59.うえへおちるぅ
ガロン卿が助けてから、密接に関わるようになった貴族の家、ミスティ家。
そのミスティ家の娘は二人いるらしい。
一人はルナリア=ミスティ。
例のテイル家の息子に恥をかかされた張本人で、一時期は心を病み傷心状態が続いていたようだが、まわりの補助もあり今は表舞台に立つことはあまりないものの元気にしているそうだ。
もう一人はカナリア=ミスティ。
ユリアンが十二歳なのに対し一つ違いの十三歳で、姉が心を持ち直したのは彼女の支えが大きかったというのが周りの見解だそうだ。
とても心優しく、誰よりも純真で真っ直ぐな性格をしているというのがユリアンから語られる僅かな思い出にてそれを伺えた。
僕達の周りにいる女性を思い出す。
ルゥにユズ、一応エターナーも若い……のか?
それに僕と、スイか。
誰もが一癖あったり、一番純真だろうエターナーはその好意を人間ではなくほとんど本へと向いている。
次にスイだろうが、あれはあれで打算的な部分が多く見え隠れしてしていたし、何よりブラコンで今はもう居ない。
つまりそのカナリアという少女が、ユリアンから見た偶像でなければヒロイン力はかなり高いと思われる。
僕の知っている少女の中で一番ヒロイン力が高いとなれば、この世界で初めて僕の前で繰り広げられる恋愛模様がこの二人のものになるかもしれない。
家族を失い一人無謀にも王都を目指すユリアン。
その時幸運にも協力者を得、様々な困難を潜り抜けながら遂に王都へたどり着く少年。
そこで待っていたのは一人の少女、かつて父が助けたおかげで関わりのあったユリアンは、孤独を満たしてくれる純真なその心に惹かれ……。
「まぁそれでユリアンはその子のことどう思っているのさ?」
異性とは思えないルゥが、まだ出会って十日も経っていない少年に恋話のような何かをふっている。
もうちょっと聞き方はなかったのだろうか、あまりにも雑だろう。
「どう、とは。あぁ恋愛的な意味か」
それに対しユリアンは少し考える素振りを見せる。
その様子はどう見ても十代の反応ではない、もう少しこういった年代の子供は照れるべきだと思うのだが。
「……好ましいとは思っている」
おぉ!? 言い方が若干不穏だが、なにやら感触は悪くなさそうですぞ?
「だが父が結果的に助けた、そんな弱みに付け込むようだったり、もう他に人間の居ないリーン家の私が相手と考えれば少し気乗りはしないな」
だー! ダメだ、貴族社会で育ちすぎたんだ!
好ましいならそれでいいじゃないか、何も考えず突撃して後は相手の反応を待つ、それぐらいの意気込みはないと。
……生前唯一付き合った少女のことを思い出した。
何も考えず突撃したら受け入れられたのは良かったが、何も考えず付き合い続けたら見捨てられたんだっけ。
恋愛的にはもうほとんど何も思うことはないが、今でもその事を思い出すと別のベクトルでプチトラウマを抉られるようだ。
というかあの子は完璧主義が過ぎたのではないだろうか。
少なくとも心意気だけは常に全力で、といった様子だった。たとえ結果を出せなくとも、次の機会にもまた全力を出す、そんな。
思春期の少年少女には少し厳しい信条ではないか。挫折を、それも思春期特有の反抗期真っ盛りな年齢だ。そんな時期に挫折を味わったのなら誰でも反発、もしくは逃げ出したくなるのが人の心。
あの少女はそれすらもねじ伏せ、自分を律した上で結果を出していたが、僕と別れた後に新しくついて来れる様なパートナーは見つかったのだろうか。
大人になれば少しはその理想も形を柔らかくした、とは思えない。大人になればなるほど、その都度より強固に信条を上書きしていたのが見ていなくとも手に取るようにわかる。
今、もし僕があの時期の彼女と会えたとして、僕は人として認められることはできるのだろか。
無理、だろうな。殺す殺さないといった物騒な段階には至っているが、まだまだ日常でも迷うことの多い僕。
きっとそれは彼女にとって許せないものの内に入ってしまうのだろう。
……あれ、ならなんで僕は告白した時、仮初とはいえ受け入れられたのだろう?
