57.忘れていないよその痛み
理屈がわからない。
ルゥがこんなユリアンを助けると決意した、その理屈が。
でもわかってしまう。
言っている言葉の意味と、どうしてそんな発想に至ったのか理由はわかる。
興味本位で訪れた辺境の村で、偶然僕達に出会い長年連れ添おうとしたものと同じだ。
それと同じで、彼女は、そんな気まぐれだけで今度はユリアンの味方をするという。
「待て」
言葉を発したのは僕じゃない。
コウでもなく、ユリアン本人だった。
「テイル家の私兵に襲われる可能性は限りなく低いかもしれない。けれどゼロじゃない」
「知ってる、その時は守ればいいんでしょ、相手を殺してさ。
まぁ無理そうな戦力差なら何も知りませんでしたーってキミを犠牲にわたしは助けてもらおうとするよ」
いつもの気まぐれだ。もしくは未だ理解できていないルゥの思考や信条による答えなのかもしれない。
彼女は気まぐれで人を守るために自分の命を盾にして、剣を突き立て襲ってくる相手を殺すのだ。
確かにいざとなったらユリアンを差し出せば命は助けてくれるかもしれない。
何も相手は言葉の通じない獣や、全てを奪っていく野盗ではないのだ。
事情も伝えられず、王都へ案内を頼まれた愚かな子供を演じれば乱暴な扱いをされる可能性は低い。
「もし全てが上手くいった暁に、妥当な報酬を払える保証がない」
何故か僕とコウではなく、守ってもらえるだろうユリアンが代わりに反論をしている。
そんなおかしな状況で、ふざけた回答をルゥは行う。
「そんなものいいよ、趣味みたいなものだしさ。貴重な経験をさせて貰ったらそれだけで十分」
ルゥがそんなことを言う人間だとはわかる、財布に余裕があることもわかる。
でもやっぱり本気でそんなことを言っていることだけはわかりたくない。
「待ってルゥ、どうしても意思は変わらないの?」
降って湧いた餅に、どう対応していいのかわからず思考に耽るユリアンの代わりに口を開く。
「うん」
「それは長い間僕達と、もう二度と会えないかもしれない可能性も考えて?
そして必要だったら竜ではなく、人を殺すの?」
「うん。後者はごめんね、約束先延ばしで。
でも前者は守れると思うよ、最悪ユリアンを置いて逃げればいいし」
ルゥは人を殺すことには触れない、そんなこと彼女にとってはどうでもいいのだ。
そしてあくまでサバイバルを助けるだけで、無理そうなら私兵からの攻撃にユリアンは守らずに降伏すると。
ただそのユリアンを見捨てる策も万全ではない。
有無言わせず一緒にいる人間を皆殺しにしたり、口封じのために処理される可能性もある。
僕は、守りたい。
ルゥに人間同士で殺し合いなんてさせたくないし、大切な幼馴染を失いたくもない。
「アメ」
どうして、どうして今お前が喋りかけてくるんだ。
「アメは、どうしたいの?」
コウ。
- 忘れていないよその痛み 始まり -
「どうしたいって、コウならわかってるはずでしょ。僕はルゥに行かないで欲しい、危険なことをせずに」
「でもそのルゥは絶対に折れる気はないみたいだよ」
「だから、だからコウからも……」
視線が交わる。
故に、わかる。いや彼がこのタイミングで話しかけてきたのだからその時点で気づいていたはずだ。
「……コウは、どうしたいの。僕のこと気にしないで」
「俺は、ルゥと一緒にユリアンを手伝いたい」
いつも僕の意見に従ってくれたコウが、このタイミングで僕に真っ向から向かってくる。
何故、何故そうするんだ。
「酷い目にあわされたのがアメだったとしたら、僕もユリアンのお父さん同じように……まぁ殺しはしないけどそれなりの行動をすると思った」
「……」
「ただそれ以前に、アメのことが大切なコウは、アメのためにルゥと一緒に行動するべきだと思っている」
「わからない、わからないよ……。
なんでコウがそう考えているのか、ルゥがどうしてそんな簡単に重要なことを決められたのか」
ただ狼狽するだけの僕に、コウは優しく語り掛ける。
「じゃあ一つ一つ話していこうか、わかるまでさ」
夜は始まったばかりだ。
そして朝になるまではひとまず急いで何か行動をする必要はない。
「それじゃ、うん……アメが何を悩んでいるか大体はわかる、でも完全にはわからないから言葉に出してみて、そこからはじめようか」
「二人は竜を、いや竜より人を殺したいの?」
「……」
ルゥとユリアンは何も喋らない。
彼女が言うには先延ばしにしただけが、僕からしてみれば竜を殺すという約束を違え、ルゥは人として犯してはいけない事をしようとしている。
「竜は、倒したい。でも今は無理だと思う」
「順調にステップアップして最後には竜を倒せるようにって? ハウンドを殺して、偽竜を殺して、次は人?
