず、自らは教わることを求めたのだと。
申し訳なさと、身勝手に付き合ってくれた行為にそれ以上の感謝を覚えながら、僕達は立ち上がった。
「ただいま戻りました」
「おかえり」
軽い挨拶だけで村を一周すると、家に帰ったときには丁度昼前だった。
母親が調理しながら出迎えてくれ、コウがそれを見て無言で手伝いに行く。
「やっぱり日光は厳しいですか?」
マントを脱ぎ、コートハンガーにかけるルゥに尋ねてしまう。
「ちょっとね。これが無くても魔法だけでどうにかなるんだけど、あったら魔力の節約になるから」
一日に使える魔法の量は気にしなければならないのだろうか。
「教えてあげる……けど、これどこに座ったらいい?」
顔に出ていたのか、彼女はそう言いながらイスを見る。
テーブルを囲むよう六つ並んだイス。
遠くないうちに七人で食事をする機会もあるだろう、今のうちに新しいイスを出しておこう。
そう思い二階にあるもう一つの部屋、今は物置になっている場所からイスを出して、自分の席の左側に置く。
これで端からコロネ、アネモネ、メイル、ウォルフ、コウ、僕、ルゥになった。
「ありがと、質問は魔力の量でいい?」
こくりと頷くと、丁寧に説明をしはじめる。
魔力は気持ちだ、彼女は再びそう切り出す。
多くの人は手のひらサイズの水球を作り出す動作を休みなく千回前後は行える。
ただ全体容量をこの1000と基準を定めると、700もできない人もいれば、2000やっても魔力が尽きる様子のない人もいるらしい。
「精神力の強さが問題ですか? それともその時気分とか」
「それもある。でもその二つは年月が経って、同じ人の内面が大きく変わっても、そこまで変動しないみたい」
みたい、とか、らしい、という表現が多くなるのは、魔法に関しての知識の多くが伝聞で伝えられ、書類として残っていることが少ない、あったとしても高価で簡単には見られないからだそうだ。
逆に短期間で急激に魔力量が増加する人も存在するらしい、原理こそわかっていないが。
「やっぱり才能、か」
「いや」
彼女は否定する、そんな言葉では片付けられないだろうと。
抽象的な表現が多かったが、遺伝子どころの話じゃないらしい。
仏教における業や因果、もしくは人個人を構成する概念そのものに何かがあるのではないのかと。
「まぁどうにかしようとして何かが変わるわけじゃない」
必要なのは自分に与えられた魔力の量をどう活用するかということだ。
相応に動け、と。魔力が多いなら如何に強くそれを扱うかを、少ないのなら少ない魔力でどれほど強く扱えるか。
「ただどうにかできる部分もある」
さっきまで話していた大きく変わらないものはあくまで"容量"だ。それとは別に"回復"がある。
コップの大きさが容量で、コップに徐々に注ぎ足されている水が回復だ。
魔力は気持ちだ、彼女は繰り返す。
リラックスすればより回復効率は上がるし、睡眠を取れば大きく回復する。
やる気があればいくらでも魔力を使える……かもしれない、らしい。
あくまで理論上の話だ、精神的に消耗せず活動し続けられる人間などいない。
では極限状態はどうなるのだろう。
魔法で身を守り、通用しない敵がいて、生きることを諦めてしまったら。
「いや、その場合でも少しずつ回復するよ」
「なぜ?」
「絶望ってなぜすると思う?」
質問で質問を返される。
ルゥはこのようなやり取りが好きだ、今朝もあったように。
話の過程をよく飛ばす、過程なんて想像しなよと、想像しないからこんなやりとりになっているんだよと言わんばかりに。
人を小馬鹿にしたようなその態度に腹が立つ、けれどそのような態度を取らせている自分にも腹が立つ。
だから考える、怒りを原動力に思考をする。
絶望とは何だ?望みが絶えることだ。
望みって何だ?ああしあい、こうしたいって希望だ。
「……悲しいから、それに魔力は答える、もしくはそれをどうにかしたいという深層心理から」
「うん」
満足そうに頷くルゥ。
「絶望は希望の裏返しだ。望まなければ、はじめから悲しまないんだ」
だから、だからどんなに辛くても、それ相応に魔力は湧き出る。
生きることを諦めても、考えることを諦めさえしなければ、悲しむことを諦めなければ。
「戻った」
「よう、こんにちは嬢ちゃん。ははっ、ほんとに白いな!」
短すぎる挨拶をする父親と、一言以上余計なウォルフ。
そしてコロネは夫の無遠慮すぎる言葉を窘めながら家に入ってきた。
獣と樹木の臭いがする、今日は毛皮でも鞣していたのだろうか。
「こんにちは。心もこの髪のように白くて無垢なので、優しくしてね」
どの口が言うのだろうか。そんなセリフは余程図太くない限り出てこない。
「……へぇ、言うじゃねえか。どれぐらい滞在する予定だ?」
笑顔を忘れ、ウォルフはそう尋ねる。
おそらく伝聞でどういった人物かを事前に聞いた上で、この程度の言葉ならたいして傷は負わないだろう、そう確信して出た言葉だった。
でもそれで傷つかないどころか、真っ向から対峙して見せた。
彼が十歳の少女の動きに気を払っているのがわかる、表情、仕草、呼吸から、体の向き重心まで。
ウォルフが狩人たる所以だ、獣と命のやり取りを行える理由。
メイルは圧倒的力強さで、ウォルフは観察眼とそれを処理できる頭で。
「本当は長くて数ヶ月のつもりだったんだけど、年単位で居ようかな。この村はおもしろいことが多いし、何より居心地がいい」
「そうか、ならメイル」
「ん?」
「今夜また宴をしよう、レイノアの奴らもまだいるし、何よりおもしろい新参者を迎え入れなきゃな」
「うむ、いいな」
「また忙しくなるわね」
母親がそう笑い、
「でもそれがいいじゃない」
コロネが微笑む。
コウとしょうがない大人達だね、と苦笑いし、ルゥはそれを見て幸せそうな表情を浮かべた。
「辺境の村が異邦人をたいした抵抗無く受け入れる、これは本当に難しいことなんだ」
後に二日目で居心地がいいと言った理由を彼女に聞いてみたらそう答えた。
「それに、三人家族の家に六つのイスがあるって、とても素敵なことだと思う」
何かを懐かしむよう、彼女は目を細めてそう付け足した。
- 科学的な非科学 終わり -