容姿が特に優れていた記憶はない、そもそも容姿で異性を区別するような人物ではなかった。
ならば内面か、でもその内面も同じ時間を過ごして見込みなし!とふられた訳だから……いや、その少しでも様子を見ようとしたきっかけが何かあったはずだろう。
まぁ当然ながらそんなエピソード記憶に残っちゃ居ないのだが。
「おー大きな崖だね」
ルゥの声に思考を止め前方を見る。
僕達の進路を防ぐように、切り立った大きな崖が僕達の前に壁として存在していた。
「……今わたしの胸見た? おい、貧乳だって貧乳なりの魅力があるんだぞ、わかってんのか?」
唐突にうざい絡み方をしてくるルゥ。
というか何故男が二人居てそのネタで僕のほうに寄って来るのだろうか。めんどくさい。
「はいはい、後で分けてあげるからしばらく大人しくしててね」
僕の体は順調に成長し続けている。
そろそろ成長速度が衰え始めるころだろうが、かなりスタイルは良いと自負している。
話題の胸はCより少しある程度か。身長がまだ伸び終わっていないので相対的なカップは変わらないだろうが、これ以上大きくなれると運動するのに少し邪魔だ。
「いらねえよばーか!」
分けられねえよばーか!
適当にあしらわれたのが気に入らなかったのか、少しだけ本気の怒りを混ぜてそう言ってくるルゥに内心つっこんでおく。
例の胸、じゃなかった、崖は五メートルほどで二階建ての家が煙突込みでこれぐらいか。
角度も急で登るのは難しそうだ、また横を見てもここら一帯が陥没したのか、戦争の影響かは知らないが長く崖が続いており、迂回するにしても長い間回り道をする必要があるようだ。
「誰かいいアイディアある?」
一番優秀なコウがそう尋ねる辺りもうどうしようもない。
僕も当然思いつかず、彼も思いつかないのであればおとなしく迂回するしかないのではないか。
「こんなこともあろうかと!」
切り立った崖を前にルゥが叫ぶ。
何か都合のいいものを持っていたのだろうか、持ち物にロープなどは入っていなかった気がする。
「魔力だけで崖を登れるようにしていた!」
は?
彼女はそう言うと、指先に魔力を込め崖の壁を掘削しながら全体重を支え、もう片方の手を一つ上に……を繰り返して崖を登り始めた。
少し進んだ段階で崖から手を離し、元居た場所に落ちてくる。
「ね?簡単でしょ?」
人はそれをごり押しというのだ。
こんなこともあろうかと!じゃない。
魔法を使えれば誰にでもできるが、掘削し過ぎて宙を切らないように気をつけつつ、魔力で体を強化し体重を指だけで支え登るという複雑な作業を強いるそれは最終手段だ。
「……ユリアンさんできそうですか?」
一応尋ねる。
二時間以上回り道をして前に進むより、二、三十分かけてここを登れたほうが効率がいいのは確かだ。
森の中を歩けば獣に出会うが、崖は少なくとも小さな鳥が少しいる程度だろう。危険性は高い場所から落ちて着地に失敗するぐらいしかない。
「試してみる」
そう言うとユリアンは崖に指をかけ、何度が苦戦していたがしばらくすると二回、三回と上へ進むことができた。
慣れない旅路で体は限界だろうに、よくやるものだ。
「じゃあ登る方法を具体的に考えてみようか」
僕の決断に、皆で登り方を考えることにした。
- うえへおちるぅ 始まり -
ロープか代用できる何かがあればコウかルゥをさっさと登らせて、残りの人間はそれを使い登ればいいのだがそんなものはない。
せいぜい皆が持っているタオルや、今穿いているズボン等の衣服ぐらいだが、それらをあわせてもとてもじゃないが五メートル近い距離やそれを支える体重は稼げない。
なので正攻法、なのかそういった手段を考えるしかない。
出たアイディアは指だけではなく、足でも掘削し安定を図ること。
崖の中間地点で大きく壁を掘削し、四人がなんとか休憩できるスペースを作ること。
あとは間違って落ちても影響が少ない並びで登る、それぐらいだ。