人間とそれ以外の命を等しく見ているの? それとも人間のほうが下かな?」
「その理屈だとアメは命を等しく見ていないんだよね。
意思疎通できないハウンドは殺して金を稼いで、家畜は調理して腹に入れる。それなら意思疎通できないルゥみたいな人間も食べちゃう?」
「あくまで仮定の話、あげ足取るみたいなこと言わないで」
「そう、過程の話なんだ。目的のための過程に人を殺すかもしれない、そんな可能性があるだけ。
もちろん何事も無く王都へたどり着けば人と争わなくて済むし、報酬がもらえるのなら生活を安定させ、竜を倒すための装備や訓練にリソースを割くことができる」
相手と同じ言葉で相手を言葉で屈服させる。
そんな手法を教えたのも僕であれば、リソースという言葉を使うのも主に僕だ。
腹がたつ、何故彼はこうまでも僕に対して露骨に相対峙するのか。
「夢物語に過ぎない」
「でもありえないわけじゃない」
確かにありえない話ではないだろう。
この広い世界、たとえ目的地がばれていたとしても、索敵されずに町に入り込めさえすれば可能性はある、夢物語が現実になる奇跡はどこかにある。
論点を変える必要がある、流れを変えなければコウに飲まれて終わりだ。
「……そもそも、ユリアンさんは信じられるの? 今日初めて会った人間の、いつか払える報酬は本当に払われるのか。町に入ったらリーン家唯一の生き残りである彼に貴族達は価値を見出し、守ろうとするのか」
「それはどちらも確約できない。十分な報酬を払えるだけのものを用意できる時間がどれほどかかるかも具体的には示せず、また繋がりのあった他家が未だ私に価値を見出すかも会って見なければなんとも言えない」
そこでユリアンが口を挟む。
あくまで自分の知る中立的な意見を、今この会話で命運が左右されるだろう人間が。
「ならば! それが本人の口から出るのなら尚更!」
僕は虎の威を借るよう片手を薙いで、少しでも自分を大きく見せようとした。
「なら、アメは具体的に示せるの? 竜を殺すために至る手順を」
「もちろ……」
そして、絶え間無く続くコウの言葉に、思わず広げていた手を握り締める。
「町の復興を手伝ったり、今まで通り獣を狩って生計を立てて、あとどれだけの日々があれば竜を倒せる力を手に入れられる?あとどれだけ命を危険に晒せばいいの? どっちが安全かな、人一人護送するのか、獣相手に何十、何百の戦いを抜けるか」
「そんなの証明できるわけっ」
証明できるわけがない。
自分はそこまで具体的に把握できないと知っている。日々生きるための糧を得ている仕事は命と命のぶつかり合いだ、決してパーセントなどの形で数値化できるものではない。
そしてユリアンもまた、既に確約できないと宣言している。
何よりこの論点で致命的なのは、自分がコウを追い詰めようとしてた話の過程で、結果的に扱っていた論点で自分自身を追い詰めてしまっていることだ。
証明できないのならばそちらの主張は間違っている、そう言おうとした。でもそう責め立てる僕の主張にも不確定要素が詰まっている。これでは決定的な決着に持っていけない。
「……わかった、この論点はもういい。僕の負け、次に行こう」
「勝ち負けなんてないんだよ、喧嘩をしているわけじゃないんだ俺らは」
どう考えても喧嘩、口喧嘩に過ぎない。言い争い、いくつかの論点で多く勝利を手にしたほうが、最後に話の流れを握るのだ。
「ユリアンさん……いや、リーン家は正しいの? テイル家は確かに間違ったことをした、けれど、それを裁く手段は正しかったの? 間違っているのだとしたら、護衛する価値はないんじゃない?」
「もう少し手前を見て、アメ」