「目立つ場所に人の手がかかった様子を残したり、時間をかけて登るのは不味くないかな?」
いざあとは挑戦するだけ、といったところで沸きあがった疑問を口にする。
「今のところ追われている様子はないし、追っていたとしてもかなり後ろで痕跡がいつのものかよくわからなかったり、そもそも崖に当たることはあってもここに来ることが少ないんじゃないかな」
「そっか」
コウがそう言うのならまぁ大丈夫だろう。
たとえ追っ手が崖を登らず迂回したとしても、この箇所を見つける可能性はその人達が崖に当たり左右に進むことだけを考えても二箇所で二分の一、それに迂回するのならそれだけ相手は遅れてやってくるのだからばれても逃げ切れる可能性が高い。
……なんとなくフラグな気もするが、現状思い出話や未来について語っても全てフラグになっているような切羽詰っている状態だ。気にしても仕方ないだろう。
登る順番は僕、ルゥ、ユリアン、コウの順番だ。
コウは一番体格も良く登ることも上手かったので、ユリアンが落ちてきても受け止められる可能性が高かったから彼の後ろ。
次に先頭の人物が休憩するための空間を掘る魔力が必要だったが、ルゥは日焼け対策や筋肉量を補うため魔力が常に人より少ない状態なので消極的に僕が先頭になった。
町で過ごしていた時よりも最大魔力量が減っている気がするが、それでもルゥよりは魔力が多いだろうと思いその役目を引き受ける。彼女、登るためにも魔力を人より使っているだろうし。
「行くよ」
指に魔力を込め少し掘削、そして掘削の魔力をやめてそこに力をかけ体重を支えられるようにする。
逆の手でも同じ作業、返しを意図的に作り、少しでも滑って落ちないようにするのがポイントだ。
まぁ最悪落ちてもやり直すだけで済む。
微妙に横軸をずらし先頭の人間が落ちたら芋ずる的に全滅することも避けているし、天辺から落ちても五メートル程度なら無傷で着地できる。
……これもジェイドと十メートル以上落ちたせいで感覚がおかしくなっているのだろうか。無意識に使える魔力だけでもこの世界の住人ならば、その程度の高さなら命に別状は無いと思っているけれど誤解かな。
足が地面から離れたら今度は足先でも掘削し、少しでも接地点を増やし体を支えられるようにする。
腕力は強化した腕だけでどうにかなっているので、どちらかというとバランスを崩して落ちることのほうが怖い。
時折吹く風や、些細なミスに怯えながらも、なんとか第一目標地点である中間までたどり着く。
下を見るが僕から右下へ流れるよう斜めになって三人は続いており、現状問題なく登れていることがわかる。
予定通り頭上の壁に空間を作り始める。
顔に砂埃がかかるが、流石にそれを阻止しながら魔法は使えない。
今も体が落ちないように意識と、そして筋力を強化するために魔力を使い続けているのだからそんな些細な調整はできない。
なんとか時間をかけ、人一人分入れる穴を作る。
まずはこれだけでいい、少なくとも僕があそこに入ることができたのなら気兼ねなく掘削に集中できるのだから。
ここで落ちたら少し恥ずかしい。
気を抜かず意識を集中させながらその空間に転がり込む。
「はい、いらっしゃい」
もう一人分のスペースを作り、ルゥを引き上げる。
異様に軽く思えたが、今まで彼女より遥かに重い自分の体を僅かな支えだけで保っていたのだ。まぁこんなものだろう。
ルゥも少し魔力が余っているようなので二人で空間を作りつつ、残り二人も引き上げ無事に中間地点を確保、そして収容することができた。
「結構いい景色だね」
コウの言葉に地平線を眺める。一面木、山、川、木、だ。
町を出てから一週間以上経っており、当然ながら町どころか人工物は見えない。
ただ自然にあふれた景色を上から見下ろすのは心地が良く、肉体を魔力で必要以上に酷使し、その魔力の消耗も激しい今その光景は一時の安らぎを与えてくれる。
「……狭いけどね」