「手前?」
「うん、国がリーン家をレイニスに移動した理由は?」
「もちろんレイニスを任せるという名目上の、事実上の追放」
「そうかな。俺には追放と言う名目を使った、事実上の名誉付与にしか思えないけど」
物言いからわかる。
僕が彼の言葉を喋ったのだとしたら、きっとコウは自分の意見なんて持っておらず僕の言葉で僕に返したのだろう。リーン家は国に追放されたんだって。
押したから引く、引いたから押す。そこに自身の主張を込める意識など彼には初めから毛頭ない。あるのは意思のみ、僕と真っ向から向かい合うというその心だけ。
「国が何を思ったなんかなんてわからない、間違いなく永遠に語られることはないと思う。
そして、どちらかの意図だけを込めての処理ではないと確信できる。
間違いなく両方の意図を込めたか、どちらの意味も無く処理をしたに違いない」
「それが、コウの言う手前?」
「違うよ。猫を入れた箱が開かないなら俺達は自分で決めるしかないんだ、その猫が生きているか死んでいるかを」
そんな表現を教えた記憶はない、喋った記憶もない。
ルゥが伝えたのか? この世界に同様の概念が存在していたのか?
腹がたつ、対峙しているコウが彼ではない何かに見えて苛立ちが積もる。
「なら……」
「アメ」
言葉を遮られる。
「考えて?」
その言い方は、まるで。
積もった怒りが心を破裂させようとして、ギリギリで抑えられる。
ここで感情に身を委ねてしまったらコウの手の中に完全に捕らえられてしまう。だからわざとそれを狙い……似たような、ルゥの意地が悪い様子を真似して見せた彼に気づいて感情を抑えられた。
言われたとおりに考えろ。
意図的に出されない情報に、疑問を覚えるだけなら誰でもできる。
ならこの一瞬だけでも、コウのような一握りの才能ある人間に近づきそれを乗り越えて見せろ。疑問を与えられる側ではなく、全てを読み解き与える側へと。
「多数決に従えって言っているんだね、ルゥは率先してユリアンさんに同調し、コウもどちらかというとそっち側。こっち側は一対三で僕一人だけ」
「それも考え方ではあっているけど、もっと手前だよ」
「……」
「俺たち、アメがどちらが正しいと言っているところ聞いていないよ?」
「……っ」
「アメ、意見を聞いてばかりで自分の思っていることは絶対に言わないようにしている」
言えるわけ、ないじゃないか。考えられていないもの。
テイル家の行いは間違っていた、リーン家の裁き方も間違っていた。
だから国はどちらとでも取れる処理で場を繋ぎ、他の家はどちら側にも自身の信じる理由を掲げ関係を続けていただろう。
客観的に見たら正しさを主張できるような状況じゃない、前世の価値観で主観的に見たら共に間違っている気すらする。
どちらに転んでもこれでは間違っている、正しさなんてわからない。
焼け死んだ男は言う、前世の常識を掲げ。人を殺すのは間違っていると。
生まれ変わった少女は言う、ここで築いた価値観を掲げ。何かを殺しても得られるものはあるのだと。
ならば今ここに居るアメは何も言えない。どちらも否定することはできないのだ、どちらも大切な自分だから。
「テイル家の行いは間違っていた、リーン家の裁き方は間違っていた。
どちらが正しいとは言えない、だから僕はどちらかに加担することはできない」
なら、両方取ってしまえ。クエイクに大見得切ったことを思い出せ。
道が二つしかないと誰が決めた、僕は僕が信じる道を行く、それがたとえ茂みの中でも、それがたとえ流転する正しさだったとしても。
「それがたとえ、加担しないことでテイル家に加担したとしても?」
「うん」
「アメ」
「なに?」
「もっと奥を見て」
手前の次は、奥か。
前後に揺さぶり、僕を追い詰めているのだろう。
乗らない、そんな誘導には乗らない。乗らずに、コウが引き出そうとしている言葉を率先して動く。
手のひらで踊っているように見せかけ、その手を引いて歩き出すように。
「どちらを殺すか、でしょ? 確率は考えずに、僕達が加担したほうが勝つとしたのなら、テイル家の刺客を殺すか、それともリーン家の生き残り、ユリアン=リーンを殺すか」
僕達三名が加担したほうが必ず勝つと考えよう。
それなら論点はもっと奥だ、今目の前にいる少年を見殺しにするか、その少年を襲うだろう人間を殺すか。
気づけた。これはどちらを僕が殺すか、そんな話だ。
気づいて、震える。
嫌だ、決めたくない。
どちらを選んでも誰かが死んでしまう、スイとジェイドが死んだ後コウは僕に言った。
もう迷わないでって。
無理だ、人の命なんて僕が、人間が選りすぐって選べるものじゃない。
それがたとえ大切な仲間などではなく、今日初めて顔を見た少年であっても同じだ。
今彼はここにいるのだ。ユリアンは黙って、僕達の会話がどこへ行くかを見守っている。
そんな少年に、子供に僕は言えるのか。お前が死ね、って。
でもコウの口は止まらない。
まだ感情を整理できていない僕にまだ何かを伝えてくる。
「あと、一歩。ルゥは、なんて言った?」
……絶対に、加担すると。
それは、ユリアンと共にルゥを殺すかという問いだ。
コウはたとえ今こうして言い争っていても、最後には僕が決めた選択に従うだろう。
でも、ルゥは違うのだ。中立を保つ理念を今まで掲げた少女が、それを初めて壊し片方に加担すると宣言したその、意味。その、覚悟。
確率の話だ。
僕達が加担したほうが百パーセント勝つのならば、ルゥだけが加担した場合勝つのは三割になる。
十回に七、百に六十六はルゥを失う。その時が来たら、僕はどんな顔をしたらいいのだろう。
三割を信じて友人を殺した自分を笑えばいいのだろうか、来るべくして訪れた七割に怒りを覚えればいいのだろうか。
胸を掻き毟る。
大切な人達を失った痛みが、そしてまた失うかもしれないと思ったら恐怖がそこから湧き出てくる。
三十三回は百回のうちまた出会えるだろう。何ヵ月、何年も後になるかもしれないがルゥとまた会える。
でも、その程度の確率しか、再会は許されないのだ。スイだけでも守れた、そんな可能性よりも低いその確率。
コウが何故、ここまでして僕と対峙したのかが今にしてようやくわかった。
最初は自分の意見を通したい、もしくは彼自身とルゥ二人分の幸せを尊重しているのかと思った。
根本的に勘違いをしていた。彼は初めから、僕が後悔しない道を選ぶように、もしくは後悔する覚悟をして道を選ぶために動いていたんだ。
「……わかった、僕もリーン家に加担する。護衛を、するよ」
そのためなら、人を殺してでも。
大切な人を守るために。皆の幸せを尊重するために。
友人が死んだその場に自分がいなかったことを後悔したくないために。
消失せず残ってしまったスイの左腕を思い出す。
あれは僕の咎だ。判断を迷った僕の罪。
今度は迷えない、もしかしたらルゥは一人で護衛をしても平気な顔をして帰ってくるのかもしれない。その両手を血で濡らし、背中には人殺しの罪を背負って。
怖かった。
その手を取るのは怖くない。
でも、その手を、汚れていない手で取るのは怖かった。
スイの気持ちが今ならわかる、兄と共に死なせてくれ、それと同じだ。
僕は汚れていない手で、罪を背負わせた彼女を平気な顔で迎え入れる自分が怖かった。
- 忘れていないよその痛み 終わり -