パーソナルスペースもあったもんじゃない。
息遣いは間近で聞こえ、体温や鼓動すらも感じられそうだ。
それなりに仲良くなったとはいえ異性であるユリアンとはできれば長い間この距離は保ちたくはない、あちらも同じ気分だろう。
「行こうか」
魔力も十分に回復し、僕は穴の外へ出る。
距離感の問題もあるがトイレの問題も忘れてはいけない。流石にこの空間で用を足すことはできず、また地上に降りるのも面倒だ。
ならば最善はさっさと崖の上に登るだけ。
右手、右足。
左手、左足。
目立った凹凸も、崖を登る道具も無い。
前世でロッククライミングを楽しんでいる人達がいたが素直に凄いと思う。
魔力があり、落ちても大した怪我をしないとわかっていてもこの高さは恐怖を覚える。
それは原始的な欲求だ。人間は高所を恐れる、たとえ魔法というものを生まれながら備えていたとしてもそれには抗えない。
……ということは後天的なものなのだろうか、魔法は。遺伝子に刻まれることはなく、この世界に生きる人々は皆空気を吸うように魔法を身につける。
人間にとって魔法はイレギュラー……まぁどうでもいいか、記憶や経験も全て後天的なものだ。クエイクと性善説について話したことをまだ覚えている。
炎竜撃に巻き込まれていたり、冒険者の仕事で死んでいなければいいけど。
「ほいっ」
崖の終わりに手をかけ、一気に力を入れて体を持ち上げる。
周りを見渡し、探知もするがそこは崖下と同様に木々が茂っているだけだ。なんの危険もない。
適当な場所を掴み、ルゥを引き上げるために手を伸ばす。
「ふぁいとー!」
なんとなく記憶に残っていたセリフを口に出しながら、ルゥがあと一息と言った場所に来たのを見る。
あと少し、浮いた左手が僕の手に触れるだけで引き上げられる。
「……わからない」
彼女はそれだけを言うと、その事実にショックを受けたのか体が浮いてしまい下へ落ちていった。
「あらら」
余計なことを言うのはやめようかな。
ルゥさんふりだしへ戻る……かと思いきや、コウが姿勢をずらして無理にでも腕を伸ばしルゥの手を掴む。
おぉ、やるじゃん。
僕がやると巻き込まれて落ちていきそうだが、コウはそれを難なく遂げて見せた。
「アメ! キャッチしてね!!」
「え……?」
コウの言葉を僕が理解するより早く、彼はルゥを右上に投げて見せた。
あぁそうか、左上はユリアンがいるから投げるなら逆手でそっちに投げるしかないのか。
……んなバカな。片手と足で不安定な姿勢で体を支えた挙句、上から落ちてきたルゥを二メートルも投げられるものなのか。
僕の理解が遅かったり、流石にコントロールしきれなかったのだろう。
自分から見て左側に大きくルゥが飛んできて、一瞬だけ僕が立っている場所より上に浮く。
そして目が合った。
知ってる。
その表情遊園地でよく見るやつ。絶叫マシーンに乗るときの。
「いやーー!?」
一瞬でも前世の懐かしさに浸ってしまったからか、キャッチできずにルゥは再び下へ落ちていく。
彼女からしてみれば下に落ちたかと思えば今度は上に落とされて、そして誰も捕まえてはくれずに下に落ちていくようなものだろう。
いつ落ちる、いつ衝撃がくる。そんな恐怖を何度も短時間で味わう、少なくとも僕はそんな立場になりたくない。
まぁ今なんだけど。
辛うじて届いたルゥの足首を掴む。
「へぶっ!!」
多分顔でも打ったのだろう。こちらからは裏返ったスカートとスパッツに包まれたお尻しか見えないが。
カエルが潰れたような声が聞こえたが無視して引き上げ、そのままユリアンとコウの手助けもする。
「えーみんな無事に上がれたので、また行進を再開しましょう」
一息ついたとき僕ではなくルゥがそう言った。
顔に鼻血のあとを残しながら。
本人が無事だと言ったのだ、ここは触れてやらないことにしよう。
ハンカチでそっと顔を拭きながら僕はそう思ったのだ。
- うえへおちるぅ 終わり -